第八幕 普く星空
十二月下旬、この街はもうすっかり冷え込んでいた。
アルヴェリアの冬は乾燥していて、ニーロでいつも見られた雪は滅多に見かけなくなっていた。
ここに来てから約二週間が経ち、この生活にも慣れてきた。
戦争には驚くほど進展がなく、僕は日常と言える日々を送っている。
その代わり、僕自身は少しばかり成長することができた。
例えば、ライアから叩き込まれた戦闘術などだ。
昔から剣術は、我が家の掟というわけでもないが、家族に教え込まれてきた。
途中で嫌になって剣術はすっかり兄貴に任せ、僕は魔術の道を選んだが、その経験が功を奏したのか、あるいは魔術で身体に動きを覚え込ませる訓練が効いたのか、二週間で大きく成長することができた。
それと、歳の近い友人ができたことも、この日々を日常と思える理由の一つだろう。
……でも眠りにつくのは苦手なままだった。
◇◇◇
遠くの街の光が消え始めた頃、僕は一人で歩き出した。
夢遊病などの類ではなく、己の意思で。
眠気が来ると信じて散歩をするのも、ある種の日常となってしまった。
そっと拠点の玄関のドアを閉めた。
この行動がばれたら、ライアやレイルに怒られるのは目に見えている。
けれど僕は怒られるより、眠れない方が怖いと思ってしまった。
月の明かりを頼りに、とりあえず昨夜見つけた裏道を使って街に向かった。
夜の街はいつにも増して、静かだった。
昼間は人で賑わう大通りにも、今はほとんど人影がない。店の明かりも消え、建物の窓から漏れる光が、ぽつぽつと夜道を照らしているだけだった。
眠気が来るまで歩くつもりだったが、こうも静かだと、かえって考え事が増えてしまう。
ふと、視線を上げた。
建物の屋根の上に、人影があった。
こんな時間に何をしているのだろう。そう思って目を凝らすと、見覚えのある人物だと気づいた。
「……ステラ?」
思わず名前を口にした。
彼女は僕の声に気づいたのか、こちらへ視線を向けた。
彼女は以前、仲良くしようと言ったが、敵であることに変わりはない。
いくら僕が強くなったところで、勝てる相手ではないと判断し、逃げようと思った。
「こんな時間に珍しいじゃないか」
そうどこか知ったような口ぶりで返されてしまった。
……敵意はない。そう判断し、答えることにした。
「それはこっちの台詞ですよ。こんな夜中に何をしているんですか?」
「星を見ているんだよ」
ステラはそう言って、再び空を見上げた。
僕もつられて空を見上げる。街の明かりがあるせいか、星はそれほど多く見えなかった。
「君こそ、こんな時間に何をしているの?」
「眠れなくて、散歩をしていたんです」
「ふうん。眠れないんだ」
ステラは少しだけ考えるような素振りを見せた。
「それなら、ちょうどいい」
彼女の言葉に、僕は首を傾げた。
「こっちに来なよ」
そう言って、ステラは自分の隣をぽんぽんと叩いた。
屋根まで頑張ってよじ登ると、ステラはこっちを覗き込んできた。
ふと気づいたが、以前と違って口調がどこか柔らかい。
そう思っていると、ステラが話を切り出した。
「少し昔話をしようか」
そう言うと、ステラは星空を眺めるために屋根の上で寝転んだ。
その瞬間、僕はすでにステラの術中にあった。
「不可聴拒絶の類の……!」
ステラの術のせいで、僕は彼女の話を聞かなくてはならなくなった。
「ほら、君も寝転がって星を見ながら聞いてくれよ」
彼女に言われるがまま、僕も隣に寝転がって星空を眺めながら、話を聞くことにした。
「昔、世間から疎まれるような魔術刻印を持つ人たちがいてね。彼らは行き場を失い、とある国へたどり着いた。そこで新しい国を作ったんだ」
「私は、そんな世間から疎まれる刻印を持つ一族に生まれたの」
「……星の刻印がですか?」
「はぁ、やっぱり君はそこが気になるよね。まあいいや。君たちとはこれから仲良くしてもらうつもりだし、話しておくことにするよ」
ステラは一度言葉を切った。
「そもそも、星の刻印が持つ特性は、人の運命を知ること。魔術に詳しい君なら、もう分かるでしょ?」
ステラは暗い表情でこちらを見た。
「例えば、君が試験を受けるとして、あらかじめ自分の点数が分かっていたらどう思う? その点数では不合格になっちゃうし、今からどれだけ勉強しても結果は変わらない。そんな未来を知るくらいなら、何も知らずに努力した方が気楽だと思わない?」
ステラは再び星空へ視線を戻した。
「私の魔術は、大雑把に言えばそういうもの。魔術師は幸福を追求する人たちのことを指すけど、星の刻印は、もしその人が幸福になれない運命を見てしまうと、その未来をある意味で確定させてしまうの。
つまり誰かの幸福の可能性を、見ただけで潰してしまう。だから私の一族は、皆から疎まれてきたの」
「そうだったんですか……」
表面上はそう答えたが、本心では彼女の話に強い興味を抱いていた。
「でもね、疎まれても居場所はあったの。小さな国だけど、私たちはそこで静かに暮らしていた。
例えばね、私は今でもこうして星を見ているけど、みんなで星を見る習慣があってね。星を探して願いをかけたり、流れ星を探して一年の幸せを祈ったりするの。
それと、今みたいに思い出を語り合ったりしたんだ」
ステラの声が、わずかに低くなる。
「それを壊したのがヴォレジア。君の故郷と同じようにね」
咄嗟にステラから目を離し、反対側を向いた。
吐き気がした。
——気がしただけだった。
あの日を思い出しても、前ほど取り乱さない自分に驚く。
「君は、ヴォレジアをどう思う?」
「憎いです。……でも、復讐したいとは思いません。
故郷が戻ってくる可能性を、まだ諦めていないので。
そんな魔法を僕は信じていますから」
「そう。私とは違うんだね」
ステラは少しだけ笑った。
「私の故郷は、閉ざされた国だった。外の世界では疎まれたけど、その中には確かに安寧があったの。
でも、それをヴォレジアは、戦争で無理やり開いた。
そのせいで、家族も、大事な人も、文化も、記憶も、全部、全部奪われた」
ステラは拳を強く握った。
「だから、憎いよ。あいつらも、あいつらの国も、全部」
言い終えると、ステラは小さく息を吐いた。
「……そう言い切れたら、楽なのにね」
何も考えずに、僕は口を開いていた。
「そう言ってしまえばいいんじゃないんですか?」
ステラは驚いたようにこちらを向いた。
「だって、家族も、その大事な人も、あなたが復讐で不幸になることを望んでいないんじゃないんですか?」
そう答えると、彼女は笑っていた。
腹を抱えて。
涙が出そうなほど。
「あははっ!! あなた、とっても優しいのね。
でもね、残念。
私は星の刻印を持っているんだよ。
そう、私はもう自分の未来を知っている。
復讐を果たすことでしか幸せになれない。
それが私の運命なの」
自分の失礼さと愚かさを悔いながら、僕はステラの話を聞くしかなかった。
「それとね、君に話をしたのは、これを受け取ってほしくてね」
「……それってなんですか?」
僕が尋ねた、その直後だった。
ステラは突然、身体を起こした。
何をするつもりなのか理解できず、僕が動けずにいると、彼女は身を乗り出して、仰向けの僕に覆いかぶさった。
気づけば、ステラが僕の上に馬乗りになっていた。
「なっ……!?」
状況を理解する間もなく、彼女は僕の顔に手をかざした。
抵抗できないまま、ステラの指先から刻印が僕の目へと埋め込まれていく。
ごく小さな刻印だったためか、痛みはなかった。ただ、目の奥にわずかな違和感が残った。
「なっ! なんでこんなことをするんですか!!?」
僕が問い詰めても、ステラは何食わぬ顔で僕の上から退いた。
そして、何事もなかったかのように元の場所へ寝転がり、再び星空を眺め始めた。
「君に覚えてほしくて。
そんな国があったんだと、そんな人たちがいたんだと」
「……なんで僕なんですか?」
「だって君はここでは死なないもの。
イワン先生もライアも、これから先の運命が見えない。……まあ、言い換えれば死んでしまうから」
ステラは星を眺めたまま答えた。
「これは呪いよ。
覚えること、生きることで私たちの思いを生かし続ける、そんな呪い」
彼女の言葉を受け止めるのには時間が必要だった。
そして、受け止めた途端、なぜか無性に腹が立ってきた。
彼女の、まるで運命は否定できないと言い切るような在り方と、無理矢理すべての責任を押し付けられたことに。
「そうですか……なら、僕からも一つ呪いをかけますよ」
僕は立ち上がり、ステラを見つめた。
「僕は故郷を取り戻すという願いのために、この現実に妥協できる。あなたは運命を言い訳にして、その現実から妥協せずに逃げているだけだ。それがあなたの弱さだ。だから、破滅へ向かう旅路の中で、この言葉を思い出してください」
「ありがとう。忠告としてその言葉を受け取っておくよ。
今日はもう家に帰って寝な」
「ええ、そうさせてもらいますよ」
僕は苛立ちもあり、足早にその場を去ることにした。
◇◇◇
レノン君が去った後も、私は星を見続けていた。
……ごめんね、レノン君
本当は怖いの。
自分の未来なんて、知らない。
それなのに、復讐を果たすことでしか幸せになれないのだと、自分に言い聞かせていた。
そうでもしなければ、あなたたちの存在を肯定できないと思っていたから。
…だって私はここで笑えないから。
「私も魔法を信じられたらよかったのに……」




