#16
~ファーディル郊外 フィツール軍陣地
先の会戦から十二日が経過した。アルス達はファーディル城を望む小高い丘に陣を張り、ファーディル軍の動きを注視している。あれから敵軍に動きはない。指揮官であるグスタフこそ取り逃がしたものの、あれだけの被害を与えたのだ。先日の勝利は大いに意味があったということか。
だが、アルスも動くことを控えていた。本拠地であるヴェステアと連絡が取れなくなっている以上、独断での行動は慎まねばならない。いくら総大将の役割を与えてもらっているといっても、アルスは軍事以外のことについては素人同然なのだから。彼自身、自分の能力をわきまえているようで、こうやってカルル峡谷の復旧を待っている。幸い、先日の戦利品で、物資に余裕はできていた。
ヴェステアからの援軍が到着したのは、そんな矢先のことだった。
「アルフレッド・マルカス! 兵三千を率い、援軍に参上した!」
栗毛の馬に乗ったアルフレッドが大声をあげると、陣地からは歓声が巻き起こった。それに少々頬を赤らめつつも、アルフレッドは陣の中に入る。
陣の中は、思ったよりものんびりとしていた。兵士達は暇と体力を持て余しているのか、相撲に興じていたり、トレーニングに勤しんでいたり。これも戦勝の効果なのだろうな。アルフレッドは頷いた。
話を聞くに、騎兵と歩兵を見事に組み合わせた包囲機動だったらしい。そう、アルフレッドが背筋に寒気を覚えるほどに。タイミングを読み切り、完璧な形で包囲に移る。言葉にするのは簡単なことだが、それを考え出したアルス、実行に移したライーザ達。まったくもって見事なことだ。
ファキオ、そして自分が敗れたのは、まぐれではない。そう思った。
「アルス様はこちらです。シェイズ様やライーザ様も一緒です」
「ああ、どうも。ありがとう」
アルフレッドの礼で、案内してくれた下士官は背筋を延ばし、フィツール式の敬礼―掌を額の前で相手に向ける―を返した。
「アルフレッドだ。入るぞ」
テントに入ると、中にはアルス達が居た。大柄なシェイズが前に出て、テーブルを隠す。その後ろではアルスとライーザがテーブルを片付けているようだった。
「お、おう。援軍はアルフレッドさんか。待ってたぜ」
「ずいぶんと早いご到着だね。ご苦労様」
「……別にテーブルが散らかっていても気にしないけどね?」
「べ、別にカードとかやってねぇって!」
「……この馬鹿」
ライーザがため息をついた。どうやらカードに興じていたらしい。レンファから「アルスは賭け事が好き」と言われていたが、どうやらその通りのようだ。
「レンファさんから賭け事やってたら怒るように言われてたけどね」
「あいつ……」
「まぁまぁ。俺らは儲けさせてもらったから、ここは一つ、秘密にしといてくれないかい?」
シェイズが笑って、アルフレッドの肩を叩く。レンファからはもう一つ、アルスは賭け事が弱いと聞いていたが、そちらもその通りのようだ。
「まぁ、これからの付き合いもあるし、貸しにしとくよ」
「話がわかるじゃねぇか。いや、カードはやってねぇがな」
アルスは一息ついて、椅子に腰掛ける。それに続いてアルフレッド達も席についた。
「まずは一言計上しておこう。見事な勝利、おめでとう」
「どういたしまして。まぁ、上手いこといってくれたよ」
「それと、こっちはユリアナから。補給を途絶えさせてしまい、申し訳ありませんでした、とさ」
「別に気にする必要もないのにね。自然災害だもの、しょうがないよ」
「出陣するのを決めたのは旦那だしな。まぁ、謝られて気を悪くするようなことでもねぇけどよ」
「お嬢はそういう子だよ。……っと」
お嬢。つい昔の呼び方を使ってしまった。案の定、アルス達はそれに食いつく。
「なんだ、お嬢って」
「ひょっとして知り合いかい?」
「まぁ、昔のな。ユリアナとその父親には世話になった」
「なるほど。ひょっとして、いい仲なのかい?」
ライーザがにやりと笑い、アルフレッドを小突く。
「昔馴染みなだけだって」
「気をつけなよ。あの子、人が良すぎるから。ひょっとしたら悪い虫がつくかもよ?」
「よく知ってる。親父さんを継いで商人にならなくて正解だったよ」
「それに、噂にならないように。あの子、見た目があんなだから、変な趣味があると思われるかもよ?」
「それはご遠慮願いたい話だな」
ユリアナの外見は昔から変わらない。子供と間違われるような背丈に加え、服や化粧のセンスも子供っぽい。まぁ、大人っぽい服を着たところで、服に着られるのが関の山だろうが。
「しかし、アルフレッドさんにゃ悪いが、旦那も思い切ったことを考えるな」
アルスの言うことはわかる。驚いているのは自分も同じだ。
「私が援軍ということかい?」
「ああ。アルフレッドさんはこないだ投降したばっかなのによ。別に疑ってる訳じゃねぇが、普通はもっと間を置くっていうかな」
「確かにね。私も援軍はレオンあたりと思ってたよ」
「驚いてるのは私もだよ。付け加えると、今回連れてきた兵士の中には私と一緒に投降した兵士も混じってる」
ユリウスには「本当に自分が援軍でいいのか」と確認を取ったが、彼は笑いながら頷いた。早いところ手柄を立てろ、と茶化しながら。
「へぇ。それまた思い切ったことをしたねぇ」
「はろー。……あら。援軍はアルフレッドさん、だっけ」
丸めた書類を弄びながら、ファルミアが入ってくる。
「ああ。ファルミアさん、だったか。よろしく」
「はいな、よろしくー」
ファルミアは書類をアルスに渡し、適当な椅子に腰掛ける。
「ユリウスさんも面白いこと考えるわね。投降したばかりのあなたが援軍だなんてさ」
「さっきまでその話をしてた。ヴェミオ兵も一緒に連れてきたしね」
「なるへそ。まぁ、ヴェミオの人をバラバラにしちゃうよりは、一つにまとめてたほうが安心できるんじゃない? ユリウスさんも、兵隊さんもね」
アルフレッド達は投降したという立場上、どうしても足下が不安定である。頼れるものはない。そんな矢先に今までの仲間と離されたら、疑われている不信感から、身の危険を覚えるのも無理はない。それが招くものは、裏切りや反乱。それを防ぐために、こうやって援軍として扱うことで、疑っていないというアピールをしているのかもしれない。ユリウスは意外と細かなことに気がつく男だ。
「ファルミア、これにサインしとけばいいのか?」
「そ。右下のとこ。字、書ける?」
「馬鹿にすんな。名前ぐらいは書ける」
「ぐらいは、ねぇ……」
「ファルミア、それは?」
「ああ、物資受領の確認。今、アルヴィンとライアスが受け取ってるわよ」
「お、補給物資かい」
「ああ。腹を空かせてると思って、たくさん持ってきたよ」
「そいつはいい心がけだ。よし、ちょいと見物に行くか」
「干し肉、酒……。オッケーです、全部あります」
書類と現物との照会、ようやく終わり。書類通り。
「うん。以上の物資、アルヴィンが責任を持って受領しました」
「こちらこそ。シェリアが責任を持って渡しました」
アルヴィンと、輸送部隊の責任者であるシェリアが互いに敬礼を交わす。自分もつられて敬礼。
「ふー、肩の荷が降りた。プレッシャー凄かったよ。ユリアナさん、本当に焦っててねぇ」
シェリアは敬礼を解くと、アルヴィンの肩に手をついた。ずいぶんと親しい様子だが、知り合いなのだろうか。
「アルヴィンさん、シェリアさんとは?」
「士官学校の後輩。治水局で長いこと一緒にやってたんだ。まぁ、失礼な後輩だよ」
「いいじゃん。あたしみたいな美少女に親しくされて嬉しいでしょ?」
シェリアはお下げ髪に眼鏡といった、地味な風貌だ。こっそりとランクをつけるなら、中ぐらいってところだろう。
「少女って年かい。それに、シェリアよりも嫁のほうが百倍美人だよ」
「はいはい、ごちそーさんです」
シェリアは苦笑しながらアルヴィンの肩を叩く。妻子持ちというのは聞いていたが、どうやら仲の良い夫婦のようだ。羨ましくないと言うと嘘になる。
「それで、ライアス君とファルミアさんはどういう関係?」
「はい? いきなりこっちに飛ばしてきましたね……」
「だって、噂になってるわよ。ファルミアさん、ライアス君と一緒じゃなきゃ士官しないって駄々こねたらしいじゃない」
「まぁ、そうですけど」
「そんなの、絶対に愛じゃない。確定的に明らかよ」
そういう噂があったとは、初耳だ。正直聞きたくなかった。
「俺に雑用させるためですから……」
「いーや、それは照れ隠しね! きっと一人になったらライアス君への熱い想いを押さえきれずに!」
「はいはい、その辺にしとく」
アルヴィンがシェリアの頭をはたく。
「あたっ」
「そういうシェリアにはそういう話ないのかい?」
「アルヴィン、あたしはあなたを殺さねばならないようね」
「……ご愁傷様」
「何その哀れみの視線は! 所帯持ちの余裕ってやつ!? むかつくわ!」
「よぉ、ずいぶんとたくさん持ってきてくれたな」
アルス達が姿を見せる。そして、シェリアの背筋が一気に伸びた。
「あ、アルスさん。お疲れさまっす」
「お疲れさまですッ!!」
シェリアが異様に機敏な動作で敬礼を見せる。先程までの態度とは大違いだ。
「アルスさん、彼女が輸送部隊のシェリアです」
「シェリアさんか。ご苦労さん」
「は、はいッ! もったいない、お言葉ですッ!」
「そんなに固くなるなって」
アルスが苦笑して、シェリアの肩を叩く。彼女は背筋を伸ばしたままだった。
「アルスさん、これ、物資の内訳です」
「お、サンキュー。じゃあちょいと見てくるかね」
「つまみ食いするんじゃないよ」
「子供じゃねぇんだから、する訳ねぇだろうが」
アルス達が遠ざかったのを見て、シェリアは息を吐く。
「はふぅ~~~……」
「シェリア、ひょっとして」
「うるさいわね! 見ればわかるでしょ!」
「まぁ、相手はわかんないけどね」
シェリアはアルス達の後ろ姿を見つめるだけだった。さっきまではあんなに元気だったのに、わからないものだ。
~ファーディル城・領主室
決して広くはない領主室の中で、グスタフは頭を抱えていた。そこにアレンが文書を手に現れる。
「グスタフ殿、伝書鳩が帰ってきましたぞ」
「結果はどうだ? まぁ、その表情だと、いい結果ではなさそうだが」
セルフォナに出していた援軍要請。その返答であろう。アレンから文書を受け取り、中身に目を通す。
「……やはり、援軍は期待できないか」
「どこも兵力が足りないのでしょう。それにもう一つ、悪い知らせが」
「全く、悪いことは続くものだな……」
グスタフはもう一通の文書に目を通す。
フィツール地方西部のリーゼにて、ヴェステアの反乱軍に呼応しての反乱が勃発。首謀者はフィツール国王であったカイオスの弟、エルンスト。リーゼは陥落。反乱軍が集結を始めていた。
「……ますます状況は悪化したか」
「はい。この様子ですと、ブレストンも火事場泥棒に動きそうなものですな。エルンストはブレストンに亡命しておりましたから、何らかのつながりがあると見て間違いないでしょう。ディアス様も色々と動かれているようですが、結果は思わしくないようですな」
「無理もない。ディアス殿には敵が多いからな」
フィツール公ディアスは、その急進的な政策により、中央から疎まれていた。今まではそれで結果を残していたために見逃されていたようだが、この反乱だ。
ディアスが行っていた実力主義の人事は、縁故で周囲を固めることによって己の政治地盤を確保していたナディア帝国の上層部にとって、邪魔なものでしかない。ディアスを見殺しにし、彼の改革を葬ろうとしている者は少なくないようだ。
「……いつまでも悩んでいても仕方ない。再度、セルフォナのヨゼフと連絡を取る」
「了解しました」
グスタフはため息をついた後、つたない字で文書を書き始めた。