063.呼び出し
<<セラ・ドゥルパ視点>>
一週間というのは、こうも長かっただろうか。
たった七度、陽が昇っては沈んだだけだ。
それだけの筈なのに、家の中に残された空洞は一向に埋まる気配を見せない。
「……ふう」
いつのまにか癖になってしまったため息を、意識して飲み込む。
スマゴラの外れにあるこの家をこんなに広く感じたのは初めてだ。
ベッドと机と、椅子が二脚。
壁には黒曜石の槍が一本、無言のまま立てかけられている。
市場で買った薬草の束は、役目を失って自分の存在意義を探している。
真新しい包帯が拍車をかけるように、朝日を鈍く吸い込んでいた。
あの日から、机の上にひとつだけ増えたものがある。
足りなかった分、安物だったが買い足した――木製のコップが。
粗雑に切り出した武骨なものだが、これからはもう使う機会は巡ってこない。
(...いつまでこうしてるつもりなんだよ、オレは)
彼女の匂いだけが、まだこの家のどこかに残っているような気がする。
ベッドの皺、
麻のタオル、
窓際の、風がよく通る場所――
気のせいだと分かっていても、つい鼻を近づけてしまいそうになる自分が、酷く情けなかった。
その時、低い声と木戸を叩く音がして、現実に引き戻される。
「セラ・ドゥルパ一星騎士、いらっしゃいますか!?」
玄関に向かって扉を開けると、一人の女兵士が立っていた。
「...なんだ」
「はっ!シンシア・ルーヴェン団長がお呼びです。執務室までご足労願います――顔色が悪いようですが...?」
「気にしないでいい。すぐ――行くよ」
「ははっ!馬車にお乗りください!私がお連れ致します!」
「馬車...?徒歩じゃないのか?あと、その敬語――くすぐったいんだけど」
「何を仰いますか!一星騎士であらせられるドゥルパ殿には当然の扱いです!わ、私もあの、シグヴァルド要塞を落とした英雄と話すことが出来て...あの、感無量ですっ!!!!」
「わ、分かったから...馬車に乗ればいいんだな?」
馬車に乗っている間も、彼女は何かと話しかけてきた。
狂信的な言動に一星騎士という肩書の重さを感じるが、彼女の相手をしていれば――変なことを考えずに済むのは、助かったと言うほかないだろう。
あの家にいると、思い出したくないことばかり思い出す。
馬車の車輪が、スマゴラの荒れた石畳をけたたましく叩く音は、まだ聞きなれない。
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騎士団本部の執務室は、以前と何も変わっていなかった。
高い天井と、冷たい石壁と、机の上に積み上げられた山と書いて山と読む紙の束。
「来たか、ドゥルパ」
鮮烈な赤い髪をひとつに纏めた団長は、相変わらず無表情のまま書類から顔を上げた。
その肩には――白い梟が一羽。
あの"梟"は、今日もそこにいた。
小さな嘴を開けて、何とも言えない、気味の悪い笑みを浮かべて。
「……お呼びとのことでしたので」
「ああ、そこに掛けろ」
団長に促されて、柔らかな椅子に腰を下ろす。
沈み過ぎて少し慌ててしまう程だ。
「まず――遅くなったが、正式に伝えておくべきことがある。一星騎士となった者には、いくつかの特権が与えられる」
「はい...」
「今までのような男性騎士の――粗末な宿舎ではなく、城下町の中でもそれなりの家が用意される」
「はい...」
「使用人も一人つくことになるだろう。食糧の支給も、質が向上する。干し肉と堅パンばかりということもなくなるはずだ」
「はあ...」
今までなら、心躍る話だったかもしれない。
雨風をしのぐだけの小屋から、ちゃんとした家に移れるというのは、普通に考えれば大きな進歩だ。
使用人――誰かが家事を代わりにやってくれるというのも、悪くない。
でも、今の私には、その言葉の意味が頭の中を滑り落ちていくだけだった。
――そこに、アリアはいない。
「……おい、聞いているのか?」
「えっ?あ、はい。聞いてます」
「ドゥルパ、"星付き"になるということは、本来望外の喜びなんだぞ。もう少し喜んだらどうだ」
「はあ...」
「――気掛かりか」
「――問題、ありません」
団長の視線が鋭くなる。
肩に乗る梟が、首をかしげてこちらを見た。
(見るんじゃねえよ――全部お前のせいだろうが)
「そうか。であれば本題に入ろう」紙の束を一つ片付けるような調子で、彼女は続ける。
「アリア・ヴェルディス――帝国の"風神"は、王城を脱走した」
分かっていた。
一週間も戻ってこないのだから、その可能性はとっくに頭にあった。
それでも、実際に口にされると、胸の内側を冷たい刃物でなぞられたような気持ちになる。
「……やっぱり、そうなんですね」
「陛下への謁見の場で、王命に背いた。ヘンリエッタ陛下はその行為を裏切りと見なし、以後アリア・ヴェルディスは王国の"敵"として扱われることになった」
団長の口から"和平"という言葉は出てこない。
それが何よりも雄弁だった。
「――もう、和平は、ないんですか」
問いを口にするまでに、ほんの少しだけ時間を要した。
自分の口から出た音が、やけに遠く感じる。
「アリアが敵になったということは……もう、帝国との和平は無いってことですか?」
「少なくとも、現時点ではな」
「そう、ですか」
シンシアの返答は、きっぱりとしていた。
希望的観測を混ぜる余地はない、ということだろう。
それが余計に現実味を私に与えてくる。
「帝国が今後どう動くかはまだ読めない。しかし、我らフェナンブルク王国としては、今後アリア・ヴェルディス個人を信頼に足る存在とは見なさない。それが現実だ」
分かっていた。
分かっている。
それでも胸のあたりが、きゅっと締めつけられる。
「あいつ……本当に、敵になっちまったのかよ」
思わず、小さな声で呟いてしまう。
団長は聞き流したようだったが――肩の梟は、くつくつと笑っている。
「――だが、和平の可能性が完全に潰えたとは限らない」
「え?」
「ユークリッド皇帝が本当に和平を望んでいるのなら、ヴェルディス一人の失敗で全てを投げ捨てるとも考え辛い。いずれ、別の使者が現れることもあり得る……その時のために、持ち得る情報は全て洗い出しておく必要がある」
団長の視線が、私の方へと向けられた。
(ああ、それが本題か)




