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継承のセラ  作者: 山久 駿太郎
第八章 -第三の勢力-
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071.冬の桜にご用心

「あんたねえ、いつまで棒立ちしてんのよ。さっさと中に入れボケナス。いつまでもそこにいられると邪魔なんだけど」

「あ、ああ...悪い」


ミルカは黒い門扉を素早く閉じ、何も言わずに屋敷へ歩き出した。

立ち尽くしていた私も慌てて彼女の背中を追いかける。

――凄まじい速足だ。

風を切ってたなびく桜色の髪は、春の訪れを感じさせるほど美しい。

但し、彼女から吹き荒れるのは冬の嵐――二つの四季を共に感じることが出来る。

砂粒のような期待を胸に、私は歩を進める。

(さっきのはきっと、オレの聞き間違いだ。絶対そうだ...頼む、そうであってくれ)


---


屋敷の正面玄関は慎ましい銀の装飾が施された、歴史を感じる木製の扉が守っている。

そんな厳かな雰囲気を台無しにするような乱暴な開け方で、ミルカは屋敷に入った。

広すぎる廊下、真っ白な壁、分厚い濃紺の絨毯。

歩き慣れない空間に足の置き場を探している間にも、ミルカは踵を返して、当然のように先を歩き出す。


「早く来なさいよオスガキ」

「オスガキって...」


最近は聞かなくなった侮蔑の単語が、粘つく油のように耳にこびりつく。

シンシア団長の前で見せていた、太陽みたいな笑顔の少女は――もう遠いところに行ってしまったようだ。


私は相変わらず速足の彼女を、駆け足で追いかける。

廊下を真っ直ぐ進み、右に折れ、また真っ直ぐ。

どこをどう曲がったのか、あっという間に位置関係が分からなくなる。

途中、「あ、そこがあんたの部屋」と指を差されたが――正直、全てを覚えられる自信がない。

スマゴラの"納屋"が恋しい――


辿り着いたのは、居間...と言っていいか躊躇するほど広い部屋。

磨かれた床は木目がはっきり見て取れるほど艶やかで、壁には余計な装飾のない絵画が数枚、控えめに掛けられている。

壁一面に大きな窓があり、冬の日差しを柔らかく受け止めていた。

分厚い布張りのソファが四つ、低い机を挟んで向かい合わせに置かれ、その向こうには大きな暖炉まで構えていた。

そして暖炉を背にする形で、一回り大きいの椅子が存在感を放っていた。

先ほど、ワンダー同席の下に一度見た部屋であるが、改めて見渡す――

(騎士団の談話室くらいあるなこれ...)


「すごいな――本当に、ここ全部オレの家なのかよ」

「イヤなら返してくれば?あたしは別に構わないわよ――どっこいしょっと」


ミルカは何の躊躇もなく、私から見て一番奥の大きなソファにどっかりと腰を下ろした。

そこは、どう見ても「主人」の席だ。

窓から差す光を正面から受け、一番居心地が良さそうな場所。


「えっと...そこ、オレが座るところじゃないのか?」

「はあ?何言ってんの、あんた」


呆れたように眉を吊り上げると、ミルカは脚を組み、肘掛に頬杖をついた。

――様になっている、と口にしそうになるのを何とか喉元で堪える。

さも自分のためにあるかのような悠然たる振舞いに、主人を迎えた椅子は少なからず喜悦の色が見えた気がした。


「いい?よく聞きなさい、このミルカ様のありがたぁいお言葉をね」

「はい...」

「まずね、あたしは仕事だけはきっちりやる。屋敷と財産の管理、掃除、洗濯、庭の手入れ、買い出し、――ぜぇんぶ、あたしの領分。おい聞いてんのか馬鹿チビ。こっち見ろ」

「ッス...」


(汚い言葉を使わないと話せない呪いにでもかかってんのかよ...)


「でもね!そのかわり、三つだけ――いや嘘!四つ、条件があるの」

「四つって多くないか?」

「黙って聞いとけボケ」


言い直す隙もくれない。

ミルカは指を一本立てて、私を突き刺すように向けた。


「一つ。あたしのやり方に口出ししないこと。さっきも言ったけど、仕事は完璧にこなしてやる。お前は結果だけ見てろ」

(うん...まあ細かいことは気にならないからそれはいいか)


「二つ。あたしの時間に干渉しないこと。勤務時間外にあれこれ頼んでくるな。あたしの仕事は家の管理と、炊事だけ。夕食が終わったら後はあたしの時間。わかった?」

(大丈夫だ...まだ、大丈夫)


「三つ。あたしに話しかけるのは最低限にして。クソどうでもいい雑談に付き合ってるほど暇じゃないの。天気がどうだの、今日の鍛錬がどうだの、そういうのは騎士団のお仲間とやって。あたしは使用人であって、あんたの友達じゃないから」

「え―――」


仲良くなれるとは思わないが、そうはっきり言いきられると――少し、寂しく感じた。

使用人とはいえ、女性の同居人という響きはどうしても比べてしまう。

アリアと言う名の――帝国の"風神"と。


「そして四つ目、何があろうと――あたしの部屋に入るな。分かったかよボケカス」

「分かった分かった――」

「返事は、はい――だろ!」

「あ゛あ゛あ゛!うるっせえな!分かったよ!」


矢継ぎ早に放たれた自己中心的な言動に、私も声を荒げてしまった。

しかし、むべなるかな――フェナンブルクに来て様々な人族と触れ合ってきたが、ここまで酷いのはフレデリックに諫められた酒場以来だったのだ。

感情的な私の態度を見た少女は、動じることなく言葉を続ける。


「はあ...あのね、このミルカ様が、わざわざ使用人になって“やってる”んだから、あんたは日々あたしに感謝して過ごさなきゃいけないの。なんでそれが分からないの?馬鹿なの?」

「―――"やってる"?」

「はああああああぁ...ねえ、いい?あたしの雇い主は騎士団。給金を払うのも、命令を出すのも、あくまで団長――要するに、親愛なるシンシアお姉様こそが、本来の意味で私の主人ってわけ」


姉の名を口にする時だけ、ほんの僅かに声音が柔らかくなるのが分かった。


「あとな、勘違いするなよオスガキ。あんたがここに住めるのは、いくつもの『偶然』が積み重なったから。それだけのことなんだよ」

「...は、はあ!?」

「たまたま騎士団に入れて、たまたま戦場で生き残って、たまたま北の要塞で無茶が当たって――それでたまたま死なずに帰って来られたことだよ」


ミルカは自分の指を数えるように一本ずつ立てていく。


「そしてたまたま、制度の改正が重なった。男の"星付き"なんて過去に一度も無いんだから。あんたは丁度その始まりに居合わせただけなの。あんたの力だけで何かを為したことは、ひとつとして存在しない。」

(このやろ...言わせておけば好き勝手――!!)


篝火だった胸の炎は、いつか業火のように大きくなっている。

自分の努力を否定されたような気持ちになったのかもしれない。

そんな私の表情で察したのか、ミルカの呆れ顔はより一層濃くなった。

しかし追撃の矢が飛んでくることはなく、彼女の口から出た言葉は意外なものだったのだ。







「あんたの努力は否定してないわよ。ただね――だからって自分が凄いって思い込んだら、足元をすくわれるのはあんたの方。周囲にどれだけ助けられているか、あんたがどれだけ幸運か、考えたことないでしょ。だから馬鹿チビだって言ってんだよ」


自分が不幸だなんて、生きて来て一度も考えたことはなかった――自分が恵まれている、とも。

ミルカの言葉は悔しい事に、説得力があった。


母さんに拾ってもらわなければ、

"彼"に出会っていなければ、

ゴブリンの群れに遭遇しなければ、

フレデリックが偶然居合わせなければ。


幾多の偶然の上に私は今生きている――ミルカの言うことに疑う余地はなかった。

自分では気づかぬ内に尊大な考え方になっていたのかもしれない。

猛省しなければならない、感謝しなければならない。

(くそ―――全部ミルカの言う通りだ)


自然と頭を掻きながら、口にする言葉を探す。

その時だった。



ふと、違和感に気付く。


冬の日差しが、大きな窓から斜めに差し込んでいる。

こういう光の中では、空気中の細かな塵や埃が星屑のように揺れるはずだ。

スマゴラの家では、いつもそうだった。


けれど――この居間には、それがない。


どれだけ目を凝らしても、光の筋の中できらめく埃は一粒たりとも見当たらなかった。


「...なあ、ミルカ」

「あんだよ」

「もしかして、もう――掃除したのか?」

「あんたねえ……さっきから聞いてた?『仕事はきっちりやる』って言ったろハゲ」

「ハゲ!?」


ミルカは主人の椅子で足を組みなおし、気に留めることなく淡々と続けた。


「掃除ならとっくに終わってるわよ。この階も、二階も、物置も、地下も、納屋も。窓拭きも全部。床も磨いた。埃なんて残ってたらあたしの沽券に関わるじゃない」

「今来たばっかりなのに……いつの間に」

「朝から決まってんでしょ。あんたがここに来る前に終わらせとかなきゃ意味ないじゃない――それとね、明日には、あんた専用のハイドラが届く手配になってるから。(うまや)も確認済み。飼い葉と水も用意してある。夕食の仕込みも当然終わってる。保存用の干し肉、乾燥させた野菜、調味料、薪、簡単な薬草のストックもね。庭の手入れもひと通り終わらせたし、井戸も問題なし。ベッドはシーツをぴしっと張り直しておいたわよ――そんなの、二時間あれば終わるっつーの。あたしのこと馬鹿にしてんの?」

「すっげぇ......」

「知ってる」


即答だった――腹は立つが、否定は出来ない。

優秀の一言で片づけていい話ではない。

これが...シンシア・ルーヴェンの実妹、ミルカの実力というわけだ。

(確かに、恵まれている、かも)


「...とにかく」


ミルカはソファから勢いよく立ち上がり、スカートの裾をぱん、と払った。

主人の背中を名残惜しそうに見送る小さな玉座は、少しばかり沈降した形をそっと元に戻していく。


「あたしはこれから地下の鍛錬場に行くから。なんか用があったら――」


扉のところで、ミルカが振り返る。

桜色の髪が僅かに揺れた。


「“あんたから”来なさいよ。ずっと側にいるなんてまっぴらだから。じゃ!」


それだけ言い残し、彼女は廊下の奥へと消えていった。

しばらくして、床板越しにほんの僅か、階段を降りていく足音が聞こえる。

やがてそれも屋敷の中の静けさに呑まれていった。


私は暫く――誰もいない居間の真ん中に立ち尽くしていた。

嵐の過ぎ去った虚無に身を委ねても、自分が求める答えは返ってこない。

窓から差し込む冬の光が、磨かれた床に白く広がる――埃ひとつない、静かな部屋。

分不相応なほど広く、綺麗で、整いすぎた空間。






「...スマゴラに戻りてえ」

――アリアに会いたい、という言葉が出なかっただけでも、今は良しとしよう。

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