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継承のセラ  作者: 山久 駿太郎
第八章 -第三の勢力-
88/89

088.影を穿つ[前編]

怪物は沈黙する。


先ほどまで、あれほど饒舌に己の美学と力を誇示していた吸血鬼が、今は押し黙っている。

吸血鬼アーカード・フランジェリコは、明確な脅威として認識したのだ。

細まる深紅の瞳孔が見定めるのは、稲光の化身。

ハイネの一挙手一投足に警戒しているのがありありと分かった。


アーカードは無言のまま、血の魔剣を構え直す。

先刻まで月の光すら、宵の闇すらぬらりと吸い込んでいた不気味な出で立ちの赤き剣。

しかし今は圧倒的な光を前に、その姿形を衆目の前に晒されている。

そして、彼は足元の影に意識を向けた瞬間――苛立ちを隠そうともせずに舌打ちをした。


「チッ......」

その微かな音を、ハイネは聞き逃さなかった。

彼女は全身から眩い雷光を放ちながら、小首を傾げる。


「影を使って移動出来へんの?あー、そかそか!あるわけないもんなあ、影!だって、今この場の光源はウチなんやから!」


ハイネの言葉通りだった。

彼女は発動させた纏魔装<マテリアライズ>と呼ばれる魔法によって、自身を雷そのものへと変質させている。

今のハイネは、この広場における絶対的な光源だ。

光あるところに影は生まれる、それが自然の理だ。

だが、光源そのものが目の前に在り、その光量が圧倒的過ぎる場合、闇は存在を許されない。

地面に落ちるはずの影さえ――白く焼き尽くされる。


影を媒介にして神出鬼没に移動する、あの厄介な転移術は封じられた。

「......小賢しい真似を。それで勝ったつもりなのか?」


アーカードが低く唸る。

逃げ場も、隠れ場所もない。

残されたのは、真正面からの衝突のみ。


吸血鬼は退かなかった。

影が使えぬなら、己の肉体で蹂躙するまでと言わんばかりに、彼は大地を蹴る。


「...ハイネ!気をつけろ!!」

疾風――いや、それすら生温い。

音を超えた踏み込みが、石畳を粉砕する。

黒い残像すら残さず、アーカードはハイネへと肉薄した。


「...あぁ、なるほどなあ。"止まって"見えるわ」

ハイネが、何かを納得したように小声で呟いたのが聞こえた気がした。


私の動体視力でも、辛うじて赤い閃光が見える程度だ。

知覚すら置き去りにする速度で繰り出されたシウコアトルの刺突。

狙いはハイネの左胸――心臓を一突きにする軌道。


乾いた音が、聞こえた。

あまりにもあっけなく、ハイネは攻撃を止めた。

児戯――そう、児戯だった。

粗削りの木剣を親に向かって振り回し、叱咤と共に玩具を取り上げられる。

無敵だった自分は現実に引き戻され、返して、返してと泣きわめく子供。

そんな、児戯。


最小限の動きで刺突を躱し、

懐に入り、

影の怪物の右手首を掴んだ――


音速を超えて迫ったアーカードの右手首をあっさりと掴み、負傷を回避した。


「な...に?」


アーカードの動きが、凍り付いたように止まる。

彼の目が見開かれ、朱色の瞳孔が震えていた。


「ほいっ!」

間を置かずに、ハイネの軽い掛け声。

直後、強烈な雷光、刹那の後に乾いた破裂音が響いた。


カラン、カラン......


金属音を立てて、魔剣シウコアトルが石畳に落下する。

剣だけではない。

剣を握っていたはずの――アーカードの手首から先が、無くなっていた。


切断されたのではない。

ハイネが掴んだ箇所から先が、雷の熱量と圧力によって跡形もなく弾け飛んだのだ。

刹那の、沈黙――吸血鬼の思考はやっと現実に追いついた。


「ぐ、ぐぬううううううおおおおおおおぉぉ!?」


アーカードは絶叫し、失った右腕を押さえてたたらを踏んだ。

傷口からは血が出ることもなく、ただ炭化して煙を上げている。

アーカードはシウコアトルを拾う余裕もなく、全力で後方へと飛びのいた。


「あーらら、お手手が無くなってしもたんか?堪忍なあ、そんなに力入れてへんかったんやけど」


ハイネは悪びれる様子もなく、掌についた煤を払う仕草を見せた。

その表情は、友人と談笑している時のような気軽さだ。

だが、纏っている雷光はより一層激しく、けたたましく暴れ狂う。


「貴様ッ......!貴様ぁぁぁッ!!」

「ピーチクパーチクうるっさいのぉ!ごちゃごちゃ言わんとさっさと来いや煤埃(すすぼこり)!」


手負いの怪物はハイネを睨みつけ吠える。

その目には、先ほどまでの余裕も、美学を語る傲慢さも欠片もない。

あるのは、純粋な恐怖と、理解不能な存在への畏怖。

広場を支配していた絶望的な空気が、霧散していくのを感じた。


「す、すごい......」「勝てる......勝てるぞ!」

二人の戦闘に目を奪われていた兵士達の瞳に、光が戻っていく。

恐怖で凍り付いていた思考が解け、彼女たちは武器を握り直した。

混乱は収まりつつある。

明確に、流れが変わったのだ。

だが――


(ハイネ...笑ってる?)

彼女の様子に感じる、違和感。

昂揚と狂気が混ざった彼女らしからぬ、強烈な感情の発露。

新たに生まれる別の不安を無理やり胸の内に押し留める。


私は、目の前に立つハイネの背中を見つめた。

青白い光に包まれたその姿は、あまりにも神々しく、そして頼もしい。

彼女はいつも私の前を歩き、導いてくれる。

訓練の時も、シグヴァルド要塞の時も、そしてこの絶望の中でも。


本当にすごい戦士だと、心からの尊敬を抱かずにはいられなかった。

同時に、あそこまで辿り着くために彼女がどれほどのものを積み重ねてきたのかを思い、胸が熱くなる。

そう、一抹の不安など忘れてしまえ。

(きっと、気のせいだ)


「はは!こらすごい魔法やなあ!帝国の複合属性魔法もまあ驚いたけど、この魔法もたいがいイカれてるわ!ぜーんぶ!全部"分かる"!」


私は、震える足を叱咤して一歩前に出た。

聞かなければならない。

彼女の背中に、問いかける。


「ハイネ、勝てそうか...?」


恐る恐る放った私の声に、彼女は振り返ることなく、背中で答えた。

雷光の中で、小麦色の髪がふわりと揺れる。


「はあ!?勝てる?あの煤埃に?本気で言うてんのセラくん」

「お、おう。本気で聞いてるよ」


いたずらな笑顔で、雷神は問い返す。

「...勝って欲しい?」

「――ああ!」

「あっはは!安心しぃ!夜明けまでには討伐したるわ!」


不遜なその言葉に、一点の曇りもなかった。

夜明け、それは希望の光。


「みんな手ぇ出すなや!ウチの雷撃で死んでまうかもしれへんからなあ!責任とれへんよ!」

「全隊、ハイネから距離を取れ!負傷している者の治療を進めろ!」

「「「応っ!!!」」」


息を吹き返した中隊の仲間達は迅速に動き始める。

怪我をした兵士の肩を担ぐ者、兵士の亡骸を運ぶ者――


「がふっ...!?もっと――優しく運べ、ナルディア...」

「っ!?フォウさあ゛あ゛あ゛ん゛!」


か細く儚いが、聞きなれた仲間の――フォウの声が聞こえた。

「フォウ!生きてるか!?」

「なん、とか...ちょ、眩しい――もう昼なのか...?」

「いいから!今は目を閉じて休め!止血は済んでるんだな!?フォウ、内臓は無事か?」

「いや、すごく――痛い。だが脇腹辺りだったのが...幸いだった――」

「分かった!救護班、避難させて治療しろ。二番隊は光源確保!一番隊と三番隊の動けるヤツは安全地帯まで動線を確保しろ!もうこれ以上絶対に死なせるな!」


生きていた。

生きていた。

フォウが生きていた――

(よかった...っ!!)


安堵に身を委ねるには早いと分かっていても、この安心感はどうすることも出来ない。

すでに息を止めた仲間もいる。

しかし、それでも。

フォウが生きていたことは今の私にとって望外の喜び以外の何物でもない。

もうこれ以上死なせたくはない――しかし今この場で、私が出来ることは限られている。

ハイネ・フォン・ガリレイを信じ、勝利したあとの為に行動する。


「くっ...女あああああ!よくも――よくもやってくれたなあああ!」

辛うじて人の形を保つアーカードは、深紅の瞳孔を大きく見開き絶叫する。

弾けた右手首は黒い煙を漂わせながら、元の形に戻ろうとはしない。

幻影だったあの姿から、闇の鎧を纏う風体になった今――本体への攻撃は有効。


「あっははは!"よくも"ってホンマに言うやつおんねんなあ!雑魚っぽくていい味出しとんでぇ自分!」

「シュアアアアアアアアアアァァァァァァァ!!!!」

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