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終幕 とある小心者の手紙

【終章】


 帝都の大通りは、今日も大勢の人で賑わっていた。

 足早に買い物客が行き交い、店先では威勢のいい売り子が声を張る。

 変わらなかった日常。以前とは少しだけ色を変えた、街の空気。

 人類が滅亡を回避した日から二ヶ月。

 帝国は様々な問題に直面しながらも、なんとか平穏な日常を取り戻していた。

 消失した『マザー』がもたらす弊害の発表。事実の隠蔽と独断での処分に対する各国からの批判。それに伴う皇帝陛下の退位など、混乱は今も続いている。

 市井にも動揺が広がっているものの、生活を投げ出すわけにはいかない。環境の変動に不安を抱えながら、それでも、人々は終わらなかった世界で生きていく。

 いつもと変わらない賑やかな光景は、逞しい国民性の象徴といえるだろう。

 そんな昼下がりの大通りを、お仕着せの上からコートを着込んだ少女が駆けていく。

 蜂蜜色の前髪を冷たい二月の風に揺らして、翡翠の瞳でただ一点を見つめながら。マーガレット・ヴァレンタインは、帝都のとある場所を目指していた。

 幼さを残した愛嬌のある顔には、どこか焦りの色が滲む。

 群集を縫うようにして抜け出した先で、見えたのは巨大な建造物。

 柱や外壁に優美な彫刻を施し、広大な敷地に堂々と鎮座するその建物は、帝都の中心である宮廷だった。

 少女はその豪奢な門を素通りして、長い城壁の隣にある病院へと駆けこんだ。

 外観の威圧感が凄いのと、門衛の顔が怖い。

 それだけの理由で、マーガレットはできるだけ宮廷に近寄らないようにしていた。その決まりはたとえ緊急事態であろうと揺るがない。

 息を切らして受付へと向かい、来訪の目的を告げて簡単な手続きを済ませる。

 アナスタージアがかつて勤務していたというこの大学病院のスタッフとは、もうすっかり顔見知りだ。なんの問題もなく病室棟へと入ることができた。

 足早に、でも怒られないくらいのスピードで、清潔な廊下を進む。

 辿り着いた個室のドアをノックもせず開けると、ベッドの上で不機嫌そうな顔をしている少年と目があった。

 身体のあちこちを包帯やギプスに覆われた彼は、突然の闖入者であるマーガレットを見据えて、口を開いた。

「ノックしろと何度言えば覚えるんです? 貴女の脳はソフトクリームですか」

 ――いきなりの罵倒である。

 息を切らせて駆けつけた女の子に、いくらなんでもあんまりな言い草だ。

 なので、言い返してやることにした。

「ノックどころじゃありません! どうしてあなたはそう何度も病院を脱走しようとするのですか! まだ目が覚めて一ヶ月もたってませんのに!」

 腰に手を当てて、憤然と言い放つ。どやされた少年は、煩わしそうに眉を顰めた。

「うるさいですね。病室で馬鹿みたいな大声を出さないでください」

「毎回呼び出されるわたしのことも少しは考えてくださいませ! 担当医の先生に泣いて頼まれるんですのよ!? もう、どれだけ恥ずかしいか!」

 普段なら言い負かされて引き下がるところだ。しかし、今日という今日は我慢ならない。

「なら呼び出しに応じなければいいでしょう。そもそも僕が大丈夫だと言ってるのに、監禁を続けようとするあのヘボ医者が悪い。こんな窮屈な場所にいては身体がなまります」

「監禁ではありません絶対安静なのです! 一度ご自分が死んでいたことをお忘れですか!」

 粘り強く説得を続けると、少年は苛立った様子で舌打ちをした。そのまま、ぷいっとそっぽを向いてしまう。

 まるで小さな子供だ。マーガレットは溜め息を吐いた。

 あの日、彼――レオン・シュタインベルガーは、たしかに命を失った。

 どうしようもない状況だった。あのアナスタージアでさえ状態を見て顔を顰めるほど、彼の身体はボロボロになっていた。

 ……けれど、帰ってきた。

 ずっと触れ続けていたマーガレットの手を、弱々しく握り返して。

 慌てて確認すると、完全に止まっていた心臓が微かに動いていた。

 その瞬間にこみあげた感情は、いまでも言葉にすることができない。

 急いで応急処置に移ったアナスタージアとマーガレットの前に、どういうわけか皇帝の実弟であるエーデルトラウトが現れた。彼は、驚くべきことに大型の最新式医療用車両と数人の医師を連れてきてくれていた。

 帝都へ向かいながら治療が施される中、マーガレットは信じがたい現象を目にした。

 医師たちの驚愕の視線を浴びながら……レオンの身体は、異形の細胞に侵蝕された個所を取り戻していったのだ。その奇跡は、肘から先を除くすべての部位に及んだ。

 それらはおそらく『マザー』が原因だと、アナスタージアは推察していた。

 人体に影響を及ぼす輝石が、彼の「生きたい」という願いに反応したのではないか、と。それが自分以外の他者を強く想う願いだったから、『マザー』はレオンに再生の機会を与えたのかもしれない、と彼女は言った。

 相変わらず難しい話はマーガレットには分からない。けれど、伯爵は生きている。ただその事実だけが、なによりも嬉しかった。

 ……だというのに。

「もう! せっかく助かったのですから、身体が治りきるまでは安静にしてくださいませ!」

「本当にうるさい人ですね……だいたい、貴女のことは解雇したはずでしょう。何故まだここにいるんです」

 素っ気ない言葉。以前までなら多少なりとも傷ついていただろう物言いにも、今の少女はまったく動じない。

「当たり前ですわ。わたしは、まだ借金分のお勤めを果たしていませんもの。誇り高き子爵家の娘として、途中で投げ出すわけにはまいりません」

「……生涯を使用人として過ごすつもりですか?」

「伯爵がお望みとあらば」

 皮肉にもすました声で対抗して、マーガレットは胸を張った。

 この程度でヘコたれていては、シュタインベルガー伯爵家の女中は務まらない。特に今回の件に関して、妥協するわけにはいかないのだ。

 せっかく生きていられるのだから。……ちゃんと、近くで生きていてほしいから。

「とにかく、先生の言うことを聞いて、きちんと治療を受けてくださいませ。カルミアさんもあちらでの用事が済み次第、帝都に戻ってくると連絡がありましたし、そのような状態では心配されますよ」

「余計なお世話です。貴女はさっさと帰って屋敷の掃除でもしていなさい」

「…………もうっ! なんですの! なんなんですの!? せっかく心配して駆けつけましたのに! いわれなくても帰りますわよ! まだ掃除の途中でしたので!」

 ――あまりにも冷たくあしらわれ過ぎて、いよいよ理性が沸騰した。

 意識を取り戻すまでは毎日お見舞いにもきていたというのに、この扱いはあんまりだ。もう少しくらい優しくしてくれたって、きっと罰はあたらないと思う。

 憤懣やるかたなし、といった様子で、少女は病室をあとにする。

 その背中に、ぽつりと声がかけられた。

「……次に来る時は、あの焼き菓子でも持ってきなさい。ここは食事が不味くて敵いません」

 マーガレットは目を見開いた。驚いて振り返ってみても、伯爵はそっぽを向いてしまっている。入口からでは彼の顔がまったく見えない。

 ……けれど、その耳にほんの少しだけ、照れ隠しの色が見えたから。

 思わず少女は綻んで、柔らかな声で返事をした。

「――はい。腕によりをかけて作ってきますわ」

 当たり前のように、傲慢な少年はなにも答えない。

 けれど、マーガレットはそれを受け入れる。

 小さな胸の中には、まだ遠い春の陽射しのような、優しい温もりが満ちていた。


                   ◇


 お屋敷の掃除を終えて、遅めの昼食を済ませたわたしは、故郷のみんなに宛てた手紙を書いていた。

 内容は、帝国に来てから出会った人たちと、遭遇した出来事のお話。あとは逃がしてくれたお礼と、なんとかいまは元気で働いていることを記した。

 一区切りついたところでペンを置く。

 予想以上に枚数が多くなってしまった。このままでは、重ねた便箋がちょっとした詩集くらいの厚みになるんじゃないだろうか?

 こまかく書きすぎたのかもしれない。けれど、ほんとうに色んなことがあったのだ。悲しいこともあったけど、嬉しいことだってたくさんあった。

 書きあがった分を読み返してみる。

 ……なんだか小さな子供の作文みたいだ。

 紙面から圧倒的多数の「嬉しかった」や「悲しかった」が洪水のように押し寄せる。

 伯爵のいう通り、文字のいっぱい書いてある本をもっと読んだほうがいいのかもしれない。さすがに危機感を覚えた。

 でも、活字がびっしり詰まった本は読むとすぐに眠たくなるし……。

 気を取り直して、わたしは続きを書くことにした。

 いま出来ないことを考えても仕方がない。難しいことは、また明日から少しずつがんばろう。

 途中でつっかえながらも、なんとか最後のほうまで書き終えた。


 なにも考えずに取り掛かったけれど、どうしても伝えたいことが一つだけあった。

 きっと、それは言葉にするだけで、些細なことはぜんぶ気にならなくなって、本当にそうなのだと思えるようになるはずだから。

 いつか顔を見せに行きます、という文のあと。

 一息おいて、わたしはペンをはしらせた。


 どうか皆さんもお元気で。

 色々あったけど、わたしはいま、しあわせです。


 手紙の結びには、そんな言葉を書いた。


                                      Fin




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