083.舞台の幕が上がる時
大柄で筋肉質な体躯。
骨格は男性のそれだが、顔立ちは驚くほど中性的で、妖艶な美しさを纏っている。
日焼けしたかのような褐色の肌に、鮮血の如き深紅のローブ。
そしてその上から羽織った外套は、夜空が降りて来たかのように暗く、重い。
私が息を呑むよりも早く、その男は口を開いた。
唇の間から覗くのは、鋭く突き出た犬歯――そして縦に割れた朱色の瞳孔が、爬虫類を彷彿とさせる。
顔に浮かぶのは、好奇心。
「おい、貴様。空虚なる器の者よ。どうやら他の"餌"とは違うらしい。その編み込まれた悲痛に歪む魂――美しい、美しいではないか。某は美しいものは好きだぞ。偉大なる我が主と同格、いやむしろそれ以上に...いやいや!某はなんと不敬な考えを!いかんな、これはいかん」
周囲には私の部下がいるにも関わらず、顕れたこの男は気に留めることなく話し続けた。
餌――そう、奴は口にした。
その単語が、私の脳髄を刺激する。
(こいつか...っ!)
私は反射的に距離を取り、喉が裂けんばかりに叫んだ。
「敵襲ッ!!櫓、立てえええええぇぇぇい!!」
私の一声が合図となり、背後で地鳴りのような音が響く。
フォウの指揮する四番隊の土属性魔法使いが一斉に地面を隆起させ、瞬く間に簡易的な岩の櫓を作り上げる。
その上には既に弓兵が配置され、ギリギリと弦を引き絞って眼下の男に狙いを定めていた。
同時に、私の前には巨大な盾の影が立ちはだかる。
ウィル率いる二番隊だ。
彼らは速やかに大盾を構え、私と敵の間に割って入り、隙間のない強固な防衛線を敷いた。
ほんの一瞬。
瞬き数回分の時間で、広場には簡素ながらも堅牢な砦が出現し、迎撃態勢は整った。
「ほう...」
男は、襲い来る殺気にも動じることなく、感嘆の声を漏らした。
目を細めて愉悦に身を任せる身振りは、紛うことなく強者のそれだった。
「つい先日、同じような甲冑を身に着けた人族が来たぞ――老いさらばえていたがな。それとは随分と練度が違うらしい。整然として美しいではないか。感心、感心」
男はゆったりとした動作で拍手をした――鳴らされる音に温かみはなく、冷たく空に吸い込まれていく。
囲まれているのは自分であるはずなのに、まるで庭先で戯れる子供を眺めるような、圧倒的な余裕。
背後からは剣を抜き、杖を構える音が耳に入って来る。
既に戦闘準備は万全だが――少しずつ胸の内で膨らむ恐怖から目を逸らすことは出来なかった。
(確実に何人か、死ぬ...直感で分かる。こいつの強さは人族の定規で測れるものじゃない...)
私は盾の隙間から男を観察する――魔物ではない。
かといって、人族でもない。
獣人族とも違う、全く別の理で生きる生物。
本当にこの世界で生まれ出でた者なのだろうか。
「何者だ」
私が短く端的な問いを投げ掛けると、男は拍手を止め口角を吊り上げて笑う。
笑みは美しく、
致命的に残酷で、
破滅的に凄惨で――
それでいて美しい。
「本来、人族風情に名を名乗ることなどないが...貴様の内なる美しさに敬意を払い、一度だけ許そう。伏して聞け」
外套を仰々しく翻し、芝居がかった仕草で男は腕を開いた。
掌で月光を受け止めるように。
細く美しい指を立てると、鋭利な爪が天を仰ぐ。
そして――夜陰と共に舞い降りた男は名乗った。
「某の名はアーカード。ネクロニ様の忠臣にして、純血の吸血鬼。アーカード・フランジェリコである。この名を貴様らの髄に刻むことを許可しよう」
(吸血鬼...?それがこいつの種族名か?)
――知る限りでは学術書の片隅にもそんな文字が記されていた記憶はない。
得られた情報は三つ。
種族名、個体名、そして彼の主人の名。
『ほう、境界を越えてきたか――貴様に勝てるかな?奴は中々の強者だぞ』
(っ!?アンコクサンダー・ヘルキングか!)
『おいやめろ!!我のことは...アンヘルと呼べ。そのふざけた名を二度と口にするな』
(お前、あいつのこと知っているのか?)
『カカ、さてさて、知っていたかな?いやいや、記憶違いだったやも知れぬなあ』
(なんだよ、じゃあなんで話しかけてきたんだよ!)
『代われ』
(――は?)
『代われと言っている。奴と少し話がしたい』
話す?
誰が?
誰と?
アンコクサンダー・ヘルキング改め、アンヘルは話がしたいと言った。
旧知の仲ということだろうか。
当然、こんな多くの目がある場所で出来るはずもない。
ないのだが...謎が多いアンヘルのことが少しでも分かるなら、こんな機会が今後訪れるとも限らない。
(...ダメだ。アンヘル、それは出来ない。奴はここで討ち取る)
『――フン。まあ、最初から期待はしていない。好きにしろ』
あっさりと引き下がるアンヘルに強烈な違和感を覚えるが、今は目の前の吸血鬼だ。
深く息を吸い込み、腹に力を込める。
質問としての意味をもたない問いを投げ掛ける。
返される答えは分かり切っているにも関わらずそうするのは、形式的なものではない。
合図だ。
殺し合いの――合図。
「吸血鬼アーカード・フランジェリコ。この村の人間、そして駆け付けたオレの同胞を殺したのは――お前か」
合図は返される。
それを待っていたと言わんばかりの笑み。
夕食の献立を聞いた子供が母親に向ける、純粋で屈託のないまばゆさ。
「左様。"これ"らは我が主への供物だ。次は西に向かう」
「そうか」
無言で、右手を高く上げる。
彼にとって人を殺すことは、理性に影響を与える要素ではないのだ。
ただ道端の石を蹴るのと同じ――それが善いか悪いかを考えるまでもない行為。
日が落ち切ったヴィレ・バタタに降り注ぐ月光のみが、この劇場の役者たちを照らし出す。
アーカードが怪訝そうな顔をした、その刹那――
私の手が振り下ろされると同時に、櫓の上から放たれた十数本の矢が、風を切り裂いてアーカードの身体を貫いた。




