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継承のセラ  作者: 山久 駿太郎
第七章 -二人の罪人-
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060.梟

「では行ってまいります」


そう言って、アリアは一度だけこちらを振り返った。

白い手袋をはめた指先でスカートの裾をつまんで一礼する。

フェナンブルクではあまり見ないそれは、帝国の作法なのだろうか。

彼女を迎えに来たのは、王城から遣わされた絢爛な馬車。

白い車体に王家の紋章が刻まれ、濃紺の幌が夏の日差しを柔らかく弾いている。


「セラ君、そんな顔をしないでください。きっと大丈夫ですよ」

「分かってる。ただ――少し心配なだけだよ。変なこと言わないかってな」

「あーそっちですかー」


アリアは照れくさそうにすると、腰に下げていた革のカバンに手を入れ――彼女は一本の傘を取り出す。

とても小さいそれは、雨を除けるには若干心許ない。

黒い持ち手には金の装飾が施されているが、そのほかに気になる点はない。

帝国の軍服と同じだ。


「こんないい天気なのに、傘が要るのか?」

澄み渡った青空を見上げながら、素直な疑問を口にする。

首筋をくすぐる秋の風は、木々の葉を優しく躍らせる。


「どんな時にも、備えは必要なんです」そう答えた彼女の横顔は、どこか意味深だった。

「空模様はすぐに変わります。それに、風がある日ほど――何が起こるか分からないものですよ」


「……また、よく分からないこと言ってるな」

「分からなくていいんです。総じて、備えあれば憂いなし、という話ですよ」


はあ、と生返事を返す。

言いたいことだけ言って、核心はぼかす。

アリアはよくそういう話し方をする。

デミに似たところがあるのかもしれない。


御者が手綱を握り直し、馬がいななきながら蹄を鳴らす。

出発の合図だ。


「それとですね、セラくん」

アリアは、すっと顔を近づけてきた。


近い――心臓が勝手に囃し立てる。

やめてほしい。


「この謁見で和平に少しでも近づいたら...その、ご褒美が欲しいです」

やたらと、ドキドキしているのは多分向こうも同じだ。

耳の先まで赤くなっている。

彼女の瞳の奥に見え隠れする、得体のしれない覚悟のようなものが、私を怖気づかせた。


「...オレに出来ることだったらな」

それしか言えなかった。

どう答えるのが正解なのか分からない。

母さんなら何と笑うだろうか、とか、ハイネなら茶化して何か言うだろうか、とか――どうでもいいことが脳裏を掠める。


「約束、ですよ?」「ああ。約束だ」


彼女はそれ以上何も言わず、ただ嬉しそうに頷くだけだった。

御者が鞭を小さく鳴らす。


スマゴラから城へ続く石畳の道を、白い車体が遠ざかっていく。

アリアは傘を小さくこちらに振ってみせた。その姿が見えなくなるまで――私はずっと目で追っていた。


私の自宅で行われた会談から二週間後――。

シンシアが「調整する」と言ってから、驚くほど早く物事は進んだ。

ヘンリエッタの謁見の機会が正式に設けられたのだ。

しかもそれに先立って、王城では簡素ながら戴冠式が執り行われたという。

城下には新王誕生の布告が掲げられ、街角はその話題一色だった。


「ヤドカリのくせに」「いや、あの王女様、案外やるかもしれんぞ」「騎士団がシグヴァルド落としたからなあ」「この前男娼館にいたような...」


耳に入る噂話はどれも好き勝手なものばかりだ。

ともあれ、新王ヘンリエッタは公式に国民に周知された。

初めて戦場で話した彼女はとても聡明な女性だと感じたし、私を卑下するようなこともなかった。

きっとアリアと話したら分かってくれると思う。


今日という日を迎える前、団長からは本部待機の命令を受けた。

"あの会談"の時と同じように、アリアがおかしなことを口にしないようにする為だそうだ。

妙に確信めいた言い方だった。

あの手合いは余計な一言で致命的な事態を招きかねん、とかなんとか。


残念なことに、私には否定できなかった。

私の匂いを堪能していた女が、王の前でどんな爆弾を投げるかは想像に難くない。

いや、難しい。

出来れば想像したくない。

まあ私がいたところで何が変わるわけでもない。

出来ることと言えば、アリアとシンシア団長からの報告を待つくらいなものだ。


---


騎士団本部に到着し、団内掲示板を見に向かう。

今となっては習慣になっているが、当初はよく忘れてアムに注意されていた。

今日の目新しい報告は――



― レイトッド・スカルドホルムは初級騎士に格下げとし、一年間の自宅謹慎を命ず ―

― 新入団員選抜終了、現在の同士は約三千人 ―

― セラくんのファンクラブつくりました!参加者はビューラ・リーまで! ―


三枚目の紙は破って捨てておいた。今日の訓練は特別メニューになりそうだ。


「あれあれ~?セラ・ドゥルパ一星騎士様じゃありませんか!」

「...おいアム、いつまで"それ"をやるつもりだ」


金の髪に、エメラルドのインナーカラー。

僅かに伸びた髪は結んで肩にかけている。

私の"先輩"であり、最初に出来た人族の戦友。

ずっとこの下らないやりとりを続けている――流石に、辟易してしまう。


「"星付き"の通過儀礼みたいなもんだって。...正直羨ましいよ。しかも男で一星騎士って、前代未聞だよ?」

「そうなのか?」

「そうなの!......でもまあ、負けてらんないからね。あたしもすぐ追いついて、追い越してやるから覚悟してよね」


いつものアムらしい口ぶりに、自然と肩の力が抜ける。小隊の仲間とは違う、切磋琢磨する相手。私にとって彼女は特別な存在なのかもしれない。


「それとね、セラ」不意に声の調子が変わる。少しだけ真面目な色が差した。


「あんたさ、"また"女を家に上げてるんだって?」

「な、なんで知ってるんだよ...」

「私の時も――そうだったじゃん?男が女を家にあげるってことがどういう意味なのか、よーく考えなよ」

「どういう意味、って……?」

「はああああぁぁ…」

アムは分かりやすく額を押さえた。


「世間的にはさ、男の貞操ってのは軽く見られがちだけど、本来はあんたが一番気をつけなきゃいけないんだよ。特に、今の立場のみたいな男はね。シグヴァルド要塞を落とした"英雄"ってこと自覚してるわけ?」

「いや、でもアリアは怪我人だったし、放っとけなかったというか...」

「そういう問題じゃないの!いい?あんた、"男が女を家に上げる"ってことはね――」

(うるせえなぁ...)


女尊男卑のこの国で、女性が男性を家に呼ぶのは珍しくないが、逆は――かなり変わっているらしい。

襲われても文句は言えない、とアムは言っていた。

しかし、仲が良いのなら別に問題にはならないのではないだろうか。

口喧嘩か何かで仲違いしたとしても、同じ人族の文化圏に生きる者同士話せば分かるはずだ。

それが急に襲われるなんてのは、私でさえ理論が飛躍していると感じる。

アムの言いたいことは結局良く分からない。


彼女は人差し指を突き出しかけて、ぐっと飲み込んだ。

そして顔を顰める。


「...なんであたしがこんなこと言わなきゃいけないの?なんかやだなあ」

アムのぼやきのようなそれを聞いて、ふと頭をよぎる。


「ああ、そうだアム」

「なに?」

「"ヤる"ってどういう意味か教えてくれ」

「ん゛っ!?」


アムの表情が、段階を踏んで変化していく。

「...正気?あんた頭打った?シグヴァルド要塞から帰ってくるときに坂から転げ落ちたんじゃないの」

「いや、打ったのは酒場の椅子から落ちた時くらいだな」

「そういう意味じゃないっての!察しろってこと!」


アムが頭を抱える。

さっきから頭を抱えてばかりだな、この人。


「ハイネも団長も教えてくれないんだよ。『そういうのはまだ早い』とか、『ハイネに聞け』とか。教えてほしくないなら、最初から変なこと聞いてくるなって話だ」

「――ちょ、ちょっと待って。え?シンシア団長にそんなこと聞いたの?」

「聞いた」


「本当にバカだなお前!」

廊下の奥で歩いていた騎士がびくっと肩を震わせ、急ぎ足で去っていく。


「この場にシンシア団長がいなくてホントによかった...団長がこの場にいたら、大変なことになってたよ」

アムは天に感謝していた。


「大変なこと?」

「だって"嘘つけない"じゃん」

「どういう意味だ?」

「あっヤバっ――」


アムは声を潜め、周囲を確認する。

誰もいないのを確認してから、私の耳元に顔を近づけてきた。


「絶対言うなよ――シンシア団長さ、呪いにかかってるんだよ」

「――どういうことだ」

「本人は無自覚だけどね。ほら、団長の近くに"白い梟"いるじゃない?...ってそっか、見えないか」

「あ...そういえばいるな」

「はぁ?あんた見えるわけ?」

「うん。多分、オレが"呪い"になってからだ」

「なるほどね、そういうこともありうるのか...まあいいや。それでシンシア団長は、相手に嘘をつかせない呪いにかかってるんだよ」


嘘をつかせない――そんなことが、あり得るのか?

しかし、だとすればアリアがシンシア団長との会談で暴走していたのにも合点がいく。

アリアが実際にやっていたのは、まあ...さておいて。


呪いとは、願い。

誰かがシンシア・ルーヴェンに、強く願ったということだ。

――相手に、嘘をつかせるなと。


「団長の前だとぺらぺら話しちゃうんだよ。あたしも、この前やらかしてさ。あんたが一星騎士になった時にむかついて、訓練サボって街の男娼のとこに遊びに行ったの。それであろうことか団長がさ、『今日どこに行っていた?』って聞いてきて、あたし、嘘つくつもりだったの。街の見回りですって。でも、いざ口を開いたら、『男娼館で、セラみたいな子と遊んでました!』って全部言っちゃったんだよ!いやもうほんと参ったよね!」

「今、なんて?」



「―――とにかく、言いたくないことも口から勝手に出ちゃうの!」



「だからさ、もしこの場に団長がいたら、あたしの騎士団での立場が終わってたってこと!」

アムはふう、とひと息つくと、腕を組んで私を見下ろした。


「その話は――いつか、誰かが教えてくれるよ。今はそれより、自分の身を守ることを考えな。あんた、ほんっと貞操観念ゆるゆるなんだから」


「そうなのか?」

「そうだよバカ!」

「いってぇ!?」

アムの拳骨が、私の頭に一つ落ちた。

私の方が偉いのに、おかしくないか。


鈍い痛みを覚えながら、気付く。


アリアの暴走が、団長のせいなら――

あの場に一番居合わせてはいけない人こそ、シンシア・ルーヴェンその人なのではないか。

白い梟のニタリと笑ったあの顔が、頭から離れない。


そう思い至った時だった。

騎士団本部の廊下に、突如として地鳴りのような轟音が響く。


「っ!?」


石壁がわずかに震え、天井の埃がぱらぱらと落ちてくる。

ただの物音ではない。どこかで、大きな何かが壊れた音。


「今の、王城の方じゃないか!?」

「セラ、外!」


私とアムは駆け出した。

中庭に出て、見上げると――遠くに聳える王城の一角から、白い煙が上がっている。

間髪入れずに、緊急事態の鐘の音が貫いていく。


「騎士団員、全員配置につけ!」

「救護班は準備を!詳細はまだだ!」

「斥候を出せ!爆発か、攻城か、何が起きた!?」


本部中が一気に騒然となった。

それぞれが持ち場へ走り出し、怒号と靴音が石畳を打つ。

私も槍を取りに部屋へ戻ろうとしたとき、フレデリックの声が廊下に響いた。


「セラ!まだ動くな!」

「フレデリック!でも!」

「まだ確かな情報がない以上、君を軽々に動かすわけにはいかん。ここで待機せよ。これは命令だ、セラ・ドゥルパ一星騎士」


真正面から名前を呼ばれ、言葉を詰まらせる。

フレデリックの目は、それ以上何も言うなと告げていた。









その日、アリアは――戻ってこなかった。

翌日、執務室に呼び出された私は知ることになる。


"風神"アリア・ヴェルディスが逃走したと。

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