第五話:平和という名の巨大市場
戦争が回避されてから、三か月。
王国の街道には、帝国から来た商隊が行き交っていた。
帝国産の鉄鉱石。
王国産の小麦。
魔道具。
薬草。
織物。
水資源。
これまで国境で睨み合っていた二つの国が、今では盛んに商売をしている。
王都の市場は活気を取り戻していた。
「帝国の魔道具が安くなったぞ!」
「王国の小麦を積んでくれ!」
「次の商隊はいつ来るんだ!」
戦争を覚悟していた人々は、今や商売に追われている。
賢人議会では、リチャード首相が報告書を眺めながら、何度も首を振っていた。
「信じられない……」
「何がだ?」
隣で山下が葉巻をくゆらせている。
「戦争になるどころか、税収が増えています」
「そりゃそうだ」
「しかも帝国との交易税だけで、国庫に莫大な金が入っている」
「だから言っただろ」
山下は笑った。
「戦争するより、商売したほうが儲かるってな」
リチャード首相は苦笑した。
「しかし……議長」
「なんだ?」
「あなたの『議長基金』にも、かなりの額が入っているようですが」
山下の手が止まった。
「……ククク」
「やっぱり、あなたも儲けているんですね」
「誤解するな」
山下は真顔で言った。
「これは、平和を維持するための必要経費だ」
「どこがですか」
「政治には金がかかるんだよ」
リチャードは深いため息をついた。
その日の夜。
山下は議長室で、帝国商業ギルドから届いた契約書を眺めていた。
交易路の拡大。
共同市場の設立。
水資源の共同利用。
そして――
最後の一枚。
山下の目が止まった。
「……ほう」
そこには、こう書かれていた。
――グランディア帝国・王国・魔族領による三国共同交易構想。
山下は椅子に深く腰を沈めた。
「魔族領、か……」
そこへ、扉が勢いよく開いた。
「山下議長!」
入ってきたのは国王アレクシスだった。
「帝国から、さらに大きな提案が来ています!」
「もう見た」
「え?」
「これだろ?」
山下は書類を掲げる。
アレクシスは驚いた。
「なぜ分かったのです?」
「帝国の商人が、さっきまでここにいた」
「いつの間に……」
「政治家はな、客が帰ってから話を聞くんじゃない」
山下はニヤリと笑った。
「帰る前に、次の客を連れてこさせるんだよ」
アレクシスは呆れた顔をした。
「……本当に、あなたという人は」
そこへ、もう一人。
「私も見せてもらっていいですか?」
純白のドレスを揺らしながら、聖女エレナが入ってきた。
「エレナ?」
「三国共同交易なんでしょう?」
エレナは書類を覗き込む。
「魔族と人間が、一緒に商売するんですか?」
「ああ」
「……怖くないんですか?」
山下はしばらく黙った。
そして、ふっと笑った。
「怖いさ」
「え?」
「人間同士でも欲で揉める。エルフとも揉める。帝国とも戦争になりかけた」
山下は葉巻の煙を吐く。
「だったら、魔族だって同じだ」
「同じ……?」
「腹が減る。金が欲しい。自分の土地を守りたい。誰かに認められたい」
山下は書類を机に置いた。
「種族が違っても、欲の形はそんなに変わらん」
エレナはじっと山下を見つめた。
「だから……また根回しするんですね?」
「当然だろ」
山下の口元がゆっくりと吊り上がる。
「戦争を止めたと思ったら、今度は三つの国を儲けさせる」
「そして?」
エレナが聞く。
山下はニヤリ。
「俺も儲ける」
「やっぱり!」
エレナが呆れた声を上げる。
「ハハハ!」
山下の笑い声が議長室に響いた。
窓の外では、王都の街明かりが夜空を照らしている。
ほんの数か月前まで、そこには戦争への恐怖があった。
今は違う。
街道には商隊が走り、人々は明日の商売を考えている。
剣を抜くことなく。
魔法を使うこともなく。
一人の黒衣の議長が、人間の欲と利益を繋ぎ合わせた結果だった。
山下は窓の外を眺めながら、満足そうに呟く。
「戦争ってのはな……」
一度、間を置く。
「始めるより、始めないほうが儲かるんだよ」
そして――
「ククク……」
いつもの笑い声。
だが、その目はもう次の獲物を見ていた。
グランディア帝国。
王国。
そして――魔族領。
三つの国を繋ぐ、新しい巨大市場。
そこには、まだ誰も気づいていない莫大な「欲」が眠っている。
山下速夫は、ゆっくりと黒衣を翻した。
「さて……」
葉巻に火をつける。
「次の議場へ行くとするか」
誰もが黒衣をまとって生きる、この異世界という巨大な議場。
その中心で――
山下速夫の「根回し無双」は、また一つ、新しい舞台へと足を踏み入れた。
第四章【帝国の罠】、最後までお読みいただきありがとうございました。
王国と帝国の交易が始まり、さらに――
魔族領との三国共同交易。
新しい巨大な「議場」が見えてきました。
次の章では、また次の舞台へ進んでいきます。
剣も魔法も使わない。
それでも――
一番恐ろしい男は、今日も議長席で笑っている。
「ククク……」
第五章も、どうぞよろしくお願いいたします




