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継承のセラ  作者: 山久 駿太郎
第五章 -シグヴァルド要塞攻略戦-
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039.北へ

二週間の休暇は矢のように過ぎ去った。

あれほど長く感じていた時間が、気づけば指の間をすり抜けるように過ぎ去ろうとしている。


アリアの看病をしていたせいもあるが、それ以上に心の整理がついていないまま時間だけが流れてしまった感覚があった。

集落の住人があのような異常な状態になったのは確かに驚いたが――


母さんとラビ、

そして新しく生まれた赤ん坊が無事ならば、

正直なところ他のことはどうでもよかった。


集落に住んでいた十一年間、私は常に生き辛さを感じていた。

人族である自分がそこにいることで、母さんやラビに迷惑をかけているのではないかという負い目。

集落の住人たちの冷たい視線。

表立って文句を言われることはなかったが、陰で囁かれる悪口は子供の耳にも届いていた。


「あの人族のガキのせいで」「カルラ様も変わってしまった」「早く追い出せばいいのに」


そんな心無い言葉を母さんやラビに投げかけてきた連中など、どうなろうと知ったことではない。

ざまあみろ、だ。

それでも依然として、私の胸の内にかかる霧は晴れない。


アリアという女を、どこまで信じていいのか。


あの惨劇の中で母さんたちを逃がしてくれたということだが、

彼女の目的は何なのか、まだ分かっていない。

帝国の軍人らしき服装だったが―――あまり考えたくなかった。

そしてあの戦い...あれだけの獣人を殺しても尚、魔術の威力はビューラの数段上だった。

不安がないと言えば嘘になる。


そんなことを考えながら騎士団本部に向かう途中、偶然ビューラと出会った。

相変わらず茶色のウェーブがかった髪を風になびかせ、太い眉をきりりと上げて駆け寄ってくる。


「隊長!もお~待ってましたよ!」


ビューラの明るい声が街の石畳に響く。

私は軽く手を上げて応えた。

その屈託のない笑顔を見ていると、こちらまで気持ちが軽くなってくる。

彼女のそういうところが、私は好きだった。

些細なことなのかもしれないが、こうした仲間との日常があの惨劇の残滓を溶かしてくれる。


「ああ、おかげさまで。ビューラも元気そうだな。ちゃんと訓練してたか?」

「...え!?ええ!そりゃもうしっかりと!完璧にやってましたっ!あ、隊長はゆっくり出来ましたか!?」


彼女の質問にどう答えるべきか。

あの光景を口にするのは憚られるし、あまり他人からあーだ、こーだと口を出されるのは好きではない。

適当に誤魔化しておこう。

それがいい。


「まあ...色々あって、帰郷が出来なかったんだよ」

「そうでしたか...」


私は少し濁し気味に答えた。

ビューラは心配そうな表情を見せたが、それ以上は追及しなかった。

彼女なりに、踏み込んではいけない領域があることを理解してくれているのだろう。

相手の所作や雰囲気から、最適解を導き出す能力が高いのは良いことだ。

そうした空気を作り出されると、緩んでしまう。


私はつい口を滑らせてしまった――別に言わなくてもいいことを。


「実は今、家に女がいるんだ」


言った瞬間、ビューラの足が石畳に根を張ったように止まる。

彼女の表情が見る見る変わっていく。

驚き、困惑、そして何か別の感情が入り混じった複雑な表情だった。

少し顔が赤いか?


「え...ええええええええええええぇぇっ!?」


ビューラの目は飛び出そうなほど大きく開いていて、少し怖い。

ああ、これは、言うべきじゃなかった――


「その、女性は...今何を?」

「い...今ごろ、ベッドで寝ているだろうな」


その瞬間、今度こそビューラの顔が真っ赤になった。

あー、これもダメか。


「えっ...あっえっ!うえええぇ!?ヤられちゃったんですかぁ!?」


ビューラの叫び声が街中に響き渡った。

通りを歩いていた人々が振り返り、好奇の目を向けてくる。

私は慌てて彼女の口を塞ごうとしたが、既に遅かった。


「ちょ、何を大声で...」

「隊長っ!十二歳でなんて...流石に早すぎますっ!」


しかし、ビューラの言っていることが良く分からなかった。

「ヤられる」とか「はやい」とか、一体何のことだろうか。

あんな騒がれるとは思わなかった。


アリアがベッドで休んでいることの何がそんなに驚くべきことなのか、私には理解できなかった。

あれだけの怪我をしているのだから、むしろ適切な処置だろう。


ただ、ひとつ学んだ。

この話はしない方が良さそうだ。

このまま続けると更に大きな騒ぎになりそうな予感がする。


「とっとにかく!今日はフレデリックに報告があるから、今度詳しく話すよ。」

「詳しく話すって!?狂ってますよ隊長っ!!いやそりゃ聞きたいですけど!」


彼女の反応の意味を理解するのは、もう少し後のことになるだろう。

あまり理解する必要がなさそうだが。


---


フレデリックの執務室に着いた時、相変わらず山積みの書類に囲まれた彼の姿があった。

無精髭もかなり伸びていて、疲労の色が濃く表れていた。

要するにいつも通りだ。

私の足音を聞いて顔を上げると、久しぶりに会う父親のような...

いや、私が知らない父親とは、きっとこんな笑顔をするのだろう――温かな笑顔を見せてくれた。


「セラ!お帰り。また逞しくなったんじゃないか」


彼の声は心からの喜びが込められていた。

確かに、この二週間で私の中で何かが変わったのかもしれない。

アリアとの出会い、集落での出来事、そして自分自身と向き合った時間。

それらが私に変化をもたらしたのかもしれない。

ただ、望ましいことでないのは確かだ。

こうした経験はきっと傷になる。

もしあの炎の中に、母さんやラビの顔を見てしまったならきっと私は、壊れてしまっただろう。


「ただいま、フレデリック。まあ色々あってな」


「ただいま」という言葉が、考えるより先に口をついて出た。

胸の奥が少しくすぐったい。

フレデリックは書類から完全に目を離し、椅子の背もたれに体を預けた。

その仕草からは、久しぶりの休息を取っているような安堵感が感じられる。

この二週間、彼もまた休まらなかったのだろう。


「家族とはゆっくりできたか?」


何気ない問い掛け――そこに悪意の欠片も無いことが、かえって胸に重い。

母さんとラビに会えなかったことを説明するのは、あまりにも複雑すぎる。

集落の惨状、アリアとの出会い、そして現在の状況。

どこから話せばいいのか分からなかった。

そして話すと長くなるのは確実だ。

同時に、一番相談したいのもフレデリックだった。


「それが...帰郷は出来なかったんだ」

「何かあったのか?」

間髪入れずに再度質問。

しかし先ほどとは大きく異なり、少し雰囲気が張り詰めている。

顔に、出てしまったのだろうか。

私が問題を抱えていることを看破されてしまった。


言い淀んでいると状況を察してか、彼は小声で「まあいい」とため息交じりに言った。

様々な困難を経験してきた彼なりの優しさなのだろう。

それ以上は追及しないでいてくれた。


「ごめん、フレデリック。心の整理が出来たら相談させてくれ」

私はそう答えるしかなかった。

今この場で全てを説明するには、時間も足りないし、私自身が全容を理解していない。

フレデリックは静かに頷いた。


「分かった。ではいずれ。さて、と。」

フレデリックは一度咳ばらいをし、居住まいを正した。

その瞬間、空気が変わった。

先ほどまでの父親のような優しさは影を潜め、代わりに騎士団副団長としての威厳が現れた。

私も自然と背筋を伸ばし、正式な報告を受ける姿勢を取る。


「セラ・ドゥルパ中級騎士。貴殿に指令だ」

フレデリックの声は、公式な場での発言として響いた。

中級騎士という階級で呼ばれると、改めて自分の立場を実感する。

一年前、初級騎士として入団した時とは、確実に何かが違っていた。


「過日、やっとオーギュスト陛下が徴兵制の実施を承諾して下さった。これから北部拠点を落とすべく、急ではあるが二か月後には進軍を開始する。今回は前線に配置されることだろう。励めよ」


フレデリックの言葉に、私の心臓が大きく跳ねた。

ついに、本格的な戦闘が始まるのだ。

ルクセン平原での戦いとは規模も重要度も全く違う、王国の命運を賭けた戦いが。

集落の惨劇――あの炎が焼いた命の数など、足元にも及ばないほどの死が待つ戦場が。

"チョウヘイセイ"というのが何かは知らないが、鍛えた自分の腕を試したい。


槍を持つ手にぐっと力が入った。

ついに、真の戦場で戦う機会が与えられるのだ。

これまでの訓練、これまでの経験、どこまで通用するのか。


「応っ!」私の返事は力強く、執務室に響いた。


フレデリックは満足そうに頷いた。

「指揮官はフレデリック副団長がなされるのですか?」

「あー...今回の大将は『レイトッド・スカルドホルム二星騎士』だ」


聞いたこともない名前だ。

二星騎士という階級も、私にはまだ馴染みがない。

今回は肩を並べて戦えると思ったのだが、残念だ。

あの一年前からどれだけ成長したかを見せたかった。


...なんだか、本当に父親のように思っている自分がいる。

悪い気はしない。


そういえばフレデリックの階級について、これまで詳しく聞いたことがなかった。


「フレデリックも星付き騎士なのか?」

私の質問に、フレデリックは豪快に笑った。


「だはははは!吾輩は上級騎士だぞ!男は星付きにはなれんからな!」

その笑い声には、諦めと同時に、どこか誇らしげな響きもあった。


男性であることの制約を受け入れながらも騎士として生きることへの誇りが、矜持が、彼を彼たらしめる重要な要素なのかもしれない。

フレデリックのような優秀な人物でさえ性別という壁に阻まれているという現実を、改めて突きつけられた思いだった。


しかし、彼の笑顔に陰りはない。

むしろ、その制約の中でも最大限の力を発揮しようとする強い意志が見える。


フレデリックのように、生きていきたいと思った。

与えられた環境の中で、自分にできる最善を尽くす。

それこそが、本当の戦士の在り方なのかもしれない。


二か月後、北部へ。

小隊として初の任務、初の前線。


初めての、本物の戦場へ。


私は、向かう。

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