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継承のセラ  作者: 山久 駿太郎
第八章 -第三の勢力-
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084.赫翼

放たれた十数本の矢は、吸血鬼の心臓を、喉を、眉間を、確かに捉えていたはずだった。

しかし、肉を穿つ鈍い音は響かない――代わりに届いたのは、鋭利な矢先が石畳に刺さる音。

矢はまるで幻影を射抜いたかのように、アーカードの身体をすり抜けていった。


物理的な干渉を一切受け付けないその現象に、櫓の上の射手たちが息を呑む気配が伝わってくる。

自分の身長より高い大盾の隙間から私も一部始終を見ていたが、見間違いではない。

人族や獣人族、魔物であっても、確実に致命傷を免れない攻撃だったはずだ。

(どういうことだ...?物理攻撃が効かないってのかよ)


私の思慮など一切関係なく、アーカードは次の行動に移る。

「――もう、始めて良いのか?」


奴は矢が通り抜けたことなど意に介さず、ゆったりと両手を広げた。

その掌から、どろりとした赤黒い液体が滲み出てくる。

重力に逆らって空を目指しながら形を成し、瞬く間に二振りの針のような剣へと変貌した。

騎士団が使う幅広のロングソードではない――レイピアだ。


造りは鉄ではなく、凝縮された血液のように見える。

月の光を赤く照らし返す針のような刀身は、軽やかに我々を獲物として捉えた。


殉身(じゅんしん)、大儀である!」


言葉が終わるよりも早く、紅い影が奔る。

狙われたのは、最前列で盾を構える一番隊――ウィルの部隊だ。


「一番隊!構えッ!!」


ウィルの叫びと同時に、轟音が響く。

アーカードの突進は、重装歩兵が構える大盾に深々と突き刺さった。

鉄と血の結晶が激突し、凄まじい衝撃音ともに火花が夜を照らす。


「きいえええいッ!そんな針金じゃあアタシの盾は抜けねェなあ!」

クリスティンが歯を食いしばり、攻撃に耐える。

強がってはいるが、およそレイピアが与えられる衝撃ではなかったのか、クリスティンの腕に痙攣が見られる。


だが、吸血鬼の舞踏は止まらない。

息つく間もなく繰り出された第二撃。

別の兵士達の僅かに空いた盾の隙間へと、滑るように細い刀身が差し込まれる。

しかし、防いだはずのレイピアは、生き物のように蠢いて姿を変えた。

先端から無数の細い針のような枝分かれが横に広がり、左右の兵士の肌に無数の傷を刻む。


「ぐっ...!?」「痛ッ!」


女性兵士の二人が短い呻きを上げるが、致命傷ではないはずだ。

鎧の隙間を縫って、皮膚を僅かに掠めた程度。


アーカードはニタリと笑い、軽やかに後方へと跳躍した。

攻撃はそれだけだった。

だが、悪夢はそこから始まった。


「な、なんだこれ...血が、止まらな...!?」


傷を負った兵士が悲鳴を上げる。

彼の傷口から、血が噴き出していたのではない。

まるで意思を持った糸のように、赤い液体が空中に向かって流れ出ていくのだ。

重力を無視し、物理法則を嘲笑うかのように。


「た、隊長ぉ!ウィル隊長!私の血がっ!私の血ィ!」


兵士は傷口を押さえようとするが、指の隙間から赤い糸は伸び続ける。

顔色が白磁の色に変わり、唇からは生気が失われていく。

そして数秒もしないうちに、彼は糸が切れた人形のようにその場に崩れ落ちて絶命した。


たったあれだけの傷で、全身の血液を抜き取られたのだ。


「な...」

私は言葉を失った。

周囲の兵士たちも、あまりの異常な光景に騒めき立つ。

恐怖が伝染していくのが分かる。


空中に伸びた無数の赤い糸は一本の束となり、アーカードの元へと集束していく。

彼は天を仰ぎ、自身を愛おしく抱きしめるように腕を交差させた。

集まった血が、彼の背中で脈動する。


(それがし)――オン・ザ・ステージ...」


恍惚とした意味の分からない呟きと共に、彼の背中で何かが爆ぜた。

血で出来た、巨大な蝶の羽。

赫い薄羽が、月光すら雲に遮られた真の闇の中で、ぬらりと濡れた光沢を放ちながら開かれる。

その美しさは、あまりにも冒涜的で、あまりにも残酷だった。


「人間!この肉体美を網膜に焼き付けたいのだろう!?分かっている、分かっているぞ!んんんん―――はあああああああああんっ!!!」


アーカードが高らかに叫ぶ。

彼の纏っていた深紅のローブと外套が、破裂音と共に黒い靄となって霧散した。

露わになったのは、彫刻のように鍛え上げられた褐色の裸体。

戦場に於いて自らの裸体を晒す狂気。


「許うううううううぅす!髄の記憶にしかと刻め!」

(コイツ――もしかしてただの馬鹿か?)



彼は両手を広げ、その身を晒す。

戦慄する女兵士たちの視線を、一身に浴びながら。

広がるのは動揺だけではない。

宵闇の中、月光のみが彼の裸体を照らし出し、一種の神々しささえ感じる。

崇拝に近い感覚が違和感と共に刻まれていく。

「ひ、ひぇ!?」「う、美しすぎる...」「めっちゃ乳首ピンクやん――」







「刻んだな?では――もう逝ってよいぞ」


冷酷な宣告と共に、背中の赫い薄羽が解けた。

それは無数の赤い糸となり、鞭となり、刃となって、一瞬のうちに私の中隊を輪のように取り囲んだ。

逃げ場はない。


全方位からの、死の包囲網。


(まずいッ――!)


私が危機を感じ、声を上げようとした瞬間だった。


「三番隊!緊急築陣、"塞"!」


フォウが聞いたこともない程の怒号を響かせる。

彼女の指揮する三番隊の魔術師たちが、一斉に地面に杖を突き立てた。

轟音と共に地面が隆起し、硬い岩盤が半球状にせり上がる。

赤い死の糸が迫る寸前、岩の壁が私たちの視界を覆い隠した。


――ドォン!!


外側から激しい衝撃音が響くが、壁は崩れない。

外界から完全に遮断された闇の中、兵士の掲げる火属性魔法の明かりだけが、ぼんやりと青ざめた顔を照らし出していた。

閉塞感と、充満する土の匂い。

そして、微かに漂う鉄錆の臭い。


「...状況報告!」

私は努めて冷静な声を出す。

指揮官が動揺すれば、部隊は崩壊する。


「一番隊、盾持ち二名...失血死」

ウィルの声が震えている。

「二番隊...弓兵が五名。閉じる直前に...上半身と下半身を両断されました」

ビューラの報告は、泣き出しそうなのを必死に堪えているようだった。

「三番隊、被害なし。しかしこれから攻撃魔法にマナを割くのは厳しい」

「零番隊も被害あらへんよ」


「...了解した」

誰にも聞こえないように吐いた息が、私の意思に反して震えていた。

たった一度の攻防で、七人が死んだ。

その上、敵には指一本触れられていない。

重苦しい沈黙が空間を支配していく――しかし死者を悼む時間など許されていないことは、誰もが分かっていた。

(守れなかった――クソッ!!!!!!)


だが、どうすればいい?

物理攻撃は効かず、掠り傷でも血を奪われる。


「セラくん」

ハイネが私のそばに来た。

いつもの飄々とした様子はまったく見えない。

真剣な、戦士の顔だ。


「矢が効かへんかった。物理攻撃はあいつには通じへんのやろ。陣形変えよ。魔法攻撃中心に切り替えるべきやと思う」

それを聞いていたフォウとビューラも頷く。


「そうですね。魔力を伴った攻撃なら、あるいは...」

「足止めなら三番隊が受け持とう。その隙に二番隊は最大火力を叩き込んでくれ」


二人はすぐに自分の隊に指示を出そうと動き出す。

だが――私は手を挙げてそれを制止した。


あの時に見えた刹那の違和感をこのまま放っておく手はない。


「待て、みんな少し待ってくれ」


脳裏に焼き付いている光景がある。

矢がアーカードをすり抜けた、あの一瞬。

違和感があった。

ただすり抜けただけではない。

何かが、おかしかった。


「ウィル、矢が着弾する瞬間、見てたか」


最前線で、誰よりも近くで敵を見ていた彼なら。

必死に盾を構え、飛来する矢と敵の挙動を、瞬きも惜しんで凝視していたウィルだからこそ、見えたものがあったはずだ。

その期待に応えるように彼は顔を上げ、大きく頷いた。

「はい、しっかりと。肉体には当たらず通り過ぎましたが...石畳に映った影が、歪な形に歪んでいました。まるで、矢を避けるように」


その言葉で、変わる――違和感は確信へと。

ウィルが何を気にしているか言わなくても応えてくれたことに、僅かな高揚感と希望を得る。

矢はすり抜けたのではない。

"本体"が避けたのだ。


「よく見てたな、ウィル。恐らく奴の肉体は幻影か、あるいは物理干渉を受けない何かだ。だが、影は反応した。奴の本体はもしかすると――影の方なのかもしれない」


「影...?」ハイネが怪訝そうな顔をする。


「ああ。物理攻撃が効かないんじゃない。狙う場所が違ってたんだ」

私は全員を見回し、指示を飛ばす。


「零番隊は左右に展開して気取られないように影を狙うぞ。ハイネ、お前は左だ。零番隊を全員連れていけ」

「ちょ、大将はどうすんの?」

「どうやら奴はオレに興味を持ってくれているらしい。囮は任せとけ」


正直、気は引ける――が、手札を残したまま仲間が死ぬなんてのはもうたくさんだ。

アーカードの興味を引く可能性。

私の内にいる住人に、手を挙げている者がいた。



(アンヘル、聞いてるな。一分だ...一分だけ、身体の主導権を譲る。望み通り話すといい。その代わり、隊の皆は絶対に傷つけるな)

『短い。五分だ』

(ふざけるな。譲歩しても二分だ)

『囮の役を我にさせるつもりなのだろう?四分で手を打ってやる』

(寝ぼけるんじゃねえ。オレの身体だぞ。それと貸すのは口だけだ...三分まで許してやる。それで我慢しろ)

『――我慢、か。カカ、いいだろう。三分だな、この契約違えるなよ』



「はいよ。零番隊!聞いとったな!中級以上の呪文準備しとき!呪文忘れたぁなんて言うたら許さへんからな!」


ハイネの檄が飛び、空気が変わる。

絶望的な閉塞感は消え、代わりに満ちていくのは反撃の意志。

そしてもう一つ。

打てる手は打っておきたい。


「ナルディア・ナルニー、いるか」

「っ!?は、はい!はいはいっ!セラ隊長!ここに!」


慌てて三番隊から身を乗り出してきたのは、稀有な闇魔法を得意とする、丸眉の麗人。


光属性魔法と闇属性魔法を扱える者は非常に珍しい。

光を操るアム・グリエと同様、対極に位置する闇属性の使い手もまた、百人に一人程度の割合だそうだ。

しかし悲しいかな、物理的な直接攻撃手段としては有効とは言えず、目を(くら)ませる程度というのが現実だ。

夜に紛れて悪事を為す、日陰者の魔法――実際王国内で犯罪に使われることが多い。

そして闇魔法はその陰鬱な印象から、忌避されることも少なくなかった。


勿論、私が重視するのはそんな些末なことではないので、彼女のような兵士は歓迎だ。

分け隔てなく接する私を神格化し始めたのは、フォウの隊に所属してからのことだった。

影が本体であると仮定するのなら、彼女の魔法が役に立つ可能性は、ある。


「もしかしたら闇魔法が決め手になるかもしれない。この中隊唯一のお前の力を貸してくれ」

「あ、ああぁ――全て、私の全てを捧げます、セラ隊長!」

「ナルディア、ふざけるな。帰ったら訓練場百周だ――闇属性魔法で奴の影に干渉出来ないかやってみてくれ。頼りにしてるぞ」

「了解であります!」


---


フォウが壁を解除する準備に入る。


「開けるぞ...3、2、1――開門ッ!」


岩の壁が崩れ落ち、再び夜の冷気が流れ込んでくる。

その向こうには、裸体の吸血鬼が、つまらなそうに欠伸をして待っていた。


「遅いぞ、人間。観客が居なければ演者は舞えぬだろう」

「ああ、待たせて悪かったな、アーカード・フランジェリコ」


私は槍を肩に載せ、道を開けた大盾の間をゆっくりと歩みだす。


「オレのこと、確かこう言ってたよな。お前の主人よりどうとかって」

「...なんだ、図に乗ったのか?辿り着く先はネクロニ様への捧げものに変わりはないぞ」

「別に図に乗ったわけじゃないさ。でも、少し話さないか。オレもお前に興味があるんだ」

「――貴様、何のつもりだ?」

(アンヘル、いいぞ―――)


瞬間、私の視界が一段、暗く沈む。

全身の夜陰の如き黒い瘴気が陽炎のように立ち上った。










『何のつもり?カカカ!言葉遣いには気をつけよ、真祖の出涸らし風情が』

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