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第三話 ―翼を捥いだ英雄―Ⅰ

更新したつもりが最後の最後にミスってもう一回やり直しに…!ここになんて書いたか覚えとらんがな。

えーと、確か…。

Ⅰってついてますが、これと同じ題名のⅡがくるのはかなり先です(白目)

今回長めです。

誤字は見つけ次第ちょくちょく直してます。

 完璧に調整されていて、どこか無機質さを助長させてしまっている『砦』の今日の気候は、関東が梅雨明けしたとの報道もあって(『砦』の気候設定は東京の天気予報を基にしている。これは、より外界に環境を似せることで、水中都市にいるという閉塞感を払拭する狙いがある)、湿度を感じさせないカラッとした晴れ模様だ。そして、今日は先日終了した期末考査の成績発表日である。

「あああああ…」

 考査が終わった瞬間に急に生き返ったような様子を見せた陽翔が、今は手で祈るようなポーズを取っている。陽翔と同様に、考査が終わって生き返った人物である亜貴乃は、空腹を感じているのか、それとも緊張しているのか判然としない、腹を押さえた格好でやや眉を顰めている。紗羅は考査が終わった時に少し残念そうな顔をしていた。維沙弥にその理由は分からない。そして今は、少々緊張した面持ちをしている。維沙弥と朔は、平素の通りのフラットな状態のようだ。

「陽翔うるさいよ。泣いても笑っても、これから発表される結果は変わらないんだから」

 一虎が呆れた声音と表情で陽翔を宥める。

「だって~これで俺だけ赤点とかだったら、皆で遊ぶ約束が…」

「へえ、そんな約束をしてたのか。だからあんなに頑張ってたんだな」

「そうなんすよお~!だから、是が非でも受からねば…!」

 陽翔が新たに気合を入れたその時、成績発表の時刻がきた。

「よーし、じゃあ皆、自分の暗証番号入れて成績確認して。俺はその間に上位十名の掲示を表示するから」

 一虎に言われ、皆一斉に自身の成績を確認し出す。

 最初に声を上げたのは、亜貴乃だった。

「おお~!良かった良かった!ちゃんと当たり障りない点数は取れてる!赤点なあ~し!」

 次に、紗羅が報告をする。

「わ、私も問題ありませんでしたわっ。これで維……み、皆さんと一緒に遊びに行けますわ」

 一瞬言いかけた名前を聞き取った者は二名いたが、一名は言い間違えたのだろうと聞き流し、一人は彼女の言いかけたことの意味するところまで完全に理解し、その上で気に留めることはなかった。

「私も問題ありません」

「俺も」

 朔と維沙弥が簡潔にすぎる報告をする。だが、ここまでの報告が終わったにも拘らず、未だに言葉を発さない者が一名。

「……」

 よくよく観察してみると、微かに肩が震えているのが分かった。

「佐倉?まさか貴方――」

 赤点を取ったのですか。朔が紡ごうとした言葉は、陽翔の絶叫に近い大声でいとも容易く掻き消された。

「や、やったああああああああ!!」

「うお」

 鼓膜が破れんばかりの大音量で叫んだ陽翔は、勢いそのまま維沙弥に飛びついた。維沙弥が身体にタックルばりの衝撃を受けて小さく声を漏らす。

「維沙弥~俺赤点じゃなかった!しかも今までで一番いい点数!維沙弥のお陰だ!ありがとなっ!!」

「おう。それは良かった」

「じゃあ、これで全員で遊びに行けるってことだねえ~」

 陽翔が赤点を免れたことで、全員揃って中心街に遊びに行けることが確定した。

「その前に」

 陽翔が喜びに酔いしれていると、横合いから声をかけられた。一虎だ。

「その前に?」

 陽翔が一虎の意を汲めず思わず聞き返す。

「上位者、見ていかないと」

 陽翔は、哀しいが自身が上位に食い込むことなどないと分かっているため、すっかり存在を忘れていた。それに、今までの考査で上位者を確認していけと一虎に言われていなかったのも、忘れていた要因の一つである。『第十三眷属』は周りから排斥的に見られることがほとんどなため、わざわざ自分を排斥してくる者たちの順位に興味がなかった、というのもある。だが、今回わざわざ声をかけてきたということは、誰かが上位に入った、ということなのだろうか。考えられる人物は二人いるが……。

 そんなことを考えながら、陽翔は黒板に表示された上位者名簿に視線を向けた。

「て、えっ!?」

 そこに記載されていたのは、果たして維沙弥と朔の二人だった。しかも、維沙弥に至っては学年一位である。

「維沙弥…お前一番じゃん!教えてもらってた時から頭いいなあとは思ってたけど、まさかここまでとはな!つか、個人成績のところの順位で分かってた筈だろ?もっと喜べよ」

「?別に特筆すべき点数でも順位でもないだろ?」

 上位者の張り出しは、その人物の得点も共に記載されている。維沙弥のスコアは驚異のパーフェクトだ。だが、本人は至極当然の結果だと言う。その顔に一切の驕りが見られないことから、どうやら彼にとってこの結果は本当に至って普通のことらしい。

「末恐ろしいな…」

 陽翔が思わず畏怖の念を籠めて呟いてしまったのも、無理はなかろう。言われた本人は、どういう意味か量りかねているようだが。

「それを言うなら、さくさくだって十分凄いと思うけどなあ」

 二人の会話を聞いていた亜貴乃が、ふとそんな言葉を漏らした。

 朔の順位は四位。しかも二位は同率のため、実質三位だ。二位との点差も、一点しかない。

「そうですわよね…『第十三眷属』の中に上位者が二名もいるというのは、素晴らしいことですわ」

 紗羅が亜貴乃の言葉に同意するが、褒められた本人としては、この結果にあまり納得がいっていないようで、やや憮然とした表情をしている。

「朔さん?あまり納得していらっしゃらないようですわね?」

 朔の表情に目敏く気がついた紗羅が言葉をかける。すると、朔が即座に反応していきた。

「当たり前です。落とした点数のほとんどがケアレスミスなんですから。これらさえ改善出来れば……」

 そこまで言うと、朔は自分の世界に入って反省会を始めてしまった。声をかけても現実に戻ってくる気配はない。

「にしてもさ」

 そこで声を上げたのは陽翔だった。他の学年の上位者リストをしげしげと眺めながら言葉を紡ぐ。

「二個上の先輩に維沙弥と同じくパーフェクトで一位の人いんね。この人もやべぇな。って、この人……」

 陽翔がなんの気なしに言った言葉に、一虎の瞳が一瞬揺れた。陽翔の言葉が不自然に途切れたことには注意がいっていないようだ。

「……」

 それを、維沙弥が見逃すはずもなく。陽翔が見ている上位者リストを覗き込む。

「なんだなんだ?自分と同じで満点な先輩の名前が気になったのか?」

 陽翔が茶化すように言ってくるが、それに対しておざなりな返答を返し、維沙弥はその人物の名前を確認した。『杉谷海斗』。どうやら彼は『境界人』のようだ。その名前を見た途端、いつぞやかのように、維沙弥のAR網膜が、また勝手に検索を始めた。そして、杉谷海斗に関しての情報を閲覧していると、気になる単語が目に留まる。

それを、思わず呟いてしまった。

「『翼を捥いだ英雄』…」

「っ」

 維沙弥の小さな言葉を聞き咎めた一虎の表情が、今度は目に見えて歪んだ。それは、明らかな悔恨と、幾許かの諦念。そして多分な称賛の念が籠められた、複雑な顔だった。だが流石軍人の一虎である。その表情を覘かせたのは刹那の間だけだった。

「じゃあまあ、皆で一緒に遊びに行こー!」

 無駄に元気よく、片腕を天井に突き上げながら宣った亜貴乃の声により、場に満ちかけていた不穏な空気は霧散され、維沙弥も深く追及することはなかった。自分の変化に気づいたであろう維沙弥に何かを訊かれずに済み、一虎はほっと息を吐いた。訊かなかったのは、訊くに値しない話だと思ったからか。それとも、何か考えがあるのか。……はたまた、訊けない事情でも、あるのか。

 逆に維沙弥に質問したい衝動に駆られたが、それでこちらがボロを出さないとも限らない。もしかしたらそれを狙っているのかも…。

(駄目だ。沢山の可能性が浮かべば浮かぶほど、行動に制限がかかる…)

 こんな考えに至ってしまえば、ここまで考えさせて、逆に維沙弥が自身のことについて何も訊かせないためにわざと動きにくくさせ、牽制してきているとも取れてしまう。

 結局、そのあと二人は特に言葉を交わすこともなく、維沙弥は帰り支度を済ませて皆と教室から出て行ってしまった。この時、一虎は維沙弥が教室から出て行くまでその動向を窺っていたが、維沙弥はこちらに一瞥もくれなかった。

(考えすぎか……?)

 だが、『翼を捥いだ英雄』について、自分から話せることなど何もない。何も訊かれなくて良かったじゃないか。一虎はそう思うことにした。



>>>



 正解を言えば、一番最後が正しかった。最初の理由もあながち間違いではないが、どちらかと言えば、最後の方に采配が傾く。維沙弥には、『翼を捥いだ英雄』について、一虎に訊けない理由があった。それは、『翼を捥いだ英雄』その人というよりも、その人物を辿っていくと必ずぶち当たる人物について危惧していることがあるからだ。

そんなことを考えている内に、学校から直行でやって来た『砦』の中心街に辿り着いていた。足を踏み入れた途端に感じた大量の奇異の視線で、思考の渦から現実に引き戻される。

「おい……あいつらって……」

「ああ、噂の『第十三眷属』様だぜ……。あいつら隔離されてるから、こっちはあちらさんのことは何も知らないがな…」

「あいつらホントになんなんだ?元々外界で暮らしてた人間なんだろ?急に能力に目覚めるとか、信じらんねえんだけど」

「だからあんな風に隔離されてんだろ?異端分子かも知んねぇからよ…」

 何人かが、明らかに聞こえる声で言葉を垂れ流している。それに不快そうに眉を顰める者は……残念だが、誰一人としていなかった。全員漏れなく図太い精神の持ち主のようだ。紗羅に至っては、やや頬を染めている。決して褒められているわけではなく、むしろ貶されているこの状況で顔を赤らめてしまう理由は、また後程。

「な~どこ行く?」

 周りの声などどこ吹く風で陽翔が訊ねてきた。彼は『砦』にいる期間が一番長い。そんな彼にとって、周りのこの反応は最早日常茶飯事だ。むしろ、昔より幾分か緩和したように思う。恐らく、一虎や則継の根回しの賜物だろう。それに、彼自身、周りのこの反応は当然のものだと思う。誰だって、異端には目くじらを立てるものだ。排斥意識が殊更に高い『血統族』なら、尚更だろう。

「ん~……学校から直行で来たからお腹すいてるんだよねえ」

 それはいつものことでは。朔は口に出そうになった言葉を飲み込んだ。実際、彼女ほど性急に腹の減りを訴える身体構造をしていなくとも、午前で終わった学校からここまで歩いてきたのだ。腹も減る。

「そうだなあ。じゃあ、飯にしようぜ。俺安くて上手い店知ってるからさ」

 そう言うと、陽翔はにかっと快活に笑った。排斥される傾向のある『第十三眷属』でありながら、その口調はどこか行きつけの店の雰囲気を感じさせる。きっと、『第十三眷属』に明るい印象を持っている人物の店なのだろう。少数派とは言え、そのような人物がいないわけではない。維沙弥は勿論、朔もここに来て日が浅いため、あまり店舗については明るくない。紗羅も、洋服店には詳しいようだが、あまり外食はしないらしく、詳しくないようだ。食事に関しては右に出る者はいないだろうと思える亜貴乃だが、そもそも彼女は性格に反してインドア派だ。変なところで日頃のインドア振りをかなぐり捨て、外に連れ回してくることもあるが、それは稀なことであり、また、彼女の精神状態が乱れた時だけである。朔は彼女のその行動を無意識のストレス発散と考え、深く考えたことはないが。というわけで、『砦』の実際の施設状況について一番熟知しているのは陽翔であり、一行は特に反対するでもなく陽翔について行った。

 そこでまさかトラブルに巻き込まれるなど、誰に予想出来ようか。



>>>



「――維沙弥ッ!」

 耐え切れずに沈痛な声を上げたのは、陽翔。思わず維沙弥の腕を掴む。濡れたワイシャツは、まだ微妙に熱を帯びていた。

 そして、そんな維沙弥のことを呆然と見つめる人物たち。それは『第十三眷属』の面々であることは勿論だったが、そこにいつもとは違う人物が三名いた。一人は、五條敏史。もう一人は、久城篤。そして、杉谷海斗、その人だ。

 事の経緯(いきさつ)は、少し時間を遡ることとなる。

 陽翔が勧めた飲食店は、オープンテラスのある、落ち着いた雰囲気のカフェだった。いつも騒がしい陽翔がこんな大人っぽい店を知っているとは…と、朔は正直そう思った。事実、オープンテラスにはコーヒーを優雅に楽しみながら読書に勤しんでいる客までいるではないか。皆でワイワイ楽しく食事をするのには些か場違い感を否めない。

「ここは俺が『砦』に来た頃からの行きつけなんだぜ~」

 間延びした声を出しながら、しかし慣れた足取りで店内に足を踏み入れる。どうやら彼の行きつけの店というのはガセではなさそうだ。

「やっほーマスター」

 陽翔が気軽に話しかけたのは、店のカウンターでグラスを拭いている、口髭を生やした、清潔感と優しさ、渋さなど、豊富な人生経験を積んできた人物が醸し出せる独特の気配を纏った糸目の紳士だった。陽翔の顔を見て、柔らかに笑む。

「やあ陽翔。暫く振りだね」

 恐らく人の名前に『君』をつけるであろうその人物に呼び捨てで呼ばれている辺り、やはりここの常連らしい。そこまで考えて、朔は自分がどこまで陽翔を疑っているのかに気がつく。だって、彼に似合わないくらい洒落た店なのだ。カウンターの棚にワインやカクテルが見えることから、この店は夜になるとその姿をバーに変貌させるようだ。益々陽翔には似合わない。

「今日はお友達を連れて来たのかい?初めてじゃないか?」

「へへ、マスターの作る美味い飯をこいつらにも食って欲しくてさ」

 マスターと呼んでいる男の言葉に若干照れた様子を見せながら、陽翔は吸い込まれるようにカウンター席の一つに腰を下ろした。どうやら、彼の指定席のようだ。あまりにも自然な動きに、全員の動きが止まる。

「?何してんだよ。座んないのか?」

全員が動かないことを不審に思ったのか、陽翔が首を傾げながら催促してきた。それに従って、維沙弥たちもおずおずと陽翔の横の席に腰を落ち着ける。

「はるくんには似合わないお店だね」

 流れるような、思わず見惚れる動作で出されたおしぼりとお冷。手を拭いた後そのお冷に口をつけていた朔は、思わずそのお冷を空気中に霧として噴射するところだった。直球すぎるだろう。

「ん~だよなあ」

 てっきり反駁するのかと思っていたが、意外にも陽翔はあっさりとそのことを認めた。

「俺にはオシャレすぎるっつうか」

「自覚があったんですね…」

 思わず会話に割り込んでしまう。しかし、陽翔はいきなり話に割り込み、しかもなかなかに失礼なことを言った朔に怒るでもなく、ただ笑った。

「まあ俺がここを見つけたわけじゃないし」

「誰かの紹介でここに来た、ということですの?」

 紗羅が興味深そうに訊ねた。

「ああ。なあマスター、あの人今日もシフト入ってる?」

「ああ、勿論さ。彼は仕事熱心だからね」

「そっかそっか」

 彼にこの店を紹介したのは、どうやらこの店の従業員らしい。シフトというからには、バイトと言った方が正しいか。自分の働いている店を紹介するとは、言われている通り随分と仕事熱心らしい。いや、そもそもの、何故彼が他人(恐らく紹介された当時に『第十三眷属』は彼以外いなかっただろうから)に店を紹介されたのか、その経緯が分からなければ、自分の働いている店をわざわざ選んで紹介したのかどうかは定かではない。そもそも、その時はその人物もただの客であった可能性も捨てられない。

「それで、ご注文は決まりましたか?お客様」

 マスターの言葉で、まだ何も注文していなかったことを思い出す。陽翔が「いつもの!」と常連客がいう常套句を口にしていたが、こちらは新参者だ。まずメニューがどこに設置してあるのかも分からない。ふと横の維沙弥を見てみると、彼はいつの間にかメニューのあり方を突き止めて、何を注文するかを決めているようだった。

「おや、当店のメニュー表がどこにあるか一発で当てるとは」

 どうやら一見には分かりづらい場所にあるようで、マスターが感心したように言った。うっすらとその目を片方見開いている。

「これでも勘は鋭い方なんですよ」

 マスターの言葉に、維沙弥が少し愉しさを滲ませながら言葉を紡いだ。

「ふむ、そのようだ。この店のメニュー表を見つけた人物は一様に大物になっているからね。君もきっと大物になるだろう。楽しみにしているよ」

「恐縮です」

「ところで、君の名前は?」

「澄丈維沙弥、と申します。以後、お見知り置きを」

「……澄丈維沙弥君か……」

 マスターは、維沙弥の名前を聞いたあと、前後にやや空白を持たせた。それが何かを思案しているような気がして、朔は若干気になった。

「ねえねえマスターさーん。あたしにはメニューがどこにあるか分かんないから、教えて~。お腹減ってそろそろ限界……」

「ああ、それは失礼。では、どうぞ」

 すると、マスターはどこからともなくメニューを差し出してきた。これでは次に来てもどこにメニューがあるのか分からないではないか。

「それでいいんだよ。マスターはここのメニューを自力で見つけられる奴を探してるんだ。見つけた人たちを口止めするくらいの徹底振りなんだぜ」

 何故、わざわざそんなことをするのか……は、先程の話でなんとなく察しはつく。ここのメニュー表を一発で見つけた人物は皆一様に大物になっていると言うし、きっと彼独自の人選選定法なのだろう。店に来て何回目でメニューを見つけられるかも見ていそうだ。

「うおおおおおお……!!すっご~いっ!」

 と、そんなことを考えていると、亜貴乃のなんとも語彙の少ない感嘆の声が聞こえてきた。

「どうしたんですの?」

 紗羅が訊くと、「だってこのメニューさっ」と亜貴乃が鼻息荒く力説してきた。

「安い上に和洋中なんでもござれのハイパーメニューだよ!」

 目をきらきらと輝かせた彼女は、怒涛の勢いで注文し出した。

「そ、そんなに食べられるんですの…?」

 いつもの彼女の暴食っぷりを見ていても心配になる程の大量注文だ。そもそも財布の方は大丈夫なのだろうか。朔には一円も貸す気はないが。金と痴情の縺れ程厄介なものはない……。些か齢十五の少女が考えることではないようなことを考えながら、朔も亜貴乃に倣ってメニュー表を開き、注文したのだった。



>>>



 一言でいえば。滅茶苦茶美味かった。


 食後のデザートもしっかりと堪能し終わった頃だった。それが起きたのは。


「はあ~満腹満腹……」

 亜貴乃がだらしのない心底幸福そうな顔で腹部をさする。

「一体その満腹もどれくらい持つことやら」

 陽翔が悪戯っぽく笑んで、束の間の談笑を楽しんでいた時だった。

 ドアベルがカランカランと涼やかな音を立て、来客を知らせる。一瞬陽翔の言っていた人物かと思ったが、それなら従業員入り口から入って来るはずである。従業員入り口がないことも予想出来るが、ここまで良い雰囲気の店なのだ。従業員を客と遭遇させるような造りはしていないだろう。となると、本当に新しく客が来たということか。維沙弥たちが食事を摂っている間に、オープンテラスでコーヒーを飲んでいた客は帰ったため、実質『第十三眷属』の貸し切り状態だった店の均衡が崩れた。

「いらっしゃいませ」

 マスターが耳に心地よいバスの声音で客を迎え入れた。

「……」

 対して客はなんの反応も返さなかったため、愛想のない奴だと思い、思わず振り返る。

「……!」

 そこで、朔は若干身構えることとなる。別段入って来た客と顔見知りだったわけではない。名前くらいなら知ってはいるが、話したことはない。『第十三眷属』は周りから隔絶されているし、そもそも来客者――ちなみに二名だ――は朔たちと学年が違う。学年が違えば、接触する機会は更になくなってくるというものだ。では、何故朔が警戒心を顕わにしたかというと、来客者の内の一人――名を久城篤という――がこちらを物凄い形相で睥睨していたからだ。隣にいる男――この青年の名は五條敏史、どちらも『分家』の人間だ――がこちらを睨む篤の腕を引っ張っていることから、こちらの人物は分別があるというか、『第十三眷属』に対してある程度理解のある人物のようだ。

「篤っ」

 やや焦ったような上擦った声で隣の篤を催促している。

「なんでお前らみたいな下界の溝鼠がここにいるんだ」

 しかし、敏史の努力の甲斐なく篤はこちらに突っかかってきた。陽翔の呆れたような反応を見る分に、あの男も常連で、こんなやり取りはよくあることのようだ。その証拠に慣れた様子で無視を決め込んでいる。

「おい、お前ら何様のつもりなんだ?俺を無視するなんて」

「なあ篤ってば」

「……」

「はっ。お仲間連れ込みゃ鼠も威張れるってか?あ?ふざけんなよ」

 いよいよ陽翔の堪忍袋の緒が切れそうになった時、重厚感のある声が腹の底に響いた。

「久城君」

「ッ」

 たったの一言だけなのに、それは厳格な命令のように全身を駆け巡り、脊髄反射で背筋を伸ばした。

「この店の名前を忘れたかな?」

「……いえ」

「そうか。なら好きな席に座りなさい」

「……」

 マスターにそう言われると、篤は苦虫を噛み潰したように顔を歪めながらも、それ以上何を言うでもなくテラス席へと移動して行った。

「すまないね。気を悪くさせてしまったお詫びに何か飲み物をご馳走しよう」

「いえ、そんな…」

 朔が咄嗟に断りを入れようとした時、カウンターに一人の人物が現れた。

「マスター、これからシフトに入ります」

 そこに現れたのは、白いワイシャツに黒いネクタイを締め、同色のパンツと腰からのエプロンを見事に着こなした爽やかな好青年だった。

「ああ。よろしく頼むよ。早速だが、こちらのお客様たちに何か飲み物をお出ししてくれ。私のサービスだ」

 マスターのその言葉を聞いた青年は、つとその優しげな印象のある茶色の瞳を細めると、テラス席に視線を走らせた。先の言葉だけで自分が来る数瞬前に何があったのか正確に読み取ると、彼はこちらににこやかな笑みを向けてきた。

(この人、相当頭の回る人ですね……)

「ではお客様。何かオーダーはありますか?」

「海斗さん!」

 すると、そこで陽翔が声を上げた。海斗と呼ばれたウエイターが陽翔に視線を向ける。

「陽翔じゃないか。久し振りだな」

 会話から察するに、この人物が――。というか、待て。海斗?

「皆、紹介するな!この人が俺にこの店を紹介してくれた杉谷海斗さん!」

「どうも、杉谷海斗です。珍しいな?陽翔が誰か連れて来るなんて。初めてじゃないか?」

「それマスターにも言われた」

「だって珍しいからね」

「佐倉、ちょっと待って下さい。杉谷海斗って……」

 朔の言葉の意味するところを察したのだろう。陽翔が喜色満面で肯定した。

「そうなんだよっ!期末考査で一位だった二個上の先輩だよ!」

「おおお~」

 亜貴乃が素直に感心している。それを聞いた海斗は少し恥ずかしそうに微笑んでいる。大変絵になる顔立ちだ。

「いやあ、別に大したことじゃないよ」

「大したことだよ、海斗君。君はこれまでずっと学年一位の座を守り続けているじゃないか」

「ちょ、マスター…!」

 海斗の赤面具合が増した。それに比例するように陽翔の瞳が輝きを増す。

「まじかよ!海斗さんめっちゃ凄ぇじゃん!」

「……いやあ、たまたまだよ」

「たまたまで毎回パーフェクトを叩きだすものかな?仮にそうだとしてもそれはそれで凄いことだがね」

 確かに、マスターの言う通りである。

「もう、揶揄わないで下さいよ」

 当の本人に謙遜している節は見当たらない辺り、こちらも本当にそう思っているらしい。

「ごほん……。お客様、ご注文は決まりましたか?」

 そのあと、こちらの自己紹介も済ませ、少しの間談笑を楽しんだ。どうやら海斗と維沙弥は大変意気投合したらしく、陽翔ばりに二人でも話し合っていた。恐らく頭の回転の速さが同じくらいなのだろう。天才的に頭脳が秀でていると、周りと会話が噛み合わない、言っていることを理解してもらえないなんてことはザラにあるようだし。

「へえ、つまりは――」

「ええ、そういうことですね」

 など、傍から聞いていたら宇宙語でも通じそうな専門用語が飛び交っている。辛うじて分かるのは、それが効率的な組織運営だったり、作戦立案のことだったりについて話し合っているのだということくらいだ。こいつらなにするつもりだ。会社でも立ち上げるのか。

「維沙弥は物知りだね」

「いえ、貴方程では」

 海斗がいつの間にか維沙弥のことを呼び捨てで呼んでいる。確か最初はくんづけだった気がするのだが。

「維沙弥が物知りなのは当然っすよー!」

 そこに、耐え切れずに陽翔が話に加わる。どうやらずっと話に割り込む機会を窺っていたようだが、二人の話があまりに専門的すぎて、入るに入れなかったのだろう。

「なんてったって維沙弥は今回の期末考査パーフェクトだったんだからな!」

「おお、そいつは凄い」

 貴方もでしょうが…というツッコミが喉まで出かかったが、なんとか嚥下して腹に戻す。

「ふふん。凄いだろ~!?自慢の友達なんだぜ!」

 陽翔のこの言葉を聞いた時、朔は何故彼がここに皆を連れて来たのか分かったような気がした。きっと、彼は維沙弥のことを自慢したかったのだろう。精神的に地獄にいた陽翔を救い上げ、赤点の危機からも見事に掬い上げた彼のことを。

「そうかそうか」

 そんな陽翔の言葉に、海斗も嬉しそうに微笑んで相槌を打っている。陽翔が『砦』に来た頃からこの店を知っているということは、つまり海斗は『砦』に来たばかりの頃から陽翔のことを知っているということになる。きっと彼に友人が出来て素直に嬉しいのだろう。『第十三眷属』は陽翔が来てから割と直ぐにその人数を増やしたが、同性の仲間が増えたのはここ最近のことだ。

 その時、店員を呼び出すベルが鳴った。最近ではそれを店員にだけ聴こえるようにしている店も多いが、ここでは昔ながらの方式が採用されているようだ。

「注文が入ったな」

 それは、テラス席に行ってから音沙汰なかった篤と敏史からのオーダーだった。時刻は食事時をすぎているため、恐らく何か飲み物と、軽くつまむものでも頼んだのだろう。



>>>



 彼、久城篤は大変苛ついていた。周りの『分家』の人間より異様なほどに能力の差を意識する嫌いのある篤は、自分のテリトリーに自分より下だと考える者や、得体の知れない者が入り込むのを赦せないでいた。勿論、この店の『名前』、もっと言うならばこの店のコンセプトを知らないわけではないため、あまり喚くことは出来ないのだが。

 自分でも、自身の心の狭さというか、許容範囲の狭さは理解しているのだ。それが、異常なほどだということも。けれど、篤にはどうしようも出来ないのだ。あたかも呪われているように。そうしろと暗示がかかっているように。――本能が、そうしろと慟哭しているかのように。

 先程までの苛立ちと、それを自分では制御出来ない口惜しさが相俟って、思わず拳を握りしめて臍を噛む。

「……」

 目の前の友人は、そんな複雑な篤の心情を理解してくれている数少ない人物の一人だ。黙って篤が落ち着くのを待ってくれている。

「……大分落ち着いた」

「そうか。なら何か頼むか?」

「そうだな…」

 そう言って、この前途中で飲み切れなかったブラックコーヒーをもう一度頼むことにする。「ほんと負けず嫌いだよな」と敏史が笑うのに対して「うっせ」と返しつつ、オーダーを終える。ちなみに敏史はレモンティーを頼んでいた。優雅な奴め。

 運ばれてくる飲み物をぼんやりと眺める。誰が運んでくるかなんて、この時は気にしていなかった。そもそも、篤が屋内にいた時店の中にいた店員はマスターだけだったため、当然マスターが持ってきたのだと思っていた。しかし、それは目の前に座る敏史の表情を見て、違うと悟った。

 敏史の表情は、マスターに見せる畏敬の念も籠めた憧れの眼差しではなく、戦場で己の役割を全うして美しく散った戦士に送るような、純粋な憧憬の視線。

 誰だと思わず勢い良く頭を上げれば、そこにいたのはここのバイトの『境界人』。杉谷海斗だった。篤には、『分家』の敏史がそんな表情を海斗に向ける意味が分からない。確かに頭脳は秀でているようだが、それだけだ。こいつの能力は並みの『境界人』よりも遥かに劣っていると聞く。敏史も数瞬遅れて自分の表情に気づいたようだが、彼が何か弁明するより、篤の中の何かが弾けて理性が飛ぶ方が速かった。海斗が今まさにテーブルに置いたコーヒーカップをソーサーから持ち上げると、薫り高く匂い立つ、まだ湯気が立ち上り見るからに熱いことが分かるそれを、こちらの動きなど読めているだろうに、何故か動こうとしない海斗にぶちまけようとして――果たしてそれは叶わなかった。

「……」

 静かな漆黒が、真っ直ぐにこちらを見据えている。その瞳には、一切の感情が浮かんでいない。

 まるで、彼を中心にして時が止まったかのようだ。

 思わず先程までの激情を忘れて、言うなれば、こちらは冷や水を頭からかけられたような心地で、目の前の、海斗を庇って熱湯を被った少年を見つめる。直ぐに駆けつけてきた、先程カウンター席にいた目の前の少年の仲間たちも、動揺を隠せず瞳を見開いている。

「――維沙弥ッ!」

 耐え切れなくなったかのように、よくこの店に来ている『第十三眷属』の少年が、維沙弥と呼んだ少年の腕を掴む。掴んだ腕はコーヒーで濡れており、まだその熱を感じたのか、少年が表情を険しくしたのが分かった。

「おいあんた…」

 少年が篤を睨み、低く唸る。気のせいだろうか。完璧に空調管理されているはずなのに、外気の温度が上昇した気がする。

「あんたこそ何様のつもりだよ…?」

 全くその通りだ。更に周囲の温度が上昇したのを感じたのと、少年に気圧されて嫌な汗が流れる。

「い、維沙弥大丈夫か?――ごめんな、俺を庇ったばっかりに…」

 海斗が沈痛な面持ちで維沙弥に詫びる。熱湯をかけられた瞬間こそ火傷を負っただろうが、異端と言われる『第十三眷属』も、流石は『血統族』だ。既に火傷は完治しているようだ。まあ、問題はそこではないが…。

 海斗が維沙弥に着替えるよう勧めている。だが、維沙弥はその声が聞こえているのかいないのか。未だに篤の瞳を射抜いたままだ。そして、漸く行動を見せた。

「……?」

 彼は、徐に片腕(少年が掴んでいる方ではない)を上げた。

 そして。

 ――パチンッ

 軽快な音で指を鳴らした。

「――!?」

 すると、驚くべきことが起こった。

 まず、辺りに充満していた熱気が消え失せ、次に、コーヒーに塗れたシャツが元の白さを取り戻した。同時に、維沙弥の顔や髪や身体にかかっていたコーヒーも、初めからかかっていなかったかのように、かかる前の状態に戻った。

 そして、最後に。

 篤の意識を刈り取った。


前回の話の『周辺景観訴訟』は第一章第五話。今回の杉谷海斗・久城篤・五條敏史は第三章第一話。今回の店と前回の店は同じです。ちなみに篤だけ第二章第一話に『第十三眷属』より先に登場してます。

店の名前は追々出します。引っ張る内容ではないですが、陽翔がこの店に来るようになった理由と絡むため、一応後程。

確かこんなことを書いた気がする(遠い目)

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