東北沢と17歳
東北沢、若者とサブカルの街下北沢と選ばれし人が住む代々木上原の間。入り混じっても大人にもなりきれないわたしが住む街。全部の色が混ざった素敵な黒色のような場所。ここに住みはじめてもう5年になる。大学生初心者の頃はキラキラした東京にあこがれていた。都会とも田舎とも言い切れない地元からでてきて、ここを選んだ。本当は下北に住みたかったけれど、虫が苦手な19歳の私には難しそうだった。上が斜めになってるアパートが良くて、ユニットバスの条件まで蹴った。駅から徒歩7分、実際は自転車8分の我が城は狭めの1LDK で23区内にしては広い。八瀬環、もうすぐ23歳。わたしが持ってるものは感性と実態のみだ。
19の時、微妙な地元の絶妙な進学校から上京してきた。別にやりたいことはないけれどみんな大阪に行くこの地元のサンプルライフに抗って、東京を選んだ。大学は推薦でいったため、実力上乗せの名門校に入れた。ありがとう担任のみのるん(またはmol男)。高校時代は大して何も合っていないのに顔のランクの高さだけで集まったみたいなグループに所属し、地位を築いていた。べつにすごい可愛いわけではないが、田舎のかわいいは雰囲気とお金の有無だ。金さえかければある程度にはなれる。それに早く気づいたことが私の勝因である。でも私のモラトリアム期はそんなに楽しいものではなかった。政令指定都市の可愛い子はだいたい頭が悪い。絶妙進学校には強豪部活が多くあり、そこに推薦で入っている、あるいはただの推薦で入っている子達は偏差値は50を切っていることもある。その頃彼女たちと精神年齢の違いを感じていた私は、自分のことをすごく大人に感じていた。客観できて、少し冷めていて、頭の良い自分は選ばれた人間だと思っていたし、年上のおにいさんおねえさんと話している時間以外に意味のあるものなんてないとおもっていた。実際はそのグループに馴染むのには少し陰キャだっただけだ。それを認められない幼さも今考えたら愛おしい。そんなわたしが上京して現実に気づくのは早かった。わたしの通ってた大学は東京育ちの子が多く、みんな自分より可愛くて自分より少し頭が良かった。自分が特別じゃないことにはすぐ気付いたけど、ここならきっと友だちができるとも思った。四谷の大学まではだいたい電車でⅠ時間、その間は川谷絵音の作った曲を聞きながら地元の友だちを思い出した。あのこはどうやって生きてくんやろ、きっと言い訳ばかりなんやろなとその頃はすこし残っていた関西弁とともに思っていた。でも大学生活が進んでいくうちにそんなこと考えなくなった。ただ呆然と過ごした最初の2年間は、大学生が終わってほしくないと思うほど楽しかった。周りから見たら私は幼稚でエンターテイメント性のないものだったかもしれない。でもそのほうがたのしかった。ずっと馬鹿にされていたかった。幼すぎるために永遠にできなかった夜があるし、キスしてくれなかったから永遠にできなかった思い出がある。そのすべてが美しくて瞬間に弾けた花火のようだった。もしかしたらシティーガールの同級生からしたら私は自分自身が冷笑していた高校時代の同級生のようなものだったかもしれない。でもそれでもいいのだ。彼らがやっと私に世界をくれた。東北沢の駅から家まで歩く10分間私はほんとにここに住んでいるのかと何度も思った。家族とは度々合ったけれど、地元には一回も帰らなかった。帰ってもなにもないと思っていたし、地元の人なんて少しも会いたくなかった。そんなことしてるうちに私が一番仲が良かった愛莉が結婚することは招待状のハガキで知ったし、同グループ紗理奈がもう結婚していることはその愛莉からのメールで知った。私にはそのときロン毛麗くん(26)の素敵な彼氏がいたからうらやましいとは思わなかった。わがままも聞いてくれてねっとりしてるモテる彼氏だった。
21の夏、愛莉の結婚式は大阪であった。久々にあった愛莉はあの時より少し太っていて、でも顔からは肉が落ちていた。そこで初めて知ったのだが、愛莉は大阪でネイリストをしていて、結構有名らしい。旦那はそのお客さん絡みで紹介してもらった大阪のバンドマン。ロン毛だった。私は地元のサンプルライファーと同じなのが嫌で、その場で彼氏に別れたいと連絡をいれた。二年も付き合っていたし、わたしはずっと彼のほうがわたしのこと好きだなって思っていた。でも別に引き止められなかったのを強く覚えている。愛莉には「たまりん、より可愛くなったなーー。芸能人みたいや!!!今度東京遊び行ったら家泊めてーよ!!」と言われた。少々渋っていると、「なーに彼氏と同棲でもしてるん??隠さんといてよ塩臭い」と言われた。お前のせいで別れたよとも言えないし、塩臭いなんて難しい言葉どこで習ったのーとばかにもできないので、「まあそんなかんじだね、愛莉もお幸せに」と言ってみた。愛莉は笑っていた。ただ笑っていた。気持ち悪かった。結婚式が終わったら地元の友だちたちに惜しまれながらもすぐ東京に戻った。「たまりん、頭いいから差感じるわー、うちらのことなんてゴミ同然とおもってるんちゃう?」とか聞かれたけど「そんなわけ無いでしょ、またみんなで飲み行こうね」と一回も飲みなんて言ったことないのに言ってみた。ちょっと当てられてる感じも、関西弁も、頭いいと褒めるその言葉も全部全部気持ち悪かった。14時間ぶりに帰って来た東京はすごく真っ白で、おちついた。乗り換えがめんどくさくて少し遠いけど、下北沢駅から歩くことにした。もう私は信じられないくらい上機嫌でデスゲームから生還した人のようだった。まあデスゲームは結局いつも誰も生還しないので、そんなひとはみたことないのだが。結婚式用に着飾った私が少しスキップしながら帰る様子は多分周りから見たらだいぶおかしかっただろう。しかしそれでもだれもそれを咎めない東京という街が大好きだった。下北沢ではこの結婚式用のドレスですらなにかのアイデンティティにみえて、すてきな夢追い人のようだった。半踊りで歩いていたら片足のパンプスがぬげた。。「可愛い子なのに一人は危ないよ、まだ23時前だしシンデレラ」と金髪のかっこいいおにいさんから声をかけられた、きれいな標準語だな、そう思った。この人とこの夜を過ごすのだろうか。それもいいかもしれない。とりあえずなんとなく言葉を返さなければ、吐き気がなくなるまで彼に言葉を吐き出したいような気持ちだ。こんばんはお兄さんと吐瀉しようとしたその言葉は途中で遮られた。「おねえさん、こんなイキった男についてくん?あぶないで」肩までの黒髪をハーフアップにして顔にはたくさんの人工物、ギターかベースかはわからないけどそれらしきなにかを持っている男の子。右足の靴がかけている私からしたら、彼は私の一部を埋めてくれるような気がした。今考えれば感傷に浸っていたからそう思っただけなのかもしれない。もしそこに彼が来てなかったとしたら私は金髪の標準語と夜を過ごしていたかもしれないし、ひとりで夜喫茶にこもっていたかもしれない。それで私の右足の欠けはきっと満たされていたのに。金髪の標準語は自分の吐いた言葉が恥ずかしくなったんだろう。持っていたパンプスを宙に投げて駅方向に歩き出した。黒髪のお兄さんはジャンプして取ろうとしていたけれど、うまくいかなかったようで、落ちた靴。それを拾って私のもとに来た。「俺こういうとこだめやな、取りきれんかったわ」恥じるようにはにかみながら靴を足元に差し出した。「ありがとうございます」そう言いながら靴を取ろうとしゃがもうとした。そのとき彼は私の動きを静止しながら「いいからじっとしといて、はいそこ、腰掛けて」といいながら私を座らせた。「なんでや、靴返してよ」おもわず少し漏れた関西弁とともに不満を伝えた。彼は大きな口で笑いながら、「返すよ」といいながら靴を履かせてくれた。彼の手は大きくてすごく冷たかった。21歳の8月11日一番わからない祝日ランキング1位山の日、彼ははじめて私に触れた。
その男の子は靴を履かせた後、隣にしゃがんで見上げながら話しかけてきた。
「おねえさん、どこ住んでるん?」
「このへん」
「ええとこ住んでんなー富豪?」
なんでかわかんない、なんでかわからないが面白かった。そこに面白があった。
「なんで笑うん、僕、大真面目やで」
やっぱり面白かった、彼にとっては笑ってるわたしが面白かったらしくすこし笑ってくれた。
「おねえさんさ、帰りたくないんやろ?」
間違ってもいるし、あってもいる。世界で一番家に帰りたい日だったし、世界で一番人といたい日だった。
「帰るよ」
「俺はすきや、こういうの」
「どういうの」
「強がってる夜」
「ばかにしてるやろ」
「してへんって」
そう言いながら笑うと、ちょっと八重歯と舌の上の人工物がこちらを覗いた。
「おにいさんはどこ住んでるん?この辺?」
「俺は富豪ちゃうよ、明大前」
近い、少し嬉しいような興奮するような気持ち。
「おにいさんは帰らへんの?」
「俺?終電逃した」
「明大前なら歩けるやろ、夜あぶないで気をつけて帰り」
「おねえさんを置いて帰るほうがよっぽど俺に取ったら損やん。」
損ってなんだろう。別に私は彼に何もしてあげてないし、いまわたしたちの中に損得関係はない。でもなにかすごく嬉しかった。
「僕奢るから、いっしょに飲み行こ」
私を見上げながら話す彼の甘い誘惑を断れるほどわたしは大人じゃなかったから、代々木上原には住めなかったんだろう。
「いいけど、わたし下北ではあんま飲まへんから店しらんで。」
嘘だった。下北でもよく飲むし、なんなら行きつけの飲み屋やバーなどセンターの教科数ほどある。でも彼が選ぶ店を見てみたかったし、連れて行ってくれた店に浸かりたかった。
「僕に任して、ついてきて」
「男になんてついて行っちゃだめなんちゃうん?」
「そやなあ、だめやと思う。」
「じゃあわたし帰ったほうが良いんちゃう?」
「お姉さんが嫌なら僕は諦めるけど、だめなことをしちゃだめってルールはないねんで」
「わたしに委ねんといて、お兄さんが決めて」
「じゃあ誘拐させてください、おねえさん」
わたしは笑った。結婚式ではほんとうの意味では一回も笑っていなかったことにそのとき気付いて、また笑った。
「軽いなーおにいさん」
「軽ないって、僕は常に大真面目やから」
たしかに常に真面目で常にふざけている、なんか薬品みたいな人だなと思った。
「で、どーするん?帰るん?」
彼は常にそうだった。最後はやっぱりわたしに決断をさせる。多分たくさん後悔して来た人だから。
「じゃあ身代金7000円な」
そういって微笑むと、彼も八重歯と人工物をみせて笑った。
彼が連れてってくれたのはカウンター式の喫茶店だった。細い脇道を通って、地下に下がる階段を下った先。どちらかといえばバーテンのようなひげの生えたしぶいおにいさんが店主をしてる店だった。
「楓来たん?誰その子?」
「道で拾った彼女」
わたしにとっては彼女と嘘をつかれたことより、彼の名前が楓であることのほうが重要だったし、興味を惹かれた。
「楓くんっていうんや、君」
「あ、言ってなかったか、そやで楓。木に風で楓」
「お姉さん関西弁なんやな、かわいいわ。で楓は彼女に名前教えないタイプなんや、おかしいな」
おちょくるようにそういうマスターはやさしくて、まるで世界の保護者のようで心地よくて好きだった。
「いいやろ俺がどんなタイプだったとしても。でお姉さんはなんていうん?」
「環、環状線のかんって書いてたまき」
わたしはこのリアリストすぎる自己紹介をちょっと気に入っていた。そして田舎ぽくて嫌だった。
「運命やな、俺ら」
「え?」
「いや別に。なんとなくやけどな。圭ちゃん、すぐできるの2つ頂戴」
「じゃあジントニックかな、それならすぐ準備できるで」
「環ちゃん飲める?」
「飲めるけど、わたしクリームソーダが良い」
楓はまた笑った、ケタケタ笑いながらこっちをみてまた笑った。
「じゃあクリームソーダ2つ頂戴」
「深夜にめんどくさい注文するおねえさんやな。まあいいけど」
そう言いながらも作ってくれるマスター圭ちゃんをわたしはもうだいぶ好きになっていた。そこで気付いたのは、この人たちの関西弁は全然不快じゃないことだ。わたしに関西弁かわいいの意味を理解させてくれた。楓くんは机の上においてあるオレンジ色の可愛いパッケージのたばこを取って吸い出した。甘いバニラのような匂いがわたしにも染み付く。
「楓、お前いい加減たばこ辞めや、未成年の喫煙は法律で禁止されてるねんで」
「いいやん、僕もう17やし四捨五入したら二十歳や」
「だめや、法律に四捨五入制度は導入されてへんから」
驚かなかったといったら嘘になるのかもしれない。でも少し気付いていた。楓くんがもし同い年だったら、21だったらきっと靴を取り切れてただろうし、こんなにまっすぐわたしに向き合えないと思ったから。でもわたしより楓くんのほうがわたしの驚かなさに驚いているようだった。
「環ちゃん、驚かへんの?俺17やねんで」
「べつに、君が法律違反してたってわたしには関係ないからな」
「そこなん?」
「うん」
「それより楓、環ちゃんに隠してたん?詐欺やで、それ」
「聞かれんかったし、17って言ったら、環ちゃん僕のことえらんでくれないから。」
「環ちゃんはいまも別に楓のこと選んでないやろ、環ちゃん彼氏いるんやろ?」
「えそうなん?圭ちゃんなんでわかるん?」
「経験と勘」
その勘はほとんど当たっている。今日の午前中までわたしは麗くん(26)に重く愛されてたし、そこそこ好きだった。でももう彼氏はいないと胸を張って言えた。
「いーひんよ、午前中まではいた」
圭ちゃんは信じられないほど目を見開いて驚いた。そこまで驚くことはないのに。彫りの深い顔から大きな目が落ちてひげの上を通って、滑り落ちそうだった。
「ほんまに?どんな男と付き合ってたん?」
「楓くんと同じくらいの長さの髪で、かっこいいひとやった。すごい重いけどな」
「女の子みたいな名前やった?」
「なんでわかるん」
「経験と勘」
楓くんは私達二人の会話を聞きながらニタニタしていた。
「まあええわ。環ちゃんはいまフリーってことにしていいやんな?」
「ええで」
「じゃあいいわ。僕は過去とかは気にしない人やから」
「いいなそれ、17歳がそう言えるならやっぱり東京は素敵な町やな」
「二人の世界に入らんといて、はいクリームソーダ」
そういって圭ちゃんが出してくれたクリームソーダは透明のソーダの上にアイスが乗っていて、飲んでみたら少しウォッカの味がした。それは失恋を慰めるアルコールじゃなくて、今日酔うための度数だった。ここから私達3人はいろんなことを話したけれど、あまりお互いのことは話さなかった。第三者としてこの街のこととか音楽のこととかそんな話をした。時計が3時を回った時、圭ちゃんが軽く机を叩いた。
「楽しい夜やな、でもな大人には朝もあんねん。明日も11時オープン屋からもう締めんで」
「圭ちゃん、そんなこと言わんといてや。僕大人じゃないからまだ話したいわ」
「だめや。環ちゃん、明日は?」
「大学3限、その後バイト」
「じゃあ帰らんとやな。楓、家まで送れよ」
「うん、もちろん。環ちゃんもう行ける?」
「いける、圭ちゃん素敵な夜をありがとう」
「こちらこそ、またきてよべっぴんさん」
圭ちゃんはいつでも会いたい人だった。圭ちゃんの彼女は幸せだろう。でもきっと彼女はいない。21歳の勘と経験がそういった。
「環ちゃんの家までどのくらいなん?」
楓くんが階段を登りながら聞いてきた。
「んー大体15分とか。結構遠いから送ってもらわなくて大丈夫」
「いや危ないから、送る」
確かに私はまだ一人にはなりたくなかった。でも17歳といっしょに夜を過ごすほどわたしは危うくはなれない。
「いいよ、17歳に送ってもらうほど落ちぶれてない」
「年齢は関係ないやろ、女の子一人は危ないよ」
「ホントはわたしが送っていかなきゃいけないんだろうけど、楓くん一人で帰れる?」
「バカにしてるやろ」
「してへんって」
ほんとはちょっとしてる
「ほんまにいいから、今日は靴拾ってくれてありがとう」
「感謝ポイントそこなん?やっぱ環ちゃんちょっと変やな」
「変やで」
「変か」
そう言い合って二人でまた笑った。お互いこれが最後の笑いかもしれないと思いながらすこし噛み締めた。
「どうやったら環ちゃんにまた会える?」
「成人したらちゃう?」
「じゃあ二十歳になったら連絡するから頂戴」
「いやだ」
「なんでなん」
「楓くん、すぐ連絡するやろ」
「せーへんよ」
「じゃあ連絡先もらったらわたしがしてまうかもしれへんからいやだ」
あながち嘘ではなかった。人生が欠けてしまった時楓くんで埋めようとする可能性は大いにある。わたしは人生においての避難所は簡単に作らない主義だった。
「それはうれしいよ」
楓くんのその言葉はすでにわたしの何かを満たしていたけれどわたしは気づかないふりをした。
「ありがとう。じゃあまたね」
「またっていつなん」
「もし楓くんの言う通り私達が運命やったら、またサブカルな場所で会えるから大丈夫」
そういいながらわたしは今日一番の笑顔をしてみせた。
「環ちゃん、ずるいな、でも待ってて」
楓くんのその言葉にはわたしはもう返さなかった。
元カレは年上だった。すごく愛が重くて、何よりもわたしを優先してくれる男だった。その前の彼氏はライブハウスで働いてる男だった。彼とはちゃんと付き合ってはなかった。キスもしてくれないような中途半端の具現化だった。彼がくれた誕生日プレゼントは下北の地下ライブハウスの月パス、次の年のわたしの誕生月の9月のものだった。
「八瀬、バンドとか好き?」
という問いになんとなく、というか彼に合わせて頷いたのを覚えていたらしい。11か月前からそのパスだけが呪いのように残っていた。捨ててしまおうとも思ったけれどそんなにわたしは強くなくて、彼氏がいたとしても彼の影にもすがっていた。でもいまどっちも失ったわたしにとってはそんなに重要なものでもない気がしてきた。でもただ捨てるのはもったいないので、一回行ってから捨てることにした。
9月上旬、わたしは大学で1番か2番に仲が良い紗理を誘った。
「わたし別に音楽とか興味ないけどいいのー?」
「べつにわたしもだけど、もらったから。紗理のチケット代も払うからどう?」
「いやまあ環と遊べるなら行こうかな」
ああ好きだ。紗理といっしょに住めたらどんなにいいんだろう。
「もちろん、その後飲みね、家泊まり来たら?」
「環の家近いもんね、ユニットバスで好きだよあの家」
彼女はみんなが憧れるきらきらお姉さんのようなビジュアルだけど、思考は少し変わっていて素敵だ。
そして来る日9月18日、わたしの誕生日の1週間前、私達は下北の地下に潜りこんだ。1組目から3組目は普通で、4組目は少しうまい、5組目はちょっと下手で、6組目の頃にはふたりとも飽きた。
「環と二人で飲んでる方がおもろい、あと4組はきつい」
「確かに、帰る?」
「んー次まで聞かない?7組目名前おもろいよ、「環状線」だって環のための架空の路線?」
大阪のバンドかな、紗理が知らないのを少し寂しかったし、安心した。
「なんだろね、おもしろいかも」
適当に流しながらでてきた「環状線」を眺める。ギタボの顔だけ浮いてるバンドやな、それが最初の感想、次の感想は涙だった。
「ちょ、環どうしたの?コンタクトやばい?ほこりぽいもんね」
「カラコン1day、2日目」
「めずらしいね、お嬢様なのに」
「辞めてよ、恥ずかしい」
こんなに大好きな紗理との会話も、どうでもいい。楓だ、楓くんだ。本当にまた会えたんだ。あっちはまだ気付いていない。もしかしたらもう忘れてるかもしれない。彼は毎日11時に靴を拾ってるかもしれないし、他の女の子にも声をかけてるかもしれない。きっとその女の子は楓の連絡先を欲しがっただろう。そう思うと涙が急に恥ずかしく、ずるいものに感じた。でもコンタクトは無常にも1month1日目だったしいまスマホで顔みたのに理由があるとしたらそれはもし今日が楓とのはじめましてになるのなら可愛く有りたいからだった。紗理と会話して心を落ち着かせたかったけど、すぐにベースの音が響いてしまった。曲は邦ロックと言うんだろうか、高校生ぽくいえばエモい曲というやつだろう。楓の歌声は甘くて冷たいザラザラした溶け切ってないシロップのようだった。2曲目の途中、楓は明らかに歌詞を間違えた。「君でと出会った君」はあきらかにおかしい。でも周りは別に気付いてなかった。半分は楓とベースの顔ファン、半分は自分に酔っているんだろう。4曲が終わって「環状線」はいなくなった。あとでツイッターで調べてみよう。遅延のツイートしか出てこないかもしれないが。
「環、もう飲み行こ」
「そうだね、ねぇさっきのバンドどうだった?」
「えーなんか薄い歌詞だった。ボーカルの声は独特で刺さる人多そう。あとベースの顔かっこよかった」
「そやな」
「そやな???環ちゃんコテコテやん」
「やめてよ、ふざけただけだよ」
「いいじゃん、関西弁かわいい」
「最近それ理解できるようになってきた」
「環状線もわからんのに?」
「え? 紗理わかってたの?」
「ボケたつもりだったんだけどなーまだ関西人にとってはアマチュアか」
「そんなことないから」
笑いながらそう言うわたしを見て、紗理は満足そうだった。
「いやでもさ環、さっきのバンドはうれるかもね、全員なんとなく見た目も良かったし、みんな同い年とかかな?」
「17だよ」
「え、なんで知ってるん?」
「勘と経験」
「勘かよ」
こんな他愛のない会話をしながら背の低すぎる出口をくぐって、拒食症のような階段を登る。最後まで残れば物販で楓くんに会えるんだろうか。楓くんはわたしになんて言葉をかけるのだろうか。ひさしぶりかもしれないし、かわいい子やなかもしれない。逆に冷たくあしらわれるかもしれない。きっとそうだ、もしわたしが彼に興味がある素振りをしたら、楓くんはわたしに興味を示さなくなるだろう。磁石みたいな人だから。
「環ーー早く来てーーライブハウスの中ハウスダストアレルギーが悪化しそう」
「お姉さんと違って運動不足なの、いいねテニサーサークル長、紗理さん」
「やめて恥ずかしい、一生の恥だヤリサーの長」
私はこういう会話が好きだ。紗理は私がサークルのポスターを踏んだら、きっと隠れキリシタンかよとツッコんでくれる。大好きな一切訛りのない標準語で。ああ幸せだ。
「紗理の言葉好き、だって、」
私の言葉は遮られた。正確には私自身が止めた。後ろから大きな2つの手が伸びてその手が私の腰回りを強く掴んだ。ああ痩せとけばよかった。昨日の新橋でのサラリーマンとの飲みなんてなんでもよかったじゃないか。
「行かんといて 」
息が切れた声を小さく出してそう言う。紗理には聞こえてないだろう掴まれた瞬間に誰かはわかった。楓くんだ。でも振り返りたくなかった。理由はひとつだ。私はまた泣いていたから。でも楓くんは無情に私の前に回ってきた。楓くんはさっきとは別人みたいだった。目は真っ赤だったし、走ったからなのか、きれいな黒髪はぼさぼさでせっかくの美形がもったいなかった。楓は泣いていた。私よりももっと。
楓はその日も甘ったるいバニラの匂いがした。
「楓くんやっけ、ひさしぶり」
鮮明に覚えていたけれどすがってないふりをした。わざとすこしとぼけてみせた。
「楓だよ。楓」
「うん」
「うんってなんやねん」
「うんはうんや」
「なんで泣いてるか、聞かんの?」
「うん」
「そっか。だって環ちゃんも泣いてたもんな 」
ああ気付いてくれてたんだ。わたしの恥ずかしい感情を楓くんはいつも二人のものにしてくれた。
「うん」
「環!!わたしやっぱり帰る!!二人みてたらわたしも彼氏会いたくなってきた!!」
「紗理待って」
わたしが叫んだときにはもう紗理はいなかったけれど、きっと私の家に行ったんだなと何故か分かった。
「友達?」
「うん、大学の友達」
「かわいいな」
「軽、紗理は彼氏おるで、残念」
「残念ちゃう、だって僕は腕の中に環ちゃんを入れれてるから」
「あ、離して」
「失った」
楓くんがそう言いながら子犬のような顔をするのが少しうれしかった。
「ここ邪魔なっちゃう」
帰るための言い訳を吐いてみた。効果はどうだろう
「じゃあ楽屋来て」
あまり聞いてないようだ。楓くんは大きくて冷たい手でつよくわたしの手首を掴んだ。久々の感覚だった。高校生の時先輩に連れられた行った屋上を思い出したけれど、わたしはそんなには若くなかった。楽屋に入るやいなや全員の視線はわたしと楓くんに集まった。
「ちょ楓、まじでお前どうした。急に泣いたと思ったら出てくし、フロアの子楽屋入れちゃだめだろ」
ギターの男の子が言う、男の子って言っても楓よりは年上、わたしと同い年くらいだろうか。ベースのイケメンはにやにやしながらこちらを見るが言葉は発さない。
「別にええやん。この子べつにファンちゃうし」
「そういう問題じゃないことぐらいわかるだろ」
「おねがい!!許して糸!!」
そういって頭を下げる楓をみてギターの少年は軽く手首をふって
「今日だけな」
と呆れるように言ってくれた。楓くん愛されてるんだなと思った。
「やった」
そういう楓くんはやっぱり17歳だった。
「おねえさん、かわいいね。楓の連れなの?」
顔の良いベースが急に話しかけてきた。
「うーん、まあそうかな」
なんて言っても嘘になる気がしてそう返した。
「なにそれ」
そう言いながら爆笑してくれるベースに救われた。
「環ちゃん、会いたかったで」
「ありがとう」
「環ちゃんは?」
「べつにいつか会えると思ってたから、会いたいとは違うかも」
「環ちゃんぽいな」
「そやな」
「なあ環ちゃん、僕ずっと環ちゃんのこと探してたねん」
「あの日からずっと?」
「んー生まれてからずっと」
そういう楓くんが異常に愛おしくなって、わたしは感情が止められなくなった。わたしは彼にキスを落とした。楓くんの唇は冷たくて、やっぱり甘いバニラの匂いがした。愛おしくてたまらなくなった感情を伝達するような少し長めのキスだった。楓くんは最初は唖然として固まっていたけど途中からは縋るように私の首の裏に手を回した。
「どうしたん、そんなに嬉しかった?」
離れた楓くんの唇からの初弾だった。
「うん、うれしかった」
恥ずかしさのあまり、また衝動的になった。右の机の上にあるマッキーペン(またはおなまえぺん)をとった。
「何に使うん、そんなん」
あきれたように笑う楓をみて、また彼の体温の感んじたくなったけれど必死で抑えた。
「きて、しゃがんで」
そういいながら手招きをすると楓は言われた通りにしてくれた。私は楓の着ている大きめのTシャツの襟を下に引っ張って鎖骨の下あたりにマッキーをあてた。
「なにすんねん、くすぐったいよ環ちゃん」
「我慢して、」
「なんかえろいな」
「うざい」
17歳らしい価値観で話してる楓が少し痛いくらいの力で文字を書く。
「出来た」
楓くんは書いてある字をみてまた呆れたように笑った。私は「環状線」と書いた。そしてその下に電話番号を書いた。
「なんで教えたくれたん」
「気分と高揚感」
「消したくない」
「ははっ重」
そこで初めてベースの少年が二人の世界に口を挟んだ。
「うるさい、俺のファーストタトゥーばかにしやんといて」
ファーストタトゥーか。私はすごい罪を犯したのかもしれない。大人びた少年の恋心は思ったよりも重い。罪から逃げたい。だからまだ私は話す。
「じゃあ私友達待ってるから」
言いながら出ようとする私の背中に楓くんは語りかける。
「俺まだ17やけど連絡していいん?」
「2年後から成人は18になるらしいで」
「それは結局何年後ってことやねん」
「楓が19になる年に成人は18になるから楓は19で成人」
「そんな2年も待てへん」
「だめって言ってもするやろ少年」
「する」
「じゃあとめてもあかんやん」
「それも分かって教えてくれたやろ」
私は楓と会うのが最後になってくれと願掛けに笑いながら振り返った。
「そやで」




