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15. 繋ぐもの・絶つもの



(幕間)



"クリソベリア、あなたにはこのテティス海女神の腕輪を。彼女が弟のように慈しんでいた海の男神おとこがみからの贈り物だそうよ。


そしてアレキサンドラ。あなたにはこれを"




隣国への輿入れが正式に決定した時、母である女王から手渡されたのは、純白の真珠と白サンゴが散りばめられた美しいヒトデ型の髪飾りだった。




"この髪飾りはテティス海女神が、夫君より結婚の証として贈られたもの。



二人とも、これらは我がグッセンスタシューン王国王家に伝わるテティスの家宝よ。


海女神が生涯に渡り、肌身離さず身に付けておられたもの。多くの祝福と浄化を授けられた神の財宝。



例えあなたたちが離れる運命にあったとしても、血という糸は決して切れることはないわ。


この二つの神の財が、必ずやあなたたちを再び引き合わせてくれるでしょう。




この海陸を繋いだテティス海女神自身が、そう望んだその時に"




------





「さーて。俺はそろそろバルバロス号に戻るぜ。秘薬の効果もあと少しだろうからな」




すやすやと寝ている赤子の頬をとんとんと優しくつつきながら、ギルがそう言葉を発した。



「あ、そっか……! ギルが海にいれるのは三時間だもんね」



「おう。ま、お前も思ってたより元気そうで安心した。マーレデアム王国に帰ったら、こっちにもちゃんと顔出せよ」




ギルは赤子の頬をつついていた手とは反対の手を上げ、私の頭をポンポンと撫でてくれた。



「……ギル、本当にありがとう。ギルが来てくれたから真相にもたどり着けたと思う。


何より、あなたとシェリが一緒にいてくれたからすごく心強かった」



「海魔のことはリリアナだけの問題じゃねえんだから、お前一人に押し付ける訳ねえだろうが。


が、秘薬の件なしにしても俺はこの異空間を出た後は騎兵団と一緒には戦えねえ。


海上に戻って、あのおっかねえセイレーンの女共を何とかしねえとな」




そうだ。

バルバロス号にはロキやエマを始め、ギルの部下たちが側妃たちや海魔族と交戦しているはずだ。


自国ではなく、私が真に戻りたいと願うマーレデアム王国へ連れ戻そうと、彼らは別動隊としてギルに付いて来てくれた。



また、涙ぐみそうになるのをぐっとこらえ、私はギルに向かい頭を下げた。



「ロキやエマたちに、心配かけてごめんねって伝えて。……心配してくれて、ありがとうって」




あと、と私は顔を上げた。



「セイレーンや海魔族の人たちには、私の名前を出してくれたらいいよ。


リリアナが呼んでるから戻ってきてって、そう言伝ことづてお願いしてもいい?」



「……改めて、やっぱお前ってすげえわ」




ギルはそう言葉にすると、声を上げてゲラゲラと笑い出した。



「リリアナは陸の一国に収まるような女じゃあなかった。人間も海人族も魔物も、神ですらもお前のこと気に入りやがるからな」




リリアナは独り占めが不可能な女だと、ギルはまたケタケタと笑った。



「女神の愛し子だからとか、テティス海女神の血を引いているからとか、祝福やら浄化がどうたらとか、んなことは関係ねえんだよな。



リリアナだからみんな付いて行くんだ。

みんな、お前がお前だから、好ましく思うんだよ」




ギルはもう一度、私の頭をポンポンと撫でた。



「ずっとそのままの心を持って生きていけよ、リリアナ。お前には女神の神力も、愛し子の肩書きも何も必要ねえ。


お前がお前でいるだけで、それだけで浄化と祝福の力よりも何倍も人の心を癒すんだよ」




今度はギルがシェリの方を見やった。

片側の口角だけを上げ、そう話すギルのことをシェリは何も答えずに見据えていた。




「おーい "アレキサンドラ"! せっかく来たからこれだけは伝えていくぜ。


お前の祖国、グッセンスタシューン王国は元気だぜー。俺が王になってからは特に、経済、産業、流通、教育、それに娯楽すらも活気に満ちてるっていうかな。



リリアナが来ればそれだけで国民は破顔して喜ぶし、何ならそいつのパートナーの、"マーレデアム王国王子" ですら尊敬されてるぜ。


ま、みんなその正体は知らねえが、仮面の男がグッセンスタシューンにもたらす娯楽の影響はなかなかすげえもんでな。案外、王国に貢献してんだよ」




ギルは腰に手を当てて上方を見上げ、そう声を張り上げた。



海魔の愛し子からの返事はなかったが、彼女は確かに聞いているだろうと、そんな気がした。



「じゃあな。ラドシェリム、"こいつら" のことちゃんと守ってやれよ」



「言われなくとも。……ギルストロン、お前が来てくれて助かった。感謝している」



「……てめえが素直だとやっぱ気味悪ぃわ」


「おい」



「ま、今度酒でも奢られてやるよ。ナプティムウトとユリウスも誘ってな」



「……そうだな。近いうちに酒盛りでもやるか」


「場所はナプティムウトの執務室な。あそこ、なかなか居心地いいんだよ」




軽口を言い合うシェリとギルを、私は交互に見つめた。




"皆、リリィがリリィでいてくれるだけで、それだけで心が救われているのだ"


"お前がお前でいるだけで、それだけで浄化と祝福の力よりも何倍も人の心を癒すんだよ"




洞窟でシェリが言ってくれた言葉と、今しがた、ギルが言ってくれたこの言葉が私の心に染み渡る。



二人が背中を押してくれた。


特別な力など何もなくとも、それでも心を救えるのだと。




「じゃ、マジで帰るぜ。元の異空間に戻りさえ出来れば、ベルかホメロスが海上まで乗せてってくれるだろ」



「……うん、ありがとうギル。


アレキサンドラ様、ギルを元の異空間に戻していただけますか?」




海魔の愛し子からの返答は相変わらずなかったが、ギルの身体に白く美しい光がまとったことで、彼女がその要望を聞き入れてくれるのだと分かった。



ヒラヒラと手を振る彼の姿が完全に私たちの前から消えた時、私はある相談をしようとシェリを見上げた。




「……シェリ、あのね」


「赤子のことだろう。俺たちはおそらく、同じことを考えているぞ」




私が眼を見開くと、シェリはゆっくりと唇に弧を描き、その瞳を細めた。



「この子は俺たちの血を受け継ぐ者。いや、例え血族関係になくとも、今から言うことに変わりはないが」



シェリはそう言うと、今度はゆっくりとその視線を赤子の方へと向けた。



「この子はこの異空間を出たその瞬間から生を受け、社会の荒波に揉まれながら生きていくことになる。



海魔の娘として憎悪の視線を向けられることもあるだろう。あるいは2000年間も胎内に宿っていた者として、奇異の目で見られることもあるはずだ。


しかし」



シェリは優しく、そしていたわるように赤子の頬をゆっくりと撫でた。



「子には何ら罪はない。親が殺人を犯そうが、陵辱の末に宿された命だろうが、そんなことは関係ない。


子は、誰しもが生きる権利を持ち、大人に守られる存在であり、自分の意思で未来を繋げても良いはすだ」



「シェリ……」



「リリィ。俺は其方と二人で、この子の父母となりたい。


生まれてきて良かったと、幸せだと言える人生を送らせてやりたい」




シェリの美しい金の瞳が揺れている。

それが愛おしくて愛おしくてたまらなく、胸が熱くなる。




(この人を好きになって本当に良かった)




心からそう思えることがこんなにも嬉しい。

こんなにも誇らしい。



「……うん。シェリの言う通りだった。私たち、やっぱりおんなじこと考えてた」




私はくすくすと笑って腕を差し出した。今度はシェリが、私へと赤子を手渡してくれた。



「もし、私が途中でいなくなっても、ずっとこの子のことを守ってくれる?」



「……ああ、約束しよう。この子は……リリィと俺の娘は、俺が生涯をかけて幸せにしてみせる」



シェリはそう言うと、自身の額を私のものへと合わせた。



「名前も考えてあるの」


「ほう、奇遇だな。俺もだ」


「じゃあ、せーので言ってみる?」


「……いや。どうせまた、俺たちは同じことを考えている」




シェリは私たち二人を包み込むように抱きしめた。そして優しい笑みを浮かべながらこう言うのだ。




「 "アレキサンドラ"


俺とリリィと、家族となろう」




シェリにアレキサンドラと呼ばれた赤子は相変わらずすやすやと眠っていたけれど、その表情にはほんの少し、可愛らしい微笑みが漏れていた。








三人でしばらくの間抱き合った後、私は再び赤子をシェリの腕へと戻す。


そして、意を決して海魔の愛し子へと言葉をかけた。



「アレキサンドラ様。どうかこの子のことを、私たちに引き取らせて下さい。必ず、幸せにいたします。それと」




私は自身の髪からヒトデ型の髪飾りを外し、それを、上方へと掲げた。



「この髪飾りをお返しいたします。アムレート二世陛下より、私がお預かりしていました。あなたのものでお間違いないですか?」




私は彼女からの返事をじっと待つ。




『……今のわたくしにはもう、何も相応しくありません』




やっと返答された海魔の愛し子の声は、先ほどよりもどこか弱々しく、もろく聞こえた。



すると、不意に上方へと掲げていた髪飾りが私の手を離れ、ふわりと空中を舞う。


髪飾りをいろどる真珠と白サンゴが角度を変えるごとにキラキラと輝き、とても美しい。



私たちの上方から、ふんわりと円を描くように落ちてきた髪飾りは、やがて赤子の胸元へと優しく着地した。



『テティスの髪飾りはこの御子が受け継ぐと良いでしょう』



「アレキサンドラ様……」




これは、アレキサンドラが赤子に出来得る、最初で最後の母親らしいことなのだろう。



母から子へと受け継がれたこの髪飾りに宿る思いが、罪悪感だけではないと思いたい。


ほんの少しでも良い。愛の重なりが加わったのだと、そう信じていたい。




私はテティスのもう一つの財である、曾祖母の形見にそっと眼を落とす。


2000年の時を経てようやく、テティス海女神の財を受け継ぐ者たちが引き合わされたのだ。



『あなた方も体外へと送ります。ヒュドラー となったわたくしの身体は、意思とは関係なく、あなた方に攻撃を仕掛けるでしょう。


躊躇ちゅうちょなどは必要ありません。どうか、わたくしを滅して』




どこかすがるようなその言葉に耳を囚われながらも、私たちの身体は先程のギルと同じように発光し始め、目前の光景が歪んでいく。


私は思わず、シェリの腕と赤子の手をぎゅっと握った。すると彼は私を安心させるように片腕でしっかりと私の肩を抱き、撫でてくれる。




まばゆいばかりの光に包まれ、私は目を閉じる。



次に眼を開けた時が、本当の意味での、私たちの最終決戦となるのだ。




------





「宰相様、そろそろですかね。リリィとシェリが戻ってくるの」



「先に海上に戻って行ったギルから大方事情は聞いたからね。


……シェリが帰ってきたら、総攻撃を開始しよう」




ナプティムウトとユーリのすぐ近くにはアランフォルスが控えていたが、ナプティムウトは敢えて、その言葉を濁したりはしなかった、



「……カリュブディス。あなたの姉上、前カリュブディスはテティス海女神と親しい間柄だったそうだね。


前愛し子を海魔へと変化させたのは、単に親友の子孫だから親身となって願いを聞き入れたというわけではなく、親友が眠る国が滅ぼされたのは海人族王家が原因であり、そのことを前カリュブディス自身が憎んだから、ということで間違いはないかな?」




アランフォルスはナプティムウトをじろりと一瞥する。



「だとしたら何なのだ? 海魔への攻撃を余が邪魔だてするとでも?」



「……いいや、むしろ逆だと思ってね。シェリと私に海魔を討たせることによって、生涯において縛り付けるつもりなんだろう。



"女神の愛し子殺し" のレッテルを貼りたくてたまらない。違うかい?」




アランフォルスはナプティムウトからは目を逸らさず、そして口角の端だけをゆっくりと吊り上げた。



「ナプティムウトと言ったか? 其方そちも余の家臣に欲しいものよ。小弟は気性が荒そうでいらぬが」



「あいにく、私は自国で宰相の位に就いたばかりなので遠慮しておくよ。


……前カリュブディスのことは何が正しかったのかなど、その時代に生きていない私には何も言えない。



ただ、祖父が "あなたの姉" を殺害したという事実だけは、私もシェリもちゃんと受け止めたいと思う」




アランフォルスは相変わらず、涼しい眼でナプティムウトの方を見やっていた。



「……実の姉は海人族に殺され、もう一人の姉だと思っていた女は人間に盗られたのだ。


少しくらい意地悪もしてやりたくなるだろう?」




お前たちや、テティスの夫の子孫に、とアランフォルスはそう続けた。



ナプティムウトとアランフォルスがしばらく無言で視線を合わせていた時、



「あーーもう! 面倒くさいっ!」




と声を荒げたのはユーリだった。



「どこか意地悪だっつーの! こんな大掛かり事件に発展させておきながら!



あんたの気持ちは分かるよ。お姉さん殺されてそりゃムカついただろうし、婚約者奪われて屈辱的だったと思う」




でも、とユーリは続ける。



「あんたがもっと強けりゃ良かったんだよ。


お姉さんを背に隠して先王を返り討ちに出来るくらい。テティス様に行くなって、自分のそばにいてくれって、もっと言えば良かったんだ。


諦めないで、恥も捨てて、もっと執着すれば良かったんだよ!」




ユーリの爆発が止まらない。



「あんたがお姉さんやテティス様と離れ離れになったのを誰かのせいにするんじゃないよ!


シェリやリリィのせいにするなんて、それじゃあただの八つ当たりだ!」




ユーリはぜいぜいと肩で息をしながらアランフォルスを睨め付けた。


アランフォルスの黒い瞳はナプティムウトからユーリへと移っていたが、彼はナプティムウトに向けていた視線とはまた別の、どこか面白がるような眼をユーリへと向けた。



「ほほう、小童こわっぱよ。其方そちもなかなかに妄想の優れた興味深い者よ。


しかしそれは自身に言い聞かせているのか? 過去にリリアナから盛大に振られておる、とな?」



「なっ……! 今リリィのことは関係ないでしょ! ってゆーかあんたも意地張ってないで認めろよ!!」




ユーリが顔を真っ赤にさせてワナワナと震え出した。


ナプティムウトはため息をつきつつ、ユーリとアランフォルスの間へオリオンと共に移動する。



「昔のことだよ、カリュブディス。今や彼はリリアナ様の良き友であり、良き理解者でもある。


私たちの中で初めにリリアナ様に出逢っているのもユーリだし、彼がいなければ彼女はマーレデアム王国に来訪出来なかったかもしれない」




ユーリはリリアナ様が幼い頃、その命を救ったことがあるんだ、とナプティムウトは付け加えた。



「ほほう、それはそれは。しかし我が家臣のノワルとて負けてはおらぬぞ?」



「……アランフォルス様。何をおっしゃるつもりですか」




アランフォルスたちの会話を我関せずと、ずっと自身の主人の後ろで口を閉ざしていたノワルがかすれた声を上げた。



「リリアナは今後、ノワルなしではいられぬ身体となろう」



「……主、語弊がすごいのでその言い方はやめて下さい」



と、ノワルは切長の美しい青の瞳に瞼を半眼になるまで落とし、自身の主を本気で睨む。


と、同時に。



「あんたほんと何言ってんの?! アホなことばっか言ってんじゃないよ! 仮にも神様のくせに! この低俗野郎!!」




頭から湯気が出るのではないかと思えるくらいに奮起したユーリが雄叫びを上げた。



「あながち間違いではないであろう? ノワルだけではなく、我が寵姫も有能だからのう。それが出来よる」



「だーっ、もうっ話が通じないっ! それ、リリィの前で言ったら許さないからね!」




ユーリは顔をさらに真っ赤に染め上げて地団駄を踏んでいた。


ナプティムウトはゲンナリしつつ、さらに息をついた。そして彼が、ユーリとアランフォルスの話を軌道修正しようと二人の会話に再び入ろうとした時、




「っ、わわっ……! 最後思いっきり揺れたね。


"アリィ" は? 起きちゃった?」



「いや、大丈夫そうだ。よく寝ている」




ギルの時と同様、またもや強く突き刺すような白光の中から、今まさに会話の中心になそうだったリリィと、そしてシェリが姿を現した。




------





「シェリ! リリィ! 二人とも無事で良かった……!」




海魔の愛し子の胎内から遺跡群異空間へと戻ると、ユーリがイシスと共に、真っ先に私たちの元へと走り泳いで来てくれた。


しかし、何故だかユーリは私たちの元まで来ると後ろを振り返り、そしてベーッと舌を出している。


私がユーリの肩越しにチラリと視線を向けると、その先にはアランフォルスとノワルがいた。



……私たちがいない間に、何かあったのだろうか?




「ただいま、ユーリ。大丈夫? どうかしたの?」



「……何でもないよ。おかえり、リリィ。あ、えっと……この子が海魔の?」

 


「あ、もしかしてギルから、その、色々聞いた?」




先程の別異空間で知った海魔の過去や、2000年間も胎内にいた赤子のことを。



ユーリは私の質問にコクリと頷くと、恐る恐る、そして遠慮がちに、シェリの腕中ですやすやとよく眠る赤子を覗き込んだ。



「……はは。ものすごく普通の海人族の赤ちゃんじゃん。海魔の見た目がアレだからちょっと身構えてたのに、何だか拍子抜けしちゃった」



「ふふ、そうだね」


「ユーリも抱いてみるか?」




シェリにそう言葉をかけられ、ユーリは一瞬固まっていたが、おずおずと腕を彼の方へと差し出し、赤子を受け取った。



「……まさか、こんなに幼い君がキーパーソンだったなんてね。


初めまして、小さなお姫様。

僕の名前はユリウス・エーギル。"ユーリ" だよ」




ユーリはそう言って、赤子の小さな手甲にキスをした。


赤子はまだまだお休み中だが、心なしかほんの少し頬を染めて、嬉しそうにユーリの指を握り返した気がする。


無意識だろうが、その光景が何とも可愛らしくて、私たちは自然と笑みが溢れてしまった。




「随分と遅かったではないか、リリアナ、それに海人族の王子よ。


アレキサンドラと和解は出来たかの?」




どこか試すようなアランフォルスの声が背後から聞こえたせいか、ユーリは赤子を守るようにしっかりとその小さな身体を抱き直した。


シェリもすかさず、私たちを背に隠すようにしてアランフォルスの前へと進み出る。



「……それは分からん。しかし、海魔の望みを叶えることは約束した」


「ふん、命を奪うことがあの者の解放に繋がる、とな」




故意な物言いを受けて、シェリがアランフォルスを一瞥した。



「建前はそうだろう。海魔の心を解放するため。しかし、本音は我が民らの恨みつらみを解き放つためかもしれん。


……いや、どちらが本音でどちらが建前なのか、正直よく分からなくなっている。だが」




シェリは右手中から青白い光を灯し、長槍を創り上げる。




「 "アレキサンドラ" に後ろめたい思いを持ちたくはない。


俺はマーレデアム王国の次王として、リリィの夫として、そしてこの "アレキサンドラの父" として、この責務を成し遂げる。ただそれだけだ」




シェリの言葉に誰もが目を丸くした。


ナプティムウトもユーリも。

アランフォルスに従い、こちらへと来ていたノワルでさえも。


しかしアランフォルスだけは、シェリの言葉にゆっくりと唇の端を上げた。



「ふっ。リリアナも面白い女だが、其方そちもなかなかよ。


最も憎んでいた海魔の子を己の長子に迎えるというのか。しかもその名さえ受け継がせようとしている」



「生物上の親は関係ない。アレキサンドラは俺とリリィの子としてマーレデアム王国で育んでいく」




きっぱりとそう述べたシェリに向かい、アランフォルスはほんの少し声を上げて笑ってみせる。そして。



「そうか。ならその娘を立派に育てあげよ。その者は生まれつき "声" を持たぬが、其方そちらはそれを受け入れる覚悟はあるのか?」



「……何だと?」


「シリスハムと同様、ということよ」




シェリの額に青筋が浮き出たのを、アランフォルスは満足げに眺めた。



「あの男が余に取引を持ちかけたのは知っておろう? あやつの脳機能をそのままにしておく代わりに、肉体寿命が極端に短くなったということを」




アランフォルスのこの言葉を聞き、私は腑に落ちてしまった。


アリィが泣いても声を上げなかった理由は、これだったのだ。



「2000年もの間、赤子の姿のままい続けられるはずがなかろう?


自然の理に背き、"肉体の時を止める" すべを得たならば、同時に何か同等のものを失うもの。


その赤子にとっては、それが "声" だったというわけよ」




アランフォルスが語るそれは、まるで人魚姫の物語のようだ。

彼女は人間の足を得る代わりに、声を失った。大切な人の、一番近くに行くために。



「……先程に感じた違和感の正体はこれか。だがそれが何だというのだ。


確かに、アレキサンドラはこの先の人生で声を持たぬことを歯痒く思う時が来るやもしれん。


しかし会話を、コミュニケーションを取る手立てなど、声に頼らずとも他にいくらでも方法はある。


マーレデアム王国には手話や読唇術も浸透している。アレキサンドラに不自由な思いは決してさせん」



「……ふん。意気込みだけは良いの」




ブラックダイヤのような瞳は未だ意地悪気に細められているが、その声には先程の皮肉じみた色味はもう、帯びてはいなかった。



「リリアナもそれで良いのか?」




今度はアランフォルスが私へとそう問いた。



「……生まれつき、何かを抱えて生まれてくる子はたくさんいます。生まれてから不自由になってしまう人だって、大勢います」




私のうなじにある獣の爪痕のような痣は、母国では決して良い印象を持たれなかった。気味悪がられたことだってある。


それに傷付いて、その痣を隠すように髪を伸ばしていたことも認める。



私はユーリの腕に抱かれ、眠っているアリィを見つめる。


口元は相変わらず動いていて、きっとお乳を探しているのだろう。懸命に生きようとするその姿に、ぎゅっと胸が苦しくなる。



この子は生きていてくれた。

生きて、私たちに出逢ってくれた。



あの異空間でアリィを見つけたその時から、私はこの子のことが愛おしくてたまらなかった。


もう家族がいない私に、シェリが家族になろうと言ってくれた時のように、私も自然と、この子の親になりたい、家族になりたいと、心がそう思ったのだ。



「……声が聞けなくても、この子が幸せに生きてくれさえすればいい。


生まれてきて良かったと、そう思ってくれるだけでいいんです」




海魔の愛し子だって、とても負の感情だけで2000年も成り立っているようには思えなかった。


心のどこかでは、過去を悔やみ、アリィが生きていくことを望んでいたような、そんな愛情さえ感じた。




ギィィィィィィィィーーーー!




海魔の咆哮が強くなる。

その叫びは先程のそれよりも荒々しく、地はうねり、遺構からはパラパラと石埃いしぼこりが落ちていく。



シェリがナプティムウトに目配せをすると、彼がしかと頷いた。



「ユーリ、お前はリリィと赤子と共にここに残っていてくれ。二人を頼む。


……リリィ、行ってくる」



「……うん」




アリィを胸に抱いたユーリが、心配そうに私の方を見やる。それに気付いた私はすぐに、彼に向けて笑顔を作った。



シェリはすでに、ナプティムウトと共に騎兵団の先頭へと移動している。



「先程の陣形を取り、海魔を四方から囲め。総攻撃を開始する。


主軸以外の首を押さえていてくれ。中心首には俺が斬り込む」




淡々とそう述べたシェリに、騎兵団の者たちが雄叫びを上げ同意の返事をする。



騎兵団はシェリの指示通りに海魔を取り囲み、軸首以外の首に向けて攻撃を開始した。




「シェリ。私も君と共に、軸首へ突撃する。

……前愛し子を滅することを、君一人に背負わせたりはしない」




シェリは少し目を細め、隣に立つナプティムウトへゆっくりと視線を移した。



「ギルストロンも懸念していましたが、俺が討つのは海魔という古の海の魔物です」


「……シェリ、」



「兄上、お聞きください。これは次期国王として、俺がやらねばならないことです。


大丈夫ですよ。後ろめたさなどは何一つありません。


我が民らと家族を守るため、海魔の討伐を成し得るのは俺の義務です」



「……本当に、どちらが兄か分からないね。シェリにはいつも、重い荷物ばかりを持たせてしまう。


本来なら私が、その役目を果たさなければならなかったのに」




苦しげにそう言葉を紡ぐナプティムウトに向け、シェリは首を振りそして小さく微笑んだ。



「俺はあなたの兄には到底なれませんよ。


トリンティア姉上とナプティムウト兄上が、末弟の俺の手を引き、導いて下さったから今の俺がいるだけです。


甘ったれなんです、俺は」




なんせ300歳以上年下のリリィにすら甘やかされていますから、とシェリは笑った。



「……君のそばにいるよ。ずっとね。


リリアナ様はもちろん、私も姉上も、ユーリもギルも」



「恐ろしく心強いメンバーですね。今後もよろしく頼みます」




今度は余裕のある笑みを浮かべたシェリが、片手に獲物を構え直し、ナプティムウトの前へと出た。



シェリが海魔の軸首を目掛け、長槍を振りかざす。


邪気を存分に含んだ毒々しい海魔の血しぶきが海水と混じり合い、空気に溶け込んでいく。




「海魔の愛し子よ、我が祖先の非礼を心から詫びる。……すまなかった」



『海人族の王子よ。あなた方の民に働いた罪は、わたくしが死んだとて消せるものではありません。地獄に落ちた後も、とがを背負います。



……どうか、あなたとリリアナと、そしてあなた方の娘アリィに、幸多き未来の在らんことを』




海人族と海魔を隔てた、途方もなく長くそして頑ななる鉄壁が、音を立て、双方より壊される。



海魔の身体は少しずつ、少しずつ、まるでこの海と融合するかのように溶けていく。



シリスハムの最期の時と同じように、腕が、足が、そして首の一体一体が、水に落とした顔料のように、そして水泡のように、溶けては弾き、溶けては弾きを繰り返していく。




エメラルドグリーン色の巨大なキャンパスに黒い絵の具で描かれた絵画が、水圧によって分散され、消えていく様を、私はずっと目を逸らさずに見つめ続けた。



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