人材発掘部隊【コスモス】 岡野
空に描かれた魔法陣を見上げ、岡野は存外ぱっちりとした瞳を忌々しげに細めた。
これが神々の悪戯というのなら、岡野は神を憎悪していただろう。
もう何年もの月日が流れているのに、未だに何が起こったのか誰もわからないというのが現実だ。
後に【第一波】と呼ばれる未曽有の災害に巻き込まれた岡野は、【平和な国日本】という概念を根本から覆された。
特に【第五波】の時の惨劇といったらなかった。
降ってきたのは、羽根を広げると二メートルはありそうな赤い蝙蝠だ。
【第四波】までは、四足歩行の動物ないし、二足歩行の動物であったため、落下の時点で大半が死亡して、一割が生き残る程度で、被害は極僅か―――――そう【第五波】に比べれば、極僅かと断言できる。
まだ自衛隊が主体となった空門落下物対応署は独立すらしておらず、異能者の解析が優先されていたため、前線に出ている一握りだったため被害は、想像を絶した。
死者2741名。
殆どが直接前線で戦った散った自衛隊、そして逃げ遅れた市民。
当時は市民の誘導も自衛隊が行っていたが、その日ばかりは、無駄でしかなかった。
上空から落ちてきた赤蝙蝠達はの八割以上が、地上への激突を免れたのだ。
しかも口から火を噴き、人を喰らう、悪魔だった。
【第三派】の時に、虎のような魔物が住んでいたアパートに落下したため、隣の県に住む親戚の家に難を逃れていた為、岡野の家族は【第五派】は丁度免れていた。
しかし異能者として空門落下物対応署に引き抜かれた部下がどうしても気になり、テレビを付けた瞬間に見たのは、まさに最前線で血を流し戦う元・部下の須々木の姿だった。なぜか今も部下であるスーツ姿の大城が満身創痍で、槍を振り回し、吠えている姿だった。
それは、日本で起きているのかと疑問すら抱く『戦争』だった。
上空を覆い尽くすほどの赤蝙蝠。
数は10、20の話ではない。
下手すると、100はくだらないのだろう。
すでに現地に派遣されていたアナウンサーは画面の端で動かぬ骸となり、どこかに転がり、傾いたカメラが戦場の不鮮明な画像を切り抜いているだけだった。
猿にも似た赤蝙蝠の鳴き声、絶叫、雄叫び、悲鳴、飛び散る朱色。
時々起る爆発に画面が細かく揺れ、唐突に切れた。
すぐにニュースセンターに切り替わったが、ほとんどキャスターの言葉は岡野の耳に入ってこず、衝撃といったらなかった。
頭部を殴られたような、とは、この事をいうのだろう。
―――――――このままだと、遠くない未来、日本という国はなくなる。
何もしなければ、魔物達に占領されるろいう確信があった。
そして異能が発覚し、徴収に近い形でSFDに連れていかれた須々木が、人々を守るために身を投げだしているのだ。
須々木は優秀な男ではないし、凡庸といってもいい。
だが、ここ一番という場所で機転がきくし、自分の狭い領域の中の大事な人間の為には限りなく力を惜しまず、定めた目標を与えると努力を続ける男だった。
反面、上から抑えたり、強引にやらせようとすると、すぐに不貞腐れて興味をなくし、領域外の人間には手を貸そうとはしない、扱いの難しい部下だった。
それでも引き抜いたのは、須々木が岡野に上司として信頼を寄せていたからだ。
須々木が自分に優しかったり、信頼する人間が同じ仕事に取り組んでいると力を発揮するが、須々木の領域以外の人間が側にいても、並の結果しか残さない。時にはそれ以下の時すらある。
領域に入っている岡野が目標を定めて、時折道を修正してやるだけで、好成績を残した。
しかし、須々木が上に立っても、力を発揮できないともわかっていた。
部下を選り好みする可能性があるからだ。
その点、岡野が選んだ新人の可賀は素直で須々木を敬っていたので、ちゃんと領域内に入り、バリバリとしていたが、たぶん須々木自身は自分の事を理解していないので、難しかっただろう。
だから今回のような国に強行的に徴収されたのだから、良い結果にはならないだろうと岡野は思っていたが、ただの中小企業の係長にはなにもできることはなかった。
それが真剣に人々を守ろうとする姿には、本当に驚かされたのだ。
さらに、其処に須々木と肩を並べて、大城が他の市民を逃がすために、武器を手に戦い続ける姿には震えるものすらあった。
中学で野球、高校で柔道、大学でラグビーという生粋の体育会系の大城は、サラリーマンというには屈強な肉体を持ってはいるが、彼だってサラリーマンで、一般市民なのだ。
死の危険がある戦場から逃げ出したとて、誰も責めはしまい。
逃げ出せば、一番助かる確率があるが、大城の道徳心が、女子供よりも先に逃げるなど、そんな事を許さなかったのだろう。
須々木の元上司が理不尽な期間だったり、命令だったりと須々木に密かに押し付けてくるので、同じ部署で働いていた大城は正論を上司に叩き付ける様な男だ。
それさえなければエリートコースまっしぐらだったというのに、大城自身は間違ってないから良いのだと豪快に笑っていた。
大城も空門落下物対応署へ引き抜かれるだろう。
彼は、たぶん異能者だ。
第一波の後から、岡野は大城の存在というものが強くなっていたのを感じていた。
可賀も少しではあるが、存在感を増している。
言葉では言い表せないが、最後に会った須々木も同様の奇妙な存在感があったからである。
本当は知っていた。
傷が治った辺りから感じる自分の能力を、岡野は薄々と。
あの犬のような魔物に関わった四人の全てが異能者へとなったのは、偶然なのかはわからないが、異能者を感知するというのが、岡野の異能なのだろう。
だが言い出せるはずもなかった。
彼には妻も二人の子供いて、戦闘に駆り出されて死んでしまえば、どうなってしまうのかと考えると、とても国に申告などできようはずもない。
しかし、なにかしなくては。
岡野は日本の未来――――ひいては、その先にある己の子供達の未来を、この時、はじめて憂いた。
+ + +
「岡野係長、ご無沙汰してます」
数か月後にあった大城の顔は、その精悍さを増していた。
【第五波】の時に異能が発覚したらしい大城は、業務を引き継ぐ暇もなく、空門落下物対応署へと引き抜かれた。
仕方がない事だ。
その時に命を落とした自衛隊の穴を埋める様に、異能者が集められている。
以前よりも、積極的に国は異能者を囲いだしているのだ。
しかし、須々木の時とは違い、携帯の連絡先は奪われていなかったようで、連絡は取れた。
それでも、彼自身が多忙であったため、合う時間は幾度か伸ばされたが、岡野にとっては丁度良い頃合いだったともいえた。
妻と子供たちを説得し、会社を引き継いで穏便にやめるには。
「大城君……僕は未来の為に、戦いたい」
そういって、岡野は己の異能の話を切り出した。
二人が【第五波】の時には安全な場所で見ている事しかできず、歯がゆい思いをした事。
日本のひいては、子供たちの未来の為に、何らかの形で貢献したいという事。
大城は豪気に笑って、二つ返事を返すと、その足で空門落下物対応署に向かい、上役にまで取り付けた。
簡単にとはいえ、多くいる異能者と非異能者の判別という実験で、80%以上の正解率をたたき出した。
中にはあまりにも、異能が弱いため認識できなかったものがあったり、非異能者と自他共に認識されていたが、後日検査で異能が発覚したり、すぐに異能が芽生えた者が少なくなかった。
異能としての脅威は低いが、大いに歓迎された。
いい年だった岡野は体力もからっきしで、まったく戦闘に関しては不能といっても差支えないほどだったため、異能のスカウトという形、新しい部門が立ち上げられた。
しかし、岡野は一つだけ条件を出した。
異能をスカウトするが、断られた場合は強制しないこと、だ。
須々木は良い方向へと向かったが、逆に強制して悪い方向に向かう人間だって少なくないはず。
誰だって死にたくないのに、前線に向かえば、壊れいくだろう。
そして、中には強く望むものもいた。
「可賀君、君は女性だというのに」
「お願いします!私、須々木主任の役に立ちたいんです!」
「しかし、前線部隊でなくとも」
「へ、平気です!それにこう見えて、ゲーセンのガンシューティングの上位ランカーなんですから!」
部下だった頃から、どこかずれた発言が多く、変わっていないことに苦笑した。
須々木を慕ってはいたが、【第一波】で助けられた時に決定的に、恋心に変わったのかもしれない。
自分と似たような能力らしく、どうやら魔物の居場所がわかるようだった。
現在に至るまでに、取り逃がして山奥などに逃げ込んだ魔物も少なくないため、稀少な能力である。
しかも、本人が言ったように、かなりの射撃の名手だったようで、自衛隊の隊員も驚くような腕前だったと後日連絡がきた。
+ + +
「あれがそう、なんですか?」
人材発掘部隊【コスモス】に配属されて数年。
部下と共に、大学園内―――――就職近い学生に声をかけるのが一番もめごとの少ないスカウトの為だ―――――の中庭のベンチに座る大学生風の青年に対して、岡野は背筋が続々とするのを感じた。
異能者―――――それも、今まで会ったことない程、強力な。
飴を舐めているらしい青年は己の両手を見つめて、く、と口の端を上げて、楽しそうに笑っている姿に違和感すら覚える。
「君、ここの学生さんかな?私たちはこういう者なんだが」
「……ええ、そうです。驚きました。コスモス―――――あぁ、普通の人材発掘の」
一瞬、こちらに驚いたようだったが、構えた様子もなく、警察手帳にも似たコスモスの花をあしらわれた紋章の入った身分証に、頷いた。
ころころと、飴を口内で転がしながら、青年はやはり笑っている。
普通の、という言葉に引っ掛かりを覚えたものの、岡野は顔色を変えない様に問う。
「名前を聞いても?」
「あぁ、すみません。俺は佐東要人っていいます」
「単刀直入に言うけど、佐東くん、君はかなりの高いレベルの異能者ですね」
「あはは、まぁ、実は。でも、魔物との相性は悪い能力なので、スカウトなら断ろうかと」
「相性が悪くても、前線部隊以外の道もあるからね」
「そうですね、そうですよね」
あはは、あはは、と佐東は何が面白いのか、堪え切れないように声を上げて笑っている。
その態度に部下が眉根を寄せているが、彼の異質な底知れぬ瞳と、口の中の『飴』が覗き、岡野は冷や汗が伝うのを感じだ。
林檎のように真っ赤と鮮血のように鮮やかな朱色という濃淡。
「済まないけど、能力の検査だけでも協力してくれないかな?国から礼金はでるし、就職を強要するということはしないから」
「そう、ですねぇ……あはは」
笑っていた青年は歯を剥き出しにして、ガリガリと飴を無慈悲なまでに砕くと、ポケットからラベルのはがされた薬瓶を出して、真っ赤な色をした小指の先ほどの宝石のような飴を口に放り込んだ。
ころころ、ころころ、と。
よほど硬いのか、歯に当たっている音すら聞こえた時には、岡野は蒼白に近かった。
「やめときます。やっぱ、人間自由が一番ですから」
「検査だけでも―――――」
「あぁ、時間を取らせて御免ね。失礼するよ」
セオリー通りに検査を進めようとしたが部下を遮って、引き摺る様に足早に大学を離れた。
車に乗り込んで大学から遠のき、存在感が完全になくなって、ようやく岡野は後部座席で固くなった身体を弛緩させ、長い息を吐き出した。
部下が問う、なぜ検査だけでも進めなかったのかと。
むしろ、あれほど明瞭に見せつけられて、気が付かなかった若い部下の方が不思議でならない。
「小鹿くん――――もっと人を良く観察しなさい。所作も言動も」
「一体、何がそこまで?」
「確信を持って『自分の能力は魔物の退治に向かない』って、無意識だったのかもしれないが、断言したよ、彼は」
運転しながらも返事する部下に、岡野は恐怖を押し込める様に両手で顔を覆った。
「断言したんだよ。つまり彼は自分の能力を把握して、すでに『魔物退治をした時に不便を感じている』から、そう発言したんだよ」
「まさか!」
「…………彼が、何を食べていたか、見たかい?」
「飴でしょう?」
バックミラー越しに、部下の怪訝そうに視線に、力なく顔を上げた岡野は緩やかに顔を横に振った。
「FRSだよ」
部下が絶句した。
落赤石―――――魔物を倒した後に、体内のどこかから出てくる赤い石の事だ。
宝石のように美しいというのに、鉱物という概念から、その性質が未だに不明といわれている。
砕くことは可能で、その成分を引き出すことに成功し、実験用のマウスに投与した所、半分ほどが死亡、残りの半分ほどが魔物化したというのは、有名な話だ。
研究室に勤めていた12名が死亡し、SFD研究室の一つが閉鎖されたのである。
この小鹿という部下の男も元々前線部隊のアイリスで活躍してたものの、その時の鎮圧に向かい腕をやられ、他の部隊へと転属になった口だった。
日常生活には支障はないが過度な運動を続けると、腕が使い物にならないと判断されたのだ。
薬瓶の中に、何十もの赤い石が。
さすがに、小鹿もようやく岡野の意図を理解して青ざめ沈黙した。
ガリガリ、ガリガリ。
口の中で砕かれている、それの音がいつまでも岡野の耳に残っていた。
晴れにも関わらず雨がっぱを着た少年は、労働により流れた汗を手の甲で拭う。
手には手術用のゴム手袋を纏っているが、薄いクリーム色のそれは、朱色が滴るほど塗れており、拭ったせいで、額にはべっとりと赤に染められた。
ねっとりとした液体の感触に気が付いて、不快そうに眉を寄せ、少年は深いため息をつく。
「ねぇ、佐東さん」
隣で同じ雨がっぱを身に纏い行動をしている青年は、コロコロと口の中で赤い飴にもにたFRSを転がしていたが、少年の問いかけに顔を上げた。
「んん~?どったの、少年」
「FRSを一発で当てる目が欲しいよ。きっと、探せば魔眼系統の異能とかもあるんだろうし」
「でもさ、探すのは難しいだろうねぇ、あはは。俺達が知り合えたのだって、奇跡だよ」
何が可笑しいのか、青年は身体を揺すりながら、あはは、あはは、と控えめではあるが、声を上げて笑っている。
されど、手を止めることはなくグチャグチャと不快な音を上げている。
「そういえばさ、こないだスカウトの人、来たよ。コスモス部隊の。たぶん、禿げたオッサンは俺の事見て青ざめてたから、異能を感知できる人なんじゃないかなぁ。攫っちゃおうか?」
「はぁあ……佐東さんは馬鹿だなぁ。公共機関の人なんて攫ったら、今の僕たちだったらすぐ捕まっちゃうよ。もうちょっと人集めないとさ。世知辛い世の中だよ、ホント」
少年は少し考え込んだ後『やっぱり、まだまだ先だよ』と、また不愉快そうに深いため息をついて作業に戻った。
辺り一面に朱色に染まった場所には、巨大な黒紫色の虎にも似た魔物の死体が、何体も重なり合うように倒れており、二人は黙々とまだ温かい虎を捌き、鮮血を浴びながら、中から小さなFRSを探し続けていた。