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継承のセラ  作者: 山久 駿太郎
第八章 -第三の勢力-
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068.春は遠し

<<セラ・ドゥルパ視点>>


年が、明けた。


新暦270年――雪が積もり、静謐な雰囲気を醸し出すスマゴラに、遠くからの騎士団本部の鐘が耳鳴りのように届いて来た。

人族には、年を越す時に親しい者同士で集まり、酒や食事を共にして夜明けを待つ風習があるらしい。

アムがやたらと力説していた。

『年越しはさ、家族とか、仲間とか...た、大切な人とか!そういうのと一緒に祝うのが普通だよ!』と。


獣人族の集落にそんな文化はない。

年が変わろうが、寒かろうが、やることはいつも通り――狩りをして、飯を食って、寝るだけ。

大きな獲物がかかれば集落全体で宴をするくらいだ――当然私は参加したことはない。

だから最初にアムから声を掛けられた時、何のことかよく分からなかった。


小隊のみんなからも誘いはあった。

ウィルは、息子が私に会いたがっていると言っていた。

フォウやビューラからも、ファンクラブの年越し集会だとかなんとかに来て欲しいと誘ってきた。

小隊以外からも、何故かちらほら声が掛かった。

訓練場で顔を合わせたことはあっても、名前すら知らない女性兵士にまで。


『セラ・ドゥルパ一星騎士、よろしければ我々とご一緒に』とか、『女子寮で年越しやるんだけど、顔出さない?』とか。

断るたびに、『やっぱりそう簡単にはいかないかぁ、案外ガード固いんだね』なんて、何か含みのある言葉を好き勝手言われた気がする。


分かってる。

誘われること自体、ありがたいことなんだと思う。

一年前、獣人の集落を出た時の自分からすれば、信じられないくらいだ。


しかし――何かを祝う気持ちには、どうしてもなれなかった。


北部の要塞を落とし、国は浮ついている。

街には久しぶりに笑い声が増え、酒場には"シグヴァルドの英雄"の話が溢れている。

でも、あの坂道で挽肉になった人の数は、誰も数えていない。

(他人の死が気になるなんて――情けないなオレ)


和平は失敗して、アリアは敵になった。

帝国は、何も仕掛けてこない。

王城に風穴を開けた"風神"は行方知れずのまま。

年が変わるからといって、何かが良くなるとは思えなかった。


こんな状況で何が祝えると言うのだろうか。


だから、全部断った。

アムにも、小隊のみんなにも、名も知らぬ兵士にも。


『ごめん。一人で過ごしたいんだ』


そう言うと、誰もそれ以上は踏み込んでこなかった。

アムの寂しそうな笑顔は、少しばかり堪えた。

『――ん、そっか』とだけ言って笑い、その笑顔の奥に隠されたものを、私は見て見ぬふりをした。

この胸にある霧は――いつ払われるのだろう。


---


北部攻略戦から数カ月が経った現在、シグヴァルド要塞には私の知らない三星騎士が二人、常駐していると聞いている。

名前はまだ覚えていない――いや、文書では目にしたのだが、顔と一致しないと言った方が近い。

彼女たちは敵の動きを監視し、帝国軍が再び攻めてこないか昼夜問わず目を光らせているらしい。


だが――あれから一度も、攻撃はない。


両国の戦争には未だ理解が追い付いていないことも多い。

東西を隔てる巨大な山脈、それを人が越える為に遥かな昔建てられた、二つの関所。

その一つを落とされて帝国が動かないなんてことが、ありえるのか。


技術力、兵士の練度、国の規模、全てにおいてフェナンブルクは帝国に劣っていると聞く。

それに鑑みれば、ここまで動きがないことが異常であるのは、火を見るよりも明らかなのではないか。


もし、本当に和平を望んでいたのなら――

別の使者を送ってきてもおかしくない。

逆に、ゴア帝国全軍をもって王国を蹂躙する可能性もある。


なのに、何もない。


嵐の前の静けさというやつだろうか。

音のしない夜ほど、風の無い戦場ほど、気持ち悪いものはない。


分からないことを考え続けても、答えが出ないのは分かっている。

それでも考えてしまう。

そうでもしなければ、「何もしない」ことに耐えられそうになかった。

自ら望んだはずの孤独は、冬の井戸が音もなく凍っていくかのように、私を時間と言う牢獄に閉じ込めていった。


---


しかしその孤独が功を為したこともあった。


年が明け、本来は訓練日だったその日、私は小隊の仲間に訓練を指示し、自分の家で腕の模様を擦っていた。

本来一星騎士は、一切の訓練及び休暇は無いらしい。

要するに騎士団の任務がなければ、基本的に何をするにも自己判断せよ、とのことだ。

ハイネはずるいだのなんだの言っていたが、今日だけだと伝え、私は自宅で最後の悪あがきをしていた。


黒い雷が暴走したあの日――"彼"が、私の両腕に刻みつけた禍々しい模様。

肌の上に這うように刻まれた、意味の分からない文字列...以前学術書で見た文字の形と酷似している。

失われた言葉、ルーン文字だ。


何度も水で洗って、石鹸で擦ってみた。

血がにじむほど爪を立てたこともある。

それでも消えることはなかった。


「ったく――これじゃ、ろくに肌も出せねえな」

こんな意味のない独り言を口にする程度には、参っていた。


ため息をひとつ吐いて、無駄な抵抗をやめる。

凍えるほど冷たい風が、質素な家の隙間を縫って入って来る。

蝋燭の火がちらちらと小さく揺れ、煩わしさを感じた時だった。


(――風、止まねえかな)


そう、頭の中で何の気なしに命じた瞬間、窓の隙間から入り込んでいた冷たい隙間風が、不自然なほどにぴたりと止んだ。

不気味な程の静けさは、濡れた汗のように張り付いてくるようだった。


「...うん?」


――きっと、偶然だと思った。

だからこそ、間違いなくそれが"偶然"だったと確信を得るために、私は試したのだ。


(風弾よ、飛べ)


今度は、意識して壁の方に視線を向ける。

命じた途端、さっきまで静まっていた家の大気は目の前に風弾となって顕現し、見えない衝撃となって壁にひびを入れた。

(やべっ、壁が―――これ以上風通し良くなってどうするんだよ...)


驚くほど単純なイメージだ。

詠唱は必要ない。

マナを練る感覚すら、強く意識していなかった。

ただ、命じた通りに――風が、従った。


「――やばいなこりゃ」思わず呟いていた。


ローレルの魂が宿った時から、風のマナが体に流れていることを感じては、いた。

鳥肌が立つような悪寒の時も、逆に心地よい日差しの中でも、

意識を少し集中させるだけで、空気の流れが手に取るように分かるようになった。


でも、「分かる」と「動かせる」の間には、大きな溝があると思っていた。

魔法ってのは、もっとこう――面倒くさいものだと。


自身のマナを消費し、

詠唱を用いて明確なイメージを構築し、

自然に命令を下す。

そういう順番があるはずだった。


なのに今の私は、その理を身勝手に塗り替えている。

あの時、"彼"が詠唱した聞いたこともない魔法――身蝕呪刻<インスクリプション>。

そこで刻まれた腕のルーン文字の影響だろう。


しかしこれ以上、"特別"になっていくのは正直に言って御免だ。

魔力適正を調べた時、少しでも自分がそういった存在になりたいと思っていたのは事実だ。

ただ実際にそうなってから分かる――抱える悩みがあまりにも多すぎる。


(やっぱり黒雷は......極力使わない方がよさそうだな)


そして極めつけは、先日"白い梟"を打ち払ったことだ。

呪いを消せるなんてどう説明したらいいのか分からない。


ただ私は、普通に暮らしたいだけなのだ。

人族として生きるのは――難しいな。

(まあでも...困っている人がいたらこっそり払うくらいは、いいか)


デミあたりが、呪いに困っているのであれば――力になってあげたい。

彼女には何かと世話になった、そしてそれはこれからも変わらないだろう。

面倒くさがりではあるが、薄情者とは呼ばれたくない。

そんなちっぽけな自尊心は、どうしようもなく自己主張を続けるのだった。

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