第五話 ―BLAZE―Ⅳ
維沙弥が孤軍奮闘で凄まじい戦果を挙げている時、他のメンバーもかなりの奮戦具合であった。
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「有賀、貴女は『烏合族(Dusk)』を殺せるんですか?」
亜貴乃にそう訊いたのは、油断なく弓を構えた朔だった。亜貴乃は特に緊張した様子も見せず、気の抜けた雰囲気を漂わせている。
「澄丈はむしろ、私たちがいた方が足でまといになる程の戦力の持ち主のようですが…」
朔はちらりと亜貴乃を見る。朔からしてみれば、彼女が『殺す』という行為を出来るとは思えない。朔自身ですら、非常に大きな精神的ストレスを感じる行為である。自分の持つアクセス権限が少し上位のAR網膜を使って彼女のプロフィールを調べたことがあるが、彼女はここに来るまで平々凡々な生活を送ってきたはずだ。彩姫が何故『守護』の対象にしなかったのか、朔には疑問である。
「あはは」
朔の言葉を聞いて、亜貴乃は笑った。否、嗤った。
「さくさくはあたしが殺せないと思ってるのかな?」
「!」
亜貴乃は朔に振り返る。彼女の瞳は酷く冥い。いつも明るい彼女が見せた表情に、朔は思わず背筋に氷塊を入れられたような気持ちになる。
「殺せるよ。だって……」
亜貴乃がそのあとなんと言おうとしたのか、朔は知ることが出来なかった。ただ、亜貴乃が目の前に迫ってきた『烏合族(Dusk)』の脳天を無感動に槍で刺し、返り血を恐れず引き抜いたのを見た。顔面に大量の血を浴び、彼女は笑う。
「あはは。呑み込まないように気をつけないと」
それだけ言うと、彼女は軽やかに地を蹴り、飢えた猛獣が獲物を狩るように『烏合族(Dusk)』の急所を的確に突いて討伐していった。
「………」
朔が亜貴乃の華麗とも言える討伐の様子を愕然とした気持ちで見ていると、周囲をあらかた一掃したらしい維沙弥が亜貴乃を見つめながら口を開くのを見た。
「こ…………ど……か」
「……?」
しかし、維沙弥の声はあまりにも小さく、朔はそれを聞き取ることが出来なかった。
維沙弥は何かを呟いたあと、陽翔と紗羅がいる場所に向かった数十体の『烏合族(Dusk)』を見咎め、身を翻して行ってしまう。
朔もすぐに自身の目の前に迫り来る『烏合族(Dusk)』を撃ち抜くことに必死になり、維沙弥が何を言ったのか考えることを止めてしまった。
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一虎は『烏合族(Dusk)』の襲いかかる比率が大きく『第十三眷属』に傾いていることに疑問を抱いた。見たところ、押し寄せてきた夥しい量の『烏合族(Dusk)』は、今まで『化け』ていたようであるから、本能に従う彼らは良くも悪くも平等にこちらを襲うはずなのに。作為的な何かを感じる。この、喋る『烏合族(Dusk)』が現れるという異常事態の裏には、何か大きな謀略が水面下で蠢いている気がしてならない。
(もしかして……)
今の事態が、軽微とはいえ『十年前のあの日』と同じならば。
(『奴』が近くにいるのか…?)
『十年前のあの日』と今との共通点を探せ。
『奴』がわざわざ出てくるような何が最近あった?
最近あった出来事と言えば…。
「………」
――維沙弥が『砦』に来た。
(でも、維沙弥が来たのだって一ヶ月も前だ…)
ならば、今と『十年前のあの日』との共通点は?
『十年前のあの日』は、確か……あれも一ヶ月くらい前に……『あの場所』で――。
「……!!」
一虎は弾かれたように周囲を見回す。しかし、『血統族(Dawn)』を全員視認し、身体に走った緊張が一気に解れる。
(……考えすぎか?)
「……一虎?」
その時、一虎に声をかけてきた人物がいた。涼だ。いつもは任務中に敬称と敬語をつけて一虎を呼ぶ涼であったが、今は外して呼ばれたお陰で、一虎は思考の渦から現実に帰還した。
「涼……」
涼乃視線が一虎の顔から腕へと流れる。そこで、一虎は気づいた。自分が無意識の内に『左腕』をきつく握り締めていたことを。
「あはは…。それで声をかけてくれたのか」
「ええ…。大丈夫?」
「ちょっと、考え込んでた。杞憂だといいんだけど」
「『十年前のあの日』との共通点でも見つけたのかしら?」
「うん。あの日は…あいつらに大きな傷を遺したからね」
そう言うと、一虎は樹上から『烏合族(Dusk)』を狙撃する怜央と、陽翔と紗羅を『守護』する彩姫を見た。
「………」
一虎が二人を心配そうに見つめるのを、涼はやるせない気持ちで見ていた。
……『右腕』を、強く握り締めながら。
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その頃、『血統族(Dusk)』が銘々奮戦する地からやや離れた地点にて。
「………」
瞳を閉じていた少女は、歓喜に全身を浸からせながら、長い睫毛を震わせ、その瞳を開いた。
「嗚呼……」
――やはり貴方が『アヴァロン』様だったのですね……。
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怜央が大量の『烏合族(Dusk)』の到来を告げた時から約三十分後。数こそ多いものの一体一体を強さはそれ程でもなかったため、掃討作戦は恙なく終了した。慈悲なく殺された『烏合族(Dusk)』の屍体が死屍累々の様相を呈する。
「……うっ」
『守護』から解かれ、戦場を歩く陽翔は辺りに充満する血の臭いに噎ぶ。切断面から飛び出した内臓が血と土に塗れている。持ち主の分からぬ四肢がそこかしこに散乱している。眼球、脳が飛び出している。
(……気持ち、悪い)
自分はこの現実を受け入れ、そしていずれは自分で実行しなければならなくなるのか。そう思うと、陽翔の心は鉛を埋め込まれたかのように重く沈んだ。
「俺に『殺し』なんて、無理だ……」
引き摺るように歩いていた足を止め、陽翔は項垂れる。
思い浮かぶのは、『あの日』の記憶。
『あの日』も、こんな風に辺り一面が血に塗れ、激しい血臭が鼻腔を刺していた。
「自分も殺せなかった俺に、誰かを殺すことなんて……」
――だったら、私を殺したのはだあれ?
「ッ」
突然、『あの人』の声が聞こえた気がして、陽翔は青ざめた顔で振り返る。しかしそこには誰もいなかった。
「止めてくれ……」
陽翔は両手で耳を塞いだ。
――なあに、逃げるの?
「そう言う、訳じゃ……」
――酷いわぁ。全部全部……。
「止めろッ……!」
――お前が産まれてきた所為なのに。
「止めろ止めろ止めろ!!止めてくれ……」
陽翔は両手で耳を塞いだまま頽れ、慟哭した。陽翔の周囲に熱風が吹き荒れ始め、身体中が熱くなり、地面の草が微かに焦げ始める。
「………」
精神的に完全に疲弊し切った陽翔を現実に引き戻したのは、能力を暴走させかけた陽翔を現実に引き戻したのは、足音だった。足音から何か波紋が拡がった感覚を憶える。ゆっくりと見上げると、血に塗れ幻想的な雰囲気を漂わせた、美しき少年が立っていた。
「維沙弥……?」
維沙弥の姿を認め、何かの糸が切れたように、陽翔は意識を手放した。
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陽翔が意識を取り戻したのは、それから二日後のことだった。異例尽くしだった今回は様々な報告書や現場検証が行われたようだが、それは陽翔が目覚めた時には既に総て終わっていた。
目覚めた陽翔はそのままメンタルルームに収容され、診察の結果、PTSD(心的外傷後ストレス障害)と判定された。今回の殺戮が大きな要因ではあるが、陽翔はそれに誘発される形で過去のトラウマが顕在化し、深刻な容態であった。当初はそのままメンタルルームでの経過観察が予定されていたが、環境の急激な変化に対応出来ず、能力が暴走する危険が危惧されたことと、本人の要望もあり、自宅療養となった。
自宅療養が決定してからというもの、陽翔は幾度となくあの殺戮をフラッシュバックさせ、あまりの気持ち悪さに嘔吐を繰り返し、身体的にも疲弊していった。
そして、陽翔が目覚めてから三日目の夜、彼の家に来訪者が現れた。維沙弥だ。
《食べ物を持ってきた》
とても端的なARMが表示される。今は誰とも会いたくなかったが、維沙弥の普段通りな様子に安心し、同じくらい激怒した。
(あれだけ殺しておいて……なんともないんだな)
《きっと食べられないだろうけど、置いておくから》
陽翔が返信出来ないでいると、突然玄関の扉が開く音がし、何か陶器製の物が置かれる硬い音が鳴る。そして、今度は玄関の扉の閉まる音が聞こえた。
「………?」
(なんで開いたんだ?セキュリティ上、自分以外には開けられないはずじゃあ……?)
気は進まないが部屋を出て階下に降りる。そこには、陶器製の盆の上に乗った三個の握り飯があった。
(一虎さんにでも頼まれて来たのか?あの人なら、『第十三眷属』個人の部屋のキーも持ってるのかも知れないし……)
そんなことを考えたが、また気持ち悪さがぶり返し、陽翔はその場を離れた。
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陽翔に食べ物を届けた維沙弥は、そのまま家に帰――らなかった。家への道ではなく、『砦』本部がある場所へと向かう。本部の前には、一虎と則継と昌隆がいた。
「お待たせ致しました」
「いや、指示した時間の十分前だ。気にするな」
「それでは改めて、これから君に通達する『特務』についてご説明します。『砦』の中へどうぞ」
維沙弥は則継の案内に従い、『砦』内部へと進入する。
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『特別任務』とは、今まで『リアクト』隊長の佐内一虎にのみ発行されていた任務である。主な任務内容は、『烏合族(Dusk)』の可能性のある人物の暗殺。これが一虎にのみ発行されていた理由は、彼の武器が『緋』ランクであり、『緋』ランクにもなると、通常の『血統族(Dawn)』より『烏合族(Dusk)』を見分けられるから、である。見分けられるといっても肌感覚によるものだが。
そして、この『リアクト』の他のメンバーすら知らず、昌隆にも則継にも遂行出来ない任務の追加人員に、維沙弥が選出された理由は、彼が完璧に人間と『烏合族(Dusk)』を見分けられるからである。
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一虎はゲートを潜り、実地訓練の場所に着いた瞬間、二つの意味で驚いた。
一つ目は、単に後方から日本刀が投擲されたこと。
そして二つ目は、維沙弥が目の前にいた女型を誰に何を言われるでもなく、当然のように『烏合族(Dusk)』だと識別し、瞬時に討伐したことだ。
(こいつは前に言った『音波』以外にも識別方法を持っている)
一虎は直感的にそう感じた。そして、戦闘が総て終わったあと、本人に直接訊いてみたのだ。
「維沙弥」
「はい」
「お前…『音波』以外にも『烏合族(Dusk)』の識別方法を保持してるな?」
ここで『保持しているのか』と訊かれれば、恐らく維沙弥は『否』と答えただろう。しかし、確信されていることに対して彼は嘘を吐かない。
「はい」
一虎からすれば拍子抜けする程あっさりと維沙弥はそれを認めた。
「それは……なんなんだ?」
一虎はここまで踏み込んでいいものかどうか一瞬逡巡したが(軍事的には訊いておかなければならないが、維沙弥がここまで答えるかが賭けであった)、結局総て訊くことにした。
「自分は」
維沙弥は身体を一虎の方へと向けると、ゾッとするほど真っ直ぐに一虎を見据え、口を開いた。
「『烏合族(Dusk)』が人間に見えません」
「……?」
一瞬、一虎は維沙弥の言葉の意味が分からなかった。『人間』と『血統族(Dawn)』、そして『烏合族(Dusk)』は見た目こそ人間であるが、総て違う種族なのだと、『血統族(Dawn)』では認識されている。だが、維沙弥は先月まで人間と共に暮らしていたため、まだその感覚が養われていないのだろうか。最初、一虎はそう思った。
しかし、そうではなかった。本当に、文字通り。額面通りの意味だったのだ。
「自分の目には、『烏合族(Dusk)』は総て異形に見えます。そして、喰ったことのある『烏合族(Dusk)』とそうでない『烏合族(Dusk)』は形が違って見えます。異形の恐らく顔の部分。表情が違って見えます」
「そんなことが…」
「確かに『烏合族(Dusk)』が発する特殊な周波数を聞き取ることは出来ます。しかし、それは『烏合族(Dusk)』が正気を喪った時にのみ発するものです。自分は、日常生活で『烏合族(Dusk)』を識別出来ます」
「………」
衝撃の事実に、一虎は言葉を失う。
『烏合族(Dusk)』がそもそも人間と同じ形をしているように見えないのとは。そんなことが有り得るなんて。
(……待てよ。それなら――)
「なあ、維沙弥」
「はい」
「これは、個人的に訊くけど……」
「はい」
「だったら、『藤野峻也』は……」
「ああ。自分には、出会った時からあいつが異形に見えていました」
「……!!」
維沙弥はさらりとそう言うと、記憶を辿るように目を細める。
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中央区第一小学校に入学し、クラスで恒例の自己紹介が行われた日のことだった。維沙弥はその時、少し疲れていて、しばらく封印していた言葉を使ってしまったのだった。
周囲を見回し、維沙弥は少し辟易とした。
(ここにも『いる』のか……)
「――澄丈 維沙弥…です。宜しく」
きちんと自己紹介をする気力がなく、それだけ言って終わった自己紹介であったが、そんな自分に話しかけてくる人物がいた。それは、維沙弥を辟易とした気分にさせた人物二人の内の一人だった。
「お前、澄丈 維沙弥って言うんだよな。
さっきも自己紹介したけど、俺の名前は藤野 峻也。よろしくな!」
目の前の『それ』は、到底この世の生物とは思えない醜い異形の形をしていた。恐らく顔面だと思われる部分は白黒半分に分かれた笑う道化師の仮面のようなものをしており、それが唯一見ていておぞましさを与えないモノであった。
一応、いつものように『探し』てみる。仮面以外に、どこかに自分が見たことのある人間の面影がないかを。
「………」
そして、ないことに気づいて少し落胆した。
「俺の顔、何かついてる…?」
普段なら、『それ』を見ても、普通の人と同じように、普通の『人間』に見えているように接してきた。
だが、この時ばかりは疲れが出てしまったのか、つい本音が口をついて出てしまった。
「……なあ」
「ん?何?」
「あんたさ、『何』?」
「え――」
しまった、この時維沙弥はそう思った。初対面でいきなりこんなことを言われたら、大抵の人間は(維沙弥の喋り方が淡々としている所為もあるが)憤激するものだ。自分の好意を踏み躙られたと思う者も多い。
しかし、峻也の答えは意外なものだった。
「俺……なんなんだろう。俺は、自分がなんなのか、分からない。お前の目には、俺が違って見えてるのか?」
(こいつ……『他』とは違う)
自分の違和感と、維沙弥の瞳が他人と違うことに無意識で気づいたのだ。もしかすると、自分の違和感には前々から薄々勘づいていたのかも知れない。
それが、維沙弥と峻也の出会いの真実。
自分を探す彼と一緒にいるようになった理由。
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月日は流れ、中央区第一高等学校で峻也が維沙弥に写真を送ってきた日のこと。
最初、維沙弥は峻也撮った写真は額面通り、偶然警察のバリケードテープに遭遇したのだと思った。
しかし、それは峻也の心の叫びだと、直ぐに気づいた。二枚目の写真、峻也自身が写った写真を見て、維沙弥はそれを確信した。
白黒半分に分かれた道化師の仮面が、顔を歪めて泣いている。慟哭している。
「………」
(嗚呼、また人間を喰ったのか)
そして、それを直接報せてくるということは……。
(終わらせて欲しいんだな。俺の手で、お前を)
「嗚呼、この家は『事件現場』か」
泣きじゃくり、懺悔し、終わらせてくれと嘆く犯人の写った写真を見て、維沙弥は早朝の誰もいない教室で、ぽつりと呟いた。