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継承のセラ  作者: 山久 駿太郎
第八章 -第三の勢力-
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086.混乱

「.........フォウ?」

あまりにも、間抜けな声が口から洩れるのを止めることが出来なかった。


ずるり――――と。


この世界から忌み嫌われたかの如き刀身は、フォウの腹から引き抜かれる。

血は噴かない。

鉄錆の匂いも、飛沫も、何もない。

乾いているのだ。


やっとのことで自身の役割を思い出した身体は、抜き取られた後に残る虚空をゆっくりと血で埋めていく。


倒れる音は不思議と小さく、乾いた石畳がそれを淡々と受け止める。

凛とした濃紺の髪が地面に散らばっていく。

それは、枝から別れを告げられた花弁。

儚さ、それのみが見た者の脳裏に刻まれた。


「――まったく、この剣は言う事を聞かんな。肥し過ぎてしまったか?」

「フォウっ!!」


身にこびり付く滑りを飲み下すシウコアトルを、淡々と眺めるアーカード。

その足元に(うずくま)るフォウは――まだ死んでいなかった。

息絶え絶えになりながらも身体を仰向けにし、掠れた声を絞り出す。

後方に構える、ビューラ・リーに向けて。


「ビュー...ラ...周囲を......照らせ...っ!」


混乱した兵士達の喧騒に搔き消されそうになる小さな声は、目に涙を堪えたビューラに届く。

ビューラは一瞬だけ目を見開いて――次の瞬間、涙を拭う暇すら与えず反射的に声を張り上げた。


「二番隊ッ!火属性魔法、全弾天に向けて放てっ!ありったけの炎で照らしなさいっ!!」


混沌の最中でありながらも反応した二番隊の魔術師数名は一斉に杖を掲げ、幾つもの炎が夜空に向かって放たれる。

暗闇を切り裂く篝火。

炎の柱は天を穿ち、橙色の光が広場の隅々まで広がっていく。

路地の奥まで、建物の影すら焼き払うように。


漆黒の輪郭を纏ったままの吸血鬼は、一瞥すらくれなかった。

ただ、嫌そうに目を細めると、足元の影の中へ音もなく――とぽんと沈んだ。

水面に落ちた石が波紋を残して消えるように、気配ごと。


「全隊ッ!!影を警戒しろ!足元から来るぞ!二番隊は炎を止めるな、一秒たりとも消すな!!」


私の号令が広場に木霊する。

影が消えた直後の、一瞬の平穏。

しかし誰もが分かっている。

怪物の息遣いは今も尚、耳の奥に居座り続けていた。


「フォウ隊長!フォウ隊長ッ!救護班、すぐに止血しろッ!!」


悲痛な声を上げたのは、三番隊のナルディア・ナルニーだった。

長い深緑の髪を振り乱し、フォウの傍に膝をつく。

丸い眉が痛ましく歪み、白い頬は恐怖で蝋のように硬くなっている。

彼女は力の限り叫び、助けを求め続ける。

フォウの腹には縦に大きく割けた穴が空き、血は留まることなく外を目指して流れ続ける。


(フォウが......死ぬ?死ぬのか?え――)

無理だ。

無理だろう、それは―――

だって、それは、そんなことは......


これほど、現実から目を背けたことがあっただろうか。

駆け寄る仲間達、その輪の中に自分はいない。

足も、心も、頭も――何もかもが動こうとしない。


「ナルディア!」


零番隊と共に駆け戻ったハイネの声が、鋭く夜を切り裂いた。

その表情に、いつもの余裕はない。

もう息をしているかどうかも定かではないフォウ・グッチの姿を一目見ただけで、ハイネは悟る。


「フォウはもう助からへん!今は自分の身を守れ!立ち上がって持ち場に戻らはらんと!」

「でもっ!でも――フォウ隊長はまだ息を!まだ――!?」

「ナルディア・ナルニー!」


ハイネの怒号が、ナルディアの嗚咽を断ち切る。

それ以上の言葉は掛けなかった。

ナルディアは地面に拳を打ちつけた後、立ち上がって剣を構えなおす。


炎が照らし出す光の結界――その境界線の向こうは、依然として深い暗黒だ。

建物の壁に沿って伸びる細い影、路地の奥に蟠る暗がり。

あの吸血鬼が潜めそうな場所は、いくらでもある。


足元に、周囲の影に、混乱する仲間の兵士に――伝播する恐怖は止めようがなかった。

立ち昇る火柱の勢いは確実に弱まっていた。

あの火力で放出し続ければマナもすぐに枯渇してしまうのは明白だ。

暗がりが押し寄せる今、まるで怪物の群れがにじり寄る感覚を覚えた。


炎が風に煽られるたびに、影は微かに揺らぐ。

その揺らぎのひとつひとつが、背筋を這う虫のように私の神経を逆撫でする。

広場に積まれた数百の骸が橙の光に照らされ、死者が生者を嘲笑う――そんな錯覚すら感じてしまうのだ。


静寂。

だが、虚構の静寂。

皮膚が粟立つような気配が、全方位から間断なく押し寄せてくる。







もう、諦めたかった。







「人間は自らの常識を越えた現象に相対すると、こうも慌てふためいてしまう。なんと脆き種族か、そうは思わんか小僧」

「―――ッ!?」

背後から、声。

間隙のない静寂を、紅い声が縫うように割り込んだ。


停滞する脳を置き去りに、身体は動く。

振り返らない。

脇の隙間から、後方に向けて槍を突き出す。

一合で仕留める――そんな気迫を乗せた刺突。


だが、ぴたり、と。


黒曜石の穂先が止まった。

私はようやく振り返る――槍の先端は怪物の目先で不自然に止まっていた。

そこに立つのは、影を身に纏った不気味な漆黒の出で立ち。

アーカード・フランジェリコは、至近距離で私を見下ろしていた。


「止めよ」


不気味さと、しかし妙な親切さが同居した声色――この世界の異物を前に、やっと脳は動き始める。


「今の貴様はあのお方の器。某のシウコアトルに巻き込まれる愚劣な振る舞いは控えるのだぞ」

「あの方?随分とアンヘルのことを格上に見てるじゃねえか」

「"アンヘル"?貴様まさか...あのお方に名を――無知とは恐ろしいな。その行為がどれほどの...いや、これ以上言うまい」


刹那、大気の雰囲気が"尖る"。

咄嗟に距離を置くと、背後から凄まじい雷撃が漆黒のシルエットめがけて殺到した。


「ウチの大将から離れろやボケぇッ!!」

青白い稲妻は、闇を焼き尽くさんばかりに輝く。

一撃で意識を焼き切る威力が、吸血鬼の胸に直撃する――


「......ッ。小僧、羽虫の掃除が終わるまで暫し待て」


興味を失ったかのように私に背を向け、アーカードは優雅な足取りで中隊の方へと歩き始めた。

(許すな、許すな、絶対コイツを許すな!!!)


「行かせるかよおおおおおぉぉぉ!」


風陣脚を爆ぜさせ、一気に加速する。

全体重を乗せた回し蹴り――しかし、空を切った。

足裏に残る衝撃だけが、確かにそこに何かがあった事を教えてくれる。

「なっ...どこだ!?」


「影ばかりを気にしていては、我が御姿を目に焼き付けること叶わぬぞ?」

声は前方。

見上げた視線の先、一番隊の大盾が構える防壁の真正面に――いつの間にか、漆黒の影が佇んでいた。


大きく振りかぶられたシウコアトルが、横一閃。

風のような速度で薙がれた弧が、重厚な鉄製の大盾を通過する。

鉄と鉄がぶつかる音すら鳴らない。

ただ――通過した。


数秒の沈黙の後、三枚の大盾がずれ始め、上半分が音を立てて地面に落ちた。

まるで紙を鋏で断つように、盾は斜めに引き裂かれていた。

背後にいた兵士達が恐怖で立ち竦む。


「飾りの盾か?酷く質の悪い鉄だな」


シウコアトルの二撃目が横から入る。

同じ軌道、同じ速度。

残った盾ごと、その向こうにいる命を断つための一振り。


「水は凍てつく光となりて、飛び来る厄災を打ち払わん!氷散華盾<グレイシアブルーム>!」


しかしそれを止めたのは、何層にも重ねられたウィルの氷板だった。

数枚が砕け、鋭い破片が宙に散る。

ガギィ、と不快な音を立てて、赤黒い刀身は辛うじて動きを止めた。


「ほう?」

「くっ―――何枚重ねたと思ってるんですか」

アーカードは感情の無い声で呟きに、氷板の向こうからウィルの苦し気な声が答えた。


「その不可思議な力は、某の世界にはなかったものだ。この世界の人族は皆それが使えるのか?」

返答を待つ素振りすらない。

吸血鬼は一呼吸の間を置いて、独りごちるように続けた。


「しかし、長々と言の葉を紡がねば発動せんのだろう?下に不便なり。その程度の術で私を打倒せんとするのなら、それは傲慢というものだ」


ウィルが次の詠唱に入ろうとした、その時だった。


「ぐえあぁぁぁぁ!?」

「きゃあああっ!」


地面が突如として隆起した。

岩が、石畳を突き破って突き上がったのだ。

アーカードの攻撃ではない――恐怖に錯乱した味方の騎士が、なりふり構わず土属性魔法を暴発させたのだ。

隆起した岩は友軍の足元をすくい、数人の兵士が空中に投げ出される。


「だっ、ダメです!落ち着いてください!訓練もしていないのにこの距離で魔法を使っては味方に被害がっ――!?」


ウィルの叫びは最後まで続かなかった。

別の方角から放たれた稲妻の矢が、彼の右肩を深く穿った。

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