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継承のセラ  作者: 山久 駿太郎
第八章 -第三の勢力-
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080.同居人

瞼を持ち上げた時、そこにあったのはやっと見慣れてきた高い天井ではなかった。


部屋、と呼ぶにはあまりにも無機質で、牢獄と呼ぶには妙に整然としている。

窓はなく、扉も見当たらない。

外界と隔絶された密室。

鼠色の石壁が四方を囲み、頼りない蝋燭の火が揺らめいているだけだ。

中隊選抜試験を終え帰宅した私は、ミルカの相手もほどほどにすぐ就寝したはずだ。


その薄暗がりの中央に、不自然なほど存在感を放つ机が置かれていた。

正三角形の机。

それぞれの辺に一脚ずつ、椅子が配置されている。

その二つには――既に先客がいた。


「早く座れ、セラ」


低く、腹の底に響くような威厳ある声。

発したのは、人の形を模した黒い(もや)

輪郭は曖昧で、まるでインクを水に垂らした直後のように揺らいでいる。

――そう、"彼"だ。

私の身体に巣食う、呪いそのもの。


「こうして話すのは初めてよね、セラ君。こんな機会に恵まれるなんて幸運だわ」


もう一人の客人が私の名を呼ぶ。

短い栗色の髪、そして目のやり場に困るほど肌を露出した、あの破廉恥な軍服。

シグヴァルド要塞でインペリエを庇って死を受け入れた若い女魔術師、ローレル・パルミは頬杖をつきながら、不満げに唇を尖らせている。

彼女の生を自らの手で終わらせたことが苦い記憶として蘇るが、生前よりも生き生きとしているようにさえ見えた。


私は部屋を見回したが、やはり出口らしきものは見当たらない。

逃げ場はないということか。

深く息を吐き出し、残された最後の一脚――三角形の一辺へと腰を下ろした。


「説明は不要だろうが、ここは貴様の夢の中、つまり心象風景だ。現実の貴様はベッドで寝ている」

黒い靄が、さも当然のように告げる。


「...夢だって言うなら、もう少しマシなところにしてくれよ。なんだってこんな陰鬱な場所で話さなきゃいけないんだ」

「貴様の深層心理がそうさせたのだ。我のせいではない」


私の心が、こんな殺風景な石室だと言うのか。

否定したいが、今の自分を顧みれば、あながち間違いではないのかもしれない。


「なんでもいいわそんなの。セラ君、お願いここから出して。やっとイェンスのところに行けると思ったのに、そこの黒カビ野郎のせいで君の中に閉じ込められちゃったんだから。出せるでしょ?」


黒い靄が不快そうに揺らぐ。

ローレルの強気な口調だが、その瞳の奥には微かな焦りが見えた。

妹の元へ逝きたいという切実な願い。

それを阻んでいるのが私だという事実は、胸を刺す棘のように痛い。


「小娘、口の利き方に気を付けろ。無礼は許さん」

「ちょ、ちょっと待ってくれ...もう色々と頭が限界だ」

私はこめかみを抑える。

自然と漏れ出る溜息は思いのほか大きく、深い。


「ここに呼んだのはお前か?」

私は黒い靄に視線を向ける。


「いや、我が図ったことではない。無論、そこの破廉恥女でもない」

「誰が破廉恥女よ黒カビ野郎。なにその黒いモヤモヤは。臭いわよ」

「小娘貴様...!」


黒い靄が怒りに震え、一瞬膨張したように見えた。

しかし、すぐに収縮し、私の方へと向き直る。


「おいセラ!さっさと我に名を寄越せ。さすれば我も顕現出来る」

「...名?」

「そうだ。名は体を表すとはよく言ったものだが、この精神世界に於いてはセラ、貴様が主なのだ。威厳ある名にしろ。可笑しな想像はするな、偉大な御姿を描きつつ、良い名を考えるのだ」

(こうして対面すると――印象が変わるもんだ。ローレルがいるから、かな)


まるでミルカと出会った頃のようだ。

理不尽な要求と、高圧的な態度。

だが、そこには確かな意思がある。


意図せず奪ったローレルの魂とこうして会話し、罪悪感のようなものが少し薄れた気がする。

彼女は消滅したわけではなく、私の中で確かに"在る"。

それが良いことなのか悪いことなのかは分からないが、少なくとも、彼女の意志を聞くことはできる。

(――良い名前、考えてやるか)


子供のような口論を続ける二人を傍目に、私は腕を組み、熟慮に入った。

威厳があり、強そうで、そして"彼"に相応しい名前。

黒い雷、呪い、王のような態度...


数秒の沈黙の後、私は閃いた。

これしかない。

これ以上ないほど完璧な名前だ。


「決めたよ。お前の名は――アンコクサンダー・ヘルキングだ!」


静寂。

蝋燭の火が爆ぜる音だけが響く。

(完璧すぎる名前だ...我ながら恐ろしい才能だな)


強そうな言葉を全部詰め込んだ、最強の名前。

彼もきっと幼い少女のように喜んでくれるに違いない。

そう思うと心の中に暖かな気持ちが生まれた気がした。


しかし――

黒い靄が形作る彼の表情は分からないはずなのに、何故か酷く怯えたような、絶望したような気配を感じた。


「そ、そんな馬鹿な名を我につけるつもりかっ!?」


深みのある"彼"の声は不自然に裏返った。

動揺している。

(はは...照れ隠し、か。可愛いところもあるじゃないか)


「強そうでいい名前だろ?大丈夫だ、礼はいらない」

「馬鹿も休み休み言え!貴様は美的感覚を母の腹に置いて来たのか!?」


叫びと共に、靄が激しく渦を巻き始めた。

名を与えられたことで、存在が確定していく。

靄ははっきりとした輪郭を作り出し、凝縮されていく。


長く滞留する黒い靄を、内側から人間の指が裂きながら払う。

現れたのは――


「...え?」


そこにいたのは、集落を出る時最後にみたラビよりも幼い、小さな少女だった。

透き通るような白い肌に、黒雷と同じ漆黒の長い髪。

瞳の深い紫が不釣り合いな程に大きく――左目の下に添えられた黒子(ほくろ)が可愛らしい。

身に着ける黒い衣服は上下が繋がっており、絹のような艶やかな素材で出来ていた。


その姿は、可憐で、儚げで、そしてどう見ても"アンコクサンダー・ヘルキング"という名前が似合うようには見えなかった。

「うーん、なんかヘルキングの感じが出てないぞ?お前やる気あるのか?」

「きっ!?貴様が言うのか!―――こ、こんな、残酷過ぎるだろう...犬畜生以下ではないか...」

「ん、ごめんヘルキングちゃん。声が高すぎて聞き取れなかったわ」


ローレルの一言に少女――ヘルキングは、顔を両手で覆いながらその場に崩れ落ちた。

確かに彼女の声は先ほどまでの威厳ある低音ではなく、鈴を転がすような高い少女の声に変わっていた。


「君、名付けのセンスがまったくないわ。ミルカちゃんもそう言ってたでしょ?流石に私も"その子"には同情しちゃうわね」

「いいんだローレル。まあ、分からないなら仕方ないよな。オレの感覚が先を行き過ぎてるのかもしれない」

「え、やば。なんで私が足りてない感じになってるの?」

「我は...我は...」


ローレルは私に向き直り、真っすぐな目で私を見る。

「まあなんでもいいわそんなの。ねえ、セラ君、お願いここから出して...私を解放して。イェンスが待っているところに行かないと。もうあの子を、一人にしたくないの――それに、私の風を勝手に使われるのも正直言って不愉快だし」


素直に彼女の望みを叶えてあげたい、そう思える自分がまだ人間であることを再認識させてくれる。

そう思えるが――出来ない。

「ごめんローレル。それは困る」

「それは、何故?」

「黒雷を使えない以上、風属性魔法が絶対に必要なんだ。オレは...もっと強くならなきゃいけない。仲間を守るために」

「その風で私の仲間達を殺すんでしょ?ふざけないで」

「そう、なるな」


私の言葉に、ローレルは唇を噛んだ。

「はあ、負け犬の言葉は届かないってことね。私、ずっとここで、ずっと君の中にいなきゃいけないのかなぁ...」

「アンコクサンダー・ヘルキング。そもそも、吸い取った魂を出せるのか?」

「ねえどうなのアンコクサンダー・ヘルキング」

「おいやめろ!」


少女の悲痛な叫びに動じることなく、私達はまっすぐに彼女を見た。

「教えるものか!ふざけた名をつけおって!この恨み、晴らさでおくべきか!」

「ほら、出来るってさ」

ローレルが即座に言った。


「出来ないならそう言うでしょ。こいつただ意地悪したいだけよ。図星でしょ、ヘルキングちゃん?」

ローレルがニヤニヤしながら覗き込む。


「黙れ破廉恥女!貴様の運命は我が手中だということをゆめゆめ忘れるな!」

甲高い声でヘルキングが吠える。

威厳を取り戻そうとしているようだが、その姿と名前のせいで、微笑ましい光景にしか見えなかった。


その時だった。

突如、三人の下に巨大な穴が現れた。

床が抜け、暗闇が口を開ける。


「うわっ!?」「きゃあああ!」


私とローレルは体勢を崩し、急速に落下していく。

だが、ヘルキングだけは落ち着いていた。

小さな身体を宙に浮かせ、腕を組んで私たちを見下ろしている。


「...現実の貴様が覚醒するらしい。話の続きはまた――今度だな」


彼――彼女は、不敵な笑みを浮かべた。










「この屈辱忘れまいぞ、セラ・ドゥルパ。次に身体の主導権を失った時、まず貴様が目にするのは仲間の無残な死に様だ。覚悟しておけ」










その言葉を最後に、意識が急速に浮上していく。

夢が終わり、現実が始まる。


鼓膜を針でつつかれるような嫌な感覚が、身体を跳ね起きさせる。

「はぁ……っ」

荒い息を整え、見上げるとそこには見慣れた高い天井があった。

「もうこの高い天井にもいい加減慣れてきたな...」


窓の外で小鳥が朝を告げるのと同時に、軽い音が三回ドアを鳴らす。

いつもならしないノックをする、つまりミルカは今、仕事人の仮面を被っている。


「ご主人様、お目覚めでございましょうか。騎士団の方がいらっしゃいました。火急のご用件だそうです。客間でお待ちしております」

「――ありがとうミルカ。オレもすぐに行くよ」

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