078.春風
翌朝、地下の鍛錬場へ向かう階段を下りると、ひんやりとした空気が肌を刺した。
石造りの壁に囲まれたその空間には、既に先客がいた。
桜色の髪を揺らし、黙々と柔軟運動をしている少女――ミルカだ。
昨晩のことは、鮮明に覚えている。
酔いが醒めた後、私は彼女に詰め寄られ、洗いざらい全てを話した。
もう尋問のそれだったと言っておこう。
話している間、彼女の表情は常に変わり続けた。
驚愕し、呆れ、時には顔をしかめて「うわキモ...」と呟き、そして溜息。
最後に放たれた言葉は、たった一言。
『分かった』
それだけだった。
拒絶されるでもなく、過剰に同情されるでもなく。
ただ事実として受け入れられたその反応が、更に私の悩みを深めていったのは言うまでもない。
「...おはようミルカ」
恐る恐る声を掛けると、ミルカは動きを止め、こちらを振り返った。
琥珀色の瞳が私を捉える。
そこには昨日のような険悪さはなく、かといって親愛の情があるわけでもない。
ただ――無表情、無関心、無干渉。
そんなところか。
「おはよ」
「...っ!?おう!おはよう!」
「うわキモっ」
短く返された挨拶。
たったそれだけのことが、今の私には酷く嬉しかった。
拒絶されていないという証左。
食い気味で重ねたのは――確かに少し気持ち悪かったかもしれない。
「昨日の話だけどさ」
屈伸をしながら、ミルカが口を開く。
「誰にも言わない方がいいんだよね?お姉様にも、ハイネ様にも」
「ああ...その方が助かる」
「じゃあ、黙っといてあげる。墓場まで持って行ってやるわよ」
「恩に着る」
「その代わり条件がある」
(また条件かよ...)
ミルカは立ち上がり、私を見下ろした。
その瞳に燃える炎の名は――野心。
「私を戦場に連れて行って」
その言葉に、私は動きを止めた。
彼女の真剣な眼差しは、冗談で言っているのではないことを物語っている。
一人の人間として何かを成したいという渇望。
しかし――
「ダメだ。オレがシンシア団長に殺される」私は即答した。
彼女がミルカを使用人にしたのは、戦場から遠ざけるためだ。
それを私が覆せば、どんな雷が落ちるか想像もつかない。
雷で済めば良い方だ――下手をすれば騎士団追放にもなりかねない。
「あんたのこと分かってる人間が傍にいるのは、楽だと思うけど?」
「それはそうだけどさ...」
ミルカは痛いところを突いてきた。
確かに、私の秘密を知り、それでも受け入れてくれる存在は貴重だ。
戦場で背中を預ける相手が事情を知っていれば、黒雷や風魔法を使う際のリスクも減るだろう。
それに、彼女の事務処理能力や機転の良さは、部隊運営において大きな助けになるはずだ。
悩む。
とても、悩む。
彼女の才能を埋もれさせるのは惜しいが、危険に晒すことへの責任は重い。
それに聞いた話では、彼女は魔力適正がないらしい。
シンシア団長は特例中の特例であり、本来魔力適性無しで戦いに加わるのは危険極まりない。
「勿論、すぐにとは言わないわよ。ちゃんと実力をつけるから。その時は――騎士団に推薦して」
ミルカの声は真摯だった。
いつもの我儘ではない。
彼女なりの覚悟と、計算があっての提案なのだろう。
「...はあ。分かったよ。ただし、オレからも条件がある」
「は?生意気なんですけど。何?」
「オレから模擬戦で一本取れるようになったらな。そしたらシンシア団長にオレから進言するよ」
それは、事実上の拒絶に近い条件だったかもしれない。
だが、ミルカは不敵に笑った。
「乗ったわ、その勝負。すぐ膝をつかせてあげるから」
「はは、楽しみにしてるよ」
「ねえ、あとさ。あんた、バレずに風魔法を使いたいって言ってたわよね」
「...ああ。黒雷は使いたくないけど、正直魔法無しの戦闘には限界があると思ってる」
「本当に無詠唱で魔法が使えるなら、どうとでもなるんじゃない?」
ミルカは事も無げに言った。
私は思わず食い気味に聞き返す。
「どういうことだ?」
「あたしは魔法使えないから分からないけど、例えば――――――」
・・・
「なるほどな...確かにこれなら気付かれずに魔法を戦闘に織り交ぜられるな。お前天才か?」
「知ってる。教えてあげたんだから、これから私と模擬戦してよね。すぐに一本とってやるから覚悟しろ、ご主人様」
「...手厳しいな、使用人殿は」
このあと、滅茶苦茶ボコボコにした。
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季節は巡り、新暦270年。
木々が春を祝う準備を始めたころ、フェナンブルク王国騎士団は新たな季節を迎えていた。
私も十三歳、しかし身長は伸びていない。
中隊選抜が終わり、私の率いる小隊は、百名体制の中隊へと拡大された。
同時に喜ばしい報も耳に届く。
ウィルとビューラはその功績を認められ中級騎士へと昇格。
そしてフォウは、上級騎士へと昇格を果たした。
今回の選抜内容は、その三人に任せてみることにしたのだ。
彼女らが提案したのは、選抜参加騎士たちにその場で即席の小隊を作らせ、私たち"セラ小隊"――つまり、私、フォウ、ウィル、ビューラ、そしてハイネの五人と戦わせるというものだった。
当然、合格条件は勝利ではない。
連携もままならない付け焼刃の小隊で、格上の相手にどう立ち向かうか。
個々の判断力、協調性、そして何より、諦めない心を試すものだった。
四百名弱の希望者と共に朝から始まった試験は、夕方まで休憩を挟まずに行われた。
残ったのは、九十五名。
勿論、参加者の殆どは女性であり、今回の合格者に男性はいなかった。
まだ、時代はそこまで変わっていない。
それでも、多くの女性騎士が私の下で戦うことを望んでくれた事実は、確かな変化を感じさせた。
その中には、あの赤毛の女性――クリスティンの姿もあった。
彼女は荒削りながらも、持ち前の度胸と腕力で試験を突破した。
「やったんだな、クリスティン。待ってたよ!」
「おう!へへ、これからよろしくなセラ隊長」
わざわざ声を掛けたのがそれほど珍しかったのか、クリスティンは"隊長に目を掛けられている奴"という扱いを受けている。
夕日が訓練場を茜色に染める頃、全ての試験が終了した。
私は高台に立ち、残った騎士たちを見渡す。
疲労困憊の様子だが――顔つきは、悪くない。
良い隊になりそうだ。
「皆、よく頑張った!今日から君たちは、オレらの仲間だ!厳しい訓練が待っているが、共に強くなろう!」
私の言葉に、騎士たちが歓声で応える。
その時、前列にいた一人の騎士が手を挙げた。
「隊長!今回は特別試合は行わないのですか!!」
その声に、他の騎士たちも騒めき立つ。
「見たいです!」「セラ隊長の実力を!」「伝説の槍術を!」
期待に満ちた視線が、一斉に私に注がれる。
まあ、これだけの人数が集まったのだ。
最後に士気を高めるための余興があっても悪くはないだろう。
「そんなものはこれからいつでも見れるんだが――いいだろう!誰か、志願者はいるか!?」
しかし途端に歓声は止み、誰も口を開こうとしない。
焚きつけるだけなら誰でも出来る。
(なんだよ...それじゃあダメなんだぞ)
その時だった。
「「「応っ!!」」」
重なった三つの声、出所を探すが――いない。
それもそのはずだ。
手を挙げ前に出た騎士は、私の横にいた。
フォウ・グッチ上級騎士、
ウィル・グッドマン中級騎士、
ビューラ・リー中級騎士。
私と共に戦い、共に成長してきた、仲間達。
「お前ら...」
会場が割れんばかりの歓声に包まれる。
新入りの騎士たちは、上官たちが総大将に挑むという展開に興奮を隠せないようだ。
三人は、真っ直ぐに私を見つめていた。
その目には、迷いも、遠慮もない。
あるのは、純粋な闘志と、私への挑戦心。
「本気か?」
嬉しかった。
彼らがここまで自信を持って私に挑んでくるとは思わなかった。
この一年で、彼らがどれほど強くなったのか。
それを肌で感じられる機会が来るとは。
「息子に自慢話、させてもらいますよセラ隊長!」
「覚悟してください!私の風魔法、かなり仕上がってますから!」
「セラ隊長にはいいところ見せておかないとな...最近の私、吐いてばっかりだし」
(お前は初日から吐いてたけどな)
「いいだろう―――まとめて相手してやる。ハイネ、これ頼むっ!」
「おっとと。あら、セラくん槍使わへんの?」
「ああ、丁度いい機会だ。オレも試したいことがあるからな」
ミルカ提案の戦闘方法、新しい風魔法の使い方。
この衆目に晒して疑いを掛けられなければ――方向性は間違ってないだろう。
(...いや、違うな。試したくてしょうがないんだオレは)
「じゃあ、始めようか。無手のオレに負けたら、お前ら訓練場百周じゃ済まないからな?」




