075.弾む会話と滑る口
広い部屋、長すぎる机、多すぎる椅子。
晩餐の間は役割を果たせずに手持無沙汰な家具達が、次こそはを目を輝かせている。
左右に六席ずつ、主の席がひとつ、合計十三脚もの椅子はいつ使うのだろうか。
今日はその内三つを使い、主人と客人、そして使用人が食卓を囲む。
私の右斜め前に腰を掛けた翡翠のドレスを纏うハイネは、自然と瞳が吸い寄せられる引力を有している。
ミルカが急遽用意してくれた礼装が無ければ、この麗人の隣に座るのに幾ばくか躊躇していたに違いない。
ネクタイの締め方を教わる時はかなりの罵詈雑言に耐えなければならなかったが、今後はそうならないよう私も努力していかなくては。
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手際よく料理を並べていくミルカを傍目に、ハイネと世間話を楽しんだ。
彼女がルーヴェン家に仕えることになったのは、十三歳の頃。
現在の姿からは想像も出来ないほど、シンシア団長は天真爛漫な子供だったらしい。
厨房に遊びに来ていたのはつまみ食いをする為と、手習いから逃げる為。
必然的に同じ年齢のハイネとは仲良くなっていったそうだ。
「これ、ミルカには内緒な?あ!勿論シンシアにも!」
「分かってるって」
程なくしてミルカが、銀のバスケットを持ってきた。
赤子のように大切に扱われるそれは、一本の葡萄酒の瓶――「どうせお前には分からないだろオスガキ」と視線で私に語り掛けると、丁寧な所作でハイネの前にそっとバスケットを下ろす。
葡萄酒のラベルは古く、黒と金が混ざった蝋で印が付いていた。
その文字を見て、客人は感嘆の声を上げる。
「...ミルカこれ――よう手に入ったなあ。"シャトーノブレス"やん」
「流石はハイネ様、慧眼恐れ入ります。そしてヴィンテージは――102年...」
「ははっ!ホンマにっ!?伝説のヴィンテージやろそれ!うっわー!セラくんありがとう!!」
「いや、オレは何もしてないぞ。ミルカが買って来たんだ」
「...ご主人様、今のはハイネ様の賞賛を素直に受け取るのが礼儀なのです」
「ウチの大将はかわええなあ」
「そうなのか...どういたしまして?」
「だっははは!"どういたしまして"って!笑かさんといて!」
澄ました顔の使用人は動じることなく、ゆっくりと――しかし迷いなく栓を抜く。
ほんの僅かな量を自身のグラスに注ぎ、滑らかに回して香りを、色を確認し、口に含む。
(えぇ...先に飲んじゃったよ...)
きっと、いや間違いなく顔に出ていたのだろう。
「あーセラくん?これは葡萄酒を開けた時にやらなあかん儀式みたいなもんや。だからミルカを責めたらあかんよ?」
「――すげえなハイネ。考えてることが分かるのかよ」
「黙っとったんやけどな...ウチ、相手の考えが分かってしまう呪いにかかってんねん」
「はあ...そんなしょうもない嘘がつけるくらい、オレが分かり易いってことだな」
「ふふ、大将も段々分かってきはったねえ」
いつの間にか葡萄酒は三つのグラスに注がれ、深い赤が彩りを放っていた。
赤とも、紫とも言えない――歴史を感じる色。
酒場で初めて口にした葡萄酒のものとは全く違う、雑味の無い、鋭くも柔らかな香り。
「ミルカ、これ高かったやろ。今、エストブルクは――」
「はい、現在は帝国領となっております。エストブルクの豊かな土地で造られ、約百五十年を大樽で熟成させた一品...そして新暦102年は一年を通して天候に恵まれた伝説のグレード・ヴィンテージ――確かに流通は限られておりますが、入手経路はございます。ご主人様は不要な出費をなさるお方ではありません――しかし、ハイネ様のようなお客様を迎えられるのであれば、これは正しい使い方だと確信しております」
(いくらするんだよソレ...)
若干――ほんの僅かではあるが、ミルカの鼻がぐぐんと伸びた気がした。
同じくして、自分の中にストンと落ちてくるものがあった。
葡萄酒のことなど分からない、どうやって客人をもてなせばいいか分からない。
彼女の仕事を理解しようとせず拒絶していたのは―――他でもない私自身だった。
(ミルカの仕事の価値が分かってないのも、上手くいかない理由なのか)
学びの多い、夜になりそうだ。
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ミルカが用意してくれた食事は、どれも目に映え、鼻に映え、舌に映える一品ばかりだった。
自然と葡萄酒のグラスは空になり、ミルカが静かに立って注ぐ。
私の左斜め前に座った彼女は場の雰囲気を崩さぬよう、立つ時も目線を外さない。
「そういえばハイネ様は、何故ご主人様のことを"大将"とお呼びに?」
「あれ?セラくん言ってへんの?」
「――ハイネが来るって言ってある」
頭が、上手く回らない。
瞼を上げることすら億劫で、やたらと喉が渇く。
「あーなるほどな。ミルカ、セラくんは小隊長...もうすぐ中隊長になるんやけど、ウチはセラくんの部隊に所属する下っ端。言葉の通り、ウチの大将ってわけ」
「――ご冗談を。雷神ハイネ様とあろうお方が、ご主人様の下につくなど街の子供でも信じませんよ?」
「ウチも最初はそう思ってたけど...セラくんはそこらの男とはちゃうよ。ウチはセラ・ドゥルパの下で戦えることを誇りに思っとるし、今でも自分の選択に疑いはない。ミルカは...信じられへんか?」
「ええ、まったく」
「ミルカは昔っから男嫌いやったもんなあ。正直に言うてみ?今でも本当はまだまだやんちゃなんやろ?」
「それは――その、否定出来ないです」
朦朧とした意識の中で何とか二人の会話に参加しようと考えるが、多分今じゃないだろうと自分を窘める。
勿論、出来ないわけじゃない。
出来るけど、今じゃないだけだ。
「そっかそっか。ほなら――セラくん、ミルカは普段どうしてるん?ちゃんと使用人出来てはるの?」
「んー?」
大きな皿の中央に小さく乗った肉を、ナイフとフォークで切り分けながらハイネは問いかけた。
問いは軽いが、ただ一人にとっては――とてつもなく重い質問。
ハイネはシンシア団長と、私が想像していた以上に懇意であることが分かった。
幼少期からの付き合い、肩を並べた戦友、ミルカの中でこの二人は絶対的な存在。
ここで私の口から余計な情報が出れば、それが団長の耳に入る可能性がある。
だからこそ、この問いは“探り”だ。
ミルカは、すました笑顔を崩していない。
けれど――瞼の下が、ほんの少しだけ痙攣しているように見えた。
(ミルカ、なんか震えてるな。んー...まあいいか)
私は、悩まなかった。
否――もうくらくらして上手く考えることが出来なかった。
「あ゛ー...ミルカはな、凄いんだ」
桜色の髪がふっと動き、驚嘆の顔が私に向けられる。
まだ半分ほど残るグラスの葡萄酒を一気に飲み干し、視線をミルカの方向に向ける。
多分ミルカの方向で合ってると思う――焦点が合わず、自分が何を見ているのかも理解出来ていない。
「家のことは全部やってくれる。掃除も洗濯も、庭も井戸も。今もこうして、飯も酒も、ちゃんと“客”の形にして出してくれてる。ハイネ見たか?庭の厩にオレのハイドラがいるんだ。ぜーんぶ、ミルカがひとりでやってくれてる。オレには出来ないこと全部出来る!凄いんだぞミルカは」
ハイネが優しく目を細めた。
可愛い。
「よかったなあミルカ。まあセラくんはそこまで考えてへんと思うけど――どういう意味か説明する必要ある?」
「......いえ、ございません。合点がいきました――試されて、いたのですね」
「頭の回転が早くて助かるわ――ええ主人に、ええ使用人やないの。シンシアには上手く言っておくから、これからも大将をよろしゅうね」
「承知致しました――あ、あの!ハイネ様!...サインを貰ってもよろしいですかっ!?」
「おう!ええよええよ!どこに書く?」
「このワインのラベルに...あ、筆はこちらに」
「はいはい――っと」
空気が少し柔らかくなる。
良く分からないが、何やら上手くいったらしい。
二人が笑っているなら、多分そういうことなのだろう。
(ハイネにもミルカにも――助けてもらってばかりだな)
「ほい!これでええかな?」
「ありがとうございますっ!!宝物にします!」
鐘の鳴るような声、太陽と見紛うばかりの笑顔。
使用人は今、一人の少女に戻っていた。
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「はーシンシアがなあ。ようミルカお前我慢したなあ。ホントは騎士団に入りたかったんと違うの?」
「それはそうですが、お姉様はいつだって正しいのです。まあ...仕えるのが男の子供だと知った時は正直嫌でしたけど。でもでも!お姉様が間違うことなんて絶対にないので!これが多分最善なんです!」
「セラくんの名前もかなり通ってたと思うけどなあ。実際どうなん?」
「お前らばっかり話して...オレだっているんだぞ」
「もー大将は飲みすぎやで?口が寂しかったん?――それとも、ウチに構ってほしかったん?」
「...うん」
なんだか、いいな。
理性が上手く働いていないのは、自分の心が前に出やすくなる。
寂しかったんだな、私は――
ハイネが横で、きゃーきゃー騒いでいるのも、今は心地いい。
「ハイネ様の仰る通り...ルクセン平原での奇跡から、ご主人様は王国民の希望の星になっております。特に男性の物乞いが減りましたね。女性からも人気があるようですし――まあハイネ様が仰るなら、少しは認めてもいいかもしれません」
「ウチが言ったからって無理に変わる必要あらへんよ?自分の目で見極めな意味ないからなあ。でも、大将と向き合って話せば自然と変わる...きっと、な」
「そう...ですか」
「らり...らりが...何がそうなんだ?」
「ご主人様、お水をお持ち致しましょうか?」
「んー...いらない」
王国の男性、それだけでなく、自分が戦って王国の皆が喜ぶなら、私も嬉しい。
そんな浮ついたままの気持ちを担ぎ上げ、私はなんとか会話に入ろうと試みる。
「――ルクセン平原はさー、ホント大変だったんだぞ?一度死んで生き返ったら髪が白くなってるし、あーほら、あれ...黒い雷が使えるようになったりしてさ!自分が呪いになったって言われても最初はぜんっぜん実感なかったんだよ」
(――なんだよ、二人とも。そんなにオレの話ってつまらない...のか?)
私が話し始めた途端、両者とも手を止め、口を止め、目を開いて私を見る。
沈黙に耐えられず、私は更に言葉を続けるほか無かった。
徐々にはっきりとしていく意識が、今は何よりも不快だった。
「そ、そしたらさ!北部で知らない奴に身体を乗っ取られてさ!嫌だって言ってるのに、敵の魔術師の魂を吸っちゃって...今度は風の魔法も使えるようになったんだ!す、すごい...だ、ろ?」
「すごく...ない、かな。ないよな―――ゴメン」
(あ...やっちゃったなコレ)
頭の霧が払われたのは、後悔が深く刺さった時だった。




