049.産声
「な、汝、見えざる刃の洗礼を受けよっ...烈風刃<ゲイルブレイド>!」
詠唱と共に、彼女の周囲に風の刃が生成される――しかし、私を打つ攻撃にはなりえなかった。
マナが乱れているのだろう、形を成せぬまま風は霧散していく。
魔力の枯渇が進んでいるのは明らかだった。
「もう...諦めろよ」
「くぅっ...そおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
それでも彼女は戦い続ける。
インペリエを守るために、自分の命を賭して。
「烈風刃<ゲイルブレイド>!烈風刃<ゲイルブレイド>!烈風刃<ゲイルブレイド>!」
彼女は戦い続ける。
やけくそとも言える程の連続詠唱を始めた。
呪文はない。
ただ魔法の名を叫ぶ。
赤子が、取り上げられた玩具を指さすように、哀れな小鳥は囀り続けた。
その時――私の胸の奥で何かが蠢き始める。
暗い感情が、泥のように私の心を覆い始めた。
それは憎悪か、怨念か。
確かなことがひとつ――間違いなくそれは負の感情。
私の中で渦巻き続ける千の魂が騒めく。
疲れ果て頭を垂れた女魔術師を見て、"誰か"が囁いた。
『――惨憺の一言だな。そうだろうセラ?寂寥の聲では観客が喜ぶはずもない。』
「―――――え?」
『代われ。少しばかり魔術の深淵を見せてやろう』
理解が追い付かぬまま、それは起こった。
身体が後ろに引っ張られる感覚、そして浮遊感。
まるで――自分の身体から追い出されたような錯覚。
四肢に命令は届かない。
セラ・ドゥルパという人間を他人のように傍観する。
私はいつか、観客になっていた。
立ち上る禍々しくも神々しいマナの波が、波紋のように広がっていく。
『セラ、我を見て学べ。お前はまだまだ強くなれるぞ』
自分の口が紡ぎ始めた言葉に驚嘆を隠せなかった。
『魔の楔、古き理、咎人に今刻め。我が血、我が肉、喰らいて為さん...身蝕呪刻<インスクリプション>』
学術書には載っていない、聞いたこともない詠唱。
その時、落雷にも等しい黒雷が発生し、私の腕に集約していく。
(ぐあああああああああああああああああああ!!!!)
手甲の下で何かが起きた。
自分の腕が、魔物に食い破られていくような――苦痛。
『重畳、重畳。セラ、これはひとつ"貸し"だぞ。扨て...では始めようか。何分、こうして身体を動かすのは久しい故、加減は出来ん。だが――安心しろ。貴様が灰燼に帰そうとも、誰も気に留めはしないだろう』
そして"私"は、手をかざす。
かざしただけだ。
にも拘わらず、黒雷で練られた稲妻の矢が幾つも空中に生成される。
幾つも、幾つも、幾つも。
(やめろ!おい!そこまでしなくてもいいだろう!)
『今は気分が良いのだ、黙ってみていろ。それに、これくらい見せてやらねば失礼だろう?派手な見世物程、観客は喜ぶものだ』
空を覆う程の矢が見据えるのは、ただ一人の女魔術師。
そして矢と言うにはあまりにも大きく、鋭い――投擲を待つ槍の束となっていった。
「なっ...詠唱していないのにっ!?」
『カカ!良い顔をするではないか小娘。耐えて見せよ――天雷之宝弓<アークファランクス>』
かざした手を振り下ろした瞬間、抗いようのない圧倒的な暴力が彼女を襲った。
次から次へと、轟音を上げながら黒雷の槍は向かっていく。
土埃で見えなくなっても、まだ続く。
『カカカカカカカカカカ!!塵芥となって爆ぜてしまえ!』
何も出来なかった。
見ているしか、なかった。
自分の意思に反して動くこの身体は、殺戮を楽しんでいる。
傍観者の私を置き去りにして。
黒雷の嵐が止み、風が土埃をゆっくりと払った後―――女魔術師は、生きていた。
「え―――なん、なんで...」
『......なんだと?』
その場にいる誰もが今起きていることを理解出来ずにいた。
消し炭も残らないほどの威力だったはずだ。
"彼"は間違いなく致死の魔法を行使していた。
次の瞬間――彼女の胸に光るくすんだ魔石が、力尽きたように音もなく割れた。
その魔石からは、美しい黄金の粒子が空に昇っていった。
何故かその儚い光から...私は目が離せなかった。
「あ...ああああ...ああああああああああああぁぁぁぁ!いかないで!いかないでええええ!!!!」
彼女の悲痛なまでの叫びが鼓膜を揺るがす。
『ほう...中々楽しませるではないか』
漆黒の稲妻が蛇のように、黒曜石の槍に絡みついていく――
『教えろ――その理を』
――そして"彼"は投擲した。
黒雷を纏った槍は一直線に飛んでいく。
「我にっ!仇為す痴れ者を拒絶せよ!断絶風<エア・リジェクト>」
女魔術師が辛うじて発生させた風の盾は、槍に触れた途端大気に戻っていく。
霧散した風を傍目に、槍は彼女の胸に深々と突き刺さった。
「あ゛うっ!」
血を吐きながら、女はその場に膝をついた。
槍に貫かれた胸からは大量の血が流れ、もはや数刻の命なのは疑いようもない。
後ろを振り返った彼女はインペリエの姿が見えないことを確認し、目的を達成したという満足感を得たのだろう。
そのまま儚く後ろに倒れこんだ。
「かひゅ...あ.......あ....」
もう彼女に言葉を話す力は残っていなかった。
『"これ"を使うのも――久しぶりだな。古き友との再会といったところか』
いつしか私の右手に、夜陰のオーラがまとわりついていた。
色は暗く、底は深い。
黒よりも悍ましい墨色の闇――これはきっと良くないものだと、直感で分かる。
間違いない。
呪いだ―――
『カカ、懐かしいのう!」
(おい!やめろ!)
『光栄に思うがよいぞ、小娘』
(頼む!なあおい!)
『――――貴様の魂、そしてその記憶。我が継承し、未来に連れて行ってやろう』
(やめろおおおおおおおおおおおお!)
"彼"はゆっくりと、愛おしく、彼女の首に手を添える――
「や゛めっ!?がふっ...」
『暴れるな。手元が狂ってしまうぞ?』
「ぐっ!?かひゅっ――――」
これから何が起きるのか、私は"知っている"。
私の右手に宿った夜陰のオーラは、瞬時に彼女を包み込んだ。
しかし、墨色から受ける印象とは裏腹に、幼子を抱き上げる親のような――暖かさ。
慈悲。
そんな言葉がよぎった。
次の瞬間、女魔術師の胸から美しいエメラルドの光が立ち上がった。
彼女の魂は私の手に引き寄せられるように浮上し、ゆっくりと私の中に入っていく。
風のマナが自分の身体に宿ったことを感じる――
(温かい――――――これが、人の魂なのか...)
目の前に残ったのはただの肉の器だった。
しかし、その表情に苦しみは無い。
長い苦悩から解放、
彼女を救ったのだと、そう思う。
最期の想いが、彼女の記憶が、私の中に溶け込んでくる――
ゴア帝国ヴァルキリー隊所属、ローレル・パルミ。
それが彼女の名だった。
『なるほど...刹那の生でありながら、興味深い道を歩んできたらしいな―――素晴らしい。...む?なんだもう時間切れか。セラ、聞け。我はいつでも共に在る。』
(...いいから、早く返せ。オレの身体だぞ)
『そう邪険にするな。もう我々は運命共同体だ。永い付き合いになる、仲良くやろうではないか。名前は――いつか気が向いたら、お前がつけろ。今となっては、名があることも悪くない』
(お前...まさか――――っ!?)
「隊長!ハイネさん!ご無事ですか!?」
仲間の声が私を呼び戻した。
私が今、この女魔術師にしたことは、戦士として正しい行為だったのか。
(くそ...何がどうなってるんだよ)
幼い頃から学んだ教えに反するものではなかったか。
母さんの悲しい顔が浮かんだが、振り払うように私は首を振った。
要塞の門付近から聞こえたウィルの声に言葉を返す。
「ウィルか!?待たせてすまない!内側は終わっているが、ハイネが負傷して身動きが取れない!門を開けるのに人手が欲しい!」
「了解です!」
少し待つと、岩が隆起し大地が動く音。
外側から地形を操作し、フォウが門の上から顔を出した。
「隊長!無事でなによりだ!」
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先行して入り込んだ王国軍を束ね、フォウは手早く開門した。
「隊長、今ですよ!坂上るの大変だったんですから!王国軍に檄を飛ばしてあげてください!」
ビューラの言う通りだ。
約千人の戦士達は、昨日まで戦いなどしたことのない者であり、望んで参加したわけではない。
私という人間を知っているわけでもない。
それでも信じて上って来てくれた。
男性であり子供である私を。
「門は開いた!要塞陥落まであと僅かだ!皆の力があれば、必ず為せる!」
槍を高く掲げ、私は叫ぶ。
「進めええええええええええええええええ!!!」
地鳴りのような王国軍の歓声が要塞内を震わせ、雪崩のように入り込んでいった。
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内部には敵勢力も残っていたが、すでにインペリエが撤退したからか士気は低く、また人数も非常に少なかった。
数刻後、要塞の旗は帝国のそれではなく王国の旗が立っていた。
シグヴァルド要塞はこの日、落ちたのだ。
ハイドラに乗ったスカルドホルムが私の元に来たが、心底面白くなさそうな顔をしている。
こいつが何故不機嫌なのかまったく分からない。
勝利したのだからもっと喜べばいいものを。
「...ふん、感謝するぞ小僧。だがな、多くの犠牲の上にある勝利だということを忘れるな!」
「ええ、仰る通りです。最初からこうすればよかったと、心底悔いております。愚策によって散っていった者達には顔向けできませんね」
分からない。
理由は分からないが、その後小隊の仲間達に死ぬほど怒られた。
言い方が、とか配慮が、とかなんとか――人族の文化は本当に面倒だ。
ハイネは大きな怪我もなく救出されたが、黒雷の巻き添えになって戦闘不能になってしまった。
しかし彼女は、助けられてからずっと私を賞賛していた。
流石はウチの大将や!この言葉をすでに十回は聞いている。
そんな中、似合わない鎧を着た兵士が一人、私に近づいてきた。
「あ...セラ隊長!やりましたね!あの作戦が上手くいってよかったです!」
「君はあの時の...この勝利は君のお陰だ。本当にありがとう。名前を聞かせてもらえるか?」
女兵士は明らかに躊躇している。
似合わない鎧に、華奢な体――農民ではなく商人だろう。
別に名前くらい知ったところでどうということはないだろうに。
意を決したようにその女兵士は兜を脱ぎ――自らの名を口にした。
藤色の髪が兜からこぼれ出る。
長い前髪は右目を隠し、自信の無さを体現しているかのようだった。
年齢は、二十代後半だろうか。
少し頬を紅潮させた彼女は、己の名を口にした。
「私は――ヘンリエッタ。ヘンリエッタ・イクスピアリ・フェナンブルクです。一応その...第一王女です」




