100.戦い前日
あこがれには二種類ある。
一つは自分にはないものをあこがれる。もう一つは自分の目指すべき理想にあこがれる。
問題なのは、自分にはないものにあこがれているだけなのに、まるで、それが自分の理想のような錯覚を起こしてしまうことだ。
今回、ヨッシー公を幽閉した貴族も、自分の評価を誤ってしまった口であった。
『ヨッシー公は落ちぶれた貴族であり、我こそが王にふさわしい。』
世論を味方につけるため、あちこちに看板を立てた。
俺は直ぐにでも戦いが始まるのかと思っていたが、1日目は宣戦布告をするだけで、その日はお互いに正当性を主張するのが、決まりらしい。
一方のヨッシー公もまだ、チャンスを得る権利が与えられただけで、またチャンスを手にした訳ではない。
よく誤解されるが、年収1000万円の仕事を得たとしても、その時点ではまだ1円も手にしてはいない。
1年間働いて、はじめてそのチャンスを手にしたことになる。
その点、ヨッシー公にしても、長い長い戦いの序の口に立っただけであり、ここで全力を使い果たすようでは心持たない。
こうしてようやく次の日の朝、両者ともに思惑を抱え、戦いの火蓋が切られたのだった。