どこにでもある、日常の風景
この春、天漢小学校の四年一組に進級したカンナは、一学期のはじめの係決めで、「生きもの係」になった。
係のおもな仕事は学校で飼われているウサギの世話をすることだが、それ以外に、四年一組には学級のペットとして金魚とカブトムシがいるため、そちらの面倒も見ねばならない。
金魚は餌やりの他に水替えも適宜行わなければならないし、カブトムシは未だ幼虫の状態で、あまり万人に好まれるような外観をしていない。ぶっちゃけて言うと、大概の女の子には、「キモーい」と眉を顰められる見た目をしている。成虫になれば興味津々な男の子たちも、この段階ではまったく関心を示さない。だが飼育している以上は誰かがお世話をしてやらなければならず、しかもそのお世話は、基本的に授業時間に支障をきたさないようにやれと言われている。
つまりこのクラスにおける生きもの係とは、ウサギの当番日以外も、朝早めに登校し、または放課後の自由時間を犠牲にして、あまり反応もなければ可愛くもない連中の世話をする仕事にせっせと従事せざるを得ないという、かなり損な役回りに位置づけされているのだった。
小学四年といえど、損得勘定には長けている今どきの子供たちは、誰だってそんな係はやりたくはない。やりたがるのは、よほどの動物好きか、誰にも邪魔されずにカブトムシの観察に没頭したいという、変わりものくらいである。希望者がまったくいないので、例年、ジャンケンで負けた人間が押しつけられてベソをかく、という成り行きになるのが普通なのだ。
──と、そんなわけで。
その不人気な係に張り切って手を上げ立候補したカンナは、クラスメートたちから「変わりもの」の烙印を押されることと引き換えに、晴れて念願の生きもの係の立場を得たのであった。
「おはよう、カンナちゃん」
生きもの係になることが決まった翌朝、早速いつもよりも早い時間に登校して教室に行ってみたら、そこにはすでに、生きもの係におけるカンナの相方である光流少年がいた。
「おはよー、ヒカルくん。早いねー」
にっこり笑って挨拶する光流少年に、カンナは目を丸くして挨拶を返した。
てっきり、自分が一番だと思っていたのだが、先を越されたか。この機会に、水槽の中で泳ぎ回る金魚や、まだまだ動きの鈍いカブトムシの幼虫を、一人きりでじっくり堪能しようと思っていたのになあ。
ちょっとだけガッカリしたものの、気を取り直してランドセルを机に置き、教室の後ろのロッカーの上に並べられた水槽とプラスチックケースに寄っていく。
そして、驚いて声を上げた。
「あれ? もう餌やりも水替えも終わっちゃった?」
金魚たちは現在、透明な水の中で、まだ残っている餌をぱくぱくと啄むように食べている。のんびりと尾びれを振って優雅に水中を漂う姿は、いかにも満足そうだ。
カブトムシのほうはまだ幼虫のため、金魚のほうの世話が済んでしまったら、生きもの係には、もうこれといってやることがない。
「思ったよりも早く学校に着いちゃったから」
光流少年は、照れくさそうにそう言ってから、水槽を覗き込んで肩を落としているカンナを見て、ぱちぱちと目を瞬いた。
「……ごめん。僕、余計なことしちゃったみたいだね」
「えっ、あ、ううん」
しょんぼりと謝られて、カンナは慌てて両手を振った。光流少年はどうやら親切心で先に一人で仕事を片付けてくれたらしいのに、それを責めるわけにはいかない。
ここは、係の相方が真面目な子でよかった、と思うべきなのだろう。カンナの母は、「きっともう一人の子はサボって来ないよ」と厳かに予言を述べていたが、大人が考えているよりも、子供は課せられた責務に忠実、ということが証明されたわけだ。
「でもさ、今度からは一緒にやろう。係はわたしとヒカルくんの二人なんだし」
「うん」
カンナが提案すると、光流少年はほっとしたように相好を崩した。カンナとしては、相方にやる気がなければ交代制にするか、あるいは自分一人が引き受けてもいい、と思っていたのだが、誰かと協力して仕事をするのも悪くはない。金魚とカブトムシはともかく、ウサギの世話は意外と大変だと聞くし。
「あー、早くウサギ当番が廻ってこないかなあー」
ロッカーの上に置いた両腕に顎を乗せて、元気に泳ぐ金魚の動きに見惚れながら夢見るように言うと、同じような格好で水槽に目をやっていた隣の光流少年が、顔を動かしてカンナをまじまじと眺めた。
「カンナちゃん、そんなにウサギが好きなの?」
光流少年は、どちらかというと、クラスの中でも地味で大人しいほうの男の子である。よくよく見れば、なかなか綺麗な顔立ちをしているのだが、いつもおっとり微笑んでいるような性格をしているため、あまり目立つことがない。
少し中性的な雰囲気で、頭はいいけれど、それをひけらかすような真似は決してしない。物静かで、かといってイジメられっ子というわけでもなく、男の子とも女の子とも適度に距離をとりながら柔らかく接する彼は、実はひそかに女子の間で人気があった。
とはいえ、カンナは四年生になってからはじめてクラスが一緒になったので、そんなによく知っているわけでもない。二人で面と向かって話すのも、今日がはじめてだ。それなのに「カンナちゃん」「ヒカルくん」と呼び合っているのは、このクラスの担任の意向により、クラスのお友達はみんな隔てなく下の名前で呼びましょう、というルールが作られているからである。
姓で呼ぼうが、名前で呼ぼうが、イジメも仲間外れもなくなったりはしないと思うのだが、発言権の与えられていない四年生児童はそのルールに従うより他に道はない。カンナの父は、この教師の強権発動について、「表面だけを和やかに見せて取り繕おうとする、能のない人間の典型的な欺瞞だ」と鼻で笑っていた。
「ウサギっていうか、動物ぜんぶが好き。哺乳類も、爬虫類も、魚も、昆虫も好き」
「女の子って、虫は苦手なものだと思ってた」
「なんでだろうね? すっごく可愛いじゃん。この白くてぬめっとしてうぞうぞと這いずり回る姿とか」
「……うーん、そうか、な?」
カブトムシの幼虫をうっとり見ながらカンナが口にした「可愛い」発言は、どうやら光流少年の賛同を得られなかった模様である。でもいいんだ、誰がなんと言おうと、可愛いものは可愛いんだから。
「おうちは、ペットが飼えないの?」
「ううん、そんなことないよ」
カンナが両親と暮らすマンションはペット飼育可となっているし、父も母もとりたてて動物嫌いというわけではない。アレルギーだってないのだから、犬でも猫でも鳥でも虫でも、飼おうと思えば、不可能ではない。
……でも。
カンナの父は動物嫌いではないが、動物はカンナの父を嫌う。
一言で言うと、異常に怯えるのである。
近所で飼われている犬も猫も、父の姿を一目見ただけで、みんな仰天したように飛び上がって、逃げるか暴れるかガタガタと震えだす。空を飛んでいる鳥も、カンナの住むマンションのベランダにすら近寄ろうとしない。小さな金魚だって、狂ったように水の中を跳ね廻る始末だ。
動物好きなカンナとはいえ、というか好きだからこそ、幼いうちから見てきたこの状況で、ペットを飼いたい、などと言いだせるはずもなかった。なにより、動物のほうが可哀想である。
だから心ゆくまで彼らと触れ合おうと思うと、家の外に求めるしかない。小学生のうちは卒業まで生きもの係に立候補し続け、中学生になったら生物部に入ろうと、今のうちからカンナは心に決めている。
「ふうん」
カンナの説明に、光流少年は感嘆するような声を上げた。
「……カンナちゃんのお父さんとお母さんて、どういう人なの?」
少し遠慮気味ながら、しかし好奇心が抑えきれなくなったように、光流少年が一歩横に距離を縮めて訊ねてきた。大人しい性質とはいっても、「変わったもの」に対する興味は普通にあるらしい。
両親について、あれこれ詮索されるのは慣れているので、カンナは別に気にしない。特に父のほうは、少々他よりも飛び抜けた容姿をしているため、常に近所のおばさんたちや同級生のお母さんたちの注目の的である。彼女らは、何かというと、カンナから少しでも父の情報を引き出そうとするのだ。
聞かれれば適当に答えることにしているが、正直、それになんの意味があるのかとカンナは常々思っている。何をどう探ったって、あの父親のことを知るのは到底不可能だぞ。
なにしろ、十年近く一緒に暮らしている実の娘のカンナにだって、よくわからないのだから。
たぶん、あの父のことをかろうじて理解できているのは、母くらいのものだろう。
「パパとママは、小学生の時に出会ったんだってさ」
「へえー」
「それから中学、高校、大学と一緒で、大学を卒業した年の四月に、結婚したんだって」
「早いね」
早いでしょう。ものすごく強引だったらしいからね。母はその件について、父に山ほど文句を言ったのに、「面倒くさがりの君がその気になるまで待っていられるか。地球人の寿命は短いんだからな」と、まったく聞く耳を持ってくれなかったそうだ。
「で、その半年後にわたしが生まれて」
「ちょっと待って」
光流少年が、話を止めた。少しためらってから、もう一度確認する。
「……結婚した、半年後?」
「十月に」
「計算が合わないね」
「そこは突っ込んじゃダメ」
そこを突っ込むと、「コウノトリが配達日時を間違えたんじゃないかなー」とか、「まずはヒトの生殖行為から説明をしなければならないが、君にはまだ早いんじゃないか?」とかの答えを返されて、思いきり後悔する羽目になってしまうのだ。
「カンナちゃんのお父さんて、仕事は何してるの?」
「自由業」
「自由業って、どんな?」
「謎」
「な、謎?」
光流少年は、困惑の表情になった。無理もない。
「えーとそれはつまり、有名な小説家とか芸能人とかで、他の人には内緒だよ、という意味の……」
「ううん。ホントに謎なの。だってわたしも知らないもん」
カンナの一家が住んでいるのは、高層マンションの最上階だ。まあまあ金額の張るその部屋を、「このあたりでいちばん空が近いから」という理由だけで選んで購入したというのだから、それなりに収入があるのだろう。
あんまり贅沢な暮らしではないけど、日々の糧に事欠いているわけではないし、母が今月は赤字だわと嘆く姿も見たことがない。おおむね平和に、ゆったりのんびり毎日が廻っている。だから父は、なんらかの仕事はしていると思われる、のだが。
何をしているのかは、わかんないんだよなあ。
ママに聞いても、「さあ」って真顔で首を傾げるし。
「パパの部屋、っていうのがあってさ」
「うん」
「昼間はそこにいることが多いんだけど、中で何をしてるのかはわからない」
パパの部屋は立ち入り禁止、と言われているのだが、実を言えばカンナは幼児の頃、そこをこっそり覗いてみたことがある。
そうしたら、中には誰もいなかった。
真っ暗で、壁全面がピカピカ光る機械で埋められていて、ウインウインという変な音と、聞いたこともないようなが不思議な声が流れていた。
幼児ながらこれは何かマズイと察して、カンナはパタンとドアを閉め、以来、無断で入ろうとしたことはない。ちゃんとノックをしてからドアを開ければ、そこは普通の書斎のような部屋である。謎だ。
「……あの、カンナちゃん、それを『謎』の一言で片づけるのはどうかと」
「いいじゃん、別に。ママも、深く考えないほうがいいよ、って言うし。それでさして困ることもないしね」
カンナは顔も性格も、どちらかといえば母の血を色濃く受け継いでいる。
「…………」
しばらく黙り込んでいた光流少年が、ややあって、「──カンナちゃん」と改めて名を呼んだ。
「ん?」
水槽の中の金魚から、ようやく隣に視線を移して、カンナは少し戸惑った。
今まで、なんとなく気弱にも見える、優しげな表情を浮かべていた光流少年。
──気のせいか、その微笑が、やけに薄っすらとした不気味なものに変わっている。
「僕、君に興味が湧いてきたよ」
「え、そ、そお?」
静かに告げられた言葉に、つい後ずさる。なんだかこちらに向けられる瞳の色までが、淡くなっている気がした。窓から差し射る光の加減でかもしれないが、それはどこかガラス玉のように、無感情で冷たい感じがする。
「これから、よろしくね」
「……う、ん?」
あんまりよろしくしたい気になれなかったので、カンナは曖昧に返事をした。
これといって取り柄とか突出した能力とかはないカンナだが、なぜか幼い頃から、危機回避能力だけは異様に優れている。これはヤバいな、と勘が働いて止まったり逃げたりすると、大体それは的中するのである。今まで、何度これがカンナを怪我や危険から救ってくれたか判らないくらいだ。
その能力が告げている。
これは関わっちゃなんかヤバいぞと。
「……僕の調査に、協力してもらうよ」
だから、ぼそりと呟かれたその言葉は、聞こえなかったことにした。
その日の夕飯時、カンナが話す「少し変なクラスメート」の内容に、同じ食卓を囲んでいた母は眉を寄せ、父は興味深そうな顔つきをした。
「ちょっとちょっと高遠君、あの計画は白紙撤回されたはずじゃ」
「史緒、君、この銀河系だけでも、いくつ星があると思うんだ? 他に知的生命体の住む星はいくらでもあるんだぞ」
「ええー、じゃあ別口ってこと? 迷惑な話だよ」
「ある程度文明が進めば、仕方ない。これからだって……」
顔を寄せ合い、ぼそぼそと喋っている。何を話しているのかよく判らないので、カンナは好物のエビフライを味わうのに専念することにした。
「来週、ウサギ当番があるんだけど、ヒカルくんと仲良く仕事できるか、あんまり自信ないなー」
人畜無害な男の子だと思っていたのに、なんだか今ひとつ、仲良くできる気がしない。カンナはごくごく平凡かつ単純な女の子のため、裏表のある人間とは、相容れないのである。
「……まあ、生きもの係はものすごく大変だと思うけど、これから頑張ってね」
母が非常に複雑そうな心情を滲ませて、激励してくれた。相方はともかく、ウサギや金魚やカブトムシの世話をする生きもの係の仕事自体は自分が望んだことなので、カンナは「うん!」と元気よく頷く。
「…………」
なんでママ、そんな深いため息をついてんの?
「そうだな、頑張れ」
父も同じことを言って、端麗な顔にゆるりとした微笑を乗せた。
「この星の命運は、君が握っている」
大袈裟すぎる言葉に、カンナは呆れた。
「んもー、なに言ってんの、パパ。ウサギの世話くらいで」
どうせまた、おじいちゃんに観せられたアニメ映画か何かに、影響を受けたりしたのだろう。
まったく、しょーがないな。
……わたしだけは、普通に生きよう。
***
こんな変な両親であるが、それでもカンナはひとつ、大事なことを知っている。
父が夜、ベランダに出る時は、必ず母も一緒に出る。
そして二人で、真っ暗な空にいくつも輝く星々を見上げる。
しょっちゅうバカバカしいケンカをしたりもする父と母だが、その時だけはずっと無言だ。
どちらかがどちらかに寄りかかるのではなく、両方が少しだけ身体を傾け、お互いを支えるように、仲良く並んで立って、時間を過ごす。
それは非常にありふれた、どこにでもある、日常の風景なのかもしれないけれど。
二人のその後ろ姿は、とても静かで穏やかで、ひどく優しいものにも見えて、いつもカンナをほっこりと幸福な気持ちにさせてくれるのだ。
──それさえ知っていれば、きっと、世界は平和に違いない。
完結しました。ありがとうございました!




