#16.5
~ナディア帝国首都・アヴァロン
ナディア帝国の首都であるアヴァロン。大陸一の国土面積を誇るナディア帝国の首都には似つかわしくない、質素な町並みである。それはこの宮殿も例外ではない。ナディア帝国の国民は質素や倹約を良しとする。これも国民性の現れなのだろう。
宮殿の中を、背の高い初老の男が早足で歩いていた。彼の名はフランツ。ナディア帝国中央方面軍指令官であり、フィツール公ディアスの異母弟である。とはいえ、ディアスは妾の子であるため、フランツのほうが本流扱いされている。
「失礼する」
フランツは不機嫌そうな表情で、宰相室の部屋をノックするとともに開けた。中には穏やかそうな笑みを浮かべた宰相がいる。
「フランツ君か。まぁかけたまえ。……どうした、そんな表情をして」
宰相はフランツの突然の訪問にも嫌な顔をすることはなかった。彼は誰に対しても穏やかで、腰が低い。そうして築いてきた無数のシンパが、政治家としての力量はそこそこでしかない彼を宰相の座につけていると言っても過言ではない。
「フィツール地方の戦況をご存知か?」
「うむ。情報は届いている。リーゼは陥落し、ファーディルのグスタフも敗れたそうだな」
「なら話は早い。『竜の背』への兵力の振り替えの中止と、フィツールへの援軍について進言に参った」
「ほう。これは珍しいことを。『竜の背』への兵力の振り替えを発案したのは、フランツ君、他ならぬ君ではないか」
「確かに。その非は私にある。それは否定せぬ。決戦に誘い出せなかったのは失策であった」
フランツは小さくため息をついた。フィツール地方での反乱よりも少し前に起こった、都市国家群「竜の背」の反乱。「竜の背」は山岳地帯で道が狭く、そこでは大軍の利を活かせない。反乱首謀者がまだ若い男だということを知ったフランツは、何度か勝利の味を覚えさせ、決戦に誘い出そうとした。だが、敵はそれに乗らず、地の利を活かしたゲリラ戦を繰り広げており、ナディア軍の出血を少しずつ増やしていた。
「決戦策は失敗した。が、それ以上に憂慮すべきことは、フィツールの反乱の規模が大きくなっていることだ。明らかに状況は変わってきている」
「なるほど。しかし、戦略的な価値はどちらにある?」
「確かにフィツールに資源はない。しかし、一度得た領地を失うことは、ナディアの国力が落ちていることを……」
フランツの言葉を遮るかのように、宰相は手を出した。彼の口元は笑っているものの、目は笑っていない。
「仕方あるまい。これは陛下の決定であり、陛下の意志である。それは覆らぬ。それとも、兄を救おうという感傷でも?」
「……あのような妾腹の男など」
そう、これは感傷などではない。ナディア帝国の行く末を考えてのことだ。
「フィツールはまた取り戻せばよい。そもそも、ヴェステアで反乱を起こした者は士官学校の出というではないか。そういった得体の知れぬ者に力を持たせたのが過ちなのだ」
ディアスの施策の一つであった、士官学校という制度。そこを卒業すれば、どのような出自の者でも、一定の職を与えられる。世襲や縁故といった、ナディア帝国本国の旧態依然とした制度とは全く異なるものだ。
世襲や縁故で採用された者は自然と派閥を形成し、それによって上層部の権力は維持される。そのため、この制度に異を唱える者はいなかった。フィツール公であったディアスを除いて。
「話はそれだけかね? ならばここまでにしていただきたい。私にも予定があるのでね」
「……これ以上話しても無駄なようだ。また日を改めて参る。……失礼する」
フランツは一礼して、部屋から出る。しばらく廊下を歩き、一人になったところで、壁を軽く殴った。
忌々しい。
フィツールを失うことがどれだけの損失になるか、アヴァロンでぬくぬくと過ごしている者にはわからないのか。そして、フィツール戦争で流された血が、無駄なものとなることもわからないのか。この宮殿の中で、己の椅子だけを守る者には理解できない感情なのかもしれないが。
ディアスの行ってきた、実力主義の人事。それは見習うべきだと思う。ナディア帝国は歴史が長い。それだけに制度も硬直化し始めている。このままでは腐っていくだけだ。ディアスもそれを知っているのだろう。だからこそ、劇薬になろうとした。
だが、劇薬は飲まれなかった。それどころか、捨てられようとしている。
このままフィツールの反乱が成功したら、ディアスに全ての責任を負わせ、改革ごと葬り去られるのは目に見えている。
「……クソッ……」
フランツはそう吐き捨てると、不機嫌そうな表情のまま、宮殿を後にした。
~フィツール独立軍陣地
ユリウス達を迎えたのは、兵士達の歓声であった。
「お待ちしていましたぜ、ユリウス様」
「ああ。諸君、逆境のなかでの見事な勝利、実に素晴らしいッ!」
ユリウスの言葉で、再度歓声があがる。その歓声に包まれながら、ユリウスは陣地を歩いた。アルスとライーザが先導し、レオンとカチュア、それにメリーベルがユリウスに続いた。
陣地の中はずいぶんと賑やかなものであった。先の勝利で得られた自信。それを持て余しているかのような。
「意外と賑やかなんだね。もっと殺伐としてるのかな、って思ってた」
「あ、それはウチも思ったな。めっちゃ楽しそうにしとるやん」
軍隊の陣地に入ることなど初めてであるカチュアとメリーベルは、周囲をきょろきょろと見渡しながら歩いている。
「まぁ、勝ってるからな。これが苦戦してるときなんかだと、もっと殺伐としてるぜ。二人のイメージみたいに」
「勝つとみんな景気ようなるっちゅー訳やな」
「そういうこと」
とりとめのない会話をしつつ、一行はアルスのテントに到着する。
「あ、ウチは遠慮しとくわ。難い話はわからへんもん。この辺で見張りでもしとくわ」
「そうか。じゃあ、そっちを頼むとしようか」
「あたしはどうすればいい?」
「カチュアはついて来てくれ。色々と勉強してもらわないとな」
「はーい」
テントの中には、シェイズとアルフレッドが居た。ユリウスの姿を確認すると、二人とも敬礼を見せる。
「二人ともご苦労さん。まぁ楽にしてくれ」
「ご苦労さんとか言われましても、私は何もしていませんがね?」
「だーかーら、その口調は止めてくれ。まだ慣れてねぇんだ」
ユリウスはうんざりだ、といった表情で手を振り、テーブル近くの椅子に腰掛けた。
「いい加減に慣れてもらわないと困るんだよ、大将。いつまでもペーペー感覚なんだから」
ライーザ達もテーブルを囲むように座る。カチュアはユリウスの後ろで、テーブル上の地図を覗き込んでいた。
「じゃあ、状況を報告するぜ、旦那」
「ああ、その口調のほうがいい」
アルスが立ち上がり、地図を指さした。
「先日の会戦でファーディルの主力は撃滅した。連中は城に引きこもってて、未だに動きはない。攻めるなら今だが」
「いや、城下町の反乱勢力に連絡をつけている。こちらが動き次第、蜂起するようにとな」
「なるほど、さすがに準備がいいな」
「あとはファーディルの残存兵力をどうするか、だねぇ」
「脱出されてセルフォナに逃げ込まれるのは勘弁してもらいたいところだ。もうグスタフとはやりたくねぇしな」
「同感。こないだだって、ファルミアが動き出すのが少しでも遅れてたら、私の陣は突破されてたよ」
ライーザがため息をついた。いくら華々しい戦果をあげたとはいえ、薄氷を踏むような勝利であったことは疑いない。
「しかし、セルフォナというと……」
「……ヨゼフ、か」
そして、セルフォナを守るのは、ユリウスの旧友であるヨゼフ。ユリウスの表情が曇る。
「なんだ、そのヨゼフって奴はできる奴なのか?」
「ああ。間違いなくレオンよりはできるし、俺や先輩ともいい勝負する」
「昔のことを思い出させるなよ。今なら……勝てねぇな」
レオンが苦笑した。彼は武芸一筋の男であり、指揮は苦手としている。
「そういえば、ファルミア達はどうした?」
「ああ、ライアスと偵察に出てる」
「そのライアス君、なかなか筋がいいね。何度か稽古に付き合ってもらったけど、いやぁ、なかなかいい腕前だ」
「そいつはいいことを聞いた。後で手合わせ願いたいもんだな」
レオンが笑うと、ライーザは冷たい視線を浴びせた。
~ファーディル郊外
「ぶわっくしょん!」
「どうしたんすか、ライアスさん」
「いや、噂でもされてるのかな……」
ライアスは鼻の下をぬぐいながら、ファーディル城に目を凝らす。相変わらず動きはない。退屈な任務だが、偵察だって大事な仕事だ。
「そろそろ交代時間ねぇ。ようやくおさらばできるわ」
ファルミアは退屈そうにあくびをしながら、背伸びをする。
「アルヴィン君もシェイズさんも、よくもまぁこんな退屈な仕事やるわねぇ。あたしはこういうのダメよ」
「はいはい、文句言わずにやりますよ。仕事に貴賤なしっすよ?」
「わかってるわよ……ッ?」
ファルミアが遠眼鏡を覗き込む。城門が動くのが見えた。
「どうかしました?」
「ライアス君、本陣に戻ってちょうだい」
「え? ひょっとして……」
「グスタフが脱出。そう伝えて。あたしはもう少し様子見てみるわ」
ファルミアの言葉が終わるか終わらないかで、ファーディル軍が城から出てきた。彼らはフィツール軍が陣を構えている南ではなく、北へと向かっている。
北にあるのは、セルフォナ。
「りょ、了解! ファルミアさん、気をつけて……」
「ふふ、あんたに心配されるほど、落ちぶれちゃあいないわよ」
ファルミアはくすりと笑ってウィンクをすると、ファーディル軍の追尾を始めた。




