#1
~共通歴十七年 四月 ナディア帝国・フィツール地方南部 ヴェステア近郊
春の温い風が、ひどく不快に感じられた。
あぁ、まったく、冗談じゃない。
馬上の男はそうひとりごちた。
男は鮮やかなブロンドの短髪に、男女共に好かれる整った顔を有している。色男というよりは男前だ。背も十分に高く、鍛えられたがっしりした体つきである。そして、特徴的な緑色の瞳。
ヴェステアで働く若手武官である、ユリウス・ギュンターである。二十七歳。フィツール王国の姓と同じであるためか、傍流の王族と名乗っている。もっとも、ギュンターという姓はフィツールに多いし、王家の家系図に載っていないような傍流の王族ならごまんといる。ユリウスもその例に漏れなかった。そのため、周囲は「ただのほら話」と受け止めている。
なお、フィツール戦争の後、ディアスは主立った王族に与えられていた特権を取り上げたのみで、王族の追放等は行わなかった。才があれば士官として取り立ててすらいる。そこが彼の統治が寛大と称される所以である。もっとも、寛大というよりは、フィツール以上の善政を行えば、フィツールへの忠誠心などなくなるという、ディアスの合理的かつ自信に溢れた信条によるものだが。
そんななか、ユリウスは己の努力でどうにか士官学校に入学することができ、優秀な成績を収め、無事に官を得ることができたのだった。
閑話休題。
今回ユリウスに与えられた仕事は、反乱軍の討伐。数日前に山間部の治安維持に出動した直後にこれである。ろくな休暇も与えられずに働き通しでは、愚痴りたくもなるというものだ。
「よう、ずいぶんとお疲れだな?」
すると、隣の馬上の男がユリウスの肩を叩いた。黒い髪をオールバックにまとめ、後頭部に髷を作っており、顎髭をたくわえている。ユリウス以上に恵まれた体格を持ち、鎧の上から術士服を羽織っている変わったスタイルだ。
レオン・ガーシュイン。ユリウスとは同じ歳の幼なじみにして、士官学校の同期であり、今回は彼の副官でもある。
「そりゃ、お前みたいに体力ないからな」
レオンは前回出動したときもユリウスの副官を勤めていた。副官と大将とでは負荷が異なるとはいえ、出動続きでも音をあげないレオンの体力は大したものだ。
「しかしまぁ、こんだけ家を空けといて、カチュアちゃんに悪い虫がつかないか?」
カチュアとはユリウスの六つ下の妹である。ユリウスには元々父親がおらず、七年前に母親を亡くしてからというもの、カチュアが家事全般を受け持っていた。ユリウスの妹というだけあって、カチュアも恵まれた容姿を持つ。母親に似たのか、童顔かつ低身長のため、美女ではなく美少女という形容がしっくりくるのだが。彼女はそれを気にしているが、周囲からは逆に好評である。
「ついたら一応祝福してやるよ。まぁ、俺より弱い奴は認めねぇがな」
「父親か。ってかお前より強い奴とか、ヴェステアにはそうそういねぇって」
レオンが笑った。ユリウスはヴェステア若手のリーダー格であり、若手のなかでは領主以上の人望を集めている。そんなユリウスの妹であるためか、ヴェステアの若い男はカチュアになかなか近寄らなかった。なんでも、カチュアに変なことをしたら殺される、という噂が立っているらしい。ユリウスとしては、妹がこのまま婚期を逃しそうで心配なのである。実際、ここらの一般的な女性の結婚適齢期は二十歳前後なのだ。その一方で、しょうもない男に妹をやるのは嫌だった。レオンは「父親か」と笑ったが、そこは否定できない。
温い風に、よく晴れた空。隣には気心の知れた友人。これが仕事でなければ、ずいぶんと楽しい旅路になったのにな。ユリウスは苦笑する。
「よし、ここらで休憩するか。ついでに打ち合わせもするぞ。先輩を呼んできてくれ」
ユリウスは馬を止め、休憩の号令をかけると共に、別の部隊を率いているライーザという武将に使いをやる。ユリウス自身は馬から降りて、水筒の水を飲んだ。
反乱軍の討伐が今回の仕事。反乱軍の本拠はヴェステアから南に位置するミラバルという地方都市だ。フィツール地方屈指の大都市であるヴェステアとグランデルタに挟まれた立地であり、のどかな田舎である。そこの領主モーリッツは無能といっても差し支えのない人物であり、今回の人事で更迭されることが決まっていた。彼にとって間が悪いことに、過去に関わった背信行為が発覚しており、余罪が追求されることになった。後ろ暗いところがあったのか、彼はやぶれかぶれで反乱を起こしたのだった。そんな反乱軍の士気が高いとは到底思えない。だが、一つだけ憂慮すべき点があった。
「よう、ご苦労さん」
少しして、鎧を着た女が近付いてきた。赤い髪で顔の左半分を隠しているが、美人と呼んでも差し支えはないだろう。女性としては高い身長を持ち、凛とした印象を受ける。
ライーザ・ハックマン。ユリウスとレオンの二歳年上で、士官学校での先輩にあたる。怖いもの知らずである彼らだが、ライーザには頭が上がらなかった。
「先輩こそご苦労さん。まぁ、楽にしてくれ」
「言われなくてもな」
ライーザが腰を下ろす。三人が車座となったところで、ユリウスは短剣で地面に地図を描く。
「敵さんとの位置関係はこんなもんだ。まぁ、明日にでも接触しそうだな」
「みたいだね。休暇少なくて疲れてるんだ。さっさと終わらせて帰りたいよ」
ライーザが苦笑した。激務なのはユリウスだけではない。フィツール地方は基本的に人材不足である。フィツール地方からは若手士官が大量に輩出されているが、それらの半数以上は他の地方に引き抜かれていた。フィツール地方はナディア帝国の中でもあまり重要視されていない地域であるので、いくら人材が不足していると主張しても、他の地域に引っ張られてしまうのだった。ただ、重要視されていないがゆえにフィツール公ディアスが好き勝手できている、という背景もあるが。
「油断は禁物だぜ、ライーザ」
「レオンにだけは言われたくないな」
ライーザがレオンの肩を小突く。この二人は一時期恋人関係だったことがあり、数年前にその関係は終了したとのことだが、円満終了だったのだろう。今でも十分すぎるほど仲がいい。
「いや、先輩。確かに連中の士気は低そうだし、そう強力な軍勢でもないと思うんだが……一つだけ油断できない点がある」
「……聞かせてもらえる?」
ユリウスの意味深な口調で、ライーザの目つきが変わる。戦の前の、緊張したものに。
「ついさっき入ってきた情報なんだが、連中には『ブラックフェンリル』がついているらしい」
「ブラックフェンリルだって!?」
ブラックフェンリル。十五年前のフィツール戦争で大いにその名を高めた傭兵団。遊牧民出身という団長ウォードが率いる騎兵隊の実力は、大陸随一との誉れも高い。
「モーリッツのおっさん、厄介な連中を味方につけたもんだな」
「連中はナディアと戦えるのならなんにだって味方するらしいからな」
ブラックフェンリルはナディア各地の反乱に荷担しており、上層部を悩ませていた。彼らは戦局の見極めにも定評があり、戦場を荒らすだけ荒らして、嵐のように去っていくことが多い。狂った狼。それが彼らを指す言葉だった。
「ブラックフェンリルが相手なら、気合を入れ直さないといけないな。中央は私に任せてくれ。受け止めてみせるさ」
ライーザが胸を張った。ユリウス達が彼女に頭が上がらないのは先輩後輩という関係だけでなく、彼女の高い能力に因る。ライーザの指揮能力はヴェステア、いや、フィツール地方屈指との誉れが高い。特に防御戦闘を得意としており、ユリウス達は彼女に何度も助けられていた。
「お、さすが先輩。頼りになるな」
「何、可愛い後輩達のためだからな」
ライーザは不敵に笑うと、ユリウスとレオンの肩を叩いた。
~反乱軍本拠・ミラバル城
ミラバル城の粗末な城壁の上に、左腕のない初老の男が立っていた。白髪混じりの赤い髪に、狼を思わせる鋭い眼差し。顔や体格の節々に老いを感じさせるが、その威圧感は未だに一級品である。
傭兵団『ブラックフェンリル』団長、ウォード・シュヴァイツァー。幾多の戦いを潜り抜け、名声と引き替えに左腕と妻を失った。十分な名声を得ており、暮らしにも不自由していない彼が戦う理由。それは、再びフィツールの旗を見たいがゆえであり、それは祖国と妻を奪ったナディア帝国への復讐のためでもある。
今回の反乱に荷担した理由も、ナディアと矛を交えるのであれば、その正邪は問わないというウォードの考えによるものだ。
我ながら、不器用だと思う。
「親父、ヴェステアの連中、だいぶ近くまで来てるみてぇだ」
息子の声で思考は中断された。それと共に、青年が城壁へと上がってくる。三白眼気味の鋭い眼差しに、顎には無精髭、赤い髪はぼさぼさ。顔の造りはウォードによく似ており、恵まれた体格も含め、ウォードの若い頃を想像させる。
ウォードの息子であり、左腕のない彼に替わって前線指揮を執っている、ブラックフェンリルの実質的な団長。アルス・シュヴァイツァー。指揮能力なら自分と同等、いや、ひょっとしたら上回るかもしれない。それ以外は色々と駄目な男であるが。
「この様子だと、明日にでもぶつかりそうだな」
「モーリッツ殿は何か言ってきたか?」
「別に。今まで通り、戦闘はこちらに一任だとよ」
アルスは城壁に腰掛け、不機嫌そうに舌打ちした。外見は自分とよく似ている息子であるが、性格は自分よりもだいぶ荒っぽい。彼は好き嫌いがはっきりと態度に出るタイプであり、惰弱なモーリッツを嫌っていた。雇い主にはもっと愛想良く振る舞えと言いたいところであるが、ウォードもモーリッツのことは好いておらず、ずいぶんと邪険に振る舞ってしまっている。人のことを言えた立場ではない。思わず苦笑した。
「それでだ。敵さんの指揮官、ユリウスって奴らしい。なんでも、フィツール王家の者だとよ」
「王家の者がこんなところで指揮を振るっているとはな。説得力のない話だ」
ユリウスという男のことは、噂には聞いたことがある。フィツール王国の血を継ぐ者と自称しており、ヴェステアでは領主以上の人望を集めているという噂だ。王家の血を継ぐ者というのは、うだつの上がらない親が子供にする、よくあるほら話だ。それに、自分に箔をつけるには、高貴なものの血に依ることが手っとり早い。
「なんでも、ヴェステア若手のリーダー格らしい。それに、顔はいいわ腕は立つわ。腹の立つ話だぜ。ったくよ」
アルスはいちいち大げさな動きをしながら毒づいている。好き嫌いや感情がはっきりと表に出る、裏表のない男に育ってくれたことは、ある意味感謝したほうがいいかもしれない。顔はともかく、アルスの腕前は大したものだから、そうひがまなくてもいいと思うのだが。
「んで、俺達もそろそろ出陣の準備をしとかねぇとな。モーリッツのおっさんはいくらか兵を貸してくれるらしい。まぁ、ここの兵士なんざ賑やかしにしかならねぇだろうがな」
ブラックフェンリルの兵力はおよそ五百。その大半は騎兵である。ヴェステア地方は山がちな地形であり、騎兵を育成するのは手間と時間がかかるため、あまり配備されていない。そもそもフィツール地方は馬の質がよくないため、軍備は歩兵中心にならざるを得ない。だからこそ、ブラックフェンリルの騎兵が猛威を振るえるのだった。
「敵さんの兵力は二千ぐらいらしい。レンファで崩して、その後俺達が突っ込めばなんとかなる数字だ」
「なるほど。術を使うか」
レンファというのはブラックフェンリルに所属する術士のことだ。術を戦争に使うのは条約で禁じられているが、傭兵にそれは適用されない。ましてやこんな辺境の地での小競り合いならなおさらだ。もっとも、戦況に影響を与えられるような力を持った術士の数は限られているし、そんな術士はもっと好待遇のところに就職しているので、レンファのような傭兵団に所属している術士というのは稀少なのだが。
「あぁ。便利な奴だぜ。まぁ、性格には難アリだがな」
「もう一度言ってみなさいな。誰が性格に難アリですって?」
女の美声で、アルスは振り返る。そこには扇子を手にした美女が立っていた。海の向こうの血が混じっているのか、東国特有の紫色の髪をポニーテールにまとめ、彫りの浅いエキゾチックな顔立ち。
ブラックフェンリル所属の術士、レンファである。
「あー、いや、それは言葉のあやというか、その場のノリというかだな……」
「水・水・風」
「わちゃちゃちゃちゃっ!!」
レンファは呟くとともに、扇子を掌に軽く打ちつける。彼女の腕輪が鈍く光り、アルスがもがきだした。対象を痺れさせる術だ。レンファが呟いていたのは、使った術の要素。本来ならば呟かなくてもいいのだが、そこは彼女の趣味というか、ルーチンらしい。
「で、何? 術を使えって?」
「そうらしいな」
「やれやれ、面倒ねぇ。報酬上乗せしてもらおうかしら」
「それはアルスと相談してくれ」
「だ、そうよ?」
術の効果が切れたとはいえ、後遺症で顔をしかめているアルスだったが、レンファの凄みに再度顔をしかめるのだった。
~翌日早朝・ミラバル城付近・ライーザ隊
いよいよ戦闘だ。反乱軍は殊勝にも出陣しているようだ。おそらく主力はブラックフェンリル。なかなか手応えのある敵と思える。だが、わざわざ中央を受け持ったのだ。それでなくてはやりがいがない。
ライーザは深呼吸する。春先とはいえ、朝はまだ少し肌寒い。だが、この少し冷たい空気が、自分を引き締めてくれる気がした。空はよく晴れている。いい戦日和だ。
ライーザに与えられた兵力は歩兵七百。ユリウスとレオンはそれぞれ歩兵三百を率いて両翼に展開している。自分が敵を押さえている間に、ユリウス達に包囲してもらうつもりだ。決して難しい任務ではない。いつも受け持ってきた、手慣れた任務だ。
「さぁ、行くぞ。黒後家の戦を見せてやるか」
ライーザには、その粘り強く相手を追いつめていく戦闘スタイルから、黒後家の異名がある。彼女も気に入っており、愛用している長剣の銘にしているほどだ。
ライーザの号令で、軍は動き出した。
蜘蛛が獲物を追いつめるように、じわじわと、一糸乱れることなく。
~反乱軍・ブラックフェンリル
反乱軍の中央に、レンファは居た。反乱軍の兵力は三百。そしてブラックフェンリルが六百。合計九百だ。劣勢だが、ブラックフェンリルの練度ならば多少の兵力差は跳ね返せる。何よりも、ブラックフェンリルには騎兵がいる。ブラックフェンリルの六百のうち、五百は騎兵なのだ。彼らの突撃力は頭抜けている。
「なるほど。敵さん、なかなかいい陣形組んでるわね。やるじゃない」
レンファは双眼鏡で敵陣を眺める。一糸乱れぬ、いい密集方陣だ。高密度に兵士を配置するファランクスは、極めて高い攻撃力と防御力を併せ持つ。兵士の結束力と指揮官への信頼が問われる陣形だが、ライーザが組んでいる陣形は見事なものだった。なかなか手強い相手だろう。
正攻法ならば。
「さて、と。お仕事、お仕事。……水、水、水」
レンファの詠唱と共に、空をどんよりとした雲が覆いだす。術の基本といえる、雨乞いだ。
「……急に曇りだした? 妙だな……」
先程までの青空から一変した曇り空。ライーザはそれをいぶかしむ。
それからほどなくして、大粒の雨がライーザの頬を濡らした。
急な曇り空。そして雨。
まさか――。
「お前ら、今すぐ槍を捨てろッ!!!」
「水、水、風、音ッ!!」
ライーザの怒声に似た号令と、レンファの美しい声はほぼ同時だった。
雷の音がした。




