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継承のセラ  作者: 山久 駿太郎
第八章 -第三の勢力-
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085.夜は舞い降りる

(出涸らし...?)


その言葉が夜気に溶けた瞬間、世界から音が消えたような錯覚に陥った。

目の前の吸血鬼、アーカード・フランジェリコの動きが止まる。

常に余裕と陶酔を浮かべていたその怪しげな美貌から、感情が消え去る。

困惑――そして怒り、表情が移り変わるのにさして時間は必要としなかった。


とても、静かだ。

視界が黒一色に染まる中、ただ朱色の瞳孔だけが、揺らぐことなく私――いや、私の身体を借りているアンヘルを捕え、業火のような殺意を向けていた。


「......今、何と、言ったのだ」

『カカカ、何度でも言ってやるぞ。出涸らしだと言ったのだ。真なる吸血鬼(ヴァンパイア)と呼べるのは、始祖である貴様の母ただ一人。それ以外は――そうだな、そこらの小鬼と大差はない』

地を這うような低い声に、アンヘルは嘲笑で応える。


「小僧ッ......!」

アーカードの全身から、噴煙と共に殺気が噴き上がる。

影が波打ち、彼の怒りに呼応して形を変えていく。

だが、激昂する寸前で、彼は何かに気づいたように眉をひそめた。


「待て......いや、待て待て。小僧貴様、マァマを知っているのか?」

その幼児語のような響きと、彼が放つ殺気との乖離が、背筋を冷たく撫で上げる。


『誰に向かって言っている。全知とは、我の為に生まれた言葉だぞ――あの愚かな女もまた、境界を越えてこの世界に迷い込んだ挙句に、あっけなく封印されたではないか。貴様らは人族を舐め過ぎだ。屠ること叶わずとも、無力化する術はいくらでもあるのだぞ?まったく情けない』

「マァマを......馬鹿にするんじゃあないッ!!!!」


私の知らない歴史が、私の口を通して語られるのは奇妙な感覚だ。

アンヘルの口調は、まるで古い友人の失敗談を語るかのように軽薄だった。

だが、その内容はあまりに情報が多い。

(境界?始祖?封印...?)


『なんだ、今はネクロニを母親に見立てているのか?哀れな赤子よ。乳離れも出来ぬまま、偽りの母に縋るとはな』


アンヘルは嘲笑を深め、私の腕を広げて見せた。

『だが、すまんな。生憎と、母乳の用意はない。我の前で指をしゃぶるのは見逃してやる』

「すぁぁぁぁあああああああああああああああ!!!???」


絶叫。

それは言葉というより、衝撃波に近い咆哮だった。

アーカードの足元の影が、怒りでぐにゃりと歪む。

背中に集束していた血の翼が、一瞬にして無数の鋭利な針へと変貌した。

数千、数万の紅い切っ先が、私一点を狙って鎌首をもたげる。


(おいアンヘル!挑発しすぎだろ!)

私の叫びなど意に介さず、アンヘルは悠然と構えている。


「大将ッ!!!!!!!」

ハイネの絶叫が耳に届くのとほぼ同時に、すでにアーカードの殺意は目の前に迫っていた。

彼の背から放たれた無数の血針が、雨となって私に降り注ぐ。

回避も、防御も間に合わない。

死が、赤い壁となって迫る。


『――おい、出涸らし。母に会いたいか』


アンヘルが短く、囁いた。


ピタリ――


鼻先数センチのところで、紅い死の雨が静止する。

風が止み、虫の音さえも消え失せた静寂の中、アーカードの驚愕に満ちた声が響く。


「......知っている、のか?」

『ああ、知っているとも。全知の我に知らぬことなどない』


喉元に刃を突きつけられている者とは到底思えない傲慢さに、今は譲っているはずの身体が唾を飲んだ錯覚に陥る。


『だが――今は生憎と、この忌まわしき肉の楔に縛られていてな。自由が利かんのだ』









『もし我を、この窮屈な檻から解き放つことが出来たなら.....貴様の望む全てを教えよう。母と人族の戦い、居場所――そして封印の解除方法もな』

(お前、何を言って...)


私の内心の動揺をよそに、交渉は進んでいく。

アーカードは血の針を収めはしなかったが、その切っ先を僅かに下げた。

同時に顔色は蒼く、白くなっていく。

気付き――彼は何かを理解した。


「全知――そう、か。ようやく、理解した。貴様は、いや貴方様は――」

『ああ、口にせずとも良い。然り、然りだアーカード・フランジェリコ。世界の道が絶たれるより遥かな太古から、我は此処に在る』

「やはり...おいたわしや、随分と窮屈な器に閉じ込められているのですね」

『カカカ。笑っても良いのだぞ?』

「そんな恐れ多い...先ほどまでの無礼、平に謝罪を」

『許す。我はな、我を敬い(かしず)く者には寛大なのだ。"この器"にはそれが欠けている』


その瞬間、アーカードの背後に回り込んだハイネたちの詠唱が完了した。

「撃てえええええええぇぇl!」


雷撃、炎の矢、氷の槍。

多種多様な魔法が、アーカードの背後から殺到する。

狙いは正確に、彼の足元――本体である影へと向けられていた。


だが、吸血鬼は振り返らない。

彼の影はまるで生き物のように蠢き、姿を変え、降り注ぐ魔法の雨を水のように流動して全て躱しきった。

爆炎と土煙が上がる中、彼は無傷でそこに立っていた。


「......女、後で構ってやるから、少し待っていろ」

(くっ......ダメか)


吸血鬼は首を真後ろまで不気味に回し、深紅の瞳孔をハイネ達に向ける。

その眼光だけで、騎士達の砂粒のような戦意が光を失っていくのが分かった。


『アーカードよ。この有象無象をさっさと屠り、我をネクロニの元へ連れていくがいい。あの小娘なら我を器から出す手段を持っているはずだ。それに――久方ぶりに話もしたいのでな』


アンヘルの言葉に、アーカードは長い、長い沈黙を落とした。

夜空を見上げ、溜息を一つ吐き出す。

そこには、先ほどまでの狂気じみた殺意はなく、どこか諦観にも似た色が混じっていた。


「最強のマァマが......この世界の脆弱な人族ごときに封印されたとは、未だ信じられませんが――」

彼は視線を戻し、私を見据える。


「万が一そうであったとしたら、一刻も早く馳せ参じなければなりません。貴方様の提案、受けましょう」

(て、てんめぇ!どういうつもりだアンヘル!勝手に取引してんじゃねえ!)

私の怒声が響くが、アンヘルは愉快そうに笑うだけだ。


『カカカ!さっさとしろよ出涸らし。我はあまり気は長くないぞ』

「ご安心を。出し惜しみは致しませんので」


そして――唐突に、感覚が戻ってきた。

指先の冷たさ、心臓の鼓動、冷や汗の気持ち悪さも。


『おお!そろそろ三分か。待たせたなセラ。返すぞ、この身体』

(あっ、おい待て!)


ガクン、と膝が折れそうになる。

視界がぐらりと揺れ、私は自分の身体の主導権を取り戻した。

だが、状況は最悪だ。

周囲の兵士たちは、唖然として私を見ている。

突き刺さる視線は、物理的な痛みよりも冷たかった。

敵と親しげに会話をし、あまつさえ味方を殺せと取引を持ち掛けた隊長。

裏切り者と思われても弁明出来る余地はない。


(やってくれたな......アンヘル......!)


「事情が変わった」


アーカードが、つまらなそうに呟いた。

展開していた血の針が、シュルシュルと音を立てて彼の手元に戻っていく。


「観客を楽しませるのはもう止めだ。マァマが待っている......某を、待っている」


彼の言葉と共に、異変が起きた。

足元に伸びていた影が、爆発的に膨張したのだ。

それは地面を離れ、アーカードの肉体を包み込むように這い上がっていく。

幻影の肉体が闇に飲まれ、輪郭が溶けていく。


顕現したのは、夜そのもの。


筋肉質な男の風体を保ちながらも、その表面は光を一切反射しない漆黒の物質で覆われている。

まるで闇を切り取って人の形に押し込めたような、泥にも似た質感。

頭部は蝙蝠(こうもり)の耳が生えた独特な形状の兜――質感は月明りを鈍く飲み込む。

そしてその後頭部からは、黒い靄の帯が一筋、長い尾のようにたなびいている。

深紅の瞳孔のみが、彼がアーカード・フランジェリコという吸血鬼だったことを示していた。


「......ッ」


先ほどまでの彼が「遊び」だったということが、肌で理解できた。

発せられる殺気、威圧感が、呼吸が困難になるほどの勢いで身体を穿つ。

生物としての格が違う。

本能が、逃げろと警鐘を鳴らしている。

(撤退を――)


そして、暗がりそのものとなったアーカードの胸元から、何かがせり出してきた。

天に向かって手を伸ばすかのように、ゆっくりと姿を現す一振りの剣。

発しようとした退却の言葉は喉で止まり、その光景に目を奪われる。


赤黒く、二匹の蛇が絡み合い交叉を繰り返したような奇妙な剣身。

先ほどまで彼が操っていたレイピアとは、一線を画す禍々しさ。

その剣身は、まるで生きているかのように脈を打っている。

周囲の空気が、鉄錆の臭いで塗り替えられていく。

剣身が放つのは光沢ではない――それは、光さえも溺れさせるほどの、濃密な赫の引力だった。


「これは某が、屠った者の血を凝縮し続けて育てた一振り――」


アーカードが、その剣を握りしめる。

空気が震えた。


「銘は、"シウコアトル"。いずれデミトリを殺す為に、某の生涯を賭した......万象を断ち切る神器である。この威光を目に出来ることを光栄に思え」


血を凝縮させた剣。

その言葉を聞いて、私は合点がいった。

この村に血痕が一切残っていなかった理由。

村人たちの血はすべて、あの剣の一部となっていたのだ。

数百人の命が、あの一振りに込められている。


『セラ、いいのか?』

不意に、アンヘルの嗤う声が頭に響いた。


(何のことだ......?)

『もう、一人死んだぞ』


もう目の前に吸血鬼の姿は無かった。

刹那、女騎士の悲鳴が夜の帳を切り裂く。


反射的にそちらを見る。

視線の先には、フォウがいた。

彼女は下を向いていた。


ただ、茫然と見ていた。








自分の腹から突き出した、シウコアトルの刀身を。

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