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継承のセラ  作者: 山久 駿太郎
第七章 -二人の罪人-
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066.幕間:檻の中で[後編]

思わずインペリエは立ち上がった。


目の前の獣人族が口にしたその名が、石壁に反響する。

地下牢という狭い空間に、とてつもなく大きな影が立ち上がったような錯覚を覚えた。


"至達(アデプト)"――それは境地に辿り着いた者を指す。

魔術を用いない、純粋な武の力のみで頂に登り詰めた戦士。


その姿を戦場で見た兵士に待つのは二つ。

凄惨な死か、二度と戦場に立てなくなるほどの恐怖を植え付けられるか。

達人などという安易な言葉では到底表現できない。

戦神という名を冠するに相応しい者たち――そのひとりが目の前の囚人であることに、四天将は驚きを禁じ得なかった。


そして"慟哭の至達"と言えば、その時代を生きてきた者なら誰もが知る名だった。

まだフェナンブルク王国との戦争が始まるより以前――

人を、村を、町を、魔物を、立ちはだかる者全てに死を与えてきた戦士。

打倒す為に結成された千人の討伐隊があった。

無論、帝国軍の精鋭達も数多く参加した戦いでは、生存者は――無し。


噂では喉が渇けば敵の血を飲み――腹が減っては敵の肉を喰らう。

魔術を行使しないにも関わらず天災と同等に扱われた獣人族は、最後に襲った村で赤子を攫って逃げたという。

それ以降、噂は影を潜め、表立って語られることはなくなった。


インペリエの背筋を、冷たいものが駆け抜ける。

暗闇の中で、カルラの瞳が細く鋭く光ったように見えたのは――決して気のせいではなかった。


「貴様ほどの戦士が、なぜこのような――」

言葉の途中で、帝国の四天将は口を噤んだ。

問う必要などなかったのだ。

"至達(アデプト)"と呼ばれる者が、こうして牢に繋がれている理由など、一つしかない。

――弱みだ。


「娘二人を人質に取られては、流石に私も大人しくせざるを得ませんよ」

カルラの声には、僅かな自嘲が混じっていた。

鎖の音が、彼女の身動きと共に鈍く響く。


「...いまだ獣人族を奴隷にしようと考える者は多い。種族間の軋轢は、貴様にも理解できるはずだ。何故正面から門を叩いたのだ」


低く沈んだ声。

彼女自身、この帝国にも皇帝の威光が届かぬ暗がりがあることを知っている。

表向きは禁じられているはずの奴隷制が、水面下で未だ息を潜めて存在している現実を。


「ええ...ええ――そうですね。貴女の言う通りです。少しばかり、息子の"夢"に当てられたのかもしれません」


掠れた声で絞り出されたカルラの言葉は、まるで祈りのようだった。


その響きに込められた深い後悔を感じ取れる――

だが同時に、疑問も湧く。


「息子は、連れていなかったのか」

問いかけてから、インペリエは後悔する。あまりにも、不用意な質問。


「少し前に、私の元を旅立ちました」

四天将の顔に浮かぶ、後悔。

すでに亡くしていたか――と、インペリエは受け取った。


「......そうか。すまなかった。配慮が足りなかった」

「――え? ええ、別に構いません」

カルラには謝罪の意味が分からなかった。


---


静寂が続いた。

地下牢特有の湿った空気が、二人の間を静かに流れていく。

遠くで、水滴が石床に落ちる音が規則的に響いていた。


「それで、その娘たちは――どう、なったのだ」

僅かな、躊躇い。

聞くべきではないと分かっていながら、それでも問わずにはいられなかった。


「門兵に連れていかれました。今ごろは奴隷でしょう。さっさと助けなければいけません」

対する母のあまりにも淡々としていた。


「――母としては、随分と冷えた物言いだな」

「上の娘は私が鍛え上げましたので。ただ――下の子はまだ赤子です。......気に、なります」


親としての憂い、そしてそれ以上に、冷静さを保とうとする意志の強さが感じられる。

感情に流されれば、この状況は打開できない――カルラはそれを理解していた。


インペリエは考え込む――そして、決断した。

このままフェナンブルクの勢いが増長していけば、苦しい場面が出てくるのは確実だ。

今目の前にあるこの囚人を、遊ばせておくのは勿体ない。

"黒槍"の当て馬には丁度良い。


「カルラ、私からひとつ、提案がある」

「――この、状況でですか。貴女もなかなか狂っていますね」


カルラの返答には、皮肉とも諦めともつかない響きがあった。


「明日、私がここから出た後、なんとか娘二人を保護しよう。そして信頼できる者に任せる。私には...その力がある」


インペリエは真っ直ぐに、対面の牢を見据えた。

暗闇の中でも、カルラの顔がぼんやりと浮かび上がって見える。


獣――否、それは魔物。

言葉を交わせるとは到底思えない。

槍の穂先が目の前にあるような圧力が、カルラの双眸から放たれる。


「――――――――――私に何を求めるのですか」

鎖が鳴いた――獣が檻を破ろうとするように、カルラは身を乗り出す。


「我が軍に加われ。戦争の終結をもって、娘を解放しよう」


短く、明瞭に、インペリエは告げる。

それは取引であり、同時に――戦士としての誘い。


やがて、カルラの声が闇の中から響いた。


「この約束、違えれば貴女の首を貰います。地の果てまで追ってでも、必ず」

脅しではない――これは誓約。


「我が名と、我が斧に誓う。私と共に来いカルラ。決して悪いようにはせん。」

彼女もまた、淀みなく答える。

互いが武器を持ち、間合いを測るかのような独特の緊張感。









「はあ――槍を一本、打ってもらえますか。穂先が剣のように長いものを。それと、兜を作ってください。人族に交じって戦うなら、この耳を隠さねばなりません」


カルラの要求は具体的で、迷いがない。

すでに彼女の中では、戦場に戻る覚悟が決まっているのだ。

四天将は口角が上がっていくのを止められない。


「委細承知した――我が名は、インペリエ・アルバスト・ゴア。帝国の四天将にして...」

「そんなことはどうでもいいです」

「む―――」


口をつぐんだインペリエであったが、徐々に口元を緩める。

そして力強く頷いた。


この獣人族との出会いは、きっと偶然ではない。

運命が、二人の戦士を引き合わせたのだ。


カルラは、鎖に繋がれたまま、深く息を吸い込んだ。

その息遣いには、諦念と決意が入り混じっている。


「家族の為に――」

誰を納得させるわけでもない。


「戻ることとしましょう――――」

誰に言ったわけもない。


「修羅に。」

カルラ・ドゥルパは再び、槍をとる。


---


翌朝。


地下牢から出た四天将を、一月ぶりの朝日が迎える。

カノプゼリエ島の冬は死をもたらす寒さと呼ばれる。

罪人と看守以外が訪れることはない、孤島の島。

極寒の海風がインペリエの髪をけたたましく打ちつける。

余韻に浸る間もなく、彼女はすぐに行動を開始する。


「ケイリーク、いるか」

「はっ、ここに。御身の居ない間、寂寥の想いでお待ち申し上げておりました」

「ご苦労。ひとつ頼みたい」

「何なりと」


誰に話しかけたわけでもないインペリエの呟きに、音もなく馳せ参じた影がひとつ。

囁くようだがはっきりと通る、年老いた女性の声

しかし姿は見えない。

光属性魔法で、不可視化しているのだ。


「最近流された獣人族の奴隷を探せ――十歳と、赤子の"メス"だ。どんな手段を使ってもいい。保護して我が屋敷に迎えろ――客人として丁重にな」

「御心のままに...それと、ヴェルディス氏がつい先日戻りました。和平の道は、絶たれたとのこと」

「っ!?......わかった。では行け」

「はっ!」





使えるものは全て使う。

もう――手段は選ばない。

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