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継承のセラ  作者: 山久 駿太郎
第七章 -二人の罪人-
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061.幕間:秋空に消えゆく[前編]

<<シンシア・ルーヴェン視点>>

扉の前に立ち、私は一度だけ深呼吸をした。


重厚な木戸は、王城の中でも最も堅牢なものだ。

表面をなぞるように視線を這わせると、細かな傷が幾つも刻まれている。

先代王の頃から、幾度も開かれ、幾度も人の運命を変えてきた扉。

そして今日――二つの国の行く末が変わる。


ヘンリエッタ陛下とは何度も綿密な打ち合わせを行ってきた。

多少の波風が立っても、船の行先は既に定められているのだ。

騎士団や国民に犠牲を強いたくはない――願うなら、太平の世を。


他方、隣に並ぶ白銀の髪の少女は落ち着いている。

覚悟を胸に戦場に向かう戦士のような、そんな空気を感じた。

幼い横顔には似つかわしくない、鋭い眼光。

しかし今この瞬間に於いて、これ以上心強い味方はいないだろう。


「ヴェルディス殿」

名前を呼ぶと、彼女はぱちりと瞬きをして私を見る。

やはり緊張はしていないようだ。

あるいは...緊張という感情をとうに擦り切らせてしまうほど、戦場で心をすり減らしてきたのかもしれない。


「最初に確認しておく。ここから先は、貴殿の一言一句が両国の命運を左右する。下らない戯言は、決して口にするな」

「心得ております、ルーヴェン殿」


彼女の瞳を真正面から射抜くように見つめた。

「ヘンリエッタ陛下は、先王とは違う。聡明でいらっしゃるが、判断も速い。貴殿の"奇行"に付き合う暇など無いと心得よ」

「奇行って...そんな言い方はないでしょう。否定は出来ませんが...」

むっと唇を尖らせる。

少しは自覚があるらしい。

「ルーヴェン殿、差し支えなければ先王とヘンリエッタ陛下がどう違うのか...少し教えて戴けませんか。今日この日、何があっても和平を勝ち取るために打てる手は打っておきたいのです。貴女の前で言うのも憚られますが、情報を集める時間がなかったもので」

「――先王であるオーギュスト王は、民の疲弊より、夜伽の相手を重んじられていた。しかしヘンリエッタ様は違う。統治の考え方が根本的に今までのフェナンブルクとは異なると考えた方がいい。それがゴア帝国にとって良いことかどうかは...私が口を出すべきではない」

「一切の油断をするなということくらいしか分からないのですが...」

(そんな目で、――私を見るな)


答えたくない、とは言えなかった。

不安が拭えないのは、アリアの奇天烈な言動のせいだけではない。

執着心――そう、執着している。

ヘンリエッタ陛下は異常なまでに、セラ・ドゥルパという少年を欲していた。


密談の場だったのが僥倖だったと思うことは数知れず。

失言を通り越して、もはや気が触れていると言われてもおかしくはない。

『――おっと、失礼。我が友シンシアには、どうしても心を許してしまいますね』

そんな中身のない言葉に頷くしかない私は、酷く滑稽だったのではないか。

自分の選択にこれほどまで猛烈な懸念が残るのは騎士団に入って初めてかもしれない――。


「私とて、貴殿を売り渡したいわけではない。帝国が本当に和平を望んでいるのなら――それを証明する機会は、今日しかないのだ。分かるな」

少し無理な会話の誘導に、銀髪の少女は訝しんだ表情を作る。

しかし何かを察してくれたのか、彼女は目を細めて頷いた。

淡い光が宿るその双眸に、偽りは見えない。


「承知しています。私も、ここでしくじるわけにはいきません。セラ君との約束もありますし」

「おい、それだ」

思わず語尾が鋭くなる。


「ドゥルパの話題は、必要最低限に抑えろ。いいな、絶対にだ!」

「.........善処、します」


この一抹の不安さえなければ、私が同席する必要もないのだが――

ふと、視界の端に映る黒い布に気づく。


「その傘は何だ」

「え?ああこれですか」


彼女が抱えているのは、黒い持ち手に金の装飾が施された小ぶりの傘だった。

雨は降っていない。

むしろ、今日の空は雲一つない青空だ。


「これから謁見だというのに、余計なものを持つな」

「ただの傘ですよ。装飾も最低限ですし――」

「なあヴェルディス、お前なら当然分かるだろう。書簡が入っているその鞄すら、本来は玉座の間に持ち込めるものではない。帝国の使者という手前無下にしたくはないが――後顧の憂いは残すべきではないと思うが?」

「...分かりました。鞄には入らないので、軍服の裏にあるポケットに入れておきます。それでいいですか?」

「む――いや待て。念のため、調べさせてもらう」

「勿論構いませんよ」


彼女は一瞬だけ逡巡したが、すぐに傘を差し出してくる。

私はそれを受け取り、慎重に検めた。

柄の部分を軽く捻り、布地の縁を指で押し、開閉の機構に細工がないかを確かめる。

魔石があるようには見えない――仕掛けも無し。

(問題ない――か)


「……少なくとも、武器やアーティファクトではないようだ」

「だから言ったじゃないですか。ただの傘だって」

「知人の研究者は、"ただの"という言葉を巧みに使って人を信用させてくるのでな。――ヴェルディス殿、大変失礼した。少しばかり礼に欠ける言葉を使ってしまったようだ。心からお詫びする」

「ルーヴェン殿、お気になさらないでください。これから為すことに鑑みれば、多くのことが些事だと言えるでしょう」


そう言いながら、傘を彼女に返す。

ヴェルディスは黒の金の刺繍が映える軍服をゆったりと広げ、小さな傘を内ポケットに入れた。

私達が短い押し問答を終えると、丁度扉番が槍を打ち鳴らした。


「――開門っ」重い蝶番の音が、謁見の間に続く世界を開く。


---


王城の謁見の間は、何度訪れても息苦しい。

高い天井。

壁一面の大理石。

幾本もの柱が等間隔に並び、その間に騎士団の礼服に身を包んだ兵士たちが整列している。

濃紺の絨毯が真っ直ぐに伸びたその先――玉座に座す、この国を統べる者。


ヘンリエッタ陛下は藤色の髪を精緻に編み込んだ上に、まだ似合わない王冠が載せられている。


「ゴア帝国ヴァルキリー隊総隊長、アリア・ヴェルディス!並びに王国騎士団長、シンシア・ルーヴェン!入場!」


呼び声と同時に、一歩を踏み出す。

共に入場した敵国の使者は私の半歩後ろを歩き、二人で絨毯の中央を進んでいく。

濃紺の絨毯は硬く、先王の時代からこの間に横たわっていることを示している。

しかし丁寧に扱われているからか、色褪せたというより、歴史を紡いできたという言葉が似あう。


玉座の前で私は膝をつき、右拳を胸に当てて頭を垂れた。

ヴェルディスもまた、帝国の作法で一礼した後、片膝をつき頭を垂れる。

今この場に於いて――私は王の護衛。

そのことをよく理解している帝国の"風神"は、優雅な声で言葉を紡ぎ始める。


「陛下におかれましては、ご清栄のこととお慶び申し上げます。ゴア帝国、将軍――及びヴァルキリー隊総隊長、アリア・ヴェルディスと申します。今日この日、陛下にこのような機会を戴けたことに、帝国を代表し感謝申し上げます」

私がそう告げると、陛下は僅かに顎を上げた。


「顔を上げなさい、シンシア・ルーヴェン団長。そして――ゴア帝国の"風神"よ」


許しを得て、私は視線を上げる。

隣でヴェルディスも同じように顔を上げた。


「遠路はるばる、敵国の城までご苦労なことです。ですが、勘違いなされぬよう。貴公は今も尚、王国と相対する敵軍の将であり、両国は戦時中であることに変わりはありません」


言葉は、冷ややかだった。

だがそれは無用な敵意ではなく、統治者として当然の警戒。

彼女は王としての面をきっちりと被っている。

同時に――どこか、楽しげにさえ見える。


「余は――いえ、私は貴公を歓迎するつもりもなければ、無下に追い返すつもりもありません。今ここにいるのは、両国の未来のため...そう、理解しています」

「光栄に存じます」ヴェルディスが一礼する。


「では伺いましょう。ゴア帝国ヴァルキリー隊総隊長、アリア・ヴェルディス――貴公の要件を。」

「...ユークリッド・フェアリーロック・ゴア皇帝陛下は、この戦争の長期化に深く心を痛めておられます」


帝国の使者として、和平を願う者として、彼女は堂々と振舞う。

先ほどまでの、どこか抜けた少女の顔は影も形もない。

心地良く優雅な声色だが、敵国の王を前に真っすぐ届く張りのある声だった。


「これ以上、両国の民に犠牲を強いるべきではない、と。故に、フェナンブルク王国との間に和平条約を結び――この戦に終止符を打ちたいと望んでおられます」


謁見の間に、微かなざわめきが走る。だが、陛下は眉ひとつ動かさない。


「...我々フェナンブルク王国は、和平を拒むつもりはありません」


その一言に、私でさえ僅かに息を呑んだ。

私のような一軍人の進言など、いくらでも無碍にすることは出来た。

この場で即座に「拒む」と言われてもおかしくなかったのだ。

だが彼女はそうしなかった。

希望が、光が、胸の内にある暗雲を払っていくのを感じた。


「ですが、形だけの和平にするつもりもありません――貴国の条件を言いなさい」

素早く、無駄のない問いかけ。

ヴェルディスはほんの一瞬だけ目を細め、口角を僅かに上げた。


「陛下の聡明さに、脱帽の想いです――ゴア帝国の提示する条件は、二つ。」

広間の空気が、わずかに締まる。

私もまた、注意深く彼女の言葉を待った。


「一つ。大陸東部と西部を繋ぐ南北の関所――現在、両国の境界として存在するそれらの管理権を、帝国側に委ねて頂きたい」


左右の列から、押し殺したようなざわめきが起きた。

過日、多くの死者を出しながらも、セラ・ドゥルパを始めとする騎士達が決死の覚悟で落とした要塞。

北部奪還の報は、多くの王国民を欣喜雀躍(きんきじゃくやく)させた。

それを無条件に明け渡せという。

(ヴェルディスめ――やはり一筋縄ではいかんか)


しかし、彼女は構わず続ける。


「二つ。両国民の通行に関する通行料を、銅貨三枚とすること」


「銅貨三枚......?」と、隣の老臣が小声で漏らす。

「三枚であれば、パン一つにも満たぬ額ですね」と、後ろの方で誰かが呟いた。


ヴェルディスは全員の反応を正面から受け止めながら、更に続けた。


「その他の領地、資源、軍備の在り方に関しては――条約締結後、双方の"誠意"に基づいて逐次協議し、決定していきたいと考えております。御国との恒久的な交流を見据え、通行料は帝国も十分に譲歩したとご理解賜りたく。如何でしょうか、ヘンリエッタ陛下」


銅貨三枚。

パン一つが銅貨四枚から五枚。

宿の最安値が一泊銅貨十枚前後――通行に必要な額としては決して重くない。

(安い―――これなら...)


関所の管理を帝国に任せるのは容易ではない。

だが――通行料がこの程度であるならば、ある意味では「命の線路」を維持するための最低限の負担とも言える。

決して悪い話ではない。

むしろ、帝国は最大限譲歩している。

正直なところ、帝国が全軍で攻めてきたとなれば...この国は一か月と持たないだろう。


ヘンリエッタ陛下は、肘掛に頬杖をつくことなく、真っ直ぐにアリアを見据えた。


「...成程。」


短い声。

そこから、長い沈黙が生まれる。

規則正しく玉座のひじ掛けを、指でコツコツと鳴らしながら王は考えていた。


視線は真正面。

彼女は、この場ですべての利害を計算している。

関所の管理権を恒久的に失うことと、戦争終結による国力回復の利得。

帝国が通行料を徴収する意図。

その額の意味。

......やはり彼女は――"王"だ。


静かに感心する。

私には出来ない芸当だ。

この王であれば、必ずこの国を良い方向に導いてくれる。






長い思慮の末に――――陛下は口を開いた。

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