097.幕間:失望の茶会
<<ヘンリエッタ・イクスピアリ・フェナンブルク視点>>
愛おしき最愛の我が騎士、セラ・ドゥルパが北のヴィレ・バタタへ派兵されてから数週間。
私はその報告をシンシアから直接受ける為に、茶会を催した。
別に書簡でも問題ない内容であるにも関わらず、わざわざ茶会という場を設けたのは、彼女には二人きりで話したいことがあったからだ。
首都パルテンシアに聳え立つ城内の一角――王にのみ使うことを許された秘密の庭で、私は一人待っていた。
色彩に富んだ多くの花と穏やかな緑が調和し、陽光がたっぷり差し込む開けた場所。
にも拘らず、密談――いや、"蜜事"を行うために前王である母が造ったこの庭は、衆目を一切許さない造りになっている。
私が到着して間もなく、王国騎士団の統括、五星騎士であるシンシア・ルーヴェンは現れた。
「ヘンリエッタ陛下、シンシア・ルーヴェン、ただいま参上致しました」
「お待ちしていましたよ、我が友シンシア。紅茶はお好きですか?」
「へ、陛下!お茶など私が!」
この場所に給仕は入ることを許されていない為、私はそのまま彼女の制止を気に留める事なく用意した紅茶を白磁のカップに注ぐ。
最高級の茶葉はやはり香りが違う――そう思いながらも、城内と城下町の格差に拭えない違和感を感じてしまうが、故に私の倫理観が正常であることを教えてくれる。
「まあ良いではありませんか。さあ座ってください。まず報告を聞きましょう」
職人の技術が光る木製の椅子は、一見質素な造りだが座ると膝を叩いてしまうほどの心地良さがある。
渋々座る客人の前にカップを差し出す手が、僅かながらに震えている。
セラ・ドゥルパの安否。
ヴィレ・バタタの状況よりも、私にはそれが最優先事項だった。
「はっ!ヴィレ・バタタに向かったセラ・ドゥルパ一星騎士より、状況が打開されたとの報告がありました。敵は言葉を操る人型の魔物であり、自らを吸血鬼と名乗ったとのこと。血と影を操る未知の力を持っていたようですが、ハイネ・フォン・ガリレイ上級騎士、その他二名の初級騎士によって討伐したようです」
「――それは僥倖。つまり、セラさんは無事だということですね?」
「死者数名、負傷者多数ではありますが、セラ・ドゥルパを始めとする中核の騎士は無事のようです」
深い安堵が身体を満たしていくのは心地良い。
彼ならきっと無事であると、あのシグヴァルド要塞での姿を見た私は確信していた。
確信はしていたが、その半分は願望であったと言わざるを得ない。
彼が戻ってきたら、もうこういった危険な任務に就かぬよう、シンシアとはしっかり話し合っていこう。
「それと、その魔物が使っていた武器が届いております。報告書には、鉄製の大盾を紙のように切り裂いたとか。ハイネ・フォン・ガリレイ上級騎士が放った高出力の雷撃にも耐えたようですので、耐久性にも優れた代物のようです」
「鉄を紙のように?それはまた――恐ろしい武器ですね。当然貴女が使うのでしょう?」
私の質問に、彼女は険しい顔で言を返した。
「私も拝見しましたが、何というかその......不浄な気配を纏っておりまして。報告書にも委細が載っておりましたが、到底使おうなどとは」
不浄な気配というなんとも曖昧な表現に、学術ばかりを貪っていた私はどうしても理解が及ばなかった。
だからなんだというのだ。
そうは言わないまでも、王国騎士団が感情論で動いてもらっては困る。
「何故ですか?強い武器なのでしょう?使わないのは合理性に欠けると思いますが」
「いえしかし、剣は私の魂であり分身で――」
「我が友シンシア。貴女の考えを否定するつもりはありませんが、武器は何処までいっても敵を殺す道具でしかないと思います。剣であれば敵を斬れればよいのです。ならば良く斬れる方を使うのは道理でしょう?私はそう思いますが、如何ですか?」
「......陛下が仰るのであれば、是非もありません。それでは私が使わせていただきます」
「賢明な判断ですよ、シンシア。ただ、少し言葉が過ぎましたね。ごめんなさい」
思ってもいない謝罪の言葉で、紅茶を口にしようとしたシンシアは慌ててカップを元の位置に戻す。
「お止めください陛下!滅相もございません!戦時中であるという背景に鑑みれば、陛下のお考えこそ正しいと納得致しましたので!」
「ありがとう、そう言ってもらえると思っていました」
言葉の選択を誤った気がしたが、気にせず話を続けることにする。
「そういえば、件の中隊はいつ頃帰国するのですか?帰国してからで構いませんが、シンシアと彼にも相談したいことがあります」
「一年後の予定ですが、報告書によると状況は芳しくありません。場合によっては二年もありえるかと」
「に、二年っ!!??」
(二年後、つまり彼は十五歳で、私は三十歳!嘘、三十歳!?その年まで未婚とは――くぅ!誤算です!いやしかし、時間が想いを育てると以前本にも書いてあったような......いや、違う!彼が私に恋心を抱いているとは思えない!王命で無理やり帰国させるのは?ダメだ、軍務への口出しはシンシアとの関係を著しく悪化させかねない)
「そ、うですか。分かりました、ではその時に」
時間にして数秒の思考の結果出された返答は、凡庸で当たり障りのない、納得の一言。
シンシアは私の突然の動揺と不自然な落ち着きに、怪訝な表情を浮かべていた。
すると突然、首に王章を巻いた鷹が羊皮紙を携えて円卓に舞い降りた。
人は立ち入ることを許されないこの庭に於いて、外部との連絡手段はこの鷹のみであり、足に掴んだそれをそっと離して、鷹はすぐに飛び立っていく。
二本の羊皮紙には私の名と、シンシアの名が記載されている。
「――私達に緊急の書簡みたいですね。差出人は...っ!セラさんじゃないですか!」
そこには拙い文字で、村の状況と、近隣の村からヴィレ・バタタへの移住者を手配して欲しいと言うものだった。
(......つまり、私の采配によって二年という月日を短くすることも可能!それも、誰の道理を捻じ曲げることなく!これは神の御導きではありませんか!)
「素晴らしいですよセラ・ドゥルパ!」「ふざけるなよセラ・ドゥルパ!」
私が感嘆の声を発したと同時に、目の前の客人は烈火の如く怒りを露わにした。
感情のまま、力の限り羊皮紙を握りつぶしている。
「あ、あの、どうしましたシンシア?」
「申し訳ありません陛下。急用が出来てしまいました。我が妹と話をせねばなりません」
シンシアの書簡に何が書いてあったのかは分からないが、どうやら彼女の逆鱗に触れるものであったらしい。
カップに入った紅茶を一気に飲み干し、シンシアは席を立とうとするも、私は彼女を制止した。
肝心の用事はまだ残っているのだ。
「待って下さいシンシア。今日ここに貴女を呼んだのは、報告を受ける為ではありません。貴女に言わなければいけないことがあるからです」
シンシアが再び着席する。
「ずっと、謝りたかった。ゴア帝国との和平を反故にしてしまったこと、あれは全て私の愚行が招いたことです。本当に、ごめんなさい」
「――陛下、それは......」
「あの時、あの場に於いて私が下した決断、起こした行動、発した言葉、何一つ合理の欠片もない愚行であったと、深く後悔しています」
平和を前にしたからなのか、母を断罪した後だからなのか、私は明らかに異常な思考で動いていたと今なら言える。
もし民衆があれを見ていたなら、きっとその場で殺されていたに違いない。
それほどの大罪であることは火を見るよりも明らかだ。
しかしあの場での出来事が私の本心で無いと言えば、それはまったくの嘘になる。
セラ・ドゥルパを私のものにする為には、絶対にこの憂いを無くさなくてはならない。
彼女との蟠りの一切に決着を着けておけば、今後の王政はさらに堅実なものとなり、妄想をただの願望から現実にする為の一助となるだろう。
合理的に考えれば、私が頭を下げることなど些事なのだ。
打算による謝罪を聞いたシンシアの顔は、赤子に接する母親のような優しい顔――
――とは、言えない表情だった。
先ほどの怒りなどただの遊びだと言わんがばかりの、業火の如き激憤のそれに、どこか悲しみが混ざったもの。
思わず、たじろぐ。
「何故!......今になって、そんなことを仰るのですか!ヘンリエッタ陛下!私があの時、どんな気持ちで――」
歯を食いしばる目の前の客人は、私の返答を待たずに庭を後にした。
残されたカップの内側を紅茶の雫が伝う様子が、何故だか不思議なほどに長く感じられた。
失った――
この城内での唯一の味方を失った。
後ろ盾のない私が王としての威厳を振るえたのは、傍にシンシア・ルーヴェンの影があったからに他ならない。
王国騎士団の信厚い彼女を失うということは、これ以上なく私の立場を脅かすものだった。
「――王は孤独とは、よく言ったものですね、母上」
空を見上げて自分が口にした言葉に、失笑を禁ずることは出来なかった。
こうしてかの暴君、オーギュスト・ロイズ・フェナンブルクも、独りになっていったのだろうか。
もうその答えを得ることは出来ない。




