092.幕間:信じる事、その難しさ
<<ビューラ・リー視点>>
食事を終え、就寝の時間が訪れても、私の瞼は重くなることを拒んでいた。
テントの中に充満する、不安と疲労が入り混じった重苦しい空気に耐えきれず、私はそっと寝袋を抜け出す。
夜風に当たるため、静まり返った村の外へと足を運んだ。
シグヴァルド要塞戦という地獄を経験し、仲間の死を目の当たりにしてきた。
だから、戦いというものに今さら怖気づいているわけではない。
しかし――吸血鬼と名乗った、言葉を操る人型の魔物に、一方的に蹂躙され殺されることには...何故か分からないがどうしても納得できないものがあった。
それを言葉で説明しろと言われれば、ひどく難しい。
そこまで私は賢くないし、人生経験も浅いのだから。
お互いに全力を尽くして、命を懸けて戦うことを重んじているとでもいうのだろうか。
一方的な殺戮を、理不尽なほどの力の差を、ずるいとでもいうのだろうか。
――命の奪い合いには、規律が必要だとでもいうのだろうか。
(......子供だな、私)
自嘲気味に息を吐きながら、村が持つにはあまりにも物々しい、堅牢な砦門をくぐる。
すると、視線の先にひとつの影を見つけた。
草の上に座り、ただじっと夜空を見上げている大柄な背中。
ウィルさんだった。
彼もまた、同じ悩みを抱えて眠れずにいるのかもしれない。
少し、話したいと思った。
私は足音を忍ばせることなく、彼に近づいていく。
「おほん。ウィル・グッドマン中級騎士、こんばんは。隣、よろしいですか?」
わざとらしく畏まった声で呼びかけると、ウィルさんは少し驚いたように肩を揺らし、こちらを振り向いた。
「ビューラさん。なんですかその仰々しい態度は...いつもなら何も言わないじゃないですか」
「えへへ、きまぐれです。お隣、失礼しまーす。ウィルさんもお悩み事ですか?あ、分かりました!ほかの女性兵から誘われて困ってるんでしょ」
冗談めかして笑いかけたが、こちらを見たウィルさんの顔は隠しきれないほど疲れ切っていた。
無理もない。
彼は今日、何十人もの亡骸を運び、精力的に怪我人の手当をして回っていたのだから。
きっと、それが彼なりの処世術なのだろう。
女性兵ばかりの騎士団の中で、男性兵がたったひとり"上手く"やっていくのは、想像以上に難しいはずだ。
笑顔を絶やさず、誰よりも働き、決して文句を言わない。
そういった従順な役を演じていなければ、男性は発言すら許されないのがこの王国の現実だ。
ウィルさんは疲れ切った顔に、少し無理な笑顔を張り付けて言葉を返した。
「ははは、いやあ――お誘いいただくのは少なくありませんが、今はそういうのでは...」
「です、ね。私で良かったら話聞きましょうか?同じ、セラ小隊からの仲間じゃないですか」
私が隣に腰を下ろしながら言うと、ウィルさんの顔からスッと笑顔が消えた。
「やめてくださいよ、ビューラさん。もう分かってますよね?」
その声には、普段の彼からは想像もつかないような、微かな苛立ちが見え隠れしていた。
思わず怯んでしまう私をよそに、ウィルさんは再び視線を夜空に戻し、吐き捨てるように言った。
「セラ隊長とあの化け物の会話ですよ――あれが隊長の陽動作戦の一部だったのかどうかは分かりませんが、中隊の仲間を殺すよう仕向けたんです。このまま隊長に着いていくべきなのか、不安で...」
彼の言葉を聞いて、私はぽかんと口を開けてしまった。
そんなことで悩んでいたのか、と。
「...え?それだけですか?」
――あ、まずかったかな。
あまりにもどうでも良いことで悩んでいる彼を見て、つい本音が漏れてしまった。
予想通り、ウィルさんはすごい勢いで首を回転させ、目をひん剥いてこちらを睨みつける。
「ちょ、そんな顔しないでくださいよウィルさん!怖いですって」
「あ、ああ。すみません。ビューラさんが知らない言葉を使うもので、つい...なんだこの女、何も考えてないのか、頭の中は伽藍洞なのかと顔に出てしまいまして――」
「いや流石に辛辣すぎでしょ」
普段の丁寧な彼からは信じられないほどの毒舌に、私は思わずツッコミを入れてしまう。
「そりゃそうでしょ!だってあの時の隊長はっ!」
「信じてついていくって決めたのは自分なんですよね?」
私が少しだけ声を張って遮ると、ウィルさんは口をパクパクとさせた。
「だから!自分の判断が不安になって――」
「私、そんなに頭は良くないです。だけど、前から思ってたんですよね。信じてたのに、って言うのは、ちょっとおかしいなって。だって信じるって言葉は、本当に心から信じてたら出てこない言葉じゃないですか」
言ってしまってから、急に顔が熱くなるのを感じた。
ああ、恥ずかしいな。
こんな年上の、しかも子を持つ父親である人に、からっぽの私が偉そうに自分の考えを話すなんて。
ウィルさんは反論することなく口をつぐみ、私の次の言葉を待っているように見えた。
「えっと、だからその...ついていくって決めたら、もう全力でついていくってことです!裏切られたっていうのは、最後の最後でいいじゃないですか。隊長から『お前らのこと騙してたんだ』って直接聞くまで、私は迷ったりしません」
一気に言い切ると、辺りに静寂が降りた。
風が草を揺らす微かな音だけが、二人の間を通り抜けていく。
見上げる夜空には、数え切れないほどの星が瞬いていた。
冷たい夜の空気が、火照った頬を撫でていく。
...どれくらいの時間が経っただろうか。
次の言葉を自分から紡ぐべきか、ウィルさんの言葉を待つべきか迷っておろおろし始めた私を見かねたのか、彼は端的に返事をしてくれた。
「...今日は、寝ます」
ウィルさんが、ぽつりと呟いて立ち上がった。
「あ、はい!すみません偉そうにしちゃって」
「いえ、ありがとうございます。......自分の思慮が浅かったんだと思います。ビューラさんと話せてよかったです」
そう言って私を見下ろした彼の顔には、先ほどまでの迷いや疲労の影は薄れていた。
砦門へと戻っていくウィルさんの足取りは、疲れを感じさせない軽やかなものだった...ように思った。
気のせいかもしれないけれど。
一人残された私は、草の上に寝転がって星空を仰ぐ。
(はあ、なんか余計に目が覚めちゃったなー)
冷たい風が、私の前髪を揺らす。
夜は、まだ長そうだ。




