008.入団試験
シンシアは執務室の隅にある小さな棚を開け、赤子の頭程度の大きさの水晶球を持ち出した。
その水晶の内部では微かな光が揺らめいている。
まるで生きているかのような神秘的な輝きを放っており、部屋全体を幻想的な雰囲気に包んでいた。
「これは”真偽球"と呼ばれるアーティファクトだ。触れた者に敵意があれば...黒く濁る。」
そのまま彼女が真偽球をそっと触ると、目がくらむほどの――光。
「騎士団員として最も重要なのは、王国と仲間への忠誠心だ。まずは君の心を試すとしよう」
シンシアの説明には、長年この球を使ってきた経験に基づく重みがあった。
このアーティファクトが彼女の言う通りであるなら、これまで多くの間者を暴いてきたのだろう。
セラにもきっと何らかの問題を抱えているはず――そう、思っていたのかもしれない。
「さあ、手を触れてみろ」
セラは恐る恐る手を伸ばした。
水晶の表面は冷たく、触れた瞬間に微かな振動を感じた。
しかし、変化は起こらない。
敵意なんてないのだから驚くことはないのだが。
むしろ、"私"に反応してしまうのではないかと内心焦っていたのだが、杞憂に終わったよ。
「合格だ...しかし、何も反応が出ないとは。」
シンシアが呟いた。
通常は何かしらの想いが色となって現れるのだろう。
セラの純粋さは、あらゆる色を受け入れる無色透明という形で水晶に現れたのかもしれない。
彼は安堵の表情を浮かべた。
しかし、シンシアの面持ちは依然として厳しいままだった。
この試験を突破したところで、まだ安心はできない。
むしろ、次でこの子供の限界を見極めてやろうという意図が強くなっていたように思う。
「次は実技試験だ。新人団員との模擬戦を行ってもらう」
シンシアは執務机の上のベルを鳴らした。
澄んだその音が――要塞の廊下に響き渡る。
しばらくして扉が開き、一人の若い女性騎士が現れた。
金色の髪に、エメラルドのインナーカラー、整った顔立ちそして...明らかな傲慢さ。
自分の実力に絶対的な自信を持っているのが見て取れた。
「アム・グリエ初級騎士、参りました!お呼びでしょうか、シンシア団長!」
無駄に声がデカい女だった。
フレデリックには軽い会釈を、そしてセラには――まあ、言わずもがなだな。
「グリエ騎士、入団希望の試験を引き受けてもらえるか。この少年が希望者だ」
アム・グリエと名乗った女性騎士は、セラを見下すような視線を向けた。
軽蔑を隠そうとしない、虫を見るような目つきだった。
「団長、お待ちください!入団テストの相手がグリエ騎士とは、流石に度が過ぎているのではありませんか!?」
フレデリックの問いかけに、騎士団長は毅然と言い放った。
「貴殿の推薦だからこそだ、フレデリック。試験は実力を推し量るものであって、甘やかすためのものではないぞ」
「...了解しました。」
フレデリックには気がかりな事があるらしかったが、シンシアの言葉は明らかに拒絶していた。
「...男性の子供が相手ですか?これは模擬戦と呼べるのでしょうか」
一方アム・グリエと呼ばれた小娘の声には露骨な不満が込められていた。
自分の貴重な時間を、こんな子供の相手で無駄にするのかという憤りが隠しきれずに表れている。
「はぁ...アム。我々の仲間となろうとしている者を卑下するな。性別、年齢に何ら関係なく、礼を尽くして相手をするように。以前にも注意したが、騎士団内でのそういった歪みを私は容認しない。」
「は!申し訳ありません!」
――このシンシア・ルーヴェンという女性の評価を改めた。
公平なのだ。彼女は自分の中に揺るがぬ芯を持っている。
フレデリックといい、シンシアといい、組織の取りまとめとは難しいものだ。
まあこんな事を言っているが、実のところシンシアはセラに現実を思い知らせ、早々に諦めさせるつもりだったのだろう。
私はあの小娘程度で、セラがどうにか出来るとは思わなかった。
彼の師――カルラの訓練の内容を知っていれば誰もがそう言うだろう。
「承知致しました。では、第一訓練場でお待ちしております」
あの小娘の中では、「目の前の図に乗ったクソガキをセラを完膚なきまでに叩きのめしてやろう」とでも考えていたのではなかろうか。
――浅慮ここに極まれり、だな。
アム・グリエが去った後、シンシアはセラに向き直った。
「相手となるアム・グリエ初級騎士は新人とはいえ、それなりの実力者だ。加えて、試験で使用するのは木剣ではないぞ。大怪我をするかもしれないが、それでも戦うか?」
「ああ、やるよ」
彼女この問いかけには、明らかに「諦めろ」というメッセージが込められていたが、セラは迷わず頷いた。
彼はカルラとの厳しい訓練を振り返り、力試し程度に思っていた。
表情に子供らしい無邪気さが垣間見える。
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案内された第一訓練場は屋内の広い場所で、周囲には観戦用の席が設けられている。
既に何人かの騎士たちが集まっており、珍しい光景を見ようと興味深そうに眺めていた。
彼女たちの視線には、明らかに嘲笑の色が混じっている。
まるで道化師の見世物でも見るような好奇心に満ちた表情で、セラを品定めしていた。
「子供が騎士団って...」「どうせすぐに泣いて帰るでしょう」「アムは手加減下手だからなあ」
騎士たちの囁き声が訓練場に響く。
その声には同情よりも興味本位の色合いが強く、セラにとっては居心地の悪い状況だった。
しかし、彼は周囲の声に動じることなく、静かに戦いの準備をしていた。
アムは既に鉄の剣を手にして待っていた。
なるほど...確かに腕は立つらしい。
剣が――彼女を信頼している、そんな気がした。
高慢な態度さえなければ、彼女も一角の人物になれるだろうに。
この女の鼻っ柱を折ってやるのが楽しみでならなかった。
セラも背中に背負った槍を手に取った。
黒曜石の美しい刃が陽光を反射し、周囲の騎士たちの注目を集める。
刃は光さえ飲み込むような黒曜石。
柄は聖樹の枝から切り出したものだ。
シンシアが合図の準備をしている間、セラは深く息を吸った。
カルラから教わった基本の型を思い出し、心を落ち着かせる。
張り詰めた訓練場の空気。
そこには観戦者たちの期待と好奇心が渦巻いていた。
二人が中央で向かい合い、矛先が互いを指した瞬間――世界が息を止めた。
囁きは途絶え、訓練場を満たすのは張り詰めた沈黙のみ。
風すらも、この一戦を見守るかのように凪いでいた。
「...始め!!!」
シンシアの号令と共に、模擬戦が開始された。
アムは即座に前進し、彼に向かって剣を振り下ろす。
――速い。
その動きは迅速で正確、明らかに手加減する気はない。
彼女の表情には冷酷な笑みが浮かんでおり、この一撃で決着をつけるつもりだったのだろうが...。
まあ、筋は悪くなかった。
しかし――セラはその攻撃を槍で受け流し、すぐさま反撃に転じる。
黒曜石の穂先が、アムの頬を一筋の紅で彩る。
小娘はすぐに飛び退いて距離を置いた。
観戦していた騎士たちの間にどよめきが起こる。
誰もがアムの一方的な勝利を予想していた。
「え...アムが先に動いてたよね?」「...偶然でしょ?」
騎士たちの声には動揺が混じっていた。
しかし、それは偶然ではない――必然だ。
目の前の小娘には、確実に伝わっただろう。
双眸に静かな炎が、宿っている。
セラの一挙手一投足には、カルラから受け継いだ確かな技術があった。
獣人族の集落で培われた野生の勘と、長年の鍛錬による正確性。
それらが見事に融合していた。
カルラも鼻が高かかろう。
「やるじゃん...でも、これからが本番だよ」
アムは剣の構えを変え、より攻撃的な姿勢を取った。
教本通りの型ではない。
前傾姿勢――刺突攻撃を仕掛けるつもりだ。
再びの突進。
今度は先ほどより明らかに速い。
しかし、セラもそれに対応した。
槍を体全体で回転させながら防御し、アムを翻弄すると同時に変則的で自在な攻撃を繰り出す。
二人の武器が激しくぶつかり合う音が訓練場に響いた。
火花が散り、観戦者たちの緊張も高まっていく。
当初は子供の一方的な敗北を予想していた彼女たちも、今では真剣に戦いを見守っていた。
シンシアもまた、セラの動きに注目していた。
その技術は確かに優秀だが、それ以上にセラの精神力に驚いた事だろう。
プレッシャーに屈することなく、冷静に戦況を判断している。
これは生来の才能というより、厳しい環境で培われた強さだった。
彼女の予想は完全に外れ、この子供への評価を見直さざるを得なくなっていた。
戦いは膠着状態に入った。
アムの経験と技術、セラの野生の勘と不屈の精神。
どちらも一歩も譲らない。
訓練場の空気はさらに熱を帯び、観戦者たちの息遣いも荒くなっていく。
しかし、時間が経つにつれて、体力の差が現れ始めた――年齢や体格ではない。
セラはこの一週間、満足な食事も休息もとっていないのだから当たり前だろう。
動きが僅かに鈍くなった瞬間、アムが決定的な攻撃を仕掛けた。
鋭利な軌道で襲い掛かる剣がセラの槍を空中に弾き飛ばし、彼の胸元に迫る。
観戦者たちの間から悲鳴が上がり、勝負ありと思われた。
――しかし、その時だった。
セラは武器を失いながらも、アムの懐に飛び込む。
躊躇なく振り下ろされる刃をその掌で掴み取り、体を素早く浮かせる。
空中で体軸を捻り、全体重を乗せてアムの側頭部に蹴りを叩き込んだ。
吹き飛んだアムが起き上がろうとしたときには、黒曜石の切っ先が鼻先に添えられていた。
常軌を逸したその行動に、誰もが唾を飲んだ。
「アム・グリエ。あんた、強かったよ」
「――ま、参りました」
アムが降参を宣言した。
彼女の目にあるのはもはや軽蔑ではなく、敬意。
自分の剣を素手で掴むという狂気じみた行動に、この女騎士は完全に度肝を抜かれていた。
止まった刃ではない――
敵を討つために振り下ろされた、
速度の乗った鋼を、
生身の掌で掴み取ったのだ。
あーちなみこれはセラが五歳のころに、カルラがやらせていた訓練だった。
訓練場に静寂が訪れた。
誰もがこの結果を予想していなかった。
男の子供が新人騎士と互角に戦い、最終的に勝利を収めたのだ。
この沈黙は、驚愕と困惑の入り混じった複雑なものだった。
女が男に負けた、という事実の方が、騎士団の連中にとっては重たい事実だったのかもしれないがな。
拍手をし始めたのは誰でもない、シンシア団長その人だった。
「...合格だ、セラ・ドゥルパ。君を騎士団の一員として迎え入れる――我々と共に、未来を切り開いていこう」
その言葉と共に、訓練場に大きな拍手が響いた。
騎士たちの表情にも変化が現れている。
彼への見方が、ほんの少し変わった瞬間だった。
セラは安堵と共に、新たな決意を胸に抱く――ここが彼の新しいスタート地点。
私はその時、セラの未来に少なからず期待を抱いていた。
困難は数多く待ち受けているだろうが、きっと乗り越えていける。
そんな確信があった。
まあ、それが甘い考えだったということは、後になってから分かるのだが。




