006.向き合うべきこと
扉が閉まった後も、店内からは笑い声が聞こえ続けている。
外に出ると、案の定セラの怒りが爆発してな。
顔は真っ赤に染まっていた――今まさに、姿を隠そうとする夕日のせいにしておくとする。
「なんで黙ってたんだよ! あんな奴ら、あんたなら泣かせることくらい訳なかっただろう!」
フレデリックは振り返ると、深いため息をついた。
そこに立っていたのは彼であって、彼ではなかった。
真摯で豪快な益荒男は、今や疲れた一人の中年男性に変わっている。
「セラ、あれが今の王国の現実なんだ。我々騎士団が守るべき民である者たちを、どうして傷つけることが出来ると言うんだ」
彼の声には深い疲労が滲んでいる。
まるで何度も同じことを繰り返し説明してきたかのような、諦めにも似た響き。
重い荷物を背負い、歩き続けた――そんな力ない声色に、セラも口をつぐんでしまう。
「戦争が長引いて、みんな余裕を失っている。強い者が弱い者を虐げ、自分より下だと思う相手を見つけては憂さ晴らしをする。それが当たり前になってしまった」
街を行く人々の表情を見れば、フレデリックの言葉が嘘ではないことが分かる。
誰もが疲れ切っており、他人を思いやる余裕など微塵もない。
特に男性たちの表情は暗く、生きる希望すら持てずにいる。
前を見るべき両の目は、どこまでも続く土の道しか見えていない。
セラは拳を握りしめたまま彼の言葉を聞き続けた。
「男性というだけで見下され、馬鹿にされる。君が感じた屈辱は、この国の……いや、多くの人族男性が日常的に味わっているものなんだ」
フレデリックは徐に空を見上げた。
雲が厚く垂れ込めており、今にも雨が降り出しそうだ。
その空の色は――まさに王国の現状を表しているかのようである。
「吾輩が騎士団に入ったのも、こんな状況を変えたいと思ったからなんだ。力で解決できる問題ばかりじゃないが、それでも何かを変えられるかもしれないと信じて」
それでも尚――フレデリックという男の灯は消えていない。
彼の言葉に混ざるのは諦めだけでなく、一握りの希望。
セラは、良い出会いに恵まれたと言っていいだろう。
「セラ、君を騎士団に招きたいと思ったのは、戦闘技能だけが理由ではない。折れない心こそが一番肝要なのだ。説明の手間が省けたといえば聞こえはいいが、いずれにせよ騎士団内でもこういった待遇を受けることはあるだろう」
セラは暫く黙っていた。
カルラの集落でも疎外感を味わったが、それとは質の違う屈辱。
あの酒場での出来事は彼の世界観を根底から覆すものだった。
「...なあフレデリック、人族の男として生きていこうと思ったら、この扱いからは逃げられないってことだろ?」
「そうだ。」
「あんたは騎士団で、それを変えようと思ってるんだよな?」
「そうだ。」
セラはまだ怒りが収まらないまま、フレデリックに端的な質問をした。
少年の中で、小さな火が灯った瞬間だったのだろう。
共にいる私にも強い意志の力が、魂の波動が響いてきた。
「オレは、食えて寝るところがあればそれでいいと思ってた。でも...」セラは拳を握りしめた。
「さっきのは、ムカついた。オレに何が出来るのか分からないけど――やるよ、騎士団。」
「そうか...君は本当に強い子だな」
「母さんに鍛えられたからな」
セラの答えに、フレデリックは小さく笑った。
心からの笑顔だったように思う。
「カルラという方は、きっと素晴らしい女性だったんだろうな」
「ああ、世界で一番強くて、優しい人だ。厳しいけどな...」
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二人はそのまま騎士団本部に向かって歩き続けた。
石畳の道を行く人々の視線は相変わらず冷たかったが、セラの歩き方には先ほどまでとは違う決意が感じられた。
背筋が伸び、足取りも力強くなっている。
街の景色は相変わらず荒廃していたが、セラの目にはそれが変えるべき現実として映っていた。
破れた看板、
ひび割れた石畳、
疲れ切った人々の顔。
全てが彼の記憶に刻み込まれていく。
二人は腹の虫を抑えながら街中を進み、二人が辿り着いたのは物々しい城塞のような建物だった。
濃紺の旗が掲げられている。
装飾は一切ない。
敵を拒絶する為にのみ存在する要塞。
五メートルはあろうかという武骨な鉄の扉は冷たく、暗い印象を受けた。
「フレデリック副団長、お帰りなさいませ」
門番の女性兵士が敬礼する。
その視線がセラに向いた瞬間、明らかに表情が曇る。
「シンシア団長が、執務室でお待ちです」
隣に立つ大男の表情が、一瞬強張った。
「...分かった」
重々しく扉が開き始める。
その奥から、研ぎ澄まされた殺気にも似た、張り詰めた空気が流れ出てきた。
「セラ」フレデリックが低い声で言った。
「これから会うお方は特別な方だ。気をつけろよ」
少年は槍を握る手に、自然と力を込めていた。




