別離
気管に入りそうになってしまった茶をなんとか飲み込みながら、ローゼスは茶器を繊細なつくりの机に置いた。
「どういうことなのでしょうか?」
「言葉通りでございます。今は後宮に貴方様しか女性はおりません」
侍女を除いてですが、とトスカは付けたした。
驚愕を隠せないでいるローゼスにトスカは冷ややかに言葉をつづけた。
「詳しいことは私たちには分かりかねますゆえ、皇太子殿下にお伺いになられてはいかがでしょうか」
それが無理であることを分かって言っているのだろう、とローゼスは敢えてこの話題を切り上げた。
「ところで、こちらの飲み物はなんというのですか?」
「クコと申します。クコの実を乾燥させて焙煎したものです」
トスカは表情を変えずに答えた。
話題を見失ってしまったローゼスは、クコをもう一口含んだ。
実を焙煎するから香ばしい香りがするのか、とローゼスは香りを確かめた。初めこそ、慣れない香りだったが慣れてみるとなかなか良い香りだ。
しかし、この独特の酸味と苦味はあまり口には合わない。
少しずつクコを口に含むローゼスの前に、小さなポッドと液体の入った小さい水差しのようなものが差し出された。
ポッドを開けると中には薄茶色の固形物が、水差しの中には白い液体が入っていた。
「砂糖とミルクでございます」
「ミルク?」
水差しに触れるとほんのりと暖かい。
砂糖はサラスティアの特産物だ。三国の中で砂糖を作ることが出来るのはサラスティアだけだ。
砂糖はイクルと呼ばれる背の高い植物から取れる。夏の暑い時期に育ち、適度な湿気と温暖な気候が無ければ十分に砂糖の元となる蜜を含まない。
ルルタスとクラストでは季候が合わないらしく、砂糖の需要は全てサラスティアがまかなっている。
サラスティアでは砂糖はたいして高価ではない。農作業が主な仕事であるサラスティアでは、疲れを取るために甘い茶を好んで飲む。
茶の種類には多いが、総じて砂糖を入れることが多い。
しかし、ミルクを入れたことはなかった。
「お嫌いですか?」
「いいえ、そうではなく、どのようにして入れればいいのか・・・」
正直に分からない、と告げればトスカは小さくため息をついた。
おそらく無意識についたのだろうが、だからこそ余計にみじめになった。
このクコという飲み物はこちらでは当たり前の飲み物なのだろう。
普段の飲み物からしてこの違いがあるのだから、これからの苦労が目に浮かんだ。
トスカが手際よく砂糖とミルクを加え、金の匙でかき混ぜると真っ黒だった液体が薄い茶色になった。
おそるおそる口に含むと砂糖の甘さとミルクのまろやかさがちょうどよく、先程よりずっとおいしく感じた。ミルクが温めてあったのは、暖かい飲み物を冷まさないようにするためだったようだ。
「おいしい」
「それはよろしゅうございました」
「ありがとう、トスカ」
礼を言うと一瞬トスカは目を括目させたがすぐに頭を下げた。
しばらくすると部屋が整ったようで、アンナが数人の侍女を伴って現れた。
「お部屋が整いましてございます」
「ありがとう。ご苦労様」
アンナを伴って部屋を見ると、思ったよりも小さなつくりだ。
家具は部屋の中心に、何枚もの紗を重ねた天蓋つきのベッド、鏡台、長椅子があるだけだ。
窓の外は小さな庭園になっているが、四方を高い塀に囲まれ、庭園の外を伺うことはできない。庭園も散策できるほどの大きさではなく、花もまだ植わっておらず、ただ土がむき出しになっているだけだ。
皇太子妃候補が通される部屋としてはあまりにも質素だ。
それに気付いているのか、アンナは少し眉をしかめていた。
元より、歓迎されないのは覚悟していた上に、あまり華美を好まないのでローゼスは気にしてはいなったが。
「ローゼス様、侍女どの、よろしいでしょうか」
「はい」
トスカが後ろに四人の侍女を伴って私室に入ってきた。
全員トスカの後ろで足をつき、頭を下げている。
「この四人の侍女が主に、貴方様のお世話を担当いたします」
「わかりました。顔を上げてください」
その言葉に顔を上げた四人に、ローゼスは見覚えがあった。
「・・・道中、同行してくれた方々ですね」
「左様でございます」
発言を許されていない侍女に変わり、侍女頭であるトスカが代わりに応えた。
「サラスティアより参りましたローゼス・ルナフィートと申します。これからよろしくおねがいいたします」
挨拶をすると、侍女達は皆静かに頭を下げ、かすれた声で是、と述べた。
「恐れながら、ローゼス様にお願いがございます」
トスカが頭を下げながら願い出た。
「何でしょうか?」
「貴方様がお連れになりましたアンナ殿に、こちらの侍女としての作法を伝授したいのです」
この言葉に、アンナの肩がぴくり、と動いた。
ローゼスはその様子に気付いたが、すぐに返答した。
「それは、もちろんこちらの作法を学ぶのは当然のことですし、私とて、学んでいかなくてはなりません」
「ありがとうございます。そこで、しばらくアンナ殿には私と生活し、学んでいただきたいのです」
一瞬何を言われたのか分からなかったローゼスにかわり、アンナが鋭い声を出した。
「それは、私に主から離れろ、と申しているのですか?」
「先ほどの行動から、アンナ殿は私よりもずっと侍女としての礼儀作法が出来ていると思います。しかし、こちら独特の風習もあるのです」
その風習を学ぶためには、トスカと共に個人で学べと言っているのだ。
「私は、ローゼス様のお傍を離れるわけにはまいりません」
強い口調で返すアンナに、ローゼスは悩んだ。
アンナがいなくなってしまうのは、心細い。それに、アンナの身に何かあるかもしれない。しかし、こ
こでむりやりアンナを自分の傍におきつづければ反感を買うのは必須である。
「期間はどのくらいでしょうか?」
「一月もあれば、十分かと」
「では、アンナ。そのようになさい」
「ローゼス様・・・」
主に命じられれば、アンナは断ることが出来ない。
心配そうにローゼスをみるアンナにローゼスは微笑んでトスカに向き直った。
「その代り、一日に一度必ず私に顔を見せに来ること。これが条件です。よろしいでしょうか?トスカ」
「はい。お望みのままに」
トスカが深く頭をさげ、はっきりと答えた。
アンナはいまだに不服そうだが、その条件を聞いてしぶしぶ納得したようだ。
アンナもいない、知り合いも一人もいない中でこれからどうなるのか、ローゼスにはまだなにも分からなかった。