第三話
「いってらっしゃいませ、お嬢様」
これは、執事の決まり台詞などではない。
お嬢様が戻って来ることを待っています、という、心からメッセージを込めた言葉なのです。
「いってくる」
そう言って大きな扉に足を運ぶお嬢様の背中は、とても小さくて、とても堂々としていた。
これからお嬢様が入る部屋は、お嬢様以外の人は入室を禁止されている。
その部屋は、大きなタンクがいくつも貯えられている貯水部屋。
この国の貴重な水が貯えられている大事なお部屋。
お嬢様は、その小さな体でその貯水槽に水を入れる。
とても体力がいる作業で、お嬢様本人の水分も大分持っていかれてしまう。
でも、その乾きを潤わせるのは、お嬢様自身の水。
お嬢様自身がその貯水槽に貯めた水なのです。
そんな作業を、お嬢様は今から行う。
国民のための、自分のための、仕事を。
そんな神聖な部屋に、執事で電気の性質を持っている私なんかが入れるわけがない。
だがら、私は違う部屋に向かう。
違う、大きな扉の部屋に。
「バルトぉ~…」
「おかえりなさいませ、お嬢様」
お嬢様が部屋に入ってから3時間。
お嬢様がお部屋から疲れた様子で出てきた。
私はお嬢様が戻ってくるタイミングに合うよう、一足先に部屋の前へ戻ってきていた。
「もう疲れた~…! バルト、水~…!」
「はい、丁度お昼の時間ですから、食堂に戻りましたらすぐに用意いたします」
今日はいつもより疲れているご様子。
水の減りが多かったのでしょうか……。
皆さんには節水を心がけてもらわないと……、
「バルト」
「はい」
「電気、ついている」
「あっ…、すみません。忘れていました」
さっきまで部屋の中にいたものだから忘れていた。
日もしっかりと上がっているから、電気なんてつけなくていいのに……、お嬢様に指摘されるまで気づかなかったとは……不覚……。
そう思いながら、私は壁についているスイッチをOFFにした。
「いつも思うんだけど、休まなくていいの?」
「先程少し休ませて頂きましたから、大丈夫ですよ」
「そっか」
こんな一執事の事も気にかけてくれる優しいお嬢様。
まだ12歳だというのに、私よりよく気が付く。
ですが執事として負けるわけにはいきません。
お嬢様のことを一番理解しているのは、きっと私。
例え、お嬢様が私のことを理解していなくても、私はお嬢様に忠誠を誓う。
全てを、捧げた相手ですから。
「どうぞ、お水です」
「ありがとう」
食堂に戻ってきた私は壁についているスイッチをONにし、そしてお嬢様にお水を運んだ。
いつものように、机に置いて。
「……まずい」
そう言って水を飲むお嬢様。
お嬢様は自分の水を好んでいない。
純水な水だけを飲むという行為は、いつもの仕事終わりや、水分が足らないといった時だけ。
お嬢様自身の水ですから、加工していない方が回復が早いのです。
「後で紅茶をお淹れいたしますね。食事中がよろしいですか? 食後がよろしいでしょうか?」
「お昼と一緒に飲む」
「かしこまりました」
昼食はお嬢様の好きなパンケーキにいたしましょう。
パンケーキに合う紅茶を淹れて、お持ちしましょう。
そんな些細な幸せが、お嬢様にとっては大きな幸せなのです。
それを、私は知っている。
これは私が唯一誇れる事かもしれない。
お嬢様に触れることすら出来ない私の、ね。
「では、お食事を運んで来ますね」
「分かった」
そう言って私は、キッチンへ食事を取りに行く。
私以外の使用人は、お嬢様に近付くことを極力禁じられているため、運ばせることもできない。
それも、お嬢様の御父様からのご指示。
逆らうことは許されません。
「……あ」
キッチンへと向かう私の、コツコツと革靴を鳴らしている音が、少し変わり始める。
少し軽い音に、何かが爆ぜるような音と共に。
「お待たせいたしました、お嬢様」
私は焼きたてのパンケーキと、淹れたての温かい紅茶を持って、お嬢様のもとに戻ってきた。
「もう遅い!」
「申し訳ありません、少々手間取ってしまいました」
「……何に?」
「紅茶を淹れるのに、ですかね」
本当は違うんですけどね。
うっかり口が滑りそうになってしまいました。
危ない危ない……。
本当は、侵入者退治に駆り出されていました。
今日は少々特殊な相手でしたので、電気を操れる私が必要だったのです。
これでも急いだのですが、事情を知らないお嬢様には長い待ち時間だったことでしょう。
「お待たせしてしまい、申し訳ありません」
「いいよ。ちゃんと戻って来たから」
お嬢様は優しい方である。
こんなにもお待たせしてしまったのに……。
本当に、お優しい……。
悲しいくらいに……。
「紅茶」
「はい、どうぞ」
お口直しの紅茶は、甘いピーチティー。
甘いものがお好きなお嬢様は、果実の紅茶が好きなのです。
ミルクティーなども好きですね。
だって、お嬢様はまだ子ども。
大変なお仕事をしていても、お嬢様が子どもな事には変わりない。
だから、辛いときは辛い、そう言って欲しいものです。
私は分かっていても口にすることは出来ませんし、あからさまに助けることも出来ない。
だから、こういった日常にさりげなく幸せを感じさせてあげようと思っているのです。
ちょっと、過保護ですかね。
でも、過保護くらいが丁度いいかもしれません。
これくらいしか、してあげることが無いので……。
「さて、お昼を食べたら何をなさいましょうか」
「温室、行きたい」
「かしこまりました。水分等の用意しておきます」
「うん」
このお屋敷には隣接する大きな温室がある。
そこはたくさんの花が咲いており、お嬢様のメンタルケアとしての役割を持っていました。
今は行くこと自体がお嬢様の日課となっています。
そこに咲いている花の管理も、最初は私達使用人がしていましたが、お嬢様が自ら世話することを所望したので今はお嬢様が世話をしています。
それに、お嬢様自ら水を与えた方が、花たちも嬉しそうですから。
でも温室は少し温度が高めに設定されているため、お嬢様は蒸発しやすくなります。
なので、水分を持っていかなくてはならないのです。
でもお嬢様はそれに苦痛など感じない。
お嬢様にとって、仕事以外に何かをするという行為は数少ない楽しみなのです。
その楽しみを奪いたくはありませんから、私は極力止めません。
お嬢様に危険があれば私が助けますし、そもそも危険だと分かっていたら私が許しを出していません。
それが任務ですから。
「さて、お嬢様が昼食を済ませている間に準備をしてきますね」
「はーい」
一瞬で用意が出来るほど優秀な執事ではない。
手袋をしていなければ、ドアノブにさえ触れない。
手袋をしていても、たまにバチッとなってしまうんですけどね。
これは誇れるものなんでしょうけど、ある意味疎ましいものでもあるのです。
これが、
この性質が、
お嬢様に危険を及ぼす可能性が一番高いのですから……。




