#5
~七年前・ヴェステア
ユリウスは息を切らして走っていた。仕事中に届いた、母危篤との報せ。すぐに仕事を打ち切り、自宅へと急いでいる。
物心ついたときから、父は家に居なかった。ただ、一年に一度ほど、父と名乗る立派な男が訪れていたことは覚えている。だがそれも、フィツール戦争で途絶えた。母は彼の妾だった。そんな口さがない噂も聞いたが、それはおそらく事実だろう。父を恨んだこともあった。だが、恨み言を言えば母が悲しい顔をする。それは見たくなかった。男手がないなかで、自分を必死に育ててくれた母。それでも、不思議と貧しい思いはしなかった。自分は士官学校に通わせてもらい、妹も人並み以上の教育を受けている。父はやはり、立派な立場の者だったのだろう。かといって父を許すつもりにはなれないが。
「ただ……いま……ッ!」
母が臥せっている寝室に駆け込む。ベッドの側には心配そうな表情をした妹と、沈痛な面持ちの医者。
「……おかえり」
母は笑顔を浮かべながら、か細い声で返事をした。病でやつれてこそいるが、それでも彼女の美貌は確かだった。
母の側に駆け寄る。彼女はユリウスの手を握ると、か細い声で語りだした。視線で人払いを訴えると、医者がそっと退室する。
「……ユリウス。あなたにはね、一つ……内緒にしてた、ことが……あるの……」
~共通歴十七年・ヴェステア 新市街
終わった、終わった。
ユリウスは領主への報告を済ませ、晴れ晴れとした気持ちで城を出た。これから七日間の休暇。久々のまとまった休暇だ。羽を休めたいところだが、生憎やらなければならないことがいくつかある。完全な休暇とはいかないだろう。
ヴェステアは元々鉱山採掘のために拓かれた都市であり、その労働者向けの商売をする者が集まって、フィツール地方南部を代表する都市にまで成長を遂げた。ここ新市街は二十年ほど前に新たに作られた純粋な市街地であり、鉱山の雰囲気は無い。
小腹が空いたので、露店で好物であるハムの揚げ物―俗に言うハムカツ―を買い、噴水の縁に腰掛けて口に運ぶ。うん、旨い。
今日は夕方から城の中庭で祝勝会が行われる。それまでは自宅で一休みしよう。妹は元気でやっているだろうか。まぁ、しっかりした奴だから大丈夫か。
手についた油を服の裾で拭い、立ち去ろうとしたとき。見覚えのある少女がこちらに歩いてきた。見たところ六歳かそこら。銀色の髪の、ボーイッシュな少女だ。
「ユリウス、ボクはだれでしょー?」
少女が首を傾げながらこちらをのぞき込む。あ、思い出した。
「……セリアちゃん?」
前屈みになって少女と視線を合わせる。士官学校時代の友人の娘だ。最後に見たのは三年ほど前か。ずいぶんと大きくなったものだ。
「あったりー! よくできましたっ」
セリアが小さな手で拍手をした。セリアがここにいるということは、彼女の父も近くにいるはず。
「久しぶりだなー。大きくなってたから、少し考えたよ。それで、パパは?」
「すぐそこだよ」
「ここだ。久しぶりだな、ユリウス」
セリアの後ろには、長い銀髪の色男。その表情は涼しげで、すらりとした色気のある男である。娘と一緒にいるせいか、にこやかな表情だ。
士官学校時代からの友人、リーン・アマセネル。旧フィツール王国の名家であったアマセネル家の御曹司。その家柄に恥じない、頭の切れる男だ。若い頃に菓子職人だった妻と駆け落ち同然の結婚をし、現在では二人の子を儲けている。セリアは姉だ。
少し前までヴェステアで働いていたが、フィツール地方西部のリーゼに転任となり、そしてまたヴェステアに帰ってくるという話を聞いていた。なんでも、領主補佐という立場らしい。賢い奴だと思っていたが、やはり先を越された。まぁ、納得のいく悔しさではある。
「赴任の話は聞いてたが、早かったな。嫁さんは元気にしてるか?」
「ああ。まぁ……なんだ。三人目もできたみたいだ」
「ったく、お盛んなことで。おめでとさん」
恥ずかしそうに頬をかくリーンの肩を叩く。リーン夫妻の仲は超がつくほど良好であり、聞いていたら腹が立つこともある。
「それで、例の話だが……」
「ああ。……セリア、パパたちは、おとなのはなしをするから、すこしあっちにいってなさい」
愛娘の前か、リーンの声色は普段と違う。全く、親馬鹿な奴だ。
「はーい」
セリアがこくこくとうなずき、噴水の反対側に歩いていく。
「……『声』は少なくはない。ディアス様は頑張っているが、十五年じゃあ、な」
リーンの表情と声色は娘の前とは違う、冷徹なものだった。これが普段の彼である。
「そうか。……俺も、味方になるかもしれない奴を見つけた。うまくいけば、近いうちに」
「……近いうち、か。三人目の顔を見るまで待ってくれないか?」
「半年も待てねぇって」
ユリウスは笑って、リーンの背中を叩いた。
リーンと別れ、久々の我が家。さて、妹の様子はどうだろうか。
「ただいまー」
扉を開ける。そこには、見慣れぬ長身の女が居た。
家を間違えた? そんな馬鹿な。玄関周りの調度品は見慣れた我が家のものだ。じゃあ、この女は? カチュアの友人ならだいたいは知っているが、目の前の女は見たことがない。
よく見ると、女の服装はサイズが合っていない。カチュアの持っていた服だ。それを無理矢理着ているのか。
「はい? どちらさん?」
「それはこっちの台詞だよ。人ん家に、人の妹の服着て」
考えたくはないが、まさかの事態に備え、腰に提げている剣の鞘を握る。
「人の妹? ……ひょっとして、あんた、ユリウスさんか!?」
「そうだが」
女の表情からは悪意が感じられない。だが、警戒は解かないでおく。
「カチュアちゃーん、ユリウスさん帰ってきたでー!」
女が奥に走っていった。
「いや、だからお前は誰だよ!?」
女を追いかける。すると、流しのほうからカチュアが出てきた。エプロンで手を拭いている。
「もう、騒がなくても聞こえるって」
「いやぁ、ユリウスさん見るの初めてやからな、ちょいとテンション上がってもうたわ。カチュアちゃんの兄さんだけあって男前やなぁー」
「はいはい。……おかえり、お兄ちゃん」
カチュアが微笑んだ。見慣れた笑顔だ。思わずほっとする。
「ああ。……で、そっちの子は誰だ? 全然話が見えないんだが」
「ああ、すんまへんなぁ。ウチは……」
「あたしのほうから紹介するよ。とりあえず、お茶でも淹れるから、休んでて」
カチュアが流しに引っ込んだ。女もこちらに一礼して、流しに引っ込む。
全く、帰ってきて早々、何なんだ。
ユリウスは苦笑しつつ、居間へと向かうのだった。
「はい、どうぞ」
カチュアが湯気を立てるティーカップを置く。ユリウスはそれをすすり、一息ついた。
「ふぅ……。やっと、帰ってきたって感じだなぁ……」
戦場で飲む味気ない水とは違い、心が落ち着く感じがする。やはり、我が家で過ごす時間が一番だ。
「……で、その子。一体何者なんだ?」
そして、胸に抱いていた疑問。カチュアの横にいる、猫のような顔をした長身の女。
「うん。えっと、この人はメリーベル。用心棒してるんだって」
「まいどどうも。メリーベルです」
ブレストン訛り。聞くのは久々だ。二年ほど前にブレストンの皇族を接待して以来か。彼らはここまではっきりと訛ってはいなかったが、イントネーションはここらの言葉とは明らかに異なっていた。メリーベルのイントネーションもそれと同じ。
「用心棒ねぇ。まさかカチュアが雇ってるのか? いい身分になりやがってなぁ」
「そん通りや! いやー、鋭いなぁー」
冗談のつもりが本当だった。思わず目を丸くする。
「もう、ややこしくなるようなこと言わないで。えっと、メリーは用心棒なんだけど、お財布なくしちゃって、うちの前で行き倒れてて。それで、お仕事見つけるまで、現物支給って形で雇ってるの。要は住み込み、かな」
メリーベルが照れ臭そうに頬をかく。なるほど、事情はだいたい掴めた。
「なるほどな。そいつはお気の毒に。……しかし、さすがに不用心だったな? もしも悪い奴だったらどうなってた?」
「う……」
ちょっときつい口調になる。カチュアは唯一の肉親なのだ。本人の望まぬ形で傷物にされるのは嫌である。
「まぁ、メリーベルさんは悪い人に見えないが。今後は気をつけろよ」
「……なんかすんまへんな」
「メリーベルさんが謝る必要はないよ。それに、何事もなかったんなら、結果オーライだ」
「うん、気をつけるよ……。でも、今回はなんていうか、放っておけなくて」
「何や、ウチはカチュアちゃんの運命の人かいな」
「そういう意味じゃなくて!!」
カチュアがメリーベルの胸をはたく。まぁ、微笑ましい光景だ。これなら本当に結果オーライだ。
「で、メリーベルさんは仕事見つかったのか?」
「あー……」
低調だというのはメリーベルの様子で判断できた。もしも本当に用心棒だというのなら、今後に向けて雇っておいたほうがいいかもしれない。
「……腕前はどうだ?」
「腕前かいな? そらもう自信あるで。自信なけりゃ用心棒とかやってへんわ」
「ちょっと見せてくれ。確かなものだったら、これからもうちにいていい。カチュアの用心棒やってくれ」
「ホンマかいな! 相手はユリウスさんでええん?」
「ああ。それなりの腕はあるつもりだ」
「よっしゃ! ええとこ見せたるで!」
メリーベルが腕を回す。その横のカチュアは不安そうな顔。これはユリウスに向けてのことか、はたまたメリーベルに向けてのことか。
ひとまず、相手してみよう。ユリウスは茶を飲み干すと、素振り用の木剣を持って庭に出た。メリーベルがついてくる。彼女に一振りを渡し、間合を取って構える。
木剣を構えた途端、メリーベルの顔つきが変わった。なるほど、用心棒の肩書きは伊達じゃないか。それに、構えから察することができる、彼女の実力。
「イヤーッ!」
先手を打ったのはメリーベル。速い打ち込み。ユリウスはかろうじて受ける。
「おおっ!?」
もう一撃。こちらも速いが、少し甘い。受け流して間合を取る。
いや、驚いた。ユリウスは武芸ならヴェステア二位の―一位はレオンだ―自信がある。だが、メリーベルは女性でありながらこの腕前。大したものだ。
「ヒエーッ、ユリウスさん、やるなぁ。ウチの一撃目受けれるもんは滅多におらへんで」
「そいつは光栄だ。……よし、これ以上やって無様を晒したくもない。合格だ、メリーベルさん」
構えを解く。それと共に、メリーベルの険しい表情も緩まった。
「え、これだけでええん?」
「ああ。今のでメリーベルさんの実力はだいたいわかったし、してやられて自信を失いたくもないしな」
「よっしゃあ! カチュアちゃん、もうちょい世話になるで!」
メリーベルが木剣を投げ捨て、カチュアに抱きつく。まったく、感情表現がストレートな女性だ。
「もう、メリー、オーバーすぎ!」
そして、照れるカチュア。微笑ましい光景だ。
本当に、帰ってこれてよかった。
ユリウスはそう思うのだった。




