#8
~ヴェステア城・領主室
フィツール戦争以来、自分は大過なく、ここヴェステアを治めてきた。民を平和に、そして豊かに暮らさせている自負は十分にある。
だが、昨晩にもたらされたこの情報はなんだ。
ユリウスが若手士官を巻き込み、クーデターを画策しているとの情報。
ユリウスは優秀な人材であり、ヴェステアには必要な男だ。だが、この情報を聞いたからには、放っておく訳にはいかない。
全く、面倒なことになったものだ。
ヴェステア領主ジグムンドは、忌々しげに舌打ちし、指の骨を鳴らした。
ユリウスとレンファは並んで城の中を歩いていた。城の中が珍しいのか、時折レンファの視線が泳ぐ。泳いだ先にあるものは、古美術品。どうやら彼女にはそんな趣味があるようだ。
「レンファ、城の中を歩くのは珍しいか?」
「傭兵だもの。こんな機会、珍しいからね。それに、なかなかいい物置いてるじゃない。さすがはヴェステアだわ」
「お前ほどの術の腕前があれば、仕官も難しくないだろうに」
「本当にね。まったくもう、見る目のない連中ばかりだわ。頭にカビの生えたようなさ」
レンファの言葉には一切の遠慮がない。仕官できなかったのはこの口が原因だろう。
「まぁ、ディアス様は頑張ってらっしゃるが、限界はあるってことだな」
フィツール公ディアスが行おうとしているのは、家柄や人柄にとらわれない、実力主義の人事。だが、一地方でそれを行おうとするのには限界がある。彼はナディア帝国本国にも波及させようとしているようだが、それは無理な話だろう。国の形が根底から覆るようなことなのだから。
「まぁ、今からのことには期待してるぞ、レンファ」
「ええ。期待以上の働き、見せてあげるわ」
レンファは扇子を広げて口元を隠すと、くすくすと笑った。
「ユリウス。入ります」
ユリウスは領主室に入る。腰の長剣を扉の左右に侍る衛兵に渡し、ジグムンドの前に立った。彼の傍にはリーンがいる。
「ユリウス、朝早くからすまないな。……後ろの女性は何者かね?」
「先日、腕の立つ術士を見つけまして。良い機会と思い、推挙を」
「それはいい心がけだ。だが、その前に一つ、聞くことがある」
ジグムンドが一通の手紙を広げる。
「……ユリウス。君に若手士官を巻き込み、クーデターを画策しているという疑惑が出ている。今日はそのことについて、問い正したい」
ジグムンドはリーンに手紙を渡し、読み上げさせる。その内容は、全て知っていた。面倒を嫌うジグムンドの性格上、表立って事は起こすまい。当人同士で秘密裏に事を終わらせようとするはずだ。そのため、この手紙は、リーンにリークさせたものである。
「……ユリウス、どうなんだ?」
ジグムンドの声には焦りが混じっている。デマであって欲しい。そんな願望も混じっているように思えた。
彼は元々凄腕の実務官僚であり、輜重の第一人者でもある。だが、そんな彼とて、今では領主。実務に携わることはない。それ故に、ヴェステアの人材不足を嘆いていた。
今ですら各々に無理を強いて政務を回しているのだ。これ以上人が減っては、最低限の成果すら挙げられなくなるおそれがある。ましてや、まがりなりにも優秀なユリウスがいなくなるとなれば余計にだ。
ジグムンドはディアスの盟友。重要拠点であるヴェステアを任されるほど、その信は厚い。だからこそ、ディアスの期待に応えたい。ヴェステアで面倒を起こしたくない。そんな思いが透けて見えた。
だが、そんなことに流されては、ここから先に進むことはできない。自分に力を貸してくれた者達の思いを、感傷で頓挫させるつもりはない。
「……事実です。全く嘘偽りはございません」
ユリウスの答えに、ジグムンドは思わず席を立つ。
「ユリウス、血迷ったかッ!! ……仕方あるまい。衛兵ッ!」
ジグムンドが悲鳴にも近い叫びをあげる。だが、扉の横に侍る衛兵は微動だにしない。
「……ジグムンド殿、無駄です。貴方の味方は、ここには居ません」
「リーン!? もしや、貴様も……ッ」
「……風・風」
狼狽を隠せないジグムンドをよそに、レンファが小さな声で術を詠唱する。彼女の腕輪が鈍く光り、術によって作り出された風の刃がジグムンドの腕を切り裂いた。ジグムンドは両腕をだらりとたらし、恨みのこもった目でユリウスを睨む。
「……ジグムンド殿。貴方には無理も言われましたが、一方では高く評価していただいていたと思っております。ですが、貴方には今、ここで、俺の野望への踏み台になっていただきます」
衛兵に預けていた剣を受け取り、ジグムンドに近付く。
「……貴様の『フィツール王国の血を継ぐ者』との言葉、ただのホラ話だと思っておった。儂が、見誤っていた、ということ、だな」
自らの運命を悟ったのか、ジグムンドは自嘲を込めて笑う。
「貴様の野望が、この地に再び血を流させる。そのことは、わかっているのか?」
「覚悟の上です。恨みと血を浴びぬ玉座など、有り得ません」
「……とんでもない奴を飼っていたものだ」
ユリウスがゆっくりと剣を抜く。その刀身が、陽光を浴びて輝いた。
「ジグムンド殿。貴方に受けた恩義は計り知れません。貴方の家族には危害を及ぼさないことを約束しましょう」
「……それを聞いて安心した。貴様を野放しにした責、この命で償うとしよう。……ディアスよ、すまんな」
ジグムンドは目を閉じた。口の端には笑みが浮かんでいる。
「いつの日か、朝まで飲み明かそうぞ……」
「……御免ッ!」
ユリウスの剣が走り、ジグムンドは床に崩れ落ちる。
「……リーン、合図だ。動くぞ」
「……あぁ」
リーンが窓際に移動し、窓を開け、指先に小さな火を灯す。
それが合図となり、城の頂上にある鐘が乱打された。決起を促す合図である。
「ユリウス、聞きたいことがあるんだけど」
レンファがジグムンドを一瞥する。
「何だ?」
「……さっきの約束、守る気?」
「愚問だな」
ユリウスは剣を拭きながら答えた。約束とは、ジグムンドの妻子のことだろう。
「約束一つ守れない奴が、望みを果たせる訳ないだろう」
「……ま、それもそうだけどね。あたし達へのお給金の約束も、きっかり守ってよね」
廊下からは慌ただしい音が聞こえてくる。事は始まった。完全に後戻りはできなくなった。
「じゃ、あたしも打ち合わせどおりに動くわ。ほんとに、人使い荒いんだから」
「いや、悪いな。そのぶん信頼してるんだよ」
「そんなので喜ぶほどちょろくないってば。じゃ、またね」
レンファが部屋から出て行った。
「……リーン、ジグムンド殿は手厚く葬るよう、手配してくれ」
「ああ。……ユリウス、始まったな」
「おう。リーン、迷惑かけるな」
「それを言ってくれるなよ。フィツール戦争を再び起こさせないという思いは、私も同じだからな」
リーンも己の役割を果たすために、部屋から出ていった。後はユリウスと、物言わぬ体となったジグムンド。
「……今まで、ありがとう」
ユリウスはそう、一言だけ呟いた。
~三時間後
「あらかた終わったぜ、旦那」
領主室には今回の反乱に参加した主立ったメンバーが集まっていた。
リーン、レオン、ライーザといったヴェステアの武官。アルス、シェイズ、レンファといったブラックフェンリル。彼らの働きにより、犠牲は最小限に抑えられた。
「各兵舎ともスムーズに武装解除に応じた。ユリウス、お前の名前のおかげだな」
犠牲が少なかったせいか、ライーザは上機嫌だ。今まで味方だった者とは剣を交えたくないだろうから。
「褒めても何も出ないって、先輩」
「それにしても、これだけうまくいくとはねぇ」
「ああ。本当によくやってくれた。そろそろ城門に野次馬が集まってくるだろうから、俺とリーンで檄文を考える。お前等はゆっくりしておいてくれ」
「了解」
ユリウスとリーンを除くメンバーが領主室から出て行く。
「じゃ、俺が文章考えるから、お前が清書を頼む」
「ああ。お前の字じゃ、読める奴は少ないだろうからな」
ユリウスは机に向かう。今までジグムンドが座っていた椅子は、予想よりも硬かった。
「……なぁ、リーン」
「ん?」
「正直な話さ、すげぇ興奮してるんだよ。ザマぁない話だとはおもうけどさ」
「あれだけのことをやったんだ。しょうがないさ」
足と手が震えている。興奮こそすれ、後悔はない。
「ユリウス、お前、本当に字が下手だな……。セリア以下だぞ……」
「はいはい、親馬鹿、親馬鹿」
リーンの言葉は場を和ませるためのものだろうが、完全に否定できないのが情けなかった。
~ユリウス宅
「ふぃ~、めっちゃ人おったで……」
メリーベルが帰ってきた。城の鐘が鳴ってから数時間。城門に檄文が貼られたとのことで、彼女が見に行ったのだった。
「ユリウスさんは無事らしいわ。あと、ユリウスさんがヴェステアを起点に、フィツールを元に戻すって書いてあったわ。しばらくは今の体制でやるんやって。心配せんと、普段通りに過ごして欲しいって書いてあったわ」
「……そう。ありがと、ご苦労様」
カチュアはテーブルに伏せったまま答える。兄はやり遂げた。だが、実際に顔を見ないことには安心できない。朝はああやって送り出したが、心配なことに変わりはなかった。今日は一日中、この調子である。
喋る気力もなく、ただ静かに時間だけが過ぎていった。メリーベルも傍にいる。カチュアの心情を察してか、彼女も黙っていた。
どれだけ時間が経っただろうか。外がすっかり暗くなったとき、扉が開く音が聞こえた。
「わざわざ家まで悪いな」
「気にすんなって、旦那。早く妹さんを安心させてやんな」
ユリウスの声。
「お、ユリウスさん帰ってきたみたいやな」
メリーベルの言葉が終わるのを待たず、カチュアは駆けだしていた。そして、玄関にいた兄にしがみつく。
「……言いたいこと、たくさんあるけどさ」
メリーベルが顔を出すも、すぐに部屋に引っ込んだ。
「……おかえり」
「……ただいま」
心配が解けたせいか、カチュアの腹が鳴った。昼から何も食べていなかったからだ。
「何腹鳴らしてるんだよ。かっこ悪ぃなぁ」
「うっさいなぁ! ほら、すぐ準備するから、適当にくつろいでなさい!」
声に涙が混じっていた。兄を軽くはたいて、キッチンに向かう。
翌朝、フィツール各地に早馬が飛んだ。
「あけましておめでとうございます! お久しぶり、パナエーラです!」
「何を今更。エリーゼです。自分の名前ぐらい噛まずに言ってください」
「お話、動いたね」
「実に畜生ですね」
「畜生って……」
「平和な土地に無用な争いを起こそうとする人はNGです。次回は反応回となるでしょうが、いつになるのでしょうね」
「何か締め切りを作れば作者も動くんじゃない?」
「では、お嬢様に一枚ずつ脱いでいただきましょうか」
「締め切り遅れ不可避だよ!?」
「……では、またお会いしましょう」
―――
別作品を書いたりしてました。
一番つらいのはあとがきです。