041.スカルドホルムという女
行軍を始めて一日、私は改めてスカルドホルムという人物について考えていた。
演説での配慮ある言葉や、徴兵された人々への気遣いを見る限り、彼女は決して悪人ではないように思えた。
しかし、ハイネや周囲の反応を見る限り、スカルドホルムには何か問題があるらしい。
軍事的な能力に疑問があるのか、それとも人格的な問題があるのか。
いずれにせよ、この大規模な作戦を指揮する人物として適任なのかどうか、不安を感じずにはいられない。
「隊長、大丈夫でしょうか...わ、私これが初陣なんですけど、この雰囲気ヤバくないですか?」
ビューラの声にも明らかな動揺が表れている。
確かに、現在の軍の状態を見る限り、勝利への道筋は見えてこない。
「オレも前線に出るのは初めてなんだ。全体がどうなるかは分からないが、少なくともオレ達の最優先目標は生き残ること。五人が離れない状況で戦うことが出来ればきっと大丈夫さ」
私は自分に言い聞かせるように答えた。
ビューラの懸念はもっともだ。
このまま士気が上がらなければ勝利はない。
この状況で出来ることは限られている。
せめて自分たちの小隊だけでも、しっかりと戦い抜かなければならない。
行進は続いた。
太陽が昇り、気温も上がってきたが、軍全体の雰囲気が明るくなることはなかった。
徴兵された女性たちの中には、すでに疲労で遅れ始める者も現れていた。
このペースで北部の要塞まで辿り着けるのだろうか。
私は槍を背負い直しながら、前方を見つめた。
はるか遠くには山々が見え、その中に目指すべき要塞があるのだろう。
ただ一つ確実なのは、この戦いが今までとは全く違う規模と性質を持っているということだった。
初めてのことだらけで、私も少し考えるのが疲れてきたころだった。
突然ハイネがニヤニヤと笑いながら私の方を向いた――この女、何か企んでいる。
「そういえばセラくん、ビューラから聞いたで?なんや女にヤられてもうたんやって?」
ビューラめ、覚えとけよ。
フォウもそんな目で見るんじゃない。
しかし一番最初に声を上げたのは、なんとウィルだった。
「なああっ!?早すぎますよ隊長!まだ十二歳じゃないですか!」
それを聞いた周囲の女性兵士が、少し笑っていたのが気に入らなかった――なんだというのだ。
ウィルの反応も、ビューラと同じく大げさで、まるで何か重大な事件でも起こったかのような驚愕ぶりだった。
彼の顔は真っ青になっており、本当に心配している。
大事な何かを無くした子供を慮るような...逆に申し訳なく思ってしまう。
「悪いハイネ、その言葉の意味が分からないんだ」
私は正直に答えた。
ハイネとウィルが何について話しているのか、さっぱり理解できなかった。
アリアが家で療養していることと何か関係があるのだろうか。
「この反応は白だな。そうに違いない。そうであってほしい」
フォウが安堵したような表情で呟いた。
普段は感情を表に出さない彼女が、なぜかほっとしているように見える。
一体何がそんなに重要なことなのか、私には全く分からなかった。
ただひとつ言えるのは、ハイネがこの話題を出したせいか、小隊の周りの雰囲気は少し和やかになったように感じた。
彼女なりの気遣いだったかどうかは分からないが、立ち振る舞いは学ぶものがあるかもしれない。
そして――ハイネを影に、気配を消してその場から離れようとする痴れ者が一人。
犯人の肩に優しく手を置くと、小動物のようにぴたりと呼吸が止まった。
「ビューラ、どこに行こうってんだよ。」
気配を消していたビューラの肩を優しく叩くと、驚くほど飛び上がる。
「隊長!私は行かねばなりません!そう、北の死地へと!」
「オレも偶然北に用事があるんだよ。奇遇だな」
「ッス.........」
こいつめ。
もう騎士団全体に広がっている可能性があるな...
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行軍が始まって三日が経過した頃、早くも行軍は予定より遅れが出ていた。
王国を取り囲む荒廃した土地は歩きづらく、徴兵された市民にはさぞ厳しいことだろう。
雰囲気に飲まれないよう、私の小隊はなるべく会話を絶やさぬようにしていた。
時には徴兵された女性と会話もした。
蔑むような態度をする者がほとんどだが、中には会話に応じてくれる者もいた。
女尊男卑の文化を気にしない女性も、一定数いるらしい。
そんな中、私はハイネと並んで歩きながら気になっていたことについて聞いてみることにした。
「なあハイネ、スカルドホルムのことを教えてくれ。演説を聞く限り、いい奴に見えたんだが」
私の率直な感想に、ハイネは苦笑いを浮かべた。
どこから説明すればいいのか迷っているような困惑が見て取れる。
「あいつは初級騎士から二星騎士に一気に格上げされた特例中の特例やからなあ。侯爵のひとり娘で、目上の人間に媚びるのが上手なんよ」
「強くはないのか?」
「そそ。しかもあいつは致命的に馬鹿やねん。戦略なんてあってないようなもんやし、その場で自己判断しないとあかんことが多いさかい...この戦い、かなりの死人が出るやろなあ」
どうやらスカルドホルムは、現王であるオーギュストに随分と可愛がられているらしい。
幼い頃から戦士に憧れ、騎士団に入ったが一向に目は出なかった。
剣は使えず、槍は使えず、盾も使えなければ弓も持てない。
王に泣きついた彼女は言った。
武器を使えずとも、兵を動かし、大局を見る力ならあると。
星付き騎士には、序列別に人数が決められているらしい。
その年、偶然にも二星騎士の席が空いた。
既に六十を超えた老騎士だったという。
本来は一星騎士を昇格させるそうだが、彼女は図々しくも空いた席に我が物顔で座った。
簒奪者と揶揄されたが気にしなかった。
侯爵の娘という立場上、幼い頃から英才教育を施されていたのにも関わらず、
彼女は読み書きが出来なかった。
指摘を受けても、自尊心が邪魔して変えられない。
それがレイトッド・スカルドホルムという四十歳の女だったのだ。
おいおい――私は何度そう言いかけては、繰り返し言葉を飲み込んだ。
確かに演説では配慮ある言葉を口にしていたが、それが軍事的能力とは別の話だということか。
実際の戦場では、善意だけでは勝利を掴むことはできない。
だとしたら、指示を待つのではなくこの小隊での計画を練る必要がある。
要のフォウに意見を求めることにした。
彼女が戦術眼に優れていることは訓練を通じて理解していたからだ。
「フォウ、北部の要塞をどう攻めるのがいいと思う?」
フォウは少し考えてから、冷静な口調で説明を始めた。
「この季節、シグヴァルド要塞が位置する北部には雪もなく、足場に不自由はない。だが問題は、要塞の立地そのものだ」
ハイネ、ウィル、ビューラも自然と話を聞く。
周囲の徴兵された兵士達も聞き耳を立てているようだ。
「シグヴァルド要塞は坂の上に建てられていて、守りやすく攻めづらい構造になっている。攻略の難易度が非常に高いんだ。以前攻めた時は、敵の複合属性と思われる重戦術級魔法で一気に瓦解した」
フォウの説明を聞いて、私は眉をひそめた。
複合属性の重戦術級魔法――たしか、雹塊ともに巻き上げられる広範囲の竜巻だったか。
坂を上ろうとする兵士達を竜巻が襲えば、間違いなく立て直しが出来ないほどの被害が出るだろう。
傾斜を利用した質量攻撃にも注意する必要がある。
土属性魔法で大岩でも転がされたら、即座に魔法で対処しなければ命はない。
「恐らく射線上である坂には、敵兵を配置していない。よって今回の要は、坂の上まで駆け上がったあと、高い砦の壁を乗り越え迅速に内部から門を開ける事だ」
「正面突破しかないってことか」
私の質問に、フォウは首を振った。
随分と周囲の視線が集まりつつあるのに気付いていたが、むしろ聞いてもらった方がいいだろう。
「半分正解は正解だ隊長。地形的不利な戦いでは、土属性魔法でいかに地形操作をしながら進めるかが一番重要になる。当然、敵もそれを警戒している。素早く起点を作り続け、敵の魔法を避けつつ進む必要がある。坂の下から魔法で攻撃しても、距離・射角減衰を受けやすい。白兵戦に素早く持ち込み、叩く。...と、いうのがセオリーなんだが。」
どうやら続きがあるらしい。フォウの端的な説明で今回の戦闘に於ける全容の理解は出来た。
何か秘策があるのだろうか?
「打開策があるって...ことか?」
「いや?そんなものはない。」
「そ、そうか...なあウィル、ルクセン平原で戦った敵将は水属性魔法で空を飛んでたぞ」
「隊長、勘弁してくださいよ...そんなこと出来るわけないじゃないですか」
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行軍を始めて三週間、野営を続けながら荒地を進んだ五千名の兵士達の顔には疲労が色濃く表れていた。持病が悪化して亡くなった老婆もいた。
亡骸を荒地に埋め、先を目指した。
そして東西を隔てる高い山岳には、人の手で拓かれた道が続く。
両国の往来を司る北の関所――
シグヴァルド要塞が鎮座するその坂は、想像を遥かに超える高さと、苛烈な傾斜を誇っていた。
「うお...思ってたよりずっと高いな...」
目測、要塞まで十五キロメートル。
その距離が私達を待ち受ける戦場までの道のりだった。




