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継承のセラ  作者: 山久 駿太郎
第八章 -第三の勢力-
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089.影を穿つ[後編]

ハイネは、愛用している槍を無造作に地面へ突き刺した。

自信に満ちた雷神と、焦燥に駆られる怪物の視線が交叉する。

武器を手放すという行為――それが敵に伝える言葉は二つに一つ。

戦意喪失による戦闘放棄、降参。

そしてもう一つ――侮蔑、嘲笑、取るに足らない雑魚であるという慢心が呼び寄せる、相手の激昂。


「舐めるなよ、人族風情があああああぁぁぁッ!!」

「どこまで雑魚っぽいねんお前!ホンマ大好きやでえ!」


花のような笑顔のハイネに向かって影は爆ぜる。

一瞬で距離を詰めた黒い疾風がハイネに殺到する。

拳が、脚が、膝が、肘が――人知を超えた速度で繰り出される連撃の嵐。

その一撃一撃が、岩をも砕く威力を秘めていることは、空を切る風鳴りだけで理解できた。


だが、当たらない。

掠りもしない。


ハイネは最小限の動きで、その全てを躱していた。

寧ろどこまで肉薄した回避が出来るか試している。

彼女の身体を覆う雷光が残像を描き、アーカードの攻撃は虚空を打つばかりだ。

(遊んでやがる...ハイネ、頼む。油断するな!)


「おぉい止まって見えるで!?いつ本気出してくれんねんっ!」

「黙れッ!黙れ黙れ黙れェッ!!」


アーカードは、自ら弾け飛んだ右腕の断面を突き出した。

闇が蠢き、瞬時に鋭利な剣の形状へと変化する。

間合いを無視した刺突。

不意を突く一撃――のはずだった。


しかし、ハイネはそれすらも予期していたかのように、ふわりと宙を舞った。

重力から解き放たれた雷の精霊は空中で身体を捻り、右手に雷のマナを収束させる。


詠唱はない。

ただ、意思のみで形作られた雷の槍。

(無詠唱呪文!?やっぱりあの首の文字は――)


「それっ!」


軽い掛け声と共に投擲された雷槍は、光の速さで吸血鬼へと迫る。

アーカードは自らの影の身体を強引に歪め、紙一重でそれを回避した。

地面に着弾した雷が弾け、石畳を焦がす。


「そない無様な避け方しか出来ひんのかい!見世物小屋以下やなあ!」


空中に留まったまま、ハイネがケラケラと笑う。

その嘲笑が、怪物の矜持を粉々に粉砕した。


「ギィィィィィィィィィィィィィィィィ!!!!」


声にならない、不快な絶叫。

アーカードの輪郭が崩れ、影が膨張する。

彼は自らの姿を、巨大な(さなぎ)のように変えた。

防御か、それとも――


直後、蛹が内側から食い破られるように裂け、背中から禍々しい赫翼が顕現した。

先ほど見せた血の翼とは比較にならないほどの、巨大な死の気配。

展開された翼から、数えきれないほどの血針が放たれる。

視界を深紅で埋め尽くす、猛烈な死の豪雨。


着地したハイネは(おもむろ)に――腕を組む。

不敵な笑みは崩されない。

突然の轟音と共に、半径五メートル、彼女を中心とした空間に巨大な雷の柱が立ち昇る。

殺到する血針は、雷柱に触れた瞬間に蒸発し、炭となって消え失せていく。


「あはははははは!!ウチは無敵やあああ!」


ジジジジジ、と何かが焦げる音が連続して響く。

圧倒的な熱量と電位の壁。

ハイネはその中で、踊っていた。

舞っていた。

今、目の前で起きているこの戦いを見て――どちらが怪物だと、言えるだろうか。

圧倒的な力に立ち向かう弱き者。

本来であれば、その勇姿や意志の強さにこそ気高さを感じるはずだ。

ハイネが仲間を守ってくれたという安堵は確かにあるし、それに救われたことも否定できない。

だが――今目の前で繰り広げられている、圧倒的強者が弱者を弄るかのようなこの光景は、本当に私が望んだものなのだろうか。


やがて、赫翼は消滅した。

血を使い果たし、蛹の形態を解いた吸血鬼の影は幾ばくか薄くなっている。

露わになったアーカードの顔には、隠しようのない戦慄が張り付いていた。


「な、なん―――」


吸血鬼は震え、怯える。

後ずさりしながら、自分が捕食者ではなく被食者であることに気付いてしまった獣の顔。


ふと、東の空が白み始めた。

夜の帳が上がり、空の端が徐々に橙色を帯びていく。

朝が、来る。


「そろそろ夜明けやな。じゃあおしまいにしよか!」


ハイネの纏う雷光が、より一層の輝きを増した。

彼女は音もなく地面に降り立つと、最初に突き刺した槍の柄を掴み、素早く引き抜いた。

切っ先を、アーカードに向ける。


「ぐっ...!」

アーカードが身構える。

だが、ハイネは槍を構えるのではなく――ただ、手を離した。

投げる動作すらなく、ただ手を離しただけの槍が、得体の知れない推進力を得て弾丸のように射出される。

反応すら許さない神速の一撃が、アーカードの影の身体を深々と貫き、背後の地面に縫い留める。


「ガッ!?」

「もういっちょ!」


闇が揺らぐ隙を与えず、ハイネは両手をかざした。

すると、周囲に散らばっていた鉄製の盾、壊れた農具、兵士が落とした剣――あらゆる金属が、アーカードに向かって殺到する。

粗雑な金属音が重なり合い、アーカードの身体に吸い付くように張り付いていく。

槍で縫い留められた身体に、鉄屑の拘束衣が着せられていく。


「な、なんだこれは!?離れろ!離れろぉぉ!!」

「すごいやろ?磁力って言うねん。死ぬ前におべんきょ出来てよかったなあ!」


雷の特性を応用した、強力な磁場の檻。

アーカードは鉄の塊に埋もれ、身動き一つ取れなくなっていた。


「負ける?この某が――某は吸血鬼だぞ?そんな、そんな――ありえない。ありえない、ありえないありえないありえないっ!!ありえないイイイイイイィィィィ!!!」

「さっさとその影の鎧を解けばよかったやろ。それもあんたさんの気高さが邪魔してはったん?自分の立場も分かってへんなんて、最後までおつむの足らん魔物やなあ」


ハイネは呆れたように首を振ると、両手の指で四角い枠を作った。

片目を閉じ、その枠の中に、鉄屑に埋もれた吸血鬼を捉える。

弓兵が、獲物に狙いを定めるように。

その指先に、膨大な、致死量のマナが収束していく。

空気が悲鳴を上げ、周囲の空間が歪む。


「照準よーし!いくでええええええええ!」


次の瞬間。

目も開けられぬほどの烈光が、世界を白く塗り潰した。

鼓膜が破裂するかのような轟音と共に、ハイネの指先から放たれたのは、直径三メートルはあろうかという極太の雷光。


「アアアアアアアアアアアアァァァァ..............」


断末魔すら、光の奔流にかき消される。

全てを灰燼と化す破壊の光が、広場を一直線に貫いた。


光が収まり、視界が戻った時。

そこには、何も残っていなかった。

アーカードも、彼を拘束していた鉄屑も、地面の石畳さえも。

ただ、黒く焦げた一直線の溝が、湯気を立てて続いているだけだった。


「あ...もうアカンわこれ―――あと頼む...わ」


纏っていた雷光が霧散し、ハイネの身体がぐらりと傾く。

私は慌てて駆け寄り、倒れ込む彼女の身体を受け止めた。

身体は熱く、呼吸は荒い。

「ハイネッ!」

「セラくん、ウチを、拘束して...」





「え、は?拘束...?」

「おねが...い」


そのまま彼女は気を失った。

マナの過度な使用による一時的な昏睡状態だろう。

彼女はやり遂げたのだ。

人知を超えた怪物を、その力でねじ伏せた。


「...ありがとう、ハイネ」

(――でも、拘束...?何のために?本当にしなきゃいけないのか?)


万感の思いを込めて、私は彼女を抱き起す。

今はこの吉報を、避難した仲間たちに届けなければならない。

私はハイネを肩に担ぎ、歩き出そうとした。


その時、動いた。

焦げ付く匂いが漂う雷光の通り道から、何かが這い出てきた。

小さな、黒い影の塊。

アーカードの破片とも言える、燃えカスのごとき残滓。


「許...すまじ―――この場は引く。いずれ必ず、貴様らは殺す!」

「アーカード!?まだ生きてるのか!?」


怨嗟の声と共に、影の塊は地面を滑るように移動し始めた。

その向かう先は――中隊の仲間たちが退避した方角。


「警戒しろ!ヤツがそっちに逃げたぞおおおお!!」


私の叫びに、避難していた兵士たちが弾かれたように反応する。

素早く武器や杖を構え、攻撃に転じる。

だが、相手は影だ。

変幻自在に形を変え、兵士たちの足元を縫って、アーカードは村の外へと抜けようとする。













「這い寄る闇は僕となりて、我が影に交わらん。操影術<アンブラ>」

その喧騒の中、凛とした詠唱が響き渡った。

直後、疾走していたアーカードの影が、見えない杭に打たれたようにピタリと止まった。

「な、なに...!?動け、ぬ...!?」

「フォウ隊長にあんなことしておいて...逃がすわけないじゃないですか。生まれて初めて感謝しましたよ、このクソッタレ魔法にねぇ!」


影の中から現れたように、一人の女性が立っていた。

深緑の髪を揺らし、丸い眉を怒りで吊り上げた――ナルディア・ナルニー。

彼女の足元の影が長く伸び、アーカードの影と繋がっている。

闇属性魔法による、影の操作。

影そのものとなった今のアーカードにとって、それは絶対の拘束枷だった。


「クリスティン!悔しいけどトドメは譲ってあげる!絶対に一撃で仕留めて!」

「分かってるっての!」


ナルディアの叫びに応え、勢いよく飛び出したのは赤毛の戦士。

その手には、既に炎を纏わせた剣が握られている。

一番隊、元荒くれ者のクリスティン・イド。


「やめろおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」


アーカードの絶叫が響く。

だが、振り下ろされた炎の剣は止まらない。


「ずおりゃあああああああああっ!!」


一閃。

炎の剣は、動けぬ影の本体を真っ向から切り裂いた。

断末魔を上げる間もなく、影は炎に包まれ、焼き尽くされていく。


やがて、黒い煙となって空へと昇り――朝焼けの光に溶けるように霧散した。

夜を支配していた影は穿たれた。


空虚なこのヴィレ・バタタに朝は来た。

明けの明星を出迎えるのは、疲労に溺れた兵士達、そして――

残った村民と、同志達の亡骸の山だった。

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