#0・プロローグ
十五年前、戦争があった。
いや、国境線を巡る小競り合いを「戦争」と呼ぶのなら、それは十五年前から現在に至るまで幾度となく行われている。
十五年前の戦争が特別だった理由。それは、一つの国が滅んだことにある。
フィツール王国。
大陸南東部に位置する国で、七代、百二十年の歴史を持つ。この大陸にある国家の中では新顔の部類だ。
それが、滅んだのだ。
フィツール王国の悲劇は、英明な国王の統治は短く、暗愚な国王の統治は長かったことにあった。
己の懐を肥やすことに腐心し、官位すら売った結果、人材の質を一気に落とした五代目。無謀な遠征で精鋭を失い、己の奢侈のために国庫を空にした結果、国力を地に落とした六代目。彼ら二人の暗愚な国王の統治がフィツール王国の歴史の半分を占めた。
彼らにとって幸いだったのは、最大の仮想敵国であるナディア帝国が北方の雄であるハイランド帝国と睨みあっており、フィツールに軍を向ける余裕がなかったことだ。
だが、最後の国王となった七代目国王、カイオス・ギュンターの治世が始まってから、フィツールを巡る情勢はきな臭くなっていった。
ナディアとハイランドは二十年に及ぶ戦を繰り広げ、結局お互いに何も得ないまま終結した。それによって生じた諸侯や国民の不満を逸らすため、二つの大国は弱小国家を狙って外征を検討し始めた。ハイランドは北方のソプニカ諸侯連合を。そして、ナディアはフィツール王国を。
カイオスは低下しきった国力をなんとかして取り戻そうと、大規模な改革を実行。コネや売官で重職に就いた無能な者を徹底的に更迭し、逆に才能があると見れば、若年者や身分の低い者でも積極的に取り立てた。
寝る間も惜しんで改革に励むカイオスは異様に老け込み、かつてはフィツール一と称された美貌は見る陰もなくなった。だが、そんな国王の姿に民衆は心を打たれ、失いかけていたフィツール王国への忠誠心を取り戻すに至った。
カイオスの治世がもう十年長ければ、フィツール王国は六十年前の国威を取り戻したのかもしれない。
だが、ナディア帝国の侵攻により、その希望は雲散霧消した。
軍事大国であったハイランド帝国と戦い続けてきた、経験豊かなナディア帝国軍と、暗愚な国王の元、精鋭を失ったうえに弛緩しきったフィツール王国軍。いくらカイオスが改革のメスを振るったところで、その勝敗は明らかであった。
西と北の二方面から侵攻したナディア軍。西方面軍は次々と拠点を落としていき、フィツール王国の首都レグザミールに迫る。北方面軍は国境のアルヴァレスで、カイオスの弟であるエルンストと、有力な傭兵団「ブラックフェンリル」の頑強な抵抗に遭い、足止めを食らう。だが、カイオスの欠点であった猜疑心につけ込んだ離間の計により、アルヴァレスは援軍を断たれ、ついには降伏。エルンストは隣国であるブレストン帝国に亡命した。
カイオスはレグザミールで抵抗を試みるも、じきに敗北を悟り、王妃と子供と共に自害。レグザミールは炎と略奪に包まれた。
それが、後にフィツール戦争と呼ばれることになる、十五年前の戦争。
その後、先述した離間の計の発案者であり、戦後フィツール公として封じられたディアス・ウィンストンの善政により、フィツール地方は復興を遂げた。
彼はカイオスの行った改革を踏襲し、実力主義の人事を行った。特に若手への教育を行う士官学校と、従来は推薦のみだった仕官方法に「登用試験」を導入したことで、今まで埋もれていた人材が次々と頭角を現し、フィツール地方は若手人材の宝庫となった。
ディアスの治世当初はフィツール再興を図った反乱が各地で起こっていたが、彼の努力もあってか、次第にその数は減っていき、現在は穏やかなものとなっている。
フィツール統治は成功。誰もがそう思っているなか、物語はフィツール地方南部のヴェステアから始まる。