表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

154/180

民徳とサロン

関羽達と分かれて、1ヶ月ぶり(自分達としては300年振り)に故郷の遺跡の村に帰って来た。


すると、なんとなく様子が変だった。


村長に「何か変わったことはないか?」と聞いてみた。


「ヨッシー公の町で、何でも、『サロン』なるものが大人気らしいんですわ。」


「それは悪徳なものなのか?」


「全然悪徳ではないですよ。ちょっとした会費は取られますが、言い話が聞けて幸せな気分になれるということで、半分の人間が仕事よりもそちらに夢中になってしまっているのです。」


(全くの油断であった・・・)


ヨッシー公の政策や俺達の協力によって、民は十分な生活を送れるようになっていた。


そのお陰で余裕ができたため、幸せに欲が出てしまったに違いない。


俺の尊敬していた山岡荘八先生は、その小説でこう書いていた。


「人間の姿には、凡そ4つの面がある。その2つは欠点。あとあと2つが、美点であれば上乗の人間で、欠点3に美点1の者が多い。といって、1の美点もない人間は存在しない。」


それなのに、中には、常日頃忍従を強いられ、劣等感を持っているもののいるであろうことを俺は忘れていた。


俺には良く分かっていたが、サロンに行ったからといっても、一時的な高揚感を味わえるだけで、実際には全く幸せになることはない。


(そんなものに金を使っている時点で幸せから遠ざかっている)


実際、サロンに通い始めるようになったものたちは、お金のために、村の外の粗末な木の家に済むようになったらしい。


(これでは魔物がきても助けられないな・・・)


漸く帰ってきたというのに、早速心配事ができてしまった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ