046.戦士の頂、四天将インペリエ
要塞の石畳に足を着いた瞬間、私は迷うことなく動いた。
着地の衝撃を殺しながら低い姿勢を保ち、すぐ目の前にいた帝国兵の首筋に槍を滑り込ませる。
刃が肉を裂き、骨を断つ。
女の目が見開かれ――理解する間もなく、膝から崩れ落ちた。
槍を伝う血が、目の前の兵士が人間だったことを教えてくれる。
こんなにもあっけなく、人は、死んでしまうのか。
僅かに...心の歯車が軋んだ気がしたが、今は高揚感に身を任せて考えないでおく。
考えたらきっと――槍に力が入らなくなってしまう気がした。
「何者だっ!」
別の兵士が剣を抜きながら叫んだが、遅すぎる。
槍を引き抜きながら体を捻り、黒雷を纏った石突で女兵士の鳩尾を突く。
甲冑の隙間を正確に狙った一撃、女兵士の背から黒い火花が咲く。
そして私の中に流れ込むマナ――行ける。
周囲を見渡して視界に入った兵士は、ざっと五十人。
私とハイネなら、なんとでもなるだろう。
「うおっと!危ないなあ!」
振り返ると、彼女は既に反対側で三人の兵士を相手にしていた。
槍を美しく回転させながら、まるで踊るような動きで敵を翻弄している。
彼女の槍術は本当に芸術的だ。
一見すると無駄な動きに見えるが、その全てに意味がある。
敵は彼女の間合いを測りかねて、結果的に一方的に攻撃を受けることになる。
さらに雷撃の警戒をするのは、初見でどうこう出来るものではない。
敵の兵士達はあえなく血の海に沈んだ。
「上の見張り台も任しとき!セラくんはそこらの兵士さんのお相手や!」
ハイネの指示に従い、私は門に向かって走り出した。
途中、何人もの帝国兵を薙ぎ払いながら進む。
しかし、門の周辺にはまだ十数人の兵士が残っており、中には弓兵も混ざっている。
――この状況、味方への被弾の恐れがない今なら。
黒曜石の切っ先を素早く向け、唱える。
「振り下ろされし天雷は、番犬となりて簒奪者の腸を食い破らん。雷鳴斧<サンダーアクス>!」
放たれた漆黒の稲妻が、地を這いながら敵陣に向かって突き進んだ。
稲妻が触れた兵士たちは次々と痙攣し始め、そのまま力なく地面に倒れ込んだ。
魔力を奪われた彼らは立ち上がることができず、ただ呻き声を上げながら苦しんでいる。
「今のは何だ...」「黒い雷だと...」
残った兵士たちの間に動揺が見える。
この特異な魔法を受ければ、そう思うのも当然だ。
私は再び槍を構え、残った敵に向かって駆け出した。
器に水を注ぐように、自分の中にマナが少しずつ溜まっていく。
ウィルと訓練していた頃とは全く次元の違う、大量のマナ。
嫌な感じだ...内側から心の扉を叩いているのが分かる。
得体の知れない――――巨大な、魔物が。
まずい、これ以上はまずい。
もう黒雷は使わない方が良さそうだ。
ハイネの方を見ると、もう片付け終わったらしい。
敵の死体が彼女の周囲に散らばっており、彼女自身は軽やかに槍を肩に担いでいる。
流石は"雷神"といったところだ。
まだまだ私は彼女から学ぶことがある。
「セラくん、お疲れさん!初陣なのに全然物怖じせんなあ」
「茶化すな、あと初陣じゃねえ。"二回目"だ。それより門を開けるぞ。あそこに操作装置があるはずだ」
門の構造を見たところ、重厚な鉄製の扉は人力だけでは到底開けられそうにない。
きっと何らかの機械仕掛けになっているのだろう。
門の両脇を見回すと、右側の小さな建物に目が留まった。
ハイネに目線を送ると、首を縦に振って反応する。
私が指差した建物は、明らかに他とは用途が違っているようだった。
窓がなく、扉も頑丈に作られている。
門を制御するための重要な施設に違いない。
突然の――悪寒。
直感が死を告げている。
ハイネの表情が一変した。
これまで経験したことのない、圧倒的な殺気が背後から迫ってくる。
「っ!!セラくん後ろっ!!」
私は反射的に体を前に投げ出した。
世界が遅く流れる。
地面に顔が着くほど姿勢を低くした瞬間、頭上を巨大な何かが通り過ぎていく。
「あぶねっ!?」
風切り音が耳をつんざき、石畳に火花が散った。
もし反応が一瞬でも遅れていたら――首が、飛んでいた。
素早くステップを踏んで振り返る。
そこに鎮座していたのは、まるで山がそびえ立つような威圧感を放つ一人の女戦士だった。
身長は二メートル前後、筋骨隆々とした体躯は鎧の上からでもその逞しさが伝わってくる。
そして何より印象的だったのは、彼女が担いでいる巨大な戦斧だった。
斧は彼女の体躯とほぼ同じ長さがあり、刃の部分には美しく加工された魔石が嵌め込まれている。
茶色のウェーブがかった髪が風に揺れる中、彼女の鋭い眼光が私を見据えていた。
この女性からは今まで感じたことのない感覚がある。
それは単純な強さではなく、もっと本質的な何か。
御伽噺の英雄が顕現したのかと錯覚する――絶対的な強者の風格。
「フェナンブルクの"雷神"に...貴公が"黒槍"だな。なるほど」
彼女は私とハイネを交互に見ながら、感心したような表情を浮かべている。
「あの坂を越えて、いや飛んでくるとは驚愕したぞ。まさかこのような奇策に出てくるとは思わなんだ」
周囲に散らばる帝国兵の死体を見回す。
しかし怒りは見えない。映るのは悲壮、憂慮。
「――取り合う手を斬り落とされて、どうして共に明日を迎えることができると言うのか」
静かな声に、仲間を失った者の深い悲しみが滲んでいた。
彼女の瞳に映るのは、散らばる兵士たちの無残な姿。
共に酒を酌み交わし、故郷の話に花を咲かせた者たち。
きっと肩を並べ、ともに未来を描こうと謳い合った友なのだろう。
その想いが、彼女の戦斧に宿る殺気をより一層鋭く研ぎ澄ましていく。
張り詰めた空気を切り裂くように石突を地に立て、
彼女は口を開いた。
「我が名はインペリエ・アルバスト・ゴア!ゴア帝国四天将の一柱にして、ゴア帝国第二王女なり!」
高かった。
聳え立つ霊峰は、戦士の頂。
遥か高みの存在。
要塞全体に響き渡った。
四天将、そして第二王女。
つまり、ゴア帝国の王族でもあるということだ。
「汝ら、ひとつ尋ねる。我が帝国の使者を捕えて、どうするつもりだ」
「......悪いけど、心当たりはあらへんな」
「そうか。ならば、貴公らには――此処で果ててもらうとしよう」
インペリエは戦斧を両手で握り、ゆっくりと構えた。
余裕のある洗練された所作だ...長年の戦闘経験が感じられる。
彼女の戦斧から発せられる威圧感は、私がこれまで感じたことのないものだった。
斧の魔石が煌々と光を放ち始める。
「セラくん、この女ヤバいで。ウチでも勝てるか分からん」
私に耳打ちしていきたハイネの声には、珍しく緊張が混じっていた。
分かっている。
私も本能で感じている。
しかし、今背を向ければ、ウィル達を裏切ることになる。
仲間たちが命を懸けて坂を駆け上がってくる。
何としてでも門を開けるしかない。
「じゃあ逃げるか?」「冗談!ここで逃げたら女が廃る!」
私とハイネは槍を握り直した。
インペリエは私たちの決意を見て取ると、不敵な笑みで応えた。
「来るがいい。貴公らの武勇に敬意を表し、手加減はせぬ。」
要塞の中庭に、静寂が降りる。
三人の戦士が、それぞれの運命を背負って対峙する。
風が止み、時が凍る。次の瞬間――戦いの火蓋が、切って落とされた。
この戦いの結果が、シグヴァルド要塞攻略戦の行方を決めることになる。




