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継承のセラ  作者: 山久 駿太郎
第七章 -二人の罪人-
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055.幕間:歪な王冠、継承する狂気

「はー...よこっらせっと」

フェナンブルク王国の玉座にゆっくりと腰を下ろしたのは、寝間着姿の老人であった。

伸びた藤色の髪はすでに大半が白髪となっており、毛先は跳ねている――身だしなみに気を遣っているとは言い難い。

女性とも男性とも、人とも形容し難いその姿。

誰がこの者を一国の主だと思うだろうか。

痩せ細った指には不格好なほどに煌びやかな指輪がはまっているが、サイズが合わないのか随分と隙間が出来ている。


彼女こそが、王。

フェナンブルクを統べる者。

オーギュスト・ロイズ・フェナンブルクその人であった。


冷たい沈黙が空間を支配する中、高い天井から吊り下げられた豪華なシャンデリアが朝日を受けて煌めいている。

しかしその美しい光景とは裏腹に、玉座に座る一人の老婆から発せられる空気は肌を刺すように鋭く、膝をつく者は唾を飲むのも躊躇われるほどだった。


現王である彼女は、すでに齢にして七十を超えている。

傍には二人の男が控えていた。

身目麗しく、多くの女が自らの勲章として手元に置きたくなるほどの、妖艶な美貌。

奇しくもその男たちは、オーギュストの膝元に裸体を晒して四つん這いになっていた。

筋肉質で若々しい肉体を持つ彼らは、オーギュストの皺だらけの手で臀部を愛撫されている。


醜悪にして淫猥、男娼館かと見間違えてしまうほどの異常な光景。

自らの欲望は政より優先される。

朝、食事をするように、王は毎日夜伽を楽しむ。

国の民が貧困に喘ごうと一切の関係はない。

短い余生を力の限り楽しもうという狂ったまでの純粋さ。

血の縛りが無ければ、きっと彼女が玉座に座ることはなかっただろう。


それを冷ややか目で見る女性が一人。

不格好な鎧は身に着けていない。

煌びやかなドレスに、整えて後ろで結んだ藤色の髪。

しなやかに伸びる指を隠すように、レースの付いた純白の手袋をはめている。

第一王女のヘンリエッタだ。


未だ若い男との情交を毎晩楽しむ女王であったが、ヘンリエッタの出産を経験した後は大きく考えを変えた―――死が目前に見えるほどの難産だったのだ。

こんな思いをしたのはお前のせいだと、夫だった"顔だけ"は良い男は、ヘンリエッタの出産と同日の内に斬首された。

以降は子が出来ても悉く堕胎という道を選んできた。

故に、次期女王は第一王女に決まっている。


そんな歪曲した国が、フェナンブルク王国だった。


---


オーギュスト王の御前には、二人の女性が膝をついて控えていた。

一人は赤い髪を後ろで束ねた凛々しい女性、普段と同じ無表情の騎士団長シンシア・ルーヴェン。

もう一人は黄緑色の髪を逆立てた小柄でふくよかな女性。

レイトッド・スカルドホルム二星騎士である。


「おう、(ツラ)ぁ上げていいぜ」

王の許可を得て、二人は顔を上げた。

シンシアはオーギュスト王の粗暴な言葉遣いに、常日頃から王らしからぬと怒りを抑えるのに苦慮しているが、今日は違う。

寧ろ一種の懐かしさ――すでに遠い過去のように感じていた。


「陛下、シグヴァルド要塞攻略戦の報告を申し上げます」


シンシアの声は玉座の間に凛と響き渡る。

感情の起伏は無いように思えるが、注意深く聞けばその奥に抑制された怒りと、背反する慈愛が潜んでいることが分かる。


「我が軍は見事要塞を陥落させ、ゴア帝国軍を撤退に追い込みました。これにより王国は北部への足がかりを得て、戦況は大きく王国に有利となりました。敵の将は、帝国四天将インペリエ。中級騎士であるセラ・ドゥルパが自ら―――」

「あー分かった分かった。それで?」


オーギュストは心底興味が無さそうに片手を振って話を促す。

まるで退屈な話を聞かされているかのような態度だった。

美男子の一人が小さく身震いすると、オーギュストはその反応を楽しむように手の動きを変えた。


王の問いは、レイトッドには伝わらない。

「それで?」の一言にはシンシアにしか理解出来ない意味が含まれていた。


徴兵令の上申を受け入れる条件として王国騎士団に課せられたこと――

団長の座をスカルドホルムに譲ることこそが、この二人の間で交わされた密約であった。

オーギュストはこの機会にレイトッドを五星騎士に昇格させ、

シンシアは次期団長にこの愚か者を指名し、戦友達の未来を託す。


民に希望を与えるには、戦況の打破がどうしても必要だった。

徴兵令のことをハイネに話した夜、愚かだと、浅慮だと、散々罵られた。

しかし、国を覆う陰鬱な空気を変えるには、戦って勝ち取るほかないと考えたのだ。


代償は――幾ばくかの民の命。


全国民が戦う意思を示し、一丸となって帝国に立ち向かわなければこの戦争に勝利はない。

フレデリックや、名だたる四星騎士に指揮を取らせたかったが、レイトッド・スカルドホルムを指揮官に据えると王が言い放った為、二星以上の騎士は同行が許されなかった。

レイトッドの面子を立てるためだ。

縋るような想いで、騎士団に新たな風を巻き起こしつつある、彼に賭けた。

獣人族の集落で育ち、ハイネが唯一従う事を選んだ少年――セラ・ドゥルパに。

北部陥落の報を聞いたシンシアは、執務室で叫んだ。


シンシア自身、まだ気づいてはいなかった。

――自分に王の資質があることを。


「はい、陛下。"委細承知"しております。」

「よぅし、ならいい......レイトッド!頑張ったなあお前!妾も鼻が高いぞ!」

「はっ!これも全て兵士達の尽力に依るもの!今後も国の為、そして偉大なる王陛下の為、この命果てるまで仕えさせていただきます!」

「うんうん、可愛いやつだ!たっぷり褒章を用意しておこう。大儀だったなあオイ!これはもう、団長が入れ替わるのも遠くないかもしれねえなあ」

「っ!?王陛下、それは流石に時期尚早かと...しかしっ!!王陛下の勅命とあらばこのレイトッド!全身全霊をもって、騎士達を率いてみせましょう!」

「けっけ!そうこなくちゃなあ!」


白々しくも傲慢に王は振舞う。


「おいルーヴェン。さっそく明日―――」


そんな王の言を遮り、騎士団長は口を開く。

双眸に移る邪悪から目を逸らさずに。

「否。陛下、席を譲るべきは貴女です——オーギュスト・ロイズ・フェナンブルク、この王国を蝕む病魔よ」






「...衛兵ええええええええええええええ!!!」


シンシアの言葉を耳にした瞬間、オーギュストは素早く判断した。

不快な金切り声を聞いて駆け付けた衛兵は、玉座の間の扉を荒々しく開けて駆けてくる。

王の近衛である兵士達は、磨かれた銀の鎧に、濃紺のマントを羽織っていた。

騎士団の命令系統とは全くの別軸――王にしか動かせぬ精鋭達。


彼女らはゆっくりと立ち上がるシンシアを――通り過ぎ、煌びやかな剣の切っ先を向けたのは...


玉座に座る老婆、

オーギュスト王の首筋だった。


「おーいおいおいおい。あー......なるほどな。ヘンリエッタ、テメェか?」

「流石は母上。理解が早くて助かります。策謀は私ですが、近衛兵の人心掌握はルーヴェン氏の人徳ですよ」

「ヘンリエッタ様、如何致しますか。...貴公らは行っていいぞ。家族の待つ家に帰りなさい」


シンシアの言葉を聞いた裸体の美男子二人は急いで立ち上がり、駆け足で扉から逃げ出した。

レイトッドは未だに状況が呑み込めず、立ち上がるタイミングを逃している。

どうしたらいいのか分からない。

足らない頭で、誰に従うべきかを考えている。


「何が不服なんだ?戦場に送り出したことを怒ってんのかよ。どうせ老い先短いんだ、もうちょっと待てねえのか」

「待てませんね。欲しいモノが出来てしまったので。この性格は母上譲りなのでしょう。一度欲しいと思ったら――どんな手段を使ってでも手に入れる。ですよね?」

「男か」

「然り」

「...ヤドカリ王女が偉くなったもんだぜ」

「娘の"ハサミ"で逝けるとは、母上も果報者ですね。扨て、大人しく退位して隠居して戴けるならば、剣は納めましょう。しかし意に反するのならば――首と体は永久の別れを迎えることになるでしょう」


刃を突きつける娘と、死を迎えんとする母の会話は、親子が食卓を囲いながらするようなトーンで交わされた。


「レイトッド、この二人をなんとかしてくれよ!浅はか過ぎると思わねえか?」

「え...あ...私は――」

「スカルドホルム卿。あなたはシグヴァルド要塞攻略戦の際、多くの民を愚鈍な作戦で無駄に死なせましたね。指揮官としては――相応の責任を取ってもらわねばなりません。今大人しくしていれば斬首は免除して差し上げましょう。死を覚悟して母上を庇うなら、我々も相応の礼儀でお応えいたします。如何ですか?」


有無を言わさぬヘンリエッタの物言いに、スカルドホルムは一気に委縮した。

「斬首は免除」という言葉が彼女の頭の中で繰り返し反芻されていく。





「ヘ...ヘンリエッタ様の―――御心のままに」

「レエエエエエエエエエエェェイトッドオオオオオオオオオオォォォ!!!」

「スカルドホルム、賢い判断だ。決して無下にはしないと約束しよう」


この玉座の間に、もうオーギュスト王の肩を持つものはいない。

レイトッドのしなびた草木のような毛髪を見て、更に王は怒りを高めていく。

しかしその先が無い。

矛先が届くことは、無いのだ。


「母上、さあご決断を。...ちなみに、もう夜伽は無いものとお考えください。慰めるなら、お一人で」

「ケッケッケ...男が抱けねぇ現世に未練はねえよ。さっさと()りな」

「.........そうですか。残念です。では、達者で。ルーヴェン氏、苦痛無きよう――刎ねてください」

「御意のままに――」


シンシアの剣は音を置き去りして――オーギュストの首を斬り落とした。

玉座から蹴り玉のように転がり落ちる首が立てたのは、驚くほど軽い音——まるで腐った果実が枝から落ちるかのような、虚ろな響きだった。

光を失った双眸が最期に見据えたのは、ヤドカリと呼ばれた娘が玉座に座る景色であった。


「...流石は、"鮮烈の至達(アデプト)"ですね。初めて貴女の剣技を目にしましたが――成程。聞きしに勝る隼の刃ですね」

「その異名で呼ぶのはお止め下さいヘンリエッタ様...他の騎士達が怯えます故」

「ふふ、失礼―――では...」


ヘンリエッタは何も感じない。

自分の進むべき道に立ちはだかる壁は、例えそれが肉親であっても一切の関係はなかった。

己が欲の為に事を為すその姿こそ――王。


それは運命。

血の繋がりが呼び寄せる必然。

オーギュストの欲を飲み込んだのは、さらなる歪な欲望だったのだ。


---


新暦269年、秋。

崩御――そして、

ヘンリエッタ・イクスピアリ・フェナンブルク国王が誕生した。

王宮は意外なことに慌てふためくことはなかった。


ヘンリエッタは戦場から戻るとその日の内にシンシアに接触、今回の策謀についての約束を取り付けた。腐った果実を取り除くには周囲の協力が不可欠だ。

ヤドカリ王女が持ち合わせていなかった人望を、繋がりを、王国騎士団長は持っていた。

逆にシンシア・ルーヴェンには僥倖であった。

譲った団長の座をどのように奪還するかに頭を悩ませていた矢先、ヘンリエッタから密談を持ち掛けられた。


数えるほどしか会話を交わしてこなかった二人は、一晩で姉妹のような関係になっていた。

騎士団内のみならず、シンシア・ルーヴェンの名は王宮内にも絶大な影響力をもつ。

最年少で王国騎士団の頂点に登り詰めたのは、情熱や武力だけでは不可能。

徹底的な合理に基づいて行動する人物だと、ヘンリエッタは兼ねてから考えていた。


「ルーヴェン氏、シグヴァルド要塞の攻略――改めて大儀でありました。心から感謝します、我が友よ」

「私には過ぎた言葉でございます、ヘンリエッタ陛下。最大の功労者はセラ・ドゥルパ中級騎士に他なりません。彼は...特別な存在かもしれません」


王笏をトンと突き、ヘンリエッタはにやりと笑う。

藤色の美しい髪を編み込み、まだ似合わない王冠を頭に載せて。

「ええ、まさに。彼はこの国の希望ですよルーヴェン氏。聞いた話では、あの戦場から生きて帰った者の多くが騎士団への入団希望を出しているとか。前王も懐古的な考えを持っていましたが、女が戦で輝くことを望む者は今なお一定数いるのでしょう。負けじと、と言ったところですか」

「正直、これほどまで騎士団の希望者が膨らんでしまうと、内部の統制が懸念されますが...」

「母上が下らない見栄で始めたこの戦争も、既に三年が経過しています。この機を逃す手はないでしょう。ルーヴェン氏...いえ、我が友シンシア。騎士団の抜本的な再編と、残り二年以内にこの戦争を終結に導く道筋を組み立てて欲しいのです。頼りにしていますよ。私も助力は惜しみません」

「...はっ!ヘンリエッタ王陛下の御心のままに。我が命を賭して、必ずや応えてみせます」


「では手始めに、セラ・ドゥルパを"星付き"にしましょう」

「はっ!...は?」



「え?」

シンシアは王に、二度も問いを返した。

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