逃げてちょうだい
空母ステラが寄港した。
乗組員たちが大きなコンテナを空母に積み込んだり、久しぶりの陸に声を弾ませたりしている。空が来てから一か月、シトラたちに拉致られてからずっと海の上にいた。その空でさえ懐かしさを感じるのだ。乗組員たちが喜ぶのも無理はない。
「相変わらず慣れないな。この光景には」
空は空母から街並みに視線を動かして、一人ため息を吐いた。
空のいる世界でだったら、多分倉庫街が待ち受けていたはずだ。近くには魚の市場だってあっただろう。新鮮な魚に舌鼓をうつことだってできたはずだ。
だけど眼前に広がるのはコンクリートとアスファルトで構成された更地だけ。行き交う人も、大量の魚が醸し出す特有の生臭さも、何もない。
この世界に元からいた乗組員ならともかく、町の賑やかさを知っている空は目の前の光景に虚しさを感じるだけだった。
「そう? アタシは建物が地上にある光景の方が想像できないけど」
「……どうしてお前がいるんだシトラ」
顔を覗き込んできた金髪碧眼の美少女に、空は思わず顔をしかめてしまった。
せっかく一人で息抜きできると思っていたのに、台無しにされた気分だ。決して声をかけられるまで気配を感じなかったことに悔しくなんて思っていない。
「誰かさんが外に出るからって言うからついでに外出許可を申請したのよ。必要なものなら補充してもらえるとはいえ、四六時中同じ景色だと気が滅入っちゃうでしょ?」
空の前へと回り込んできたシトラは、いつもの青い制服姿ではなかった。
白いノースリーブにデニムのショーパン。元々の素材が彫刻も顔負けの美少女だ。簡単な服装でも絵になってしまう。腹立たしいほどに似合っていた。
「だったら他の二人と一緒に遊べばいいんじゃないか?」
シトラを直視できない空は、目を逸らしながら遠まわしに一緒に居たくないと告げた。
大体肌を露出しすぎだろう。まだ春先だぞ。寒くないのか。
空は喉に張り付いていく言葉を、外に吐き出すような無粋な真似はしなかった。敢えてしなかったのだ。そこのところを勘違いしないでもらいたい。
空は一人で言い訳を並べる虚しさに耐えきれなかったので、ため息と一緒に吐き出した。
「そうもいかないわ。いつシュテルンが来るのかも分からないんだし」
「いつでも出撃できるようにするためか」
「そっ。二人はお留守番ってわけ」
シトラが片目を閉じて人差し指をたてる。イライラするほどに可愛い仕草に、空は小さく歯軋りした。
いつもの彼女ならこんな仕草を見せてくれない。久しぶりに遊べるとあって、どうやら浮かれているらしかった。
なんとなくエンがハンカチを噛んでキーッと引っ張るぐらい悔しがっているような気がした。なんでウチやないんやーっと言う声はきっと幻聴だ。例えたった今降りた空母から聞こえていたとしても幻聴に違いない。空は後ろを振り向かないと決めた。
「なるほど。じゃあな」
「ちょっと待ちなさい。どこ行くつもり?」
「どこって、適当に散策するつもりだ。シトラだってステラの外でまで中の人間と一緒にいたいと思わないだろ?」
聞く限り久しぶりっぽいし。あと、今のシトラの隣を歩きたいとも思わないし。
空は軽く手を振って別行動だと示すために一人で歩き出そうとした。シトラに呼び止められてしまったので、簡単に自分の考えを教えた。
空はもともと一人で適当に時間を潰すつもりだった。
そもそも空はたくさんの人とワイワイするのが好きではない。別にワイワイするのが好きという人を乏しめるつもりはないが、合わないのだ。性分が。
一人でいた方が幾分か楽だと思っている。特に考え事を抱えているときは。
だからシトラと遊ぶ気はさらさらなかったし、一緒に街を堪能しようなんて考えてもいなかった。それに吐き気がするぐらいの魅力を振りまく今のシトラと一緒に行動したいとも思わない。絶対に面倒ごとに巻き込まれる。悩みの解決の糸口を見つけたい空にとって、その未来は決して嬉しいものではない。
「……ホント、これだから」
シトラが両手を組んで、ふぅやれやれとばかりに首を左右に振った。
「なんだよ。文句あるのか?」
「あるわ大有りよ。こんな美少女を町中で一人にさせるなんて正気を疑うわ」
シトラの言葉に、空は胡散臭いものを見る視線を向けるのをこらえられなかった。
確かにシトラは美少女だ。それを町中に放り出す。そこまでは間違っていない。
「大の男を投げ飛ばすんだから大丈夫だろ」
でもシトラは空よりも強い。単純な腕っぷしだけでなく、荒事の対処だってきっと彼女の方が慣れている。空が一緒に行動しなければならない理由にはならないだろう。
「それはイリーナだから。こんなにか弱いアタシにそんなことできるわけないじゃない」
「なんて下手な嘘だ」
どの口がか弱いなんて言いやがる。人を拉致するような人間がか弱いわけがない。ウサギの皮を被ったとしても虎は虎だ。凶暴性は変わらないし本性は隠せない。
「まっ冗談だけど、あっか弱いってのはホントよ? 一緒に行かない? せっかくの男手なんだし」
珍しく伏し目がちに空を誘うシトラ。その表情からはいつもの鼻につく自信が感じられず、頬はわずかに朱色に染まっていた。
胸を締め付けられるような感覚を、空は信じられなかった。
「俺は荷物持ちってわけね……まあいいけど」
ハァー、と長いため息を吐いて、空はシトラの申し出を許諾した。
初めての町だ。不慣れだから迷わない可能性を捨てきれない。それならシトラと一緒に行動するのも悪くはないはずだ。少なくとも一人で動くより迷子の可能性は減るだろう。
言い訳を並べる空は、自分が落ち着くための深呼吸をしていると気付いていない。
「ふん。断れるわけないじゃない」
いつもの自信を覗かせながら、それでも嬉しそうにシトラは微笑む。
空は再び鼓動が高鳴ったのを感じた。どうやら病気らしい。帰ったら軍医にそれとなく診てもらおう。
二人は仲良く、それはもうはたから見れば恋人通しにしか見えないぐらいに仲良く、地下に沈んだ町を遊び歩いた。道中UFOキャッチャーで大きなクマのぬいぐるみを見つけ、シトラが羨ましそうに眺めていたので空は一発で取ってあげた。べ、別に欲しかったわけじゃないんだからねっ! というテンプレのツンデレを見れた。
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時間が経って日は傾き、更地が赤く染まっていく。
このとき初めて、空は更地をよく思えた。遮るものが何もないから、夕日をより近く感じる。手を伸ばせば届きそうだ。もっとも、両手にはシトラが買い込んだあれやこれやが詰め込まれた買い物袋がいくつもあり、手を伸ばすなんてできるはずがないのだが。
「今日は助かったわ。感謝してる」
夕日に映える美少女が、空へと振り返り微笑んだ。
金髪が夕日の光を反射して輝いている。赤に染まっていく世界で夕日にも負けず輝いている二つの青い瞳は、彼女の印象を強くする。
「……」
「な、何よ」
空が見惚れていたと気付いたのはシトラに声をかけられてからだ。
カーッと顔が熱くなってくるのを感じる。シトラなんかに見惚れていた怒りかはたまた羞恥か、今の空には判断できなかった。
「……あのシトラが礼を言っただと?」
「っ当たり前じゃない。アタシを何だと思っているのよ」
呆然と眺めていたことを誤魔化すために空は驚きの表情を浮かべながら答え、シトラが心外だとばかりに顔を赤くさせた。きっと二人とも顔が赤いのは夕日のせいだ。
「負けん気の強い自己中女」
「いいわ。その喧嘩言い値で買ってあげる」
「冗談だって」
シトラが急に真顔になったので、空はヘラッと笑いながら慌てて否定した。
悲しいかな。男女の差なんて軽く踏み越えるぐらい、二人の腕っぷしには格差があった。
「まったく。せっかく人が心配してあげたってのに」
シトラがため息を吐いて額を抑え、恨めしそうな目で空を睨む。
「……やっぱり顔に出てたか?」
「ええ、それはもう。見ているだけでこっちまで気分が悪くなるぐらいにはね」
さらっとシトラは言った。
空が町に来たのは気分を変えるだけだ。つまり気分を変えなければならないほど消沈していた。
空はもちろん自覚していたし、付き合いの長い健太郎に気付かれるのも仕方ないとは思っていた。だけど信号機には、シトラやエン、イリーナの三人には気付かれたくなかった。
空が轟龍に乗る原因を作ったのは三人だ。だから人を殺したという罪も、三人のせいにすることだってできた。でもそれはカッコ悪い。確かに原因は作ったが、それでも乗ると決意したのは空自身なのだから。都合が悪くなると他人のせいにするなんて、そんな恥ずかしい真似はしたくなかった。
だから三人の前ではできるだけ顔に出さないよう気を付けていた。結果はシトラの言う通り、大して隠せ通せていなかったようだが。
「悪かった」
シトラたちだって軍人だ。人を殺すという業は背負っている。なのに自分の未熟な覚悟のせいで不快な思いをさせてしまった。
空は率直に頭を下げた。純粋に、心の底から、悪いと思ったからだ。
「謝る必要はないわ。アンタにとってこの世界はどうでもいいんでしょうし」
「えっ」
「異世界人なんでしょ? 司令官との話を聞く限りでしか知らないけど」
シトラはあっさりと、まるで昨日の晩飯の献立を教えるぐらいの軽さで、空と健太郎の秘密を言い当てた。
「知ってたのか、ていうか信じたのか」
空は常識を疑うような顔で、秘密を知っているシトラを見る。
実は俺、異世界から来たんだ。
そう告白して、はいそうですかと信じる人間ははたして何人いるだろうか。きっとほとんどの人はお前大丈夫かと頭の心配をしてくれるだろう。だから空と健太郎はわざわざ言う必要もないからとお互い黙っておくことにした。
別に隠していたわけではない。空と健太郎以外の人間がいるときでもたまに会話はしてきた。説明はしていないから二人にしか分からない話題ぐらいにしか捉えられていないだろうと思っていたし、仮に話の内容を聞いていたとしても異世界人だなんて信じないと勝手に考えていた。
「アタシたちを倒すだけの実力者がこれまでまったく無名だったってのはおかしいもの。街並みを見て驚くのもこの世界の人間なら有り得ないのだし」
「異世界から来たと仮定したらすべて納得できる。だから信じたのか」
「そっ。事実は事実のままに受け入れる。それが優秀な軍略家よ」
お前のような短気の軍略家がいるか。
空は思わずツッコミを入れたくなったが、実際に空が異世界人であるとすんなり受け入れた手前あまり強く言えなかった。
「使命感や責任を煽るようなやり方じゃあ、異世界人のアンタには通じない。他人の家が汚いから片付けろって叱っても聞く耳持てるわけないんだから」
シトラの言う通りだった。
「かといって他のやり方が通じるかと言われれば、壊れてしまう可能性がある以上何もできない。アンタの情けない顔から察するに、見たんでしょ?」
「……何でもお見通しなんだな」
「当たり前じゃない。アタシは皆のリーダーなんだから」
シトラは空の性格も、彼の悩みも、すべて理解していた。
リーダーだから当然だと薄い胸を張る彼女を、空は直視できない。何故ならシトラが嫌いだからだ。彼女もまた空を嫌っているし、お互いが分かり合えないと思っている。
嫌いだからこそ、シトラがどれだけ周りに気を配っているのか理解できた。彼女とはほとんど同じ立ち位置のはずなのにいつの間にか差が開いていた。その差を、空は直視できなかった。
「悪いこと言わないわ、空。アンタがこれからもその顔のまま戦うっていうのなら、今、この場で、逃げてちょうだい」
「逃げる……?」
「ええ。今なら止める人間は一人もいないわ」
シトラは真っ直ぐ空を見つめていた。その眼に侮辱も軽蔑も一切なく、ただ空の身を案じていると分かった。
空は息を呑んだ。
シュテルンという正体も分かっていない敵を相手に、人類すべてを守るために戦う一人の少女。
戦う意味も分からず人を殺したと苦悩する空にとって、彼女は眩しいほど強く、見ているだけで痛みを感じるほど研ぎ澄まされていた。
痛感するとはこういうことか。空とシトラでは文字通り背負っているものが違う。
「薄情だと思ってくれて構わない。冷たいと罵られても構わないわ。それでもアタシは、もう誰かを失いたくないの」
溢れるほどの自信も感情豊かな表情もなりを潜め、シトラは真顔で空を追い出そうとする。きっと無理にでも引き下がれば、彼女は力づくで空を置いて行くだろう。
「じゃあ一つだけ聞かせてくれ」
彼女の考えを読み取った空は、最後だと思って口を開く。
シトラは何も言わなかった。多分了承してくれたんだろう。そう思って、質問を続けた。
「どうしてシトラは戦うんだ? 過去に何があった?」
「……質問が二つになっているわよ」
シトラが雰囲気を崩さないまま苦笑した。
なんだこの神々しさは。本当にあのシトラか。
空は思ったが空気を読んだ。いや今真面目な話の最中だから。水差すわけにはいかないから。
空は胸を小さく抑えていた。シトラからすれば悲痛な雰囲気を感じて何か覚悟をしているように見えるかもしれない。事実、空気はどんどん重たくなっていく。実際はキュンキュンと謎の痛みのする心臓を握りしめて落ち着かせようとしているだけなのだが。
シトラが何から話すかなー、とか言っている。シトラの覚悟は簡単には折れないだろう。その根源を聞こうとしているのだ。声音は軽くしようとしているのは伝わってくるが、話題はきっと聞いたことを後悔してしまうぐらいには重苦しいに違いない。
空が現実逃避気味に思考を走らせてしまうのも、本当は後悔しているからだ。いくら最後だからって、地雷を踏んだ感は否めない。
「アタシには家族がいたわ。よく叱ってくれる母親に優しい父親、頼りになる兄がいた」
数秒考えて、シトラはぽつりぽつりと話を始めた。空は嫌な予感が的中したと直感した。
「確か修学旅行だったと思うわ。アタシは家を空けたの。そして帰ってきたら家がなくなってた。シュテルンに誘拐されたんだって知ったのは訓練を受けるようになってからだったわ」
帰る家が無くなっていた経験なんて空にはない。だから彼女の絶望を正確には計り知れない。
それでも、月並みだけど辛かったんだということは分かる。きっと空が考える数百倍、当時の彼女が感じて泣き叫んだんだろうことも。
「紅龍がアタシに適性があるって分かったとき、これこそが天啓だって飛び跳ねたのを覚えている。家族を奪ったシュテルンを倒せるんだって、周りも気にせず大騒ぎ。若気の至りってやつね」
シトラが大人びた微笑みを刻む。いや違う。大人と見間違うほど感情が擦り切れてしまっているんだ。
「言いにくいけど、シュテルンをいくら倒そうと家族が戻ってくるとは」
「分かってるわよそんなこと。舞い上がったのは最初の一か月間だけ。あとは使命感に変わったわ」
艶やかな唇を尖らせて、今度は逆に子供のように不機嫌を露わにする。
ギャップ、だとは感じなかった。不安定なんだと思った。
自信という殻を脱いだ彼女は、見ているこちらが不安になるほどの波に揺られていた。多分、それはエイロネイアに入ったときから、紅龍に選ばれたときからずっと変わっていないんだろう。
今度は違う理由で、胸を抑え付けている空の指に力が入った。
「誰にもアタシと同じ思いはさせない。誰一人失わせはしないって」
彼女の真っ直ぐな瞳は覚悟を示していた。言動と違い、まったく揺らいでいなかった。
だけど空はそんな彼女が、とても弱々しく見えた。
「強いんだな」
「強い? アタシは確かに最強だけど、強くはないわ。復讐にかられた哀れな女だもの」
シトラは自嘲して、頭を振った。
「それでも強いよ。少なくとも倒せないと理解した瞬間に玉砕に手段がすり替わる男よりは」
「アンタそんな風に考えていたの? ますますこのまま一緒に戻るわけにはいかないわね」
「いや、俺はシトラと一緒に帰る」
シトラの瞳が、初めて揺れた。
そんなに俺が帰ると宣言したことはおかしかったか。
空は悪戯っぽく言ってやりたかったが、自重した。今はもっと言ってやりたいことがあった。
「きっとシトラと同じようにエンにもイリーナにも戦う理由があるんだろ? なら、その理由を守るのも悪くない。例えこの手が赤く染まろうとも」
「自己陶酔? 褒められるものではないわね」
「でも、もう迷わない」
空はシトラを真っすぐ見つめ返した。
空の戦う理由は、もっとも分かりやすく言うと他人に回答を委ねたに過ぎない。シトラたちがやれって言ったからやった。責任転嫁にとられても仕方がない。空だって自覚している。
でも、空の中でシトラたちの存在は少々大きくなり過ぎた。もう拉致されたからとか、テストパイロットとして最適だったからとか、そういう受け身な理由だけで大空を舞っているわけではない。
美少女三人の力になるために空は戦う。男冥利に尽きる最高の理由だ。
「はぁ。分かったわ。アンタがまだアタシの部下でありたいと言うのなら、アタシは拒絶しない」
シトラは空の瞳の奥にある覚悟を読み取って、観念したようにため息を吐いた。
力づくで降ろしたとしても、今の空なら全力で抗うだろう。嫌がる相手にわざわざ労力を使うほど、シトラだって暇ではない。
それに本人が迷わないと断言したのだ。ならば少しぐらい部下の言うことを信じるのが良い上司というものである。
「ちょっと待てよ。いつから俺はお前の部下になった? 上司より強い部下がいるわけないだろ」
「それはつまり、俺の方が上司だろ、とでも言いたいわけ?」
「そう聞こえなかったか? 案外頭悪いんだな」
「上等。すぐステラに戻るわよ。今度こそ格の違いを教えてやるわ」
額に青筋を浮かべて、シトラは先ほどと百八十度違うことを言っていた。
――先延ばしだって、悪いことばかりじゃないよな。
最強の美少女に手を引かれながら、空は確かに笑顔だった。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
次回は明日午前7時頃更新予定です。