睦月と千里 最終話・中編Ⅱ
「ラフ&スムース 第二章」
大気の密度が急激に濃くなっていくのを感じ取る。
おそらく錯覚ではあるのだが、それに伴い
一気に緊張感が高まっていく。
彼女、北山茉莉はやる気なのだろう。
どのみち対峙すればすぐに判ってしまうことだった。
それよりも、下手に警戒されて逃走の末、
姿を晦まされでもした方が後々厄介になる。
私は、一縷の望みを託しながら
最後の通告をした。
「……おとなしく、投降するのなら、悪いようにはしないわ
流石にもう、今までと同じ生活ってわけには、いかないけれど」
「……! ふ……まさか、この期に及んでまだ交渉の余地があるとは、思わなかったわね」
「……私は別に、話し合いで事が済むのなら
それが一番、最善だと思っているわ」
「まあ、お優しいこと。 だけどね……」
そう言いながら、彼女は床に散らばっている何かを拾い集める。
「……その提案は…………断る!」
ヒュッ
「!」
カツッ!
その言が睦月の耳に届くかどうかのほぼ同時に
飛来物が1本、彼女の持つ竹刀にそれは突き刺さっていた。
「ち! やはり咄嗟に反応するか…………流石だな、綺麗に受け止めるとは」
おそらく北山の彼氏が持っていたのであろうダーツの矢。
彼女が投擲したその針先は
さきほどの彼が放ったモノと同一の物体とは到底思えないような
信じられない速さで睦月の眼前まで到達する。
しかし、それでも竹刀の真芯で受け止められ
弾き落とすこともなく彼女によってそれは回収された。
「……こんなおもちゃで不意を突けるとでも、思ったの?」
「は、只のおふざけさ…………だけどね、今の言葉、
……要するに、あたしは軟禁されるってことだろう? しかも、一生。
そんなのは、ごめん被るわ!」
「……………………そう…………
……残念……ね……」
私のその手は……僅かではあるが、カタカタと震え出していた。
今から行う事、それは、そういうことなのだ。
いくら人の道を踏み外した者であったとしても
元は人間である。
しかし、もう、戻ることは……無い。
――――――――何を、今更……戸惑っている? 覚悟を、決めろ!
そうしたのは、誰でもない、この私なのだから。
何のために、幼い頃から姉さんを、欺いて…………
私は、修羅の道を歩むと……そう、剣に誓ったのだから!
……でも……それでも……私、は…………
◆◇
……な、ななな…………なにこれええぇ~~?
いったい、何が起こっているの?
私は祖父から旧北山スポーツの店舗の場所を聞き出し
即座に駆けつけていた。
……そういえば、確かに私が小さい頃はここにスポーツ店があったことを思い出した。
商店街の一角なので親と一緒に買い物に出かけた時などに
見た記憶が、今ようやくうっすらと蘇ってきていた。
結構、近所じゃん!
そりゃこんな小さくて狭い町で大不況なんか起こったら
どちらか片方は保たないよね……
しかも北山部長は私よりも2コ年上。
屈辱にまみれた記憶も鮮明に残ってるだろうし
多少は恨まれても仕方がないのかもなとは思った。
けれど、今この旧店舗内で行われていること。
これはけっしてそんな次元のお話じゃない!
意外と、あれから私はすぐに目覚めることができたのか
ここに駆けつけた時には丁度睦月が店舗に入っていくのが見えたのだ。
結構距離は離れていたんだけど、私は夜目は効く方だし
自慢の2.0の視力が幸いしたようだ。
どうやら彼女には気づかれなかったっぽい。
それからこっそりと同じ入口から入り
距離を取って様子を伺っていたんだけど……
なんか、ぜんぜん違う世界のお話が繰り広げられてる気がする。
わかったことといえば
あの私を襲ってきた男の人は既に、もういないらしいということ……と
北山部長は普通の人ではないらしいということ。
……これだけでも、最早ついていきがたい事実ではあるのだが
そして更に、それを追っていた睦月は……
「…………」
私は、知らないうちに睦月の調査に付き合わされていたらしい、ということ。
「……罪滅ぼし……かぁ……」
私は、ポツリとそう呟いた。
だとするのなら、もう私は充分にお返しされている。
確かに最初は調査のために静観されてたのかもしれない。
多少、辱めは受けたけれど
でも結果的には怪我もなかったし
メモリカードもすぐに取り返してくれた。
その後、部長相手に啖呵を切って
ソフトテニスで一緒に戦ってくれて、部のレギュラーにもさせてもらった。
つい今さっきだって暴漢から私を護ってくれた。
そもそも囮だの見殺しだのと言っても
どのみちこれは睦月がいようがいまいがたぶん起こってしまっていたことだ。
それこそ睦月がいない方が私には救いが無かっただろう。
「そんなことで、負い目なんか感じること……ないのになー……」
一瞬感慨に浸りかけたが、今はそんなことをしてる場合じゃないと思い止まる。
「そ、そんなことより、今のこの状況、なんとかしないとっ!」
これって、もはや喧嘩というより殺し合いって感じだよね?
警察に、電話した方が良いのだろうか?
でも、だったら睦月は最初から自分で動いたりせずにそうしているはず
どうしよう? 私なんかが出て行っても
邪魔にしかなりそうにないし……いったい、どうしたら?
「…………」
……やはり、来るべきじゃ、なかったのかもしれない。
だって、どう考えても私の対処できる範疇を超えている。
大げさに言うなれば、国同士の戦争に私一人で止めに入るようなものだ。
そんなこと、できるはずがない。
無意識のうちに、私はじりじりと後ずさりを始めていた。
「…………」
――――考えてみるわ
「……あ!」
――――貴女が心から、言ってるのがわかったから……
だから、私もちゃんと考えて、答えを出すから
……………………そうだ!
あの時あの時点ではべつに睦月は私と関わる必要なんて、全然なかったんだ。
それなのに、彼女は私の願いをどうにか聞き届けようと、真剣に考えてくれていた。
たまたま、その流れが彼女の調査に都合よく利用できたから
そのまま利用しただけで、元々悪意があったわけじゃない。
むしろ、私には好意的に接しようとしてくれていた。
「…………」
「私なんかが出て行っても……じゃない!
何を私、寝ぼけたことを言ってるんだ……!」
ここで踏ん張らないと!
私は、彼女のパートナー失格だ!
◇◆
「ちょっと、試したいことが……あるんだけど?」
北山茉莉は口端を釣り上げながらそう言った。
「…………」
睦月は何も言わず、ただ黙ったまま竹刀を構えていたが
「じゃじゃ~ん!」
ピクっと、僅かに顔を曇らせた。
「先刻のダーツの矢、まだ手元に結構あるんだよね。
しかもこれは改良型で、投げナイフのように使うことができる。
つまり、どういうことかって言うと、同時発射ができるんだなあ……
……あいつ、マメにいっぱい作ってたのか、まだ……こーんなにある!」
そう言って両手いっぱいの指の隙間に矢を持っている。
ざっと見て8本はあるだろうか?
「!」
「さっきは防がれたけど、実はまだ全然本気じゃなかったの……
この改良型は、まだちょっと練習不足だけれど……
今度は……防げる……かしらっ!?」
ヒヒュッ
「くっ!」
ガガガッ!
カラカラと、床に矢が三本、跳ね転がっていった。
「……へえ、さっきよりも速く、しかも三本も投げたのに
全部防ぎ切ったのね…………貴女、本当に凄いじゃない!」
北山茉莉は睦月に賞賛の声を上げる。
「…………」
しかし、北山は薄ら笑いを崩すことはなかった。
「……けれど、流石に矢を真芯で捉え取ることはできなかったようね。
弾くのが精一杯って、ところか……?」
「……そう、思うのなら、四本でも、五本でも試してみるといいわ
まだ五本は持ってるんでしょう?」
「……ふ……その必要は……無いわ。
でもまあ、もうちょっと……付き合ってよっ!」
シャッ!
「!」
ガガッ!!
カラーン……と、またしても矢は床に転がった。
しかし、転がった矢は一本だけ。
「ふ……」
「…………」
「……今、あたしは二本、矢を投げたわ
確かに貴女は二本とも弾いて凌いだ……けれど」
「…………」
睦月の頬を汗が伝う
その背後の壁面に、もう一本の矢が突き刺さっていた。
北山は口端を更に釣り上げる。
「……どうしましょう? まだ、あたし全然余裕なんですけどー?
まだまだ速度は上げれるんだけど、貴女、大丈夫ー?」
「!!」
速度を一段上げた三本は、辛うじて全て弾いた。
更に今、もう一段、もっと速くなった二本は、全て弾くことはできたはできたが
そのうちの一本は軌道を変えるのが精一杯で背後の壁に突き刺さっていた。
北山の矢の残弾は残り三本。
しかもまだ、速度は上げられると言っている。
「その竹刀、飾りじゃないんでしょう?
なんならそっちから攻撃してきてもいいのよ?」
「…………」
睦月は黙って構えたままだ。
正直、北山の今の実力をまだ測りかねているのだろう
無闇矢鱈に攻撃に出るには、判断がつかないでいた。
――――疾い!
もしかしたら、彼女、北山茉莉の本気は
私の速度を上回っているかもしれない。
正直、今の速度でまた三本を投げられたら
全てを防ぎきる自信は……無い。
しかも更に速度は上げることができるらしい
ハッタリで無ければ、だけど。
「……ふうん、大体……わかったわ」
「…………何が、わかったと言うの?」
本当は、聞き返さなくてもわかっている。
彼女は……彼女もまた、私の実力を推し量っていたことを
「貴女は本当に凄いわ、でもね……
それはあくまで人間レベルでのお話……」
「…………」
「今なら…………確実に、あたしの方が、――――疾い!」
シャッ!
「くっ!」
ガッ!
投擲された矢は一本のみ。
しかし、速度は今までで一番の速さであった。
辛うじて竹刀を合わせ弾くも僅かに軌道が変わっただけで睦月の頬を掠めていった。
「!!」
眼前に、彼女、北山茉莉の姿があった。
「し、しまっ」
矢に意識を取られ、彼女の動きを見れていなかった。
――――だとしても、疾すぎる! この刹那にあの距離を一気に詰めたというの!?
掌底が胸元に滑り込んで来る!
咄嗟に躱そうとするも、ほぼ正面からそれを食らって、私は背後の壁面に飛ばされてしまった。
ダーーーン!!
「がはっ!」
胸から背にかけて、ものすごい衝撃が身体を襲う。
一瞬呼吸を奪われ、そのうえ口腔内に何か鉄臭いものがこみ上げて来た。
「ははっ! もう、一発ぅっ!!」
今の一撃はなんとか反応し
威力の数割は減らすことができた。
しかし、それでも結果はご覧の通り身体ごと飛ばされ壁に叩きつけられた。
次、同じのを食らえば背後に遊びの空間がない状態では
モロに全ての衝撃をダメージに転化されてしまう。
しかも、今ので私の身体はすぐにはまともに……動けない!
つまり――――やられる!?
「うあああああっ!!」
「!」
「!」
ひゅうっと
一筋の投擲物の軌跡が、見えた。
その到達先は……
ドスッ!
「っ!!」
それは、見事に北山茉莉の首筋に突き刺さった。
「…………」
ゆっくりと、後頭部を押さえながら彼女は背後に振り返る。
「…………なんで、貴女が、ここに居るわけ?」
……わ! 嘘! ホントに綺麗にクリティカルヒットしちゃったよ!
「ご、ごめっ! だ、大丈……」
じゃない! 何言ってんだ私!
見よう見まねで一応「そこ」を狙って投げた訳だが、
まさかそんなにうまく飛んで行くとは思わなかった。
スカートのポケットに仕舞っていた、私に刺さってたダーツの矢。
たぶん薬の効果は既に切れてるだろうけど、
それでも彼女の意識を逸らすのには充分効果を示してくれた。
「はあっ! はあっ! …………んごくっ……
む、睦月を…………睦月は……やらせないっ!」
「け、けほっ! ……ば、馬鹿っ! なに、こんなところにまで来てるのよ!?」
「睦月っ!」
よ、良かった! とりあえず睦月は無事なようだ。
一撃入って壁に飛ばされた時は終わったかもとも思ったけども……
ズッ!
「!」
首筋に刺さった針先を、自らの手で抜き取る。
つう……と一筋の赤い血がうなじに沿って流れていった。
彼女は、額に血管を浮き上がらせ、鬼のような形相でこちらを睨みつけてきた。
「……笹倉……千里おおお!」
「ひぃっ!?」
お、おしっこちびりそう……
というか、や! ……ちょっと、ちびった……かも……? しれないけども……
でももう、後には引けない!
必ず、睦月を無事、連れて帰る!




