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17. テティスの子守唄



妙にスッキリとした気分で目が覚めた。



ゆっくり周りを見渡すと、そこはアランフォルス本城の私の寝室。


ぼんやりした脳を起こすように、私はゆっくりと伸びをしながら上半身を立たせていく。




(何だか長い夢を見ていた気がする。シェリたちが迎えに来てくれて、アレキサンドラ様の過去を知って、アリィに出逢って。


海人族と海魔の長い長い戦いが終わって、それで……)




確かその後、海魔の邪気を受け止めたまでは覚えている。夢の中で、アレキサンドラとクリソベリア、そしてテティスに会ったことも。



(邪気を取り込んだはずなのに、もう身体が辛くなくなってる)




以前、私が河豚ふぐ毒を受けた時、それを取り除いてくれたのはアランフォルスだった。


今回も、もしかすると彼が浄化を促してくれたのだろうか。



「シェリや、アリィたちはどうしてるんだろう……」




目に浮かぶのはシェリとアランフォルスのお互いを挑発する姿ばかり。



「身体は……よし、動く!」




こうしちゃいられないとばかりに私はベッドを降り、ネグリジェ姿のまま部屋の扉をガチャリと引いた。




『メガミ!!』



「?! わわっ……!」



『メガミ、メガ サメタノカ!』


『……ヨカッタ』




勢いよくドアを引き、廊下へと飛び出そうとした私を受け止めたのは、海魔族三従士たちだった。



「ルビ、パル、メノウ! もしかして、私が目覚めるのをずっと待っててくれたの?」




三人はコクリと頷いた。



『メガミ、モノスゴイ カオイロデ ハコバレテキテ シンパイ シタ』


『ジャキ、アランフォルスサマガ ジョウカ シタ』


『……モウ シンドイ ナイ?』




私の顔を覗き込み、心底不安そうな顔を向けてくれる三人に、私は笑顔を返す。



「ありがとう、三人とも。邪気を取り込んだ瞬間はものすごくしんどかったんだけど、多分その後はずっと気を失ってたんだよね?


だから正直、身体が辛いって感じた時間って数分だったの。だから意外と平気だよ!」




その言葉に安心したのか、三人はひしっと私を抱きしめてきた。私は彼らを安心させるようにその背を撫でる。


心配してくれる人がいるというのは、本当に心が温かくなる。



「あ、そうだ。みんなはアランフォルス様たちがどこにいるか知ってる?


あと、シェリ……海人族の人たちって、その、この本城に来てたりする、のかな?」




私がそう尋ねると、三人は互いに頷き合った。



『ミンナ ナカニワニ イル。オレガ オブッテヤルカラ イコウ』



「え? だ、大丈夫だよ、パル。歩けるよ?」


『……ヤミアガリ ダカラ ダメ』



「ええっ、メノウまで……」


『メガミ コノ ガウン キテ』



「ガウン? 私、寒くないよ、ルビ」



『『『ダメ!!』』』




モネとルルに劣らず過保護な三従士たちに連れられ、私は中庭へと目指すことになった。




そうこうして中庭に着くと、聞き知った声たちが会話をしているのが聞こえてきた。


私はパルの背中から降ろしてもらい、その様子を伺った。



「だから先程から説明しておるだろう。余は神力を得た海神ぞ? 出来ぬことなどこの世にはもうない」



「リリィからもらった神力で、だろーが!

神様って、みんなこんなに傲慢なやつらばっかなの?!」



「ユーリ、少し落ち着きなさい。アリィが起きてしまうよ」



「だ、だって宰相様! あんな現場見せられて、はい納得!なんて。


それに見て下さいよ、このノワルの姿! 直後は人型だったのに!」



「大袈裟ねぇ。100年もすれば元に戻るから安心なさいな」



「ノワルはこんな姿になってるにあんたは全然普通なんだね?!」



「仕方がなくてよ。この子は男だから、女のセイレーンよりももともと魔力が低いもの。


まあでも。わたくしもノワルも、1000年の時をリリアナに与えたからといって、身体が悪くなるわけでもなんでもなくてよ。


むしろ、肩の荷が降りて気分は最高よ」




……一体何の会話をしているのだろうか。


何故だかこの本城の中庭には、アランフォルスとメリドゥーシャ、ユーリとナプティムウト、それにアリィの姿があって、私の頭に追いつかない話題がなされている。




「……リリィ?」




呆然と立ちすくむことしか出来ないでいた私は、背後から突然に名を呼ばれ、ビクリと肩を跳ね上がらせた。



「リリィ、ここにいたのか……! もう起きて平気なのか?! 今、其方の部屋を尋ねたらもぬけの殻で」



「……シェリ」


「リリィ、顔色があまり良くない。やはりまだ具合が悪いのか? すぐ部屋に戻ろう」



「ちっ、違う! 1000年の時を与えたって、何のこと? ノワルは、どこにいるの……?」




中庭には、話題に上がっていたノワルの姿だけが見たらない。


私はシェリの両腕をぎゅっと掴み、そう訴えた。



「リリアナ? 起きたの?」




振り返ると、少し驚いた表情をしているメリドゥーシャと目が合った。



「メリドゥーシャ……」



「具合はいかが? 邪気を取り除けばすぐに目覚めるとばかり思っていたのに、貴女ったら丸一日寝ているんだから」



「浄化を施す際に、以前と同じく睡眠効果を促す神力をほんの少し入れておいたのだ。おかげで身体も随分と楽であろう?


とはいっても、此度もほぼほぼ、其方そちは邪気を一人でに消しておったわ。


やはり体内に、ほんの少しばかりだがまだ神力が備わっておるな」




アランフォルスがメリドゥーシャの後ろに追いつき、彼女の肩を抱く。



「神力……? あ、いや今はそうじゃなくて!


アランフォルス様、さっきのお話って……」



「寿命のことかの? それならば、ここにいるメリドゥーシャとノワルの2000年分のものを、其方そちの身体に送り込んだ」



「……アランフォルス様。リリアナはまだ目覚めたばかりでしてよ」



「早かれ遅かれ、当事者のリリアナには話さねばならぬことだ。隠していても仕方あるまい」




「…………どういうこと、なんですか」




アランフォルスのあまりに淡々としたその物言いに、私はヘナヘナと力が抜け、その場に座り込んでしまった。



「リリアナ。わたくしとノワルが望んだことよ。怒らないでちょうだい」



「……メリドゥーシャ。寿命を送るって、一体何のこと? 何の話をしているの?」




私の元に腰を落とし、諭すよう言葉を紡ぐメリドゥーシャの青い瞳を見つめながら、私は言葉を投げかける。再び顔色が悪くなっている自覚はある。



「お聞きなさいな、リリアナ。わたくしたちはセイレーン一族の者。


アランフォルス様のような不老不死とまではいかなくとも、ゆうに8000年は生き続けるのよ。


わたくしたちは自分たちの欲のために、そのうちのたった1000年を貴女に渡しただけ」



「 "欲" ……?」



「そうよ、欲のため。わたくし、貴女のことが本当に気に入っているみたい。……ああ、ノワルもそうだったわね」




私の頬にかかっている少し乱れた髪を、メリドゥーシャが優しい手つきで整えてくれる。



「わたくしはもっと、リリアナと一緒におしゃべりがしたいの。貴女といると全く退屈しないんだもの。



それに、わたくしが貴女に "お返し" 出来たのなんて、たったの1000年ぽっちよ。


リリアナは……貴女は、わたくしたちのその何倍もの命を救ってくれたのだから」



「……やめてメリドゥーシャ。私がアランフォルス様に神力を渡したのは、メリドゥーシャやノワルにこんなことをして欲しいからじゃない……!」



「分かっているわ、リリアナ」



「全然……っ、メリドゥーシャは全然分かってなんかない!


1000年ぽっちなんて言わないで……! その1000年の間にだって、メリドゥーシャやノワルにとって、特別で素敵なことがきっとたくさん起こるはずなのに……」



「その1000年間にリリアナがいないことが、わたくしたちの特別で素敵なことだと、貴女はそう言いたいの?」



「違う、そうじゃないよ! でも……!」



「リリアナ。貴女や海人族はおおよその寿命が2000年なのでしょう? それだけでもわたくしたちにしてみれば短命なのに、その時間ときすらもわたくしたちから奪うというの?」



「……私は友達の寿命をもらってまで生きたいなんて思ってない。メリドゥーシャにもノワルにも、二人に与えられた時間を、あなたたちにちゃんと生きてほしい」



「奇遇ね、リリアナ。わたくしもそう思うわ。貴女に与えられるはずだった、貴女が愛する者と共に在る人生を歩んで欲しいと、そう願っているの。



それに、リリアナがわたくしたちを生かすのは良くて、わたくしが貴女にそうすることは駄目だなんて、そんなフェアじゃないことがあって? これは友に対して大変に失礼なことよ、リリアナ」



「……メリドゥーシャ」



「ここにいる誰もがリリアナと共に生きる未来を望んでいるのよ。わたくしとノワルだけではないわ。


そのことは、貴女自身が一番よく分かっているのではなくて?」




メリドゥーシャは私をゆっくりと立たせ、そしてシェリの方へと向き直らせる。



「リリアナはここにいるラドシェリム王子と、マーレデアム王国の民たちを守っていくと約束したのでしょう?


貴女はテティス海女神の愛し子なのよ。約束を反故ほごにしては、女神の名がすたるというものよ」




メリドゥーシャの言葉が耳の奥に突き刺さる。



私の瞳に映っているのは、女神の神力を持たず、マーレデアム王国民に浄化も祝福も行えなくとも、私を心から愛してくれている、私が世界一愛してやまない人。



涙が溢れて、止まらなくなった。


私を大切に思ってくれている人たちにも、私は自身と同じ想いをさせていたのだと早急に理解し、もっと心が痛くなった。




「……リリィ、おいで」




涙の止まらない私をシェリが優しく抱きしめてくれる。髪を撫で、背中をさすってくれる彼の手が温かい。



「……メリドゥーシャ。ノワルはどこにいるの?」


「貴女のすぐ近くにいるわよ」




私は辺りを見渡したが、ノワルの姿は確認出来ない。



「リリィ、ノワルはここだ」



シェリがそう言って、私の頭上から何かをすくうように、片手で小さく半円を描いた。シェリの手の中にいたのは、



「……クリオネ?」



「其方、"クリオネ" を知っているのか?」


「確か、貝の一種だよね? マーレデアム王国でも陸と同じ名前で呼ばれてるんだね。


……もしかして、このクリオネが、」



「そう、それが今のノワルよ、リリアナ。他のクリオネよりも少し色素が薄くて水色をしているわ。セイレーン一族の瞳の色ね」




メリドゥーシャの声が、私の脳内をチクリと刺激する。


シェリの手のひらからひらひらと翼足よくそくをはためかせ、一生懸命に私の顔前まで泳いで来ようとする美しくもその健気な姿に、私はしばし目が離せずにいた。




「……ノワル」




名を呼び、そっと顔を近付けると、その海の天使は自ら、私の鼻にちょんと小さな身体を押し当てたのだった。





------




シェリはそんなリリィとノワルの様子を見やり、昨日最後に交わした彼との会話を思い出していた。




「ポセイドン団長」




シェリが邪気を取り込んでしまったリリィを腕に抱き上げた時、ノワルが自身の方へと近付いて来た。



「リリアナ女神様にことづけていただきたいことがあるのですが、お願い出来ますか?」



「……お前には借りができた。リリィへの愛の言葉以外なら受け付ける」




ノワルはニコリと微笑んでシェリの腕中にいるリリィへと眼を移す。



「今の僕にはそんな言葉を言う資格はありませんよ。


だからリリアナ女神様には、100年後にまた逢いましょうとだけ、伝えて下さい」



「100年後……? どういう意味だ」




シェリが眉を寄せノワルを一瞥すると、



「いいんじゃないかしら? 100年経っても、リリアナは消えたりしないんだもの」




と、二人の話を聞いていたらしいメリドゥーシャが会話へと入ってきた。



「ええ、その通りです。それに、未来は誰にも分かりませんから」




ノワルはその美しい顔に妖艶な笑みを浮かべた。



「過去、海神と海人族王家は対立し、1000年前には海底戦争が起こりました。さらにその直接的要因は女神の愛し子です。



しかし今は?

アランフォルス様と、貴方、それにリリアナ女神様は肩を並べて海を見据えている。


100年後、ましてや1000年もすれば状況など変わるものです。ポセイドン団長はすでにご自身で立証済みでしょう?」




ノワルの意味深な物言いに、シェリは眉を狭める。


そして、何が言いたい、という言葉をシェリが発する前に、



「あら。それは、言い得て妙ね」




と、またもやメリドゥーシャが、今度はうんうんと頷きながら、言葉をさえぎってくる。




「100年後には、今度こそノワルが本気を出してくる、ということよ。セイレーンは昔から、愛が重いの」




やっと意味を飲み込めたシェリが、ギロリとノワルを睨め付けた。




「……いいだろう、受けて立つ。しかし忘れるな。海人族の男共も劣らず一位専心、愛が何処までも深々しいことをな」




シェリはリリィを抱える腕に力を込めた。



「知っていますよ。では餞別せんべつとして、今はこれだけいただきますね」




ノワルはシェリの両腕が塞がっていることを知ってか、するりと流れるような手つきでリリィの髪をすくい、そこに口付けを落とした。



「貴様……!」



「では、ごきげんようポセイドン団長。

……リリアナ女神様。また、逢う日まで」




その言葉が、シェリが聞いたノワルの最後の言葉だった。



------





「ノワルは、いつかまたセイレーンの姿に戻れるの……?」




私がそう尋ねると、シェリは何故だかハッとしたように顔を上げた。



「…… "100年後に逢おう" 。


これが、ノワルから預かった其方へのことづけだ」



「100年後……」



「100年も経てば、ノワルの魔力がまた元に戻るの。セイレーンの姿にも、ちゃんと戻れるわ」



メリドゥーシャが捕捉するようにそう言葉を繋いでくる。



私の目頭に残る涙を、クリオネとなったノワルが翼足で一生懸命に払ってくれている。



私は指をそっと目元に持っていった。


するとノワルはそれに答えるように、今度は私の指へとちょんと身体を押し当てた。


私は彼の小さな身体を壊さないよう、ゆっくりと指の背で撫でる。



「……ノワル、次はわたくしの番よ。ちょっと失礼するわ、ラドシェリム王子」




メリドゥーシャは私の肩を抱くシェリの手をやんわりと払い除けた後、大きく両腕を広げて私のことを力一杯抱きしめた。


目前にいたノワルはというと、彼女の力強い抱擁を予想していたかのように、一瞬のうちにシェリの背中側へとすばやく避難していた。



「リリアナ、どうか生きてちょうだい」



「……メリドゥーシャとノワル。やっぱり二人って似てるよ」



「そうね。姉弟だからかしらね」



「……ふふ、そうだね。


私を、生かしてくれてありがとう。マーレデアム王国の人たちと生きていける人生を贈ってくれて、ありがとう」



「お安い御用よ。わたくしの親愛なる友」



「メリドゥーシャとノワルのことも、この先ももっと知っていきたい」



「あら、じゃあわたくしとは今後も、少なくとも週一でお茶をしましょう。


ね、いいってこと? ラドシェリム王子」



そう言ってニッコリと微笑んだメリドゥーシャに対し、週一は無理だ、せめて月一にしてくれと、そんな講義を申し立てしているシェリ。


二人の間をひらひらと舞っているクリオネのノワル。


そして、私たちのことを静かに見守ってくれていたユーリとナプティムウトが顔を見合わせ、やれやれと肩をすくめている様子。


そんな彼らに、交代であやされていた可愛い可愛いアリィ。



さらには、これにて一件落着と言わんばかりに、海魔族たちにお茶会の準備をさせ始めたアランフォルスの姿。



これらはすべて、今の私が、嘘偽りなくこの瞳に映し出しているもの。


この光景を目の当たりにしている事実が、何と幸せで、奇跡的で、そして摩訶不思議なことなのか。



つい数か月前の私なら、こんな現実を想像すら出来ていなかったはすだ。




未来は誰にも分からない。

本当にその通りだと思った。



マーレデアム王国の、いや、"海" そのものが生きていく未来のために、私がほんの少しでも役に立てたというなのなら。


曾祖母の言っていた、私が "海の女神に愛された者" だという言葉も、今ならちゃんと受け止めることが出来る気がする。




(アレキサンドラ様にクリソベリア様……それにテティス様も、この光景を見てくれていたらいいな)




私は少し左腕を上げて、テティスの腕輪と髪飾りが重なり合うようにする。




「それでは会合を始めるとしようかの。マーレデアム王国の提案とやらを言うてみよ」




アランフォルスは、ルビを筆頭に海魔族たちが素早く用意してくれたお茶を口にすると、満足そうに目を細めていた。









「こちらが国王始め、守護者たちより預かって来た条約書だ」




シェリが卓上に広げた文書に目をやりつつ、アランフォルスは優雅な手付きでカップを回している。



シェリとナプティムウト、ユーリは卓上を挟んだアランフォルスの向かいに立つ。


ヒューマとエルゴは中庭に隣接する通路の左右に立ち、他の者たち、とりわけ大の噂好き側妃たちが盗み聞きしないよう目を光らせていた。



ちなみに私はアリィを抱っこしながら、中庭をゆっくり行ったり来たりしている。


先程まではユーリとナプティムウトがあやしてくれていたのだが、寝かしつけまでは無理だったそうなので、その役は母予定である私が引き受けたのだ。



……とは言っても、アリィの母になると決めたのはほんの昨日。なので私だってお母さん二日目である。


よって、寝かしつけがこんなにも難しいことだったなんて初めて知ったのだった。



「マーレデアム王国が提案する条約内容はここにも記されている通り。


まずは我が国との海の共同統治について。

と言っても、まずは海を東西に分け東側をマーレデアム王国の領地、そして西側を其方ら海神、セイレーンが治める領地にすれば、互いに負担なくこと進められるはずだ。


ただし、共同統治の名の通り、国境は常に開けるようにしておきたい。


セイレーンと人間の共存はなかなかに困難であるだろうが、我々海人族であれば食う食わないの問題に発展することはまずない。



東西に分けるのは、まだ心の準備が出来ておらぬ民もいるからだ。

……もちろん其方や側妃たち、海魔族とてそうだろう?」




シェリがアランフォルスに確認するよう眼を向けると、彼はシェリへ、その先の話を促すよう手で合図を送る。



「東西の境、つまり互いの国境付近には、絶滅危惧種等を住まわせたい。


マーレデアム王国が管理しているセラチモルファ・ドムスという場所がある」



「ふん、そこなら余もよう知っておるわ。遥か悠久の過去には、その場にテティスの宮があったからの」




彼女が海を離れる際に自身の神力で人工物を跡形なく消し去り、代わりにそこを、浄化を求めてやってくる海洋生物たちのり処にしたのだ、とアランフォルスは言った。



「あとは、月に一度は定期報告会議を開きたいと思っている。


互いの国情勢をしかと知ることが出来れば、民たちの不安を取り除いてやれる上、良い刺激にもなるだろう」




セイレーンと商業や産業で取引きを行えるかどうかはまだ分からないが、多国が集結している陸国とは違い、一国しか国が存在しないこの海底では、海人族とセイレーンは種族こそ違えど同じ海民同士。


互いに違う文化に触れることも確かに必要だと思える。


鎖国を解いた、あのグッセンスタシューン王国のように。



「ほほう、長ったらしい条約文書だが悪くはないの。


前王はほぼ独裁体制を取っておったが、此度の国王は違う、とな」




アランフォルスがシェリへと、そう皮肉気味に話すと、



「現国王陛下は前王の最後の国政をご覧になっている。


海底戦争の時に民の心が一度王家から離れかけたが、それを決死の思いで繋ぎ止めたのが我が両親である国王と王妃だ」



シェリがそう言葉を返した。



「前王の終盤の国政はひたすらに国を立て直すためだけを目的にしたていがあったからね。


……あの時はもちろん私も、その国政にも王家の在り方にも反発ばかりしていたけれど、今となっては少しばかり、前王の……祖父の考えも理解出来なくもないかな。


彼はただ、自分が背負うマーレデアム王国を未来へ繋ぐことに必死だったんだ」




シェリの隣に立ち、彼と共に条約文書へと視線を置いていたナプティムウトが、顔を上げ彼の手首に巻かれた美しいブレスレットを見やる。


おそらく彼は、最愛の女性であるアヤメとのことを思い出しているのだろう。



二人が前王によって引き裂かれたのは事実だが、その根底にあったのは、海人族と人間の寿命差という垣根かきねを越えるのはどんなに足掻いても不可能なことなのだということを前王が知っていたからだ、と以前にナプティムウトが言っていた。




「リリアナはこの条約をどのように思う? もともと海人族どもに余との会談を提案したのは其方そちであろう? ならば其方の意見を聞くのが筋というものよ」



「よっく言うー! 最初の会合の時はリリィに一言も物申させなかったくせに!」



「ユリウス、とかいったかの? お主はほんによく吠えよるのう。


リリアナよ、アレキサンドラはその男に任せ、其方そちは余の隣へ座るが良い。女神の愛し子としての言葉を申してみよ」



「ちょっとは僕の言葉も聞いたらどうなんだよ?!」




まだまだ噛み付く気でいるユーリを適当にあしらいつつも、寝かしつけに苦戦している私のこともそれはそれは愉快そうに見てくる彼。



……今、私が会議に参加するのが難しいことを分かっていてそんなことを言ってくるなんて、なんて意地悪なのだ。



「すみません、アリィが寝たらすぐに行きますから」




こうなったら子守唄でも歌うしかなさそうだ。


メリドゥーシャやノワルといったセイレーンたちのような美声は出せなくとも、ここは頑張るしかない。



私は会議中の皆の迷惑にならない程度の音量で、ゆっくりと子守唄を歌い始める。



「眠れ、眠れ、我の愛しい子。


母なる海がお前を守り、

父なる海がお前を導く。


海神ウミカミやここにいる。

海神ウミカミや共に在る。


眠れ、眠れ。

我の愛し子」




背中をトントン優しく叩きながら子守唄を歌っていると、やがてアリィの愛らしい寝息が聞こえ始めた。



(良かった……ずっとグズグズだったけど、ようやく眠れたみたい)




何とも言えない達成感を味わいつつ、私も会議に参加しようと皆の方を振り返ると、驚いた表情をこちらへと向けるアランフォルスと目が合った。



「? アランフォルス様、どうかされましたか?


あ、それとお待たせしました。座るとアリィが起きちゃいそうなので、私も立ったまま参加させて下さい」




アリィを起こさないように小声でそう言うと、アランフォルスがふと、その表情を和らげる。



「その子守唄は?」


「え……? あ、さっきのですか?

すみません、つたない歌声でして。


あの唄は、私が母から教えてもらったものです。母は祖母から、祖母は曾祖母から伝えられたようです」



「……そうか。こんな所にも受け継がれているのか」



「受け継がれている?」


「余も其方そちと同じく、その唄を聞いて育ったと言えばいいかの?


テティスが、幼い余によく歌ってくれていた」



「……そう、だったんですか」




幼い頃……いや、私がまだ、自身のルーツも何も知らなかった頃。


この子守唄は港町出身の、なんとも曾祖母らしい唄だと思っていた。


彼女の口癖は、私が海の女神に愛されている、というものだったから、てっきり彼女が作ったのだと思っていたくらいだ。



でも、今になればそれは違ったのだと分かる。


曾祖母は彼女の母から、その母は先のご先祖から、この唄を受け継いできたのだ。


これは、テティスが自身の子々孫々に贈り続ける、子守唄という名の愛の唄だ。



「……やっぱり、テティス様は愛情深い方ですね。


これが彼女からの贈り物なら、アランフォルス様と私は同じ愛情をいただいて育った、ということになりますね」



「ふ……そうなるか」


「はい。きっと、初代愛し子様も、アレキサンドラ様もクリソベリア様も。


これからはここにいるアリィが、それを受け継いでくれますね」




私がそう言うと、アランフォルスは立ち上がり、私のそばまで歩みを寄せた。そして、私の腕中にいるアリィのことを見下ろした。



「テティスはもういなくとも、その存在が確かに在ったことを受け継ぐ者がいるということかの」



「そうですね。……カリュブディス様だって、あなたの中にいらっしゃるでしょう?」




前カリュブディスは彼の実姉。

その名を口にするか、正直なところ迷っていた。でも話すなら今しかない。



「アランフォルス様は不老不死、ですよね? じゃあお姉様のことだって、ずっとあなたが覚えていられる。


アリィの子孫たちがテティス様の意思を受け継ぐ限り、あなたがお姉様のことを忘れずにいる限り、テティス様とカリュブディス様はずっと、私たちと共にいて下さる。


……お二人はずっと、この先もあなたのそばにいる。



そんな気がするのですが、アランフォルス様もそう思いませんか?」




アランフォルスの美しい黒瞳を、私はじっと見つめた。そこに映し出されているのは、紛れもなく "私" だ。




「……其方そちはほんに、余の扱いが上手いのう」 




だが、アランフォルスには、私のこの "姿" が、一体誰に見えているのだろうか。


彼は私へと手を伸ばし、頬を撫で上げた。




「アランフォルス、貴様!」




奥からシェリの怒号とも言える雄叫びのような声が聞こえ、私はそちらへと顔を向けた。



「あれ? シェリ、呼び方が変わってる」



「? あ、ああ、そうだな……


ではない! アランフォルス、人の妻の肌に軽々しく触れるのは今後止めてもらおうか」



「おや? リリアナはお主の妻ではなかろう? こやつはまだ、余の正妃だがの?」



「貴様……」




ずっとアランフォルスのことを「カリュブディス」と呼んでいたシェリが、初めて彼の本名を口にした。



シェリの中でも、目前にいる彼はもう、古の海の魔物・カリュブディスではないのだろう。


海神であり、この広い海を守護する唯一無二の存在なのだと、きっともう認めているのだ。



「アランフォルス様、シェリのことを揶揄うのは止めて下さい」




私はアランフォルスのもとを離れ、シェリの方に足を向けた。彼もまた、こちらへと歩みを進めてくれる。



「…………」




シェリと向かい立つと、彼は何やらとても我慢しているように、そして何か言いたそうに、アランフォルスが触れた私の頬を指の背で撫で始める。



「リリアナよ、伴侶がこんな嫉妬深くてはこの先2000年、とくと苦労するぞ? やはりこの本城に留まってはどうかの?」




メリドゥーシャも他の側妃たちも、クリオネのノワルも喜びよる、と付け加えられる。



「断じてそんなことは不可だ。リリィとアリィはこの会議が終われば即刻、マーレデアム王国に連れ帰る」




私たちを自身の背に隠しながらそう言い放つシェリの様子に、ユーリとナプティムウトは苦笑いしている。



「シェリ。私たちはちゃんと帰るよ? アリィのことも、マーレデアム王国の人たちに認めてもらいたいもの」



そう言うと、彼はこちらをチラリと振り返り、私にだけ聞こえるようにボソリとこのように言う。



「可愛い妻と娘を持つ男とは、常にこんな焦燥なる思いを抱いて生きているのか」




これが一生涯続くのか、とシェリはその長い指で顔を覆うようにして顳顬を抑えている。



海人騎兵団団長であり、次期国王となるシェリだって、私たちの前では一人の "家族" としての顔になる。


そのことが愛おしくて嬉しくて、私は自然と自身の身体を彼に寄り添わせた。




テティスの子守唄にもあるように、私もシェリやアリィを守り、導ける存在になりたい。


ずっとそばにいて共に在りたいと、そう願ってやまない。いや、そうさせてみせる。




アランフォルスはそんな私たち三人を見据え片側の口角を上げると、卓上の方へと戻りゆっくりとその腰を降ろした。


彼が宙に何かを書きつけるよう指を動かすと、やがてそれは文字となって浮かび上がり、卓上にある条約文書の上へとひらひらと落ちていく。



魔法のような光景に目が釘付けとなったが、文書にはしかと、"アランフォルス・ポセイドン" と、彼の名が記されていた。




……これは、会議の終了と言っても良かったのだろうか?




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