其の四十四「とある名所の声掛け事案」
これから語るのは、もしかするとこれから広まるかもしれない
いや、広まってしまうかもしれない「怖い作り話」です。
全部で壱百八話。どれも短い物語です。
しかしその中には、時に背筋に冷たいものが走り抜け、
時にひそひそと誰かの囁きが聞こえ、
時に見てはいけないものが見えてしまうこともあるかもしれません。
そしてひとつだけ、どうしても言っておきたいことがあります。
これらの話は、すべて作り話です。しかし、ただの作り話ではありません。
この話、本当なんです。
これは、とある”名所”で起きた声掛け事案のお話。
某県某市の某所。(場所は特定できないよう控えさせていただきます)
いわゆる”自死の名所”と呼ばれる橋。
山間にかかるその橋はとても高く、そこから飛んでしまえば
どんな幸運を拾うこともなく、自らの行動を完遂できてしまうのは一目瞭然。
場所も山間とあって昼間でも交通量は少ないのだが、夜になれば、それこそ深夜ともなれば、車も人も通ることは極めて稀である。
橋には高い欄干があるにもかかわらず、それをよじ登りこの世の”生という縁”を断つ者は後を絶たず、開通から現在までここを最後の地とした者は十数人。
そんな経緯からこの橋は”自死の名所”と呼ばれることとなり、加えてここから飛んだ人々の霊が立つ”心霊スポット”としても世間に知れ渡ることとなった。
◇◆◇
そんな場所へと訪れた、とある男性。(仮にRさんとします)
真夏の深夜、一人ここに来た彼の目的は、この世の”生という縁”を断つこと。
すなわち、自死。
こんな深夜にこの橋に一人で来るとなれば、心霊スポットでの肝試しにここへ来たとは十中八九言い難い。
橋の中央部。最も高い場所に立ち、高い欄干を見上げたRさんの心は、これを登れば解放される、ここから飛べば楽になれるという思いに、動揺も、ましてや恐れなど無く、スンと静まっていた。
いくら深夜には人通りのない場所だとしても、誰も通らない場所ではない。
人に見つかったら、面倒だ。
彼は、高い欄干の金網にそぉぉぉぉっと手を伸ばす――
そのとき、ふわりとどこか生ぬるい、夏の夜の風が彼の耳をなぞった。
『君、やめた方がいいよ。こっちもそれほどいいところじゃないからさ。』
「!!??」
Rさんは、確かに聞いていた。
若い男性と思われる声。それが通り抜けた生暖かい風と共に耳元で静かに囁いたのを
彼は確かに聞いていた。
『みんなこっちに来れば楽になれると思っているみたいだけど、そんなこともないんだよね。』
まただ!ぬるりとした風に乗るように耳をなぞる囁き。
Rさんはバッと振り返り、辺りを見回す。
だがしかし、そこには誰もいない。
今この橋には、この橋の中央だけでなく、この橋全体を見回してもRさん以外は誰もいないのだ。
背筋に震えが走り、彼の心は激しい動揺と予期せぬ恐れで、ゾゾゾと大きくかき乱されていた。
額に冷や汗を流しながら「ごくり」と唾を飲んだRさんの心は、欄干を登ろうとしていた時のスンと静まっていた時とは真逆の”見えない何かの声掛け”に震えていた。
「うわぁぁぁぁぁぁぁ!」
Rさんは欄干を登ることを忘れ、声を上げながら橋の出口側へと一目散に、全力で、人生で一番早いだろう勢いで走っていた。
◇◆◇
橋わきの駐車場に止めていた車に飛び乗り、息を落ち着かせようと深呼吸を繰り返すRさんは、恐る恐る橋へと視線を向けた。
もちろんの如くそこには誰もいない。
ただ、自死の名所とか心霊スポットと呼ばれる山間部に架かった高い橋が、その場に静かにあるだけ。
『君、やめた方がいいよ。こっちもそれほどいいところじゃないからさ。』
『みんなこっちに来れば楽になれると思っているみたいだけど、そんなこともないんだよね。』
それは夏のぬるい風の悪戯なのか、それとも――この場所でこの世に別れを告げた先人の”声”だったのか。それはそれとして、Rさんからはこの時、ここについたときのこの世との縁を断つと決めた心の静けさは消え去り、今ここで起きた出来事の恐怖だけが心をざわつかせていた。
十数分後。やや落ち着きを取り戻したRさんは、静かに車のエンジンスタートスイッチを押し、車を駐車場から出して、家に向けて車を進めていた。
この時Rさんの心は、この橋でこの世との縁を切ることへの強い恐怖を感じ、あの世へ踏み出そうというその思いを踏みとどまることになったのである。
◇◆◇
後の話、Rさんは自身に自死を考えさせるほど悩まされていたものを自ら断ち切り、新しい人生を歩む決意を固めた。
現在彼は趣味を生かした仕事を始め、なかなか軌道に乗せるのは難しいと言いながらもとても生き生きといい笑顔をした日々を過ごしているという。
「あのとき、あの場所で、あの”声掛け”がなかったら、今の僕は無い」
この話、本当なんです。




