069.男娼館の主人、ワンダー・クルー【挿絵あり】
年が明けて、一カ月が過ぎた。
朝の鍛錬を終え、槍を手入れしていた時だ。
――ココン、コンコココン
玄関を、奇妙なリズムで叩く音がした。
「あー、ドゥルパ一星騎士殿、いらっしゃいますかな?」
聞きなれない――鼻にかかった、妙に甘ったるい声だった。
騎士団の兵士が使うような張り詰めた声とも、街の住人が使うぶっきらぼうな声とも違う。
槍を壁に立てかけ、扉を開ける。
そこに立っていたのは、世辞にも「普通」とは言えない男だった。
黒い髪を、油でべったりと後ろに撫でつけて固めている。
雪のように白い肌は、不健康なほど青みがかっていて、どこか冷たい印象を与えた。
黒に近い紫色のタキシードに身を包み、同じ色の蝶ネクタイが喉元で結ばれている。
左目には片眼鏡、そして――鞭のようにしなやかで、先端のとがった尻尾。
確かこの尻尾は...魔族だったはずだ。
「おおおっ、これはこれは!セラ・ドゥルパ一星騎士殿におかれましては、ご機嫌麗しゅう――いやはや、お目にかかれて恐悦至極にございます」
「...誰だよ、お前」
単刀直入に問うと、男は目を細め、いかにも芝居がかった仕草で胸に手を当てた。
「おぉっと!これはこれは、自己紹介が遅れまして。ワタクシ――インキュバスのワンダー・クルーと申します。城下町で男娼館の経営と、物件の仲介業などを営んでいる者です。以後、お見知りおきを」
(こんなに怪しいやつ、探しても逆にいないぞ)
――インキュバス。
魔族の一種で、子供をつくらせる?とかなんとかいう種族だったはずだ。
その男、ワンダーは顔を上げ、唇の端をにぃっと持ち上げた。
「本日は、ヘンリエッタ王陛下の勅命を受け、ドゥルパ殿の元へ参上した次第です――失礼、"セラ"殿とお呼びしても?」
「別に構わないぞ」
「おお!これは僥倖!心の距離がググっと近づきましたなあ!」
「...う、うん。で、勅命っていうのはなんだ?」
「一星騎士であらせられるセラ殿が、このような馬小屋で寝泊まりをされていらっしゃることには驚嘆の一言ですが――もうご安心下さい!新たな御住居が貴方様の凱旋を戸を開けて待っておりますよぅっ!」
「え、は?...新しい家?」
「ささ、御一緒に王都へ向かいましょう!何分、王都の住宅事情は入り組んでおります故、案内役兼ご相談役として、このワンダーめが王陛下よりご指名賜った次第でございます」
――そういえば、確かにシンシア団長がそんなことを言っていた気がする。
『近々、家売りがお前を訪ねるだろう』
一星騎士になった者には、城下町にそれなりの家が与えられると。
その時は、あまり気にしていなかったが...この家には、アリアとの記憶が詰まっている。
ベッドの皺も、
薬草の匂いも、
机の上の、増えた木のコップも。
(いい機会かも...しれないな)
アリアは敵になった。
和平は失敗して、王城を壊して、逃げた。
戻ってくる保証なんて、どこにもない。
それなのに、彼女が寝ていた場所に座って、彼女が触ったカップを磨いて、窓辺に立ったまま、空だけ眺めて――
情けないにもほどがある。
「分かった。すぐ支度するから、少し待っててくれ」
「勿論でございます。馬車をご用意しておりますので、道すがら世間話でも致しましょうか」
この家に、これ以上しがみついていても仕方がない。
澄んだ冬の空気を深く肺に入れると――少し、気が楽になった気がした。
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ワンダーの用意した馬車は、夜に紛れるような外観をしていた。
装飾は一切なく、木炭のような薄い黒、"意図的に"馬車を視認させにくくしているような印象だ。
半面、内装は絢爛華麗な造りになっている。
銀の装飾に青い布地の美しい室内の意匠。
沈み過ぎるほど柔らかいソファ――そして驚いたのは...
「――この馬車、中が温かいのか?」
「ええ、こちらの馬車は我が男娼館にお客様を送迎するために作られた特注品でしてな!御者が火属性魔法を発動させることで、内部に仕込まれた鉄製の管が温まるのですよ」
「へえ...すごいな。ワンダーが考えたのか?」
「いえいえ、これは我が男娼館の――とあるお得意様が考案されたものです。"あの納屋"と違って思わず長居したくなる空間でございましょ?」
「...余計なお世話だっつの」
「おぉっと!?これは失言でございましたなあ!伏して謝罪を」
一言だけ吐き捨てて馬車に乗り込む。
ワンダーは向かいの席に腰掛け、脚を組んだ。
御者の鞭と馬の嘶きを合図に、ゆっくりと馬車は動き出した。
荒れた石畳を進んでいるはずだが、驚くほどに揺れは少ない。
「はてさて、シグヴァルドの英雄とこうして話せる機会はそう恵まれるものではありませんので、僭越ながらワタクシの商売の話などを」
「まあやることもないしな」
「恐れ入ります。一星騎士殿の貴重なお時間、このワンダーめが少しだけ拝借致します」
ワンダーは、得意げに自分の胸元を叩いた。
「ワタクシは王都パルテンシアにて、男娼館――『夢幻のサロン・クルー』を経営しております。インキュバスたる身ゆえ、お相手の願望に合わせて姿形を変えるのが常でしてな。足を運んで下さった女性は皆、大変満足されていらっしゃいます」
「姿形を変える?インキュバスは変身出来るのか」
「お相手の願望によって変わることが出来る、のです。自ら変身することは出来ないのですよ。若々しく眉目秀麗な青年を望む方もいれば、立派な髭を蓄えた屈強な戦士を望まれる方もいますよ。我々インキュバスはそうした願望を読み取り、女性を満足させるのです――が...」
ワンダーはその話の続きを、含みのある声で留める。
「が、なんだよ...」
「ここ一年ほどで――雪だるま式に増えておりましてなあ」
「増えた?」
「ええ、ええ。"白髪の少年"の希望が、でございます」
冗談めかして笑いながら、ワンダーは片目をつむった。
馬車の窓から入る朝日は彼の顔を照らし、端正な顔立ちに影を落とす。
「背が低く、ぴんと伸びた背筋、そして精悍な顔立ち。ああ、それと――己の感情に気づかぬまま、真っすぐ前を見ているような、無垢な少年でございますよ。己の欲望でその純情を染め上げたいのでしょう。いやはや、女性は下半身で物事を考える方が多いですなあ!」
(...なんて言えばいいんだよ)
「これもひとえに、セラ殿の影響でしょうなあ。王国の女達の中で、貴方様は今――大変な人気者でございますよ?」
「オレはなんにもしてないけどな」
「言い得て妙ですなあ!そう、"何もしておられない"からこそ、"何かをしたい"と思う者が増えるのでございます。はっは!どちらが卵なのやら!」
妙な言い回しに、眉がひくりと動く。
「...ワンダー、ここまで話しておいてもらって悪いんだけど」
「なんでしょう?」
「そもそも、その男娼館ってのは、何をするところなんだ?」
「―――――ほう?それはまた、大変良い質問ですなあセラ殿」
ワンダーの笑みが、ほんの一瞬だけ止まった。
「失礼ですが――セラ殿?男女の交わりについてはご存知ですかな?」
「...?いや、多分分からない」
「成程、成程―――それではこのワンダーめが、セラ殿の"教育"を一手に担うと致しましょう。お代は...今後もワタクシと交流をもってもらえれば十分でございますので」
「本当か!?ありがとう、助かる。皆の会話についていけないことも、もう嫌なんだ」
「そこがお好みの女性もいるのですが――貴重な需要とは言え、セラ殿たっての頼みとあらば致し方ありませんな!」
インキュバスの男は、しばし顎に手を当てて考え込んだ後――
馬車の揺れに合わせて、低く穏やかな声で語り始めた。
人はなぜ互いに惹かれ合うのか。
なぜ肌を重ねるのか。
なぜ夜伽という文化が生まれたのか。
男娼館とは、どんな場所で、何を提供するのか。
具体的なことは、ここでは言わない。
けれど、ワンダーは誤魔化したり、茶化したりはしなかった。
あくまで職業として、文化として、冷静に、しかし丁寧に言葉を選んで説明してくれた。
途中から、耳まで熱くなっている自分に気づいた。
「――――つまり、"ヤる"という言葉はそういった行為の隠語というわけでございます」
「...団長が"そういうの"はまだ早いって言ってたのは――そう、いう、ことか」
「ワタクシはシンシア・ルーヴェン騎士団長と面識はございませんが、そう仰ったのであれば、良識ある聡明な方なのでしょう――男女の交わりは子を作るためだけのものではございません故。時と場合と相手を誤れば、後悔しかねないものでございます」
「後悔って...?」
「初体験、でございますよ。大切な思い出となるか、消えぬ傷跡となるかは貴方次第...男性は、力で女性に勝てませんので、自分の身は自分で守らなければなりませんよ?セラ殿のような立場の方は常にそういった危険が伴いますので、努々お忘れなきよう」
「なんか、随分と真に迫った言い方だな。ワンダーの初体験は...その、どうだったんだよ」
「ワタクシですか?はっは!まだ魔族の土地で暮らしている時代、村はずれに住むサキュバスに無理矢理犯されましてな―――ワタクシが五歳の頃でしたか。もう二度と...会いたくありませんなあ」
頭の中が、情報でいっぱいになっていく。
ワンダーの言葉は穏やかだが、その一つ一つが、今まで知らなかった世界を形作っていく。
最後まで聞き終えた時、俺は――
「くっ――もうどんな顔してみんなと話したらいいか分からねえ...」
「反応が初々しく素晴らしいですなあ!」
「なんで、誰も教えてくれないんだよ――」
「それを周囲に求めるのは酷というものです。こういった知識は同性からそれとなく与えられるものですが、異性にそれを求めれば相手は"勘違い"を起こされてしまうかと」
「もう...よく分からないぞワンダー」
「今はそれで良いのですよ。まあ、ひとつ学びを得たことに今は喜ぶとしましょう!しかしながら、護身の件、本当にお気を付けを。最近はうららかな少年を狙った強姦行為が頻繁に起きていると聞きますので」
馬車の窓の景色は白一色を、少しずつ王都の石壁が塗り替えていく。
ほどなくして車輪の動きが止まり、馬車の戸を外側から別のインキュバスが開いた。
「お待たせ致しました、セラ殿。こちらが貴方様の新たな城でございますよ、ささ、足元にお気をつけ下さいませ」
「ありがとう...って、これ――か?」
「はい、こちらでございます」
「...いやこれ、え?」
「部屋は確か、八部屋、地下に鍛錬場がございましてな。建屋と同じ面積の庭は、春先には一面に美しい花を――」
「一人で住むのに八部屋もいらないだろ!」
「と、言われましても...困りましたなあ。ヘンリエッタ王陛下より、セラ殿はあまり絢美な造りは好まないかもしれないと仰せつかっておりますので、これでもワタクシが用意出来る一番小さな家なのですよ」
「えぇ......」
困惑するのも――むべなるかな。
白を基調とした美しい石造りの家は、スマゴラの家の十倍以上はある。
一見武骨な印象を受ける門扉は黒塗りながら控えめな意匠がちりばめられ、
その先には広大な庭、さらに進んだ先にやっと建屋が控えている。
小さいながら厩も用意されており、私一人では手に余るの一言だ。
そして――目を白黒させながら私を迎えたのは、二人の女性だった。
一人は見覚えのある、鮮血のような赤毛に鷹のように鋭い眼光。
もう一人の少女は――面識がない。
「ドゥルパ、待っていたぞ」
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新たな登場人物
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名前 : ワンダー・クルー
年齢 : 206歳
身長 : 179cm
種族 : 魔族/インキュバス種
所属する団体 : フェナンブルク王国
階級 : 特になし
特技 : 女性の願望に合わせた変身
魔力適正 : なし
属性 : なし
男娼館の主人にして、人族と共に生きるインキュバス
王都パルテンシアにて男娼館『夢幻のサロン・クルー』を経営するインキュバスの男性。
雪のように白い肌に撫でつけた黒髪、紫色のタキシードに片眼鏡、そして鞭のような尻尾という、一見して怪しさ満点の風貌をしている。
ヘンリエッタ王陛下の勅命により、一星騎士となったセラの新しい住居を斡旋する案内役として彼の元を訪れた。
インキュバスの特性として、相手の願望に合わせて姿を変える能力を持ち、最近はセラの活躍により"白髪の無垢な少年"を求める客が激増していると語る。
ハイネやシンシア達が教えるのを避けてきた男女の交わりや男娼館の実態について、 誤魔化すことなく真摯にセラに教えた最初の人物でもある。
飄々とした態度で世渡り上手に見えるが、幼少期にサキュバスに襲われたトラウマを持っており、 セラにそうなった自分を反面教師として自身の身を守るよう勧めた良識人。




