♯17
~セルフォナ
顔だけでは、グスタフの心境を計り知ることはできなかった。グスタフは苦笑いを浮かべながら、ヨゼフに向かって頭を下げる。
「すまないな、ヨゼフ君」
グスタフはわずかな手勢と共にファーディルを脱出し、セルフォナに逃げ込んできていたのだった。
「いえ、勝敗は兵家の常です。ましてや我々は同じ旗を仰ぐ者同士。本来ならばもっと早くお助けしたかったのですが」
ヨゼフとしては援軍を送りたかったのだが、セルフォナの現状がそれを許さなかった。先の戦より、セルフォナ城下の反乱分子が騒ぎだしている。それは少しは落ち着いたのだが、油断はならない。
「気持ちだけで十分だ。セルフォナも大変だろう」
ヨゼフはグスタフを城の中へと案内する。
「いえ、一時は反乱勢力の動きも活発でしたが、取り締まりの結果、最近はだいぶ大人しくなっております」
「流石だな、ヨゼフ君」
グスタフの声に笑いが混じった。それはヨゼフをからかった笑いなのか、それとも本心から誉めているのか。
「からかわないでください、グスタフ殿」
「いや、そんなつもりはない。君のような若者が育っているのは喜ばしいことだ。若者が育てば、我々年寄りも楽できる」
「グスタフ殿、年寄りと仰るにはまだ早いですよ」
グスタフの年齢は四十半ばと聞いているが、見た目はもう少し若く見える。黒い髪に白髪は見当たらないし、顔の皺も少ない。
「いや、若い頃に比べれば、ずいぶんと衰えを感じるよ。昔できていたことができないし、昔の調子で動いていたら痛い目を見る。悲しいことだ」
グスタフが笑った。衰えを感じるとは言うが、彼の首や腕は十二分に太く、引き締まっている。これで衰えているというのなら、昔はどれだけたくましかったのか。
「ユリウスも、この件さえなければな。ディアス殿の下でなら、領主までは確実に、いや、それ以上も目指せる器だっただろうに」
「……あいつの選んだ道です」
ユリウスの話題が出る度に、ヨゼフは複雑な気分になる。彼との付き合いは薄くない。士官学校時代は気の置けない友人として。卒業してからはお互いの苦労や喜びを分かち合える戦友、そしてライバルとして。
ユリウスが成そうとしていることが、フィツール王国の再興といった大それた、悪しきことでなければ、ヨゼフは喜んで力を貸していただろう。
そう、ヨゼフは軍人である。友人といえど、祖国に徒なす者であらば容赦なく打ち砕く。それが彼の仕事であり、義務である。
そして、ヨゼフは己の父と、その友人が治めてきたこの土地を愛していたし、この土地を治める組織に道理を感じていた。ユリウスが己の信念を、理想を通そうというのなら、自分も己の信念を、理想を通さねばならない。
重たい沈黙のなか、領主室にたどり着いた。扉を開けてみれば、そこにはヨゼフの従者であるリオンと、副官のシュビットがいた。シュビットはリオンに何か教えていたようだ。
「これはグスタフ殿。この度は」
シュビットが立ち上がり、頭を下げる。それを見たリオンも慌てて立ち上がり、真似るように頭を下げた。
「ヨゼフ殿、ディアス様より書簡が届いております」
「書簡? ……リオン、グスタフ殿はお疲れだ。茶を用意してくれ」
「あ、はい! わかりました!」
リオンは手帳を懐にしまうと、ヨゼフ達に一礼をして、部屋から飛び出た。残った三人は手頃な椅子に座る。
「あの少年は?」
「リオンですか? 彼は私の身の回りの世話をしている少年ですよ。何でも城で働きたかったらしく、門の前に座り込んでおりまして。暇な時に読み書きを教えていますが、なかなか飲み込みの早い奴です。そのうち兵法も教えていきたいですね」
年上を相手にしているせいか、一人称が変わっているヨゼフであった。
「もう後釜を考えているのか? 気が早い奴だ」
「まったくですな。我々のような年齢ならともかく」
グスタフとシュビットが笑う。ヨゼフもつられて苦笑い。
「さて。グスタフ殿がセルフォナに脱出されるという情報は、ディアス様にも届いておりました」
「うむ。報告はしたからな」
「それで、良い知らせと、あまり良くない知らせがあります」
「……シュビット殿、良い知らせからお願いします」
「でしょうな。レグザミールから、援軍として兵四千と、それに見合った兵糧が送られてきます。フィリアという若手が率い、こちらに合流するとのこと」
「この状況で援軍ですか。フィリアは竜の背に送られると聞いていましたが」
フィリアはヨゼフの後輩だ。彼女とは一緒に仕事をしたことがある。目立って光るものは持っていないが、何でもそつなくこなす便利屋だ。そのためか、人手が足りないところをたらい回しにされており、一カ所に落ち着いたことは少ないそうだ。今回は竜の背への援軍として送られる予定だったという噂を聞いていた。
「ディアス様の独断で、兵力の振り替えを中止されたそうです」
フィツール地方から竜の背に兵力を送ることは、中央政府が決めたことである。それに逆らうとなれば、反逆を疑われても文句は言えない。
「また思い切ったことを。ディアス殿も苦しい立場だろうに」
「もしかしたら、自分の政治生命は諦めておられるのかもしれませぬな」
「己の政治生命と引き替えに、フィツールを守り抜く、か」
グスタフとシュビットは、かつてのフィツール戦争に参加していた。陣営こそ違えど、あの戦争で流れた血の量をよく知っている。だからこそ、このフィツールにこだわるディアスの気持ちも理解できるのだろう。
己の政治生命と引き替えにフィツールを守り抜く。ディアスのそれは、立派な決意だと思う。だが、ディアスがいなくなれば、フィツールの地はどうなるというのだろうか。間違いなく言えることは、彼が心血を注いだ改革は全て無くなってしまうということだ。彼の考えは、上層部からすれば先進的すぎるのだから。
それを許せないからこそ、ユリウスは反乱を起こしたし、ヨゼフはそれを防ごうとしている。防ぐことができれば。ディアスがこの地を治め続ければ、まだ希望はあるだろうから。
「現場としてはありがたい話だがな」
「違いありませんな。そして、良くない知らせのほうですが。グスタフ殿。貴方に命令が出ております」
シュビットがグスタフに書簡を渡す。
「……ふむ。兵五千を率い、リーゼの反乱軍を撃滅せよ、とな。全く、一休みもさせてくれぬとは、ディアス殿も人使いの荒いことだ」
グスタフは苦笑して、書簡をヨゼフに渡す。兵五千となれば、今回送られてくる援軍は、セルフォナの防衛としてではなく、リーゼ攻略のためであろう。グスタフは千人ほどを引き連れて脱出しており、それと合わせれば、ディアスの指令通りの兵力となる。
「ディアス様はリーゼとファーディルの合流を懸念されているようですな。だとすると」
「各個撃破するのにやりやすいのはリーゼ。そういう訳ですね」
「リーゼの反乱軍を率いているのはエルンストだったな。確かに奴は有能な男だ。衰えていなければ、の話だが。しかし、ユリウスの子飼いであるアルスとかいう男。奴はそれ以上の驚異だと言い切れる。あれほど兵を有機的に操れる男はそうそう出てこない。ブラックフェンリルのウォードの息子と聞いたが、獅子の子は獅子ということだな」
グスタフには相手を褒める癖があるらしい。彼はフィツール戦争でもエルンストと剣を交えており、エルンストの粘りを激賞していたと父から聞いたことがある。
「まぁ、先日の敗戦で学ぶことができた。引き受けよう」
グスタフが不適に笑った。そう、早く何かを試したいかのように。
~ファーディル・領主室
「……ったく。グスタフさんも粋なことをしてくれるじゃねぇか」
ユリウスは机に残されていたメモを読み終えると、思わず苦笑いを浮かべた。
「どうしたの?」
カチュアはユリウスからメモを受け取り、目を通す。グスタフの字は悪筆であった。書き殴ったようなユリウスとは違い、純粋に字を書き慣れていないような字。悪筆には慣れているとはいえ、思わず眉をしかめるカチュアであった。
「なになに……。兵糧と軍資金はファーディルの民のものだから、焼き払わずに鍵だけかけておく、と……」
「どう使うかはこっちに任せる、とさ。普通は持って行けなかったぶんは相手に利用されないように焼いたりするんだけどな」
「このこと、秘密にしとくの?」
「倉庫が焼かれてないってだけで察する奴は少なくない。ここはグスタフさんに花を持たせてやるさ」
「じゃあ、そんな感じでお触れを出すんだ。文章、考えてる?」
「任せる」
なんだか予想はできたが、案の定ため息が出る。ユリウスは最近、文書の下書きすらしなくなってきた。カチュアが書いたものを添削するだけだ。自分を信頼してくれているのか、それとも面倒くさがっているだけか。前者だと思いたいが、実際のところは両方だろう。
「そこまで丸投げしない」
「優秀な妹を持つと楽でいいよ。あ、それといくらかはばらまく。ちょっとは人気取りしないとな」
「今更褒められても何も出ないわよ。……ばらまきねぇ……。まぁ、みんな現金だもんね」
カチュアは書類を整理する手を休めない。最近では秘書がすっかり板についてきた。
「ユリウスさん、お客さん来てはるで。応接間に通しとるから」
廊下からはメリーベルの声。彼女はユリウス兄妹の警護と、城の警備をやっている。仕事が性に合っているのか、メリーベルは楽しそうだ。
「了解、今行く。カチュア、あとは頼んだ。また後で見とくから」
「はいはい」
ユリウスは壁にかけていたマントを羽織ると、部屋を出ていった。マントを羽織るのは単なるカッコつけらしい。兄らしいと言えば兄らしい。
部屋に一人残されたカチュアは、文書の整理も終わったので、ペンを遊ばせながら文面を考えていた。兄の添削が入るとはいえ、自分の書いた文章がお触れになるのだ。身構えてしまう。
「グスタフさんに花を持たせるって言ってたよね。……軍資金と兵糧は元々はファーディルの民のもの。それはグスタフも我々も同じ思いである……っと」
「あらあら、いい身分になったものね」
「わぁっ!?」
突然の声。それはレンファのものだった。彼女から書きかけの文書を覗き込まれていたので、慌てて隠す。
「ふふ、そんなに慌てて隠さなくてもいいのに」
「いや、書きかけ読まれるのは恥ずかしいですから……。っていうか、ノック、してくださいよ」
レンファはどうも苦手だ。意地悪というかなんというか。
「したわよ、ちょっとだけだけど。それとも何、見られて困るようなことでもしてたワケ?」
「してないっていうかしません!」
レンファが扇で口元を隠してくすくすと笑う。からかっているのか、まったくもう。
「お仕事、邪魔しちゃったわね。ところで、ユリウスは?」
「お客さんが来てるそうですよ。しばらくは戻ってこないと思います」
「あらそう。じゃあ、ちょっと待たせてもらうわね。大事なお話だから」
「レンファさんがヴェステアから来るほど、ですか」
「そういうこと。直接言わないとダメなレベル」
レンファは近くの椅子に腰掛けると、鞄から本を取り出した。背表紙の文字が解らない。術関係の本だろうか。
「……お茶でも淹れましょうか?」
「あら、気が利くじゃない。遠慮なくいただくわ」
まぁ、見られていては仕事もしにくい。ペンを置いて、席を立つ。
「ミルクはあるかしら? あったら入れてちょうだい」
「ミルク、ですか?」
「そうよ。そうすると美味しいのよ」
変わった飲み方だ。レンファには東国の血が混じっていると聞いたが、向こうではそうやって飲むのだろうか。
「ちょっと聞いてきます」
部屋の隅で湯を沸かすと共に、廊下を歩いていたメイドにミルクを持って来てもらうように頼む。
湯を沸かして、茶を淹れる。せっかく熱くて美味しいように淹れたのにな、ミルクを入れたら台無しにならないか。
「手慣れたものね」
「その通り、慣れてますから」
ノックと共に、メイドがミルクを持って来た。礼を言って、ポットを受け取る。
「どれぐらい入れればいいか、言ってくださいね?」
レンファのカップに茶を注ぎ、その上から少しずつミルクを注ぐ。茶がベージュ色になったところで、レンファが制してきた。自分のカップにも同じように注ぐ。
「あら、あなたも?」
「気になりますから」
「好奇心は良いことよ。いただくわ」
レンファがカップを口に運んだのを見てから、カチュアも一口飲む。ミルクのせいか、まろやかに感じる。これはこれで有りだ。
「……これはこれで、美味しいですね」
「でしょう。フィツールは水が美味しいから気にならないんだけど、水が不味いところはいくらでもあるからね。こうすると結構誤魔化せるのよ」
そういえばレンファは傭兵だった。各地を転戦するなかで身につけた知恵なのだろう。ということはアルスやシェイズも同じような飲み方をするのかもしれない。今度茶を出すときは聞いてみることにしよう。
何も言わずにユリウスやメリーベルに出してみても面白いかもしれない。用心棒として各地を旅していたというメリーベルは知っているかもしれないが。
「ふー、気ぃ遣うぜ……。って、レンファ。いつの間に」
ユリウスが戻ってきた。マントを壁にかけて、椅子に座る。
「何だ、茶飲んでるのか。俺にもくれ」
「はいはい」
「ミルクは入れるなよ。その飲み方は苦手だ」
ミルクの容器があるのを目にしたユリウスは顔をしかめた。
「あら、好き嫌いはよくないわよ」
「昔、真似したら腹を下したんだよ。それからどうも、な」
「それはミルクが悪かったんじゃない?」
「苦手なもんは苦手だ」
ユリウスの言うこともわからなくもない。普通に茶を淹れる。
「はい、どうぞ」
「悪いな」
ユリウスは茶を一口飲んで、一息ついた。
「で、レンファがわざわざ来たってことは、簡単な話じゃなさそうだな?」
「ええ。まずはこれを読んで頂戴」
レンファが鞄から箱を取り出してユリウスに渡す。箱には人魚の紋章が刻まれていた。
ユリウスは箱から一枚の紙を取り出して、目を通す。その表情がみるみるうちに真剣なものになっていく。
「……うーむ。これ、本物だろうな?」
「偽物にこんなの準備できる?」
ユリウスが机に置いている箱を見てみると、実に精巧な造りである。何の本物か偽物かはわからないが、偽物とは思えない。
「確かに、これはレンファが来る訳だな」
「リーンも来る予定だったけどね。ちょっと遅れるそうよ」
「そりゃまたどうしてだ?」
「奥さんの具合が悪いんだって」
レンファが呆れたような仕草をする。リーンは愛妻家だ。妻を優先しても違和感はない。
「なるほどな。三人目もできてるみたいだし、そりゃ動かねぇわ」
「は? 三人も子供作ってんの? お堅いように見えてお盛んね、あの男」
「夫婦仲がいいのはいいことだよ。……カチュア、読むか?」
箱を興味深げに見ていたところを見られたようだ。文書の内容に興味がないというと嘘になるので、頷きで返答。ユリウスから渡された文書に目を通す。
「……えっと、これ」
レンファが直々に持ってくるだけの内容はある。
「要するに、ブレストンが援助してくれるから、話し合いたいってこと?」
ブレストン帝国第二皇子からの親書。そこにはフィツール軍の直近の奮闘を讃えると共に、援助の用意があると書かれていた。
「そういうことだ」
「見せてよかったの?」
「こいつは俺の秘書だぞ。一番信用できる」
ユリウスが真顔で答えるものだから、レンファからからかうような視線を受けてしまった。なんだか照れる。
「それで相談したいのは」
「誰を向かわせるか、ってことか」
「そう。使者にも格ってものがいるでしょ?」
「らしくないことを言うな。お前なら『口が立てば誰だっていいわ』みたいなことを言いそうなもんだが」
「普段ならね。ブレストン人は見栄っ張りよ。格とか凄く気にするの。バカらしい話だけどね」
「難しいな。家柄や能力で言うとリーンだが、あいつが不在となると困る」
家柄の良さで見るとリーンがずば抜けている。というか、残りはどんぐりの背比べだ。このあたりが新興勢力の厳しさであろう。
「あとは……」
「キルドさんかユリアナか。でもあの辺りを向かわせると後ろが成り立たなくなるわよ」
「はー、めんどくせぇな……。戦に強い奴は多いんだが」
ユリウスが頭を抱えた。
「……俺には格ってのはあるか?」
「まぁ、私達のリーダーですもの。立場的にはあるんじゃない? 人間的にはないけど」
「辛辣だな……。いや、否定はできねぇが」
ユリウスは苦笑しながらこちらに視線をやる。
まさか。
「よし。カチュアに行ってもらう」
「「はぁ!?」」
そのまさかだった。レンファと声が重なる。
「俺の妹、つまりはフィツール軍首領の妹だ。格としては十分だろ」
「た、確かにそうかもしれないけど! あたしなんかにそんな大事なことをやらせていいの!?」
カチュアはずっと兄の近くにいた。だから、兄の目的、理想といったものは理解できているつもりだ。だが、それとこれとは話は別。援助内容についでブレストン帝国の皇子と話し合う。これは勢力の未来を左右しかねないことだ。それを数ヶ月前までどこにでもいる小娘だった自分にやらせていいものなのだろうか。
「それに、お前は頭が回るし、言いたいことは言えるタイプだ。その辺の頭でっかちに任せるよりはよほどいい」
こんな形で評価されているとは思っていなかった。嬉しいというよりは、困惑のほうが先に出てきてしまう。
「レンファさんはどうなんです?」
「……面白いんじゃない?」
「はい!?」
レンファから返ってきたのは予想外の言葉だった。
「格としては十分。それに、顔を知られてないから、少人数でも動きやすい。つまり、動きを悟られにくい。あとは喋りがどうかだけど、そこはやれるんじゃない? 多少のミスなら見逃してくれるかもよ。あなた、顔はいいからね」
言われてみると確かにそうだ。カチュアはただの少女である。それがブレストンに行ったところで、さして怪しまれないだろう。これがリーンみたいな名の知れた人ならそうはいかない。
「だろ? 護衛にメリーをつける。まぁ、旅行と思って気楽に行けばいいさ。……どうだ? やってくれるか?」
ユリウスがカチュアの両肩を叩く。自分を信頼してくれている。
兄には今まで養ってもらってきた。恩返しをしようと思えば、今しかない。
「……わかった。やるわ」
その言葉を絞り出す。緊張と不安に襲われるが、それは払拭しなければならない。
「さすがは自慢の妹だ」
ユリウスは笑って、もう一度カチュアの肩を叩くのだった。