073.四星騎士
その時だった。
ふらふらと、裏庭の奥から一人の浮浪者が近づいてくる。
随分と小さく、子供のような背丈――元々白かったであろう該当は黄ばみ、汚れ、すでの本来の姿とは程遠いものとなっている。
まだ距離があるにも拘らず、鼻をツンとつく刺激臭に私達は顔を見合わせて眉を顰めた。
日陰の中を、浮浪者はおぼつかない足取りながらまっすぐに向かってきた――そして
「あはぁ...ここにいたのかい。意外と早く見つかってよかったよ。いやあ、一年振りの外は堪えるねえ」
声は高く、若い――子供だ。
少なくとも私の知り合いではないが、ハイネの知人だろうか。
小声で問いを投げてみる。
「ハイネ、知り合いか?」
「あれデミやで」
「...は?」
浮浪者改め、我が王国騎士団の魔法研究室――室長デミ・フォレストは、凄まじい悪臭を放ちながら長椅子の前で歩みを止めた。
(うわクセぇ!?クセっ!目に染みるっ!?)
「んっふ、探したよ、ハイネ」
「いやクッサ!クサすぎやでデミ。こんなん花も枯れてまうわ」
「ん?――ああ、"匂い"だけにってことかい?」
「ちゃうわアホ!言葉通りの意味じゃボケ!」
ハイネがここまで感情を出すのは珍しい――不快感というより、古い知人と話すかのような気さくさが垣間見える。
仲間の新しい一面が見れたのは、素直に喜ばしく思った。
しかしデミが、"探したよ"という言葉の後に続けたのはハイネの名前だ。
まだ慣れない悪臭に四苦八苦していると、今度は私の番が回って来る。
「やあセラ、息災かな。その後調子はどうだい?まあ――色々と、でも言っておこうか」
「正直芳しくないな。実はずっとデミと話したいと思ってたんだよ。今度時間とってもらえないか」
「んっふ、勿論だよ。君との時間はとても楽しい」
「...なんや随分仲良えなあ。セラくんはデミとそんな接点あったん?」
「そうだな――オレの一番の理解者って感じかな?」
「は、はぁっ!?ちょっとそれ...どういう意味なん大将っ!?」
「んっふ、光栄だねえ。また今度ふたりで...ね?」
意図的に誤解を招きそうな一言で、ハイネも思わず腰を跳ね上げた。
「おおおおい!デミ!おま...お前!ウチの大将に手ぇ出したんちゃうやろな!?」
「おいおい、この"呪い"を受けた身で、女として振舞えないのは君も知っているだろう?」
「う...まあ、せやな。すまん、ちょっと配慮が―――」
「だから男同士で楽しんだんだよ」
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおい!!!」
二人の会話に、自分の頬に紅が差していくのが分かる。
ワンダーから聞いた話によれば、同性で行為に及ぶ場合もあるとか――想像しそうになり、かぶりを振る。
しかしデミが少年の姿になっているということは、研究室から出てここに来るまでの間に――異性に情欲を向けられたことになる。
騎士団内にいる男性兵士に違いないだろう。
この浮浪者に――という驚きは否めないが。
デミの衣服には、"灰色の蛇"が嚙みついてずるずると引きずられている。
噛みついたまま、離れる気配はない。
恐らくこれが呪いの本体、彼女から女の生を奪った者。
ただ、シンシア団長の梟と違って――
(なんというか、だらしないな。少し可愛く見えるし)
一向に終わらない口論に見かねて、私は話を促すことにした。
「デミ、ハイネに用があるんだろう?」
「ああ、そうそう。セラ、彼女を借りていいかな?」
「え、嫌やわ」
「んっふ、困ったねえ」
即答。
ハイネは一切の間も置かなかった。
デミは肩を落とす。
「なんでだい?まだ何も言っていないじゃあないか」
「どうせ碌なことじゃないやろ。胡散臭いねんお前」
「セラ、頼むよ。この頑固な"雷神"を説得してくれ。君が小隊長なんだろう?」
「おいコラ!勝手なことすな!セラくん、ばっさりと言ったって。ハイネはオレの物だって!」
(なんか違くない?)
胡散臭いのは重々承知の上だが、デミには多くの借りがあるし、それ以上に悪い奴とは思えない。
そもそも何のために、何をするのかも聞いてないのに判断出来るはずはないのだ。
「デミ、ハイネに何の用なんだ?」
「概念実証に協力してほしいんだ。この技術が完成したら――」
デミが、そこで言葉を止めた。
視線が宙を彷徨い、眉間にしわが寄る。
悩んでいる顔...に見えるが、多分言葉を選んでいるのだろう。
それなりに会話はしてきたからこそ分かる。
最適解を導き出そうとしているのだ。
数秒の沈黙、そして...
「完成したら――そう!多くの人が救われるだろうねえ」
「そうか...王国の皆が――」
「セラくん騙されたらアカン!こいつ言うてへんことあるよ!」
だけど――私は思ってしまった。
デミが言う「救われる」は、きっと本物だ。
こいつは気持ち悪いが、真剣に、真摯に、誠実に研究と向き合う。
命を弄ぶような狂人ではない――少なくとも、アリアのようなことはしないと信じている。
「分かった。ハイネ、協力してやってくれ」
「ええええ!?嫌や嫌やあ!デミお前何するつもりやねん!」
「ちょっと彫るだけ。」
「ほらっ!ほらあっ!なんや意味わからんこと言うてはるもん!」
「頼むよ。デミがこんな顔してる時は、たぶん本当に何か掴んでる。役に立つなら、やってみた方がいい」
"雷神"は鋭い視線をデミに向けるが、あまり効果はないようだ。
この研究が民の生活を良くするのか、より多くの敵を殺すのかは分からない。
しかし自分の手で他者の命を奪っておいて、数が多くなったら日和るなんて許されないことだ。
血を、骨を――踏み越えて先に進むことしか、今の私に出来ない。
だったら自分の選択に責任を負うのは宿命だ。
「じゃあ午後はハイネを借りるよ」
「ああ。ハイネも、ちゃんと協力してあげてくれ」
「...はあ。しゃーないな」
口では文句を言いながら、結局折れる。
そういうところが、また可愛い――
(いやいや、何を考えてるんだオレは)
「セラ、君は午後どうするんだい?よかったら君もどうかな」
「悪い。午後は中隊選抜試験の内容を考えなきゃいけないんだ」
「中隊?なんだセラ、君まさか"星付き"になったのかい?」
「...ああ。あんまり嬉しくないけどな」
デミは一瞬、目を丸くして――すぐに笑った。
「身につまされるね。部下を持つなんて本当に面倒だ。私は全部辞退させてもらったよ。当初はシンシアも困っていたけど、今は何も言われなくなったな。そもそも戦いは私の得意分野ではないしねえ」
一瞬、言ってることが理解出来なかった。
自分もそういった道を通ってきた、と聞こえたが――
その顔のまま、私はハイネを見る。
ハイネは深いため息をついて、肩をすくめた。
「セラくんが知らんのも無理ないなあ。デミはこれでも四星騎士なんやで」
「四星って...シンシア団長の次に偉いってことか!?」
「せやね。四星騎士の椅子は二つしか用意されてへん。で、その内の一つにこのボケがおんねん。せやけど、全く気にせんでええ」
「いや、気にするだろ...」
デミは胸を張るでもなく、面倒そうに手を振った。
「階級なんて飾りだよセラ。君なら分かるんじゃないか?ただ面倒が増えただけだろう。私は研究が出来ればそれでいい...さて、ハイネ、行こうか」
「はいよー。セラくん!明日の夜、忘れんといてな!」
「ああ、大丈夫だ」
その言葉を聞いた瞬間、ハイネの表情がまた明るくなる。
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その晩、何人座れるか数えるのも馬鹿らしい椅子が並ぶ部屋で、長い机の一角を煌びやかな料理が並ぶ。
ミルカの料理は本当に美味しい。
しかし食事の時間にしては雰囲気が重すぎる。
食事と一緒に、何か別の物を飲み込んだかと思ってしまうほどだ。
椅子に座る私の斜め後ろには、黒と白の整然とした色を纏う少女。
気配は消しているが、刃物のような嫌悪感が広い部屋を支配している。
明日の来客について、どう切り出したらいいものか――嫌がるのは目に見えている。
「...なあ、ミルカ。明日なんだけど、客を一人迎えたいと思ってるんだ」
「あっそ。で?」
「夕食を一食増やして欲しいのと、もてなし...?を頼みたいんだ」
「チッ......」
舌打ちで返事をする使用人は、彼女くらいなものだろう。
しかしここで諦めるわけにはいかない。
説得する言葉を探していると、彼女の方から問いを投げてきた。
「で、誰が来るの。もてなしにも色々配慮が必要なんだから、名前、性別、年齢、社会的な地位くらいは教えて」
「ああ、名前はハイネ・フォン・ガリレイ、性別は女で―――」
「ちょ!ちょっと!ちょっと待って。え?え?ハイネ・フォン・ガリレイ?あの"雷神"の?同姓同名じゃないよね!?」
ミルカは興奮気味に私の肩を掴む――力はそこまで強くはない。
鼻息をふんすと荒げる彼女には、まだまだ知らない一面があるようだ。
「そ、そうだよ――そのハイネ。夜に来て夕食を食べるくらいらしいけど、自分から客人を招くなんて初めてなんだ。ミルカに協力して欲しい」
「うわああ!!どうしよどうしよ!?"雷神"と話せるなんて!ハイネ様に会えるなんて!ね、ねえ!頼めばサイン書いてくれるかな!?」
「まあ――大丈夫だろ」
「っしゃ!っしゃ!――安心しなさいセラ・ドゥルパ。完璧なもてなしを提供してあげるから!このミルカ・ルーヴェンの名に名に懸けてねっ!」
(普段からこれくらい分かり易いやり取りだと助かるんだけどな...)




